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 王室へ幾度となく足を運んだが、王は沈黙を守ったままだ。政にも積極的ではなくなった。何かを考えているのか、それとも何も考えていないのか。それすらわからない。国の問題も何一つとして解決できていない。
 黒虎は深い溜息を吐きながら、城内を歩いていた。相変わらず色取り取りの濃い色の虎たちから視線があるが、今はそれすら鬱陶しい。
 来賓室へ足を向けながら、竜の国の花嫁の顔を思い浮かべる。白の虎を咲かせたと噂を聞いている。やはり特別なのだろう。
 記憶にある花嫁の顔は笑い顔ではない。そういえば、昨夜遅くに中庭で見かけた。自室として与えられている来賓室に気軽に戻れない状態は異常だ。医者からも苦言を受けた。
 だからこうして様子を見に行くのだが、どこか妙な気がしてならない。
 朝一番で黒虎が来賓室を訪れると、その実態が明らかとなった。尻尾を揺らしながら食事する仔虎から離れた排水場で器から溢れる水を手で掬って飲む花嫁。黒虎が記憶する花嫁の姿よりも痩せ細って見えた。
 こんなに痩せていただろうか。
 一心不乱に水ばかりを飲むアルトが気になって前足で服を引っ張った。
 振り返ったアルトはやはり痩せていて、黒虎の来訪に驚いていたが、黒虎はそれよりも食事はどうしたと問うた。言葉は通じないが、その意味を悟ったアルトは誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべるだけだった。
 仔虎に与えられた器一つ。花嫁に用意された形跡はない。それで黒虎は悟った。と、同時に来賓室を飛び出した。
 すぐに調理場へ向かい、調理係に指示を出す。ビクつく料理係に籠いっぱいに食事を詰めさせるとすぐに来賓室へと戻った。
 食べ物が入った籠をアルトへ押し付けると、アルトは泣きそうな顔をして何度も頭を下げた。そして、涙を溜めながらパンやハムに食らいついた。
 一体いつからまともな食事を取っていなかったのだろうか。それに気づかなかった自分を悔やむ。恐らくこの状況へ追いやったのは神童や宰相だろう。黒虎は眉間に皺を寄せる。
 滞る執務処理も大切だが、花嫁本人や立場を蔑ろにしたままではこの先の国が危ぶまれる。早急に対処せねばと心に決めると、ふいに花嫁の傍らにいる白い存在に気づいた。
 さっきまで尻尾を揺らしながら食事をしていた白に銀模様の仔虎。その無垢な瞳と視線がかち合い――固まった。



 
  黒虎が食事を持ってきてくれて、アルトは夢中でそれを食べた。久々にまともな食事だったのだ。水だけで腹を満たし、タリルから貰った保存食のパンを一欠けらだけが食事だった。
 焼きたてのパンに、温かいコーンスープ。野菜、そしてハム。またいつ食べられるかわからないと、アルトはそれらを詰め込んだ。
 黒虎が籠で持ってきてくれた食事は多く、残ったものはベッド下に隠して保存食にしようと一息吐くと、黒虎が微動だにせずただ一心にシロを見ていた。
 シロが首を傾げると、黒虎の尻尾がピンと伸びる。そして、急に頭を左右へ振り出した。違う違うというように。その様子を見て、人と関わったことがないアルトも薄っすらと勘付いた。
 シロはまだ幼いため、わかっていないが、黒虎は否定しながらも、シロへ熱視線を送っている。瞳が優しいのだ。
 それは、周囲に丸分かりなほど、黒虎の世界がシロ中心になった瞬間だった。
 それから、黒虎は頻繁にアルトの来賓室を訪れるようになった。もちろん、抱えきれない程の食事を持ってだ。だが、目的はアルトを気遣うというようりも、シロへ会うことのようにも思えた。
 黒虎が訪問してくれるとまともな食事にありつけるので、アルトとしては大歓迎だった。それに、神童も黒虎を苦手としているのか、寄り付こうとしない。精神的負担が減るので嬉しい。
 しかし、嬉しい反面ついにシロへの食事が運ばれてこなくなってしまった。今は黒虎が頻繁に来てくれるからいいが、この先どうなるかわからないアルトはただ不安ばかりが大きくなるだけだった。
 ベッド下の箱を取り出すと、随分と軽かった。その中身の軽さに冷や汗が出る。ドクドクと鼓動をざわめかせながらアルトはそろりと箱を開けた。
 保存用の硬いパンが2つと半分、ハムが8切れとチーズが一欠けら。
 徐々に減ってきた食料に不安が募る。
 シロの食事が出されなくなってから、シロとアルトの生命線はこの箱の中に限るのだ。その中の半分のパンを取ると、アルトは一緒に覗き込んでいたシロに渡す。シロは一瞬だけ躊躇ったが「食べて」と云うと大人しく食べ始めた。
 シロにも随分と我慢させている。
 アルトは箱をベッド下に隠すと、器から溢れる水を飲んだ。
 軽くなった箱の重みに、そういえば黒虎が来なくなって5日程経つことを思い出した。
 シロが咲いてから最初こそ頻繁に来ていたが、来室の頻度が減り、間隔も空くようになってきた。国で二番目に位の高い黒虎のことだ、忙しいのだと思う。部屋へ来た時の疲れた様子が思い出される。
 アルトがぼんやりと黒虎を思い出していると、シロがパンを食べ終わって排水場の器の水を飲みに来た。器を前に置いてやると、鼻まで突っ込んで水を飲み、息苦しさに自分で驚いている。その様にクスリと笑い、鼻先を袖で拭いてやる。
 育ち盛りのシロのためにももっと食べ物が欲しい。ここ数日、黒虎は現われず、自分の分もシロへやっていた。
 水でいっぱいのお腹をさすりながら、ふいに扉の外が騒がしくなったことに気づいた。
 黒虎が来ていないと知ったのか、近頃奇襲をかけてくることが多くなった。
 アルトはシロを抱きかかえる。以前より重みが増したことを嬉しく思いながら窓から外へ出た。

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