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 竜に会ったこと、まだ見ぬ虎への期待に満ちたアルトが翌日、目を覚ますとそこには満面の笑みを浮かべたタリルがそこにいた。
 常ではないタリルの表情にアルトは朝の挨拶もそこそこに「どう、したの?」と問いかけた。すると、タリルから思わぬ吉報を受けることになる。

「今朝から祈祷の時なんです」

 変わらずニコニコと機嫌が良いタリルにアルトはその意味が分からず首を傾げる。その様子にタリルが詳しく説明してくれた。

「祈祷の時とは、月の巡りが良い時のことでそれが来ると特に祈りが届きやすいことから月の巡りが良い一週間程神童たちはずっと祈らねばならないため聖域から出ることを禁止されているんです」

 僕もすっかり忘れていてお知らせが遅くなってしまってすみませんと謝るタリル。
 つまりは一週間、神童たち二人はアルトの前に現われないということだ。その知らせを聞いてアルトは安堵ではなく喜びすら感じた。捕まることへの恐怖感、不安、体力の消耗、親切を受ける負い目。ここしばらく、色々な気持ちがアルトを覆っていた。それから一時的にでも開放される。緊張しか知らなかった体が自然とほっと力を抜いたのがわかった。
 でも、アルトが警戒する人物は神童の二人だけではないことを思い出した。

「あ、の…」
「大丈夫ですよ、アルト様。宰相も朝から神童の二人に付いて聖域入ってますから。この期間が終わるまで三人はきっとこちらへ来ることはありません」

 タリルの言葉を聞いて、アルトは目の前の安息に胸を撫で下ろし弾ませた。
 ただ一週間の平穏。それだけでもアルトにとっては限りなく嬉しいものだった。
 転がり落ちてきた安息の日。
 アルトはそれを知らされてから何をすればいいのか途端にわからなくなり、タリルの進言でいつもより量が多くそれでいて豪華な朝食を食べることとなった。
 それはもちろん、細くなったアルトをタリルが気遣ったからである。
 いつもより多い量を食べたアルトは、胃を休めるためにゆっくりすることを薦められベッドに腰掛けた。
 もしかしたら神童らが現われるかもしれないと退路を考えようとしたが、満たされた腹に考えが及ばない。
 お腹に手を置くとふいに排水場が目に入った。そういえば今日はまだ水をやっていない。水をやろうと立ち上がり、排水場まで行くとアルトは小さく「あ」と声を上げた。
 排水場近くのチェストの上。そこにある鉢から一本の芽が出ていたのだ。しかも、その芽は大きく、葉も付け、更にはまっすぐした茎に不釣合いな蕾までつけていた。昨日までは小さな芽すら生えていなかったというのに。
 急激な成長に驚きながら、アルトは毎日の日課である水遣りをする。昨日の今日でこの成長ぶりなら、明日にはどれだけ大きくなるのだろう。穏やかな日に楽しみができ、アルトは初々しい若葉色の葉を撫でたのだった。




 神童らに邪魔されない穏やかな日が過ぎて3日。傍に付いてくれていたタリルは食事の指示をしてくると席を外した。それを見送りつつ、特にやることもないアルトは蕾をつけてから成長がない虎の種へと目を向けた。まだ蕾のまま。そう思い、視線を外す。するとふいにふんわりとその花弁が開いた。その中に予想外の物がおり、思わず二度見した。
 え。
 アルトは思考が停止するほど驚いた。
 大きく咲いた花の中心に、白く小さな仔虎が丸くなって眠っていたのだ。スピスピと寝ている仔虎に、アルトは混乱して思わず固まった。

 どどど、え、どうしよう!?
 寝ている仔虎を起こさないように、起きないでと願いながらキョロキョロと視線を動かす。けれど、頼りになるタリルはいない。
 酷く混乱しながらも、それでも頭の奥でこれは自分の虎の種であり、自分の仔虎なのだとわかっていた。それでも、やはり混乱はしてしまう。
 アルトが仔虎の前で静かに、わたわたしていると、目の前で“くー”とも、“きゅー”ともいえない声がし、仔虎が目覚めた。
 仔虎は、“くあふっ”と欠伸をする。眠そうにしながらお座りの体勢になる。そして、固まったままのアルトと目が合った。
 綺麗な銀色の瞳とかち合ったと思うと、仔虎は目を輝かせて一歩踏み出す。が、バランスが崩れた花は大きく揺れる。

「危ないっ!」

 落ちそうになる仔虎に思わずアルトが手を伸ばすと、仔虎は花の中心を蹴ってアルトの腕の中に飛び込んできた。
 腕の中に小さく柔らかいふわふわとしたものが収まる。咄嗟に手を伸ばしたが、最終的には仔虎の方から飛び込んできた。その事実にアルトは震えるくらい喜んだ。否、手先などとうの昔に震えている。
 仔虎は芯はあるが、全体的にふわふわと柔らかい。
 真っ白だと思っていた毛は、よく見てみると銀色の虎模様であることがわかる。
 腕の中で無邪気に甘え擦り寄る仔虎にアルトは抱いたまま再び固まった。どう扱っていいのかわからない。
 以前の世界では動物を飼ったことなどなかったし、朝顔の種ですら芽を出さなかった。
 ただ落とさないようにするアルトに、仔虎は小さく鳴きアルトの気を引く。くるりとした銀色の瞳とぶつかると、その小さな命に触れてみたくなった。
 固まったように抱いている腕ではない方の手で、恐る恐る撫でてみればその手に擦り寄ってくる。
 そのしぐさに保護欲を駆り立てられる。やはり自分の虎なのだと自覚するが、それでも扱い方がわからない。
 仔虎は、指にじゃれ付き始め、ほとほと困り始めた時来賓室の扉が開きタリルが戻ってきた。

「タ、タリルッ…!」

 腕を固定したままアルトが呼べば、タリルが目を大きく見開いた。そして、仔虎の毛の色を見て「やっぱり…」と小さく呟いた。
 アルトは仔虎がまだ柔らかい爪でアルトの服を引っ掛けながら上ろうとするのであたふたして、タリルの呟きなど耳に入らない。
 再度アルトが名を呼ぶと、タリルが笑みを浮かべながら寄ってきた。

「無事咲いたんですね!」
「え、う、うん。だけど、俺、どうやって、いいか、もふっ」

 上までやってきた仔虎がアルトの口を前足で塞ぐ。仔虎にとってはアルトが自分に目が向いていないのが嫌なのだろう。

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