23
廊下を大勢の取り巻を引き連れて歩く神童のラウラとセルマは、さも愉快だと云わんばかりの表情で来賓室を目指していた。世話役は二人の息がかかった者にさせ、竜の国の花嫁を追い詰めるように指示をした。時折黒虎が邪魔をしに来ていたが、今は国外へ急遽向かうことになったらしいので二人を邪魔するものはいない。
二人、特にセルマは劣等感を抱いているのもあり、アルトを追い詰めることで優位に立てると思っている。
美しい顔で目を細めて笑いながら来賓室までやってきたラウラは取り巻きの同じ神童たちに扉を開けさせ中へと入った。が、そこにアルトの姿はない。
途端、一気に顔つきが険しくなる神童。セルマに至っては下に見ている同じ神童たちに当たり散らした。それをラウラは愉快だと笑うばかり。そんな中、アルトの世話役を仰せつかっている者が前に出た。
「神童様、竜の花嫁は近頃貰った食料を蓄えているようです」
世話係の言葉に、セルマは良いことを思いついたように口元に弧を描く。
「そんな卑しい行為は例え竜の花嫁だとしても、花嫁としてあるまじき行為だね。すぐにその食料を探し出せ」
取り巻きに厳しく命じると、手分けして食料の蓄えを探し始める。それを何を思ったか、宝探しか!?と、ラウラも同じように加わって探し始めた。
程なくしてラウラが声を上げた。ベッド下から何かを見つけて目が爛々としていたが、中に入っていたものを見てがっくりと肩を落とした。
「何だよ、これー!食べかけばっかのゴミじゃん!」
お宝だと思ったのに損した!時間を無駄にした!と騒ぐラウラを横目に、世話役がその箱をさっとセルマの元へ持っていく。
「こちらが蓄えの食料です」
「全く、花嫁に似つかわしくない。処分しろ」
ニヤニヤと笑う世話役が「はい」と返事をすると、セルマは満足したのか来賓室を出ていく。取り巻きも慌ててそれを追うと、ラウラが待てよー!と、来賓室を後にした。
神童らから逃げるように来賓室を脱出したアルトがシロを連れて戻ってきたのは夜になってからだった。当てもなく歩き続けて疲れて帰ってきたアルトは、少しだけ少しだけ箱の中の食料をいつもより多めに食べようと思いながら帰ってきた。
神童らがいないことを確認して窓から入ると、そこには荒探しされて品を失った来賓室だけが残されていた。
棚の引き出しは出されたまま、ベッドのシーツも剥がされていた。
アルトはシロを下ろすとすぐにベッド下を覗き込んだ。あるはずのものが無くなっていて、胸が痛くなる。おかしい、あるはずだとベッドの下に潜り込んでみてもやはり食料の箱は無かった。
絶望だった。
言葉を失った。
命の綱を失い、胸にぽっかり穴が開いた感覚に陥る。
ベッドから這い出て座りこんだ。
悲しくて泣きそうになる。目頭が熱い。でも、シロの手前泣くわけにはいかない。強く振舞いたかった。
歯を食いしばって食いしばって涙を堪える。
胸を押さえて悲しみに蓋をする。
アルトはシロを抱いて排水場まで行く。
よかった、水の出る器は壊されていない。
口を開くと一緒に涙が零れそうだから、アルトは無言でシロに水を飲むように云う。
何も言わなくても理解したシロは一日中歩き回ったこともあり、水をはぐはぐと飲み始めた。
夢中になって水を飲むシロ。アルトはぼんやりと眺めながらその背をいつまでも撫でた。
翌日から過酷な逃亡の日々となる。
空腹を水を飲んで凌ぎながら、アルトは神童らから逃げていた。
けれど、食料を奪われてから体力がどんどん奪われていく。それはシロも同じで、日に日に元気がなくなってきているのを感じていた。特に幼いシロは今が食べる時期だ。詳しい育て方を知らないけれど、アルトはそう思っている。
神童からとりあえず逃げ切れたアルトは、元気のないシロを見て決心する。
シロに物陰に隠れているように云うと、アルトは緊張した面持ちで城で働く人々の前へと向かっていった。
人に慣れないアルト。
みっともないことだとわかっているけど、どうしようもなかった。
「あ、のッ……!」
声が裏返る。緊張で喉がカラカラだった。
声をかけられた人々は何事かと不審な目でアルトを見る。その視線すらも緊張の要因となって、逃げ出したくなる。
「あの、た、食べ物を、頂けません、か……」
自分の口から出た言葉に悲しくなる。
大切な何かを失っていく気さえした。
「あの、お腹が、減ってしまって……」
無意識に両の手で服を握りしめていた。
「お願い、です。食べ物をっ……」
人々の目にどう映ったかなんて、今のアルトに考える余裕などなかった。
肌もボロボロで頬も丸みがない。服だけは綺麗なのに、着ている本人はとてもやつれていた。
「お願い、します……」
声がどんどん小さくなる。
人々は憐みの目を向ける。けれど、竜の国の花嫁を前にして容易く手を差し伸べられる人などいなかった。
城の人々は散り散りになり、一人となったアルト。
唇が震えて泣きそうになる。
その場に佇んでいるわけにもいかなくて、とぼとぼと歩いていると、目の前に小さな包みを持った男が現れた。その人は何も言わずアルトに布にくるんだ何かを押しつけた。包みをあけると、そこにはパンが一つ。それを目にしたアルトは途端に胸にじわっと暖かい何かが溢れてきた気がした。
パンをくれた人はすぐに踵を返してしまう。その背中にアルトは泣きそうな声で礼を云った。
「ッ……ありがとうございます!」
深々と頭を下げるアルト。何度も頭を下げて感謝の言葉を繰り返した。
一つのパンを手に入れると、アルトは急いでシロの元へと向かった。
少し頭がくらくらしたし、お腹の辺りが痛いような気もしたけれど手に入ったパンが嬉しくてアルトは力無くも急いで駆けた。
「シロッ!」
隠れているように云った場所へ向かうと、アルトの声に反応してシロが尻尾を揺らしながら出てきた。
アルトはシロの横に腰を下ろす。
シロはアルトが持ってきた包みが気になるのか、鼻をピスピスと鳴らしながら近づいてきた。
アルトが包みを開くと出てきたパンに目を輝かせる。
「ほら、食べて」
食べやすいようにいくつか千切る。シロはアルトが云うとすぐに食べ始めた。ガツガツと食べるシロにやはり我慢させていたのだと胸が苦しくなる。
それを紛らわすように「喉が渇くよね」と、立ち上がった。
辺りを見渡すと、随分濁った池と植木鉢がいくつか転んでいるのを見つける。その中で、穴のあいてない鉢に触れると途端に水があふれ出した。内側を手で擦り汚れを落とす。
こういうときばかりは自分の特殊な力があって良かったと思う。
溢れる水を手で掬って飲む。口の渇きと少しだけ腹を満たす。
改めて思うが、生み出された水はいつも綺麗だ。味はただの水だけれど。
アルトは水を溢れさせながら鉢をシロの元へと持っていく。
パンを食べ続け息苦しさを覚えていたシロは今度はすぐに水を飲み始めた。
まだ幼いシロ。
大きくなるためにはやはり、ちゃんとした食事と量が必要だ。
不安はいっぱいだ。だけど、自分がしっかりしなければこの小さな命は絶えてしまう。
自分の傍にいてくれる子は今はシロだけなのだ。大切にしたい。
シロは食べ終わり自分の足にじゃれついてくる。
近くに生えている猫じゃらしに似た草を取ると、それを玩具に遊ぶ。
シロは楽しげにそれに飛びかかるが、簡単には捕まらせないように手を動かす。
ちょいちょいと前足を動かすが、すぐに捕まえられない。次第にシロはアルトの手が動かしているのだとわかると、手にじゃれついてくるようになった。
シロはアルトの手に安心したのか、それとも遊び疲れたのか「くぁふ」と欠伸をするとうとうととし始め、そのうち眠ってしまった。
アルトは少しだけ疲れた顔で笑うと、シロを抱えるようにして空を仰ぎ見た。
夢は見なかった。見たのかもしれないが、覚えていない。
アルトが目を覚ましたのは、服をちょいちょいとシロに引っ張られたからだ。
空はいつの間にか色を変えており、もう少ししたら夜になる頃だった。
アルトはシロを下ろして強張った体を伸ばすと、そろそろ部屋に戻ろうかとシロに問いかける。
服を少し払い、アルトは水が出続ける鉢を持ち後始末のために周囲を見渡した。いくつかある鉢の中に戻すのも気が引けて、迷った挙句濁った池の中に沈めることにした。
後始末が終わったアルトは、シロを抱いて歩きはじめる。先ほど抱いた時よりシロは大きく、重くなっているように感じた。
それから、食料を求める日々が続いた。シロの分だけでも必死に城の人々に頭を下げながら僅かな食料を得ていた。けれど、この時になって神童らの遊びも激しくなり、城の人々は関わりたくない一心でアルトに食料を恵むことも少なくなっていった。
アルトはパンの一欠片だけを口に入れ、後は全てシロへやっていた。そのおかげかシロは成長したが、その分アルトはますます痩せ細っていった。
今日も城で働く人々に白い目で見られながらも、頭を下げ続けたが避けられ、アルトは泣きそうになりながらも最後の伝手だと鈍る頭で一つの場所へ向かった。
城から離れた林の奥。シロは幼いながらも自力で歩いてくれるようになり、よろよろと歩くアルトを心配しながら後をついて来てくれた。
シロのための食料をもう既にまともな思考ができているのかすらわからなくなる程の状態でアルトは目的地へと辿り着いた。
そこは、赤い竜がいる場所。
以前食べ物をくれたことがあって、それを頼りに来たのだ。
アルトが竜の前に行くと、赤い竜は目を見開く。突然の訪問にも驚いたし、シロの存在にも目がいった。しかし、何より驚いたのは、アルトの痩せ細った姿だった。
常なら片足を折って敬意を示すのだが、それを忘れるくらいに以前より痩せていた。
病気なのではと疑ったが、それより先にアルトが緊張した面持ちで云い放つ。
「……あの、食べ物を、頂けませんか?」
その口から出た言葉で、赤い竜は全てを理解した。
ここまで竜の国の花嫁が蔑にされているとは。
赤い竜はすぐにふわりと飛び上がった。小さな風が起きて姿を消すと、次に現れた時にはありったけの食料を入れた籠を持っていた。
赤い竜はそれを渡すと、アルトは「ありがとう、ございますッ」と、深々とお辞儀して見せた。礼は必要ないと首を振れば、やつれた顔で小さく笑って食料に手を伸ばす。
けれど、食料はあれどアルトがそれを口にすることはなく。どれも幼い白い虎へ与えていた。
それで悟った竜は、再びふわりと舞うと先ほどと同じ料理人の元へと向かい、無言で脅すと先ほどよりも大きい籠を用意させ溢れんばかりの食料を詰め込ませると、ふわりと舞い戻った。
アルトはシロへ食べさせることで精一杯なのか、傍で起こった小さな風には気づかず。やっと気付いた時には、目の前に籠が突き出された時だった。
赤い竜に食料の入った籠が手に落とされると、アルトは酷く驚いた顔をしてみせた。それと同時に、泣きそうになり顔をくしゃりと歪ませる。
手元にある籠の意味を、それはお前の分だという意味を汲み取ったのだ。
アルトはこれ以上みっともない所を見せられないと、歯を食いしばって涙をこらえた。
自分のために用意された食料を前に、アルトは貪るようにそれらに食らいついた。飢えの辛さと嬉しさと悲しさで口に入れた食べ物の味がわからなかった。
口に入れる度、涙が出そうになって鼻の奥がツンとした。もしかしたら、泣いているのかもしれない。でも、アルトはそんなことよりも食べることに夢中だった。
パンを食べて、喉が渇いてミルクを飲む。次第に落ち着いてきて、やっと食べ物の味が分かる。
温かいスープはその温度だけで優しさに思えた。
シロは夢中でミルクを舐めている。顔中が濡れているのは顔ごと突っ込んだからだろう。
アルトはそれに気づいて漸く余裕ができてシロの顔を拭う。
赤い竜はそんな様子を見守っていた。
少ない食料で食いつないでいたアルトの胃はすぐに多くのものを受け付けられるわけではなく。それでも随分多くのものを口にした。
籠いっぱいに詰め込まれた食料は食べたいと思っても食べきれる量ではない。アルトは赤い竜に籠を借りても良いか尋ね了承を得ると、移動の妨げにならない分を手元へ残し、残りはどこかへ隠して後日食べることにした。
腹が満たされ、心も穏やかになり余裕ができた。
満腹になって寝転ぶシロを抱くと赤い竜に頭を頭を下げてその場を後にした。
来た道を戻りながら、アルトは手にある食べ物の重さを喜んだ。
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