24


 森を出る手前の枯れた井戸にアルトが食料を隠している頃、神童の一人――セルマ・ドリーは竜の花嫁を捕まえられず焦れていた。気分屋のラウラも現状に飽き始めている。
 記憶にあるアルトを思い出してセルマは眉間にしわを寄せた。
 まず思い出すのはあの気持ち悪い瞳。
 青とも緑とも云えない目を持つ者は虎の国にはいない。
 もし竜の花嫁という立場でなかったら宰相を嗾けて排除していただろう。
 また、水を生み出す能力を持つことや、白の虎を咲かせたことも気に食わない。
 気持ち悪い瞳を持つ容姿に似合わぬ能力の高さも気に食わない原因だった。
 本当に気持ちの悪い。
 記憶に残る瞳を隅に追いやるとこちらの顔色を窺う同じ神童の奴隷たちを見遣った。

「まだ見つからないの」
「みんなで探しているんですけど……」

 能力の低い神童たちに内心舌打ちする。
 不機嫌になり、目を吊り上げさせるセルマは強い口調で命令した。

「男たちを呼んできて」

 有無を言わせないセルマの言葉に神童は困り顔をしたが頷いてかけていった。
 小間使いにしている神童が呼んできた者たちは城で働く屈強な男たちだった。
 セルマはその男たちに命令する。
 後ろ盾に宰相がついていることを知らない者はこの城にいない。

「竜の花嫁を捕まえろ」

 異変を感じたのは城の人々の視線を感じたからだった。
 いつもなら物乞いするアルトに関わらないよう逸らされる視線が今に限って窺うようなものになっている。
 多くの視線が突き刺さる。
 普段とは異なる空気にじとりと背中に汗をかいた。
 折角赤い竜から食べ物を貰えてほっと安心したところだったのに。
 変に心の中が焦らせながらアルトは自分の居場所である来賓室へ急いだ。
 急く足にシロがよくわからないという顔をしながらついてくる。
 駆けだしたアルトに、多くの視線の中から動くものがいた。
 数人の男たちが動く。それに気づいてアルトは恐怖を覚えた。
 なぜ神童たちではなく、城の男たちから追われるのか。
 逃げろ、逃げろ!
 必死になってアルトは逃げる。足を縺れさせて転んでもすぐに起き上って逃げた。
 でも、必死に足を動かしても食料が足りず落ちた体力で逃げ切ることはできない。すぐに息が上がる。背後に迫る男たちの気配にアルトは守る存在であるシロを見遣る。

「シロっ、逃げてッ」

 アルトの言葉にシロは嫌だという顔をしたが、必死なアルトの表情を見て躊躇してからアルトの元から離れた。
 シロが茂みに隠れていったのを見送ってアルトはほっとした。
 男たちに捕まるところをシロには見せたくなかった。
 シロが離れてすぐにアルトは男たちに手を掴まれる。抵抗して男たちの手から逃れ、また力強い手に腕を掴まれた。
 それでも暴れるアルトに男たちも必死になる。

「暴れるなッ、このッ!」

 頬に衝撃が走る。その衝撃で体がぐらりと揺れた。
 倒れこむアルトに、男たちは顔を青ざめさせる。竜のとは云え一国の王の花嫁に手を上げてしまったのだ。
 狼狽する男たち。けれど、これは神童の命令だから仕方がないのだと。命令に従わなければ自分たちがどうなるかわからないのだと。いくつも心の中で言い訳をして自分たちのしたことに目を瞑ってアルトを捕まえた。
 捕まったら終わりなのだとアルトは顔を歪めた。落ちた体力では力の強い男たちに抗う力さえない。両の腕を掴まれて立たされ、連れて行かれる。
 悔しいと思ったのも一瞬で、無理に歩かされて決められた行く先に恐怖を覚えた。
 唇が渇く。
 何をされるのかわからない。
 体が強張る。
 嫌だと思っても男たちは進んでいく。
 アルトの虫のような抵抗も空しく神童の前に突き出された。
 目の前にあるやけに綺麗な豹が死ぬほど怖かった。
 委縮するアルトに、セルマは目ざとくその頬が少し赤く腫れているのを見逃さなかった。

「あっははは!お前たち良い仕事してくれたね!」

 服も体もボロボロで頬も腫らした様は、ひどくセルマの笑いを誘う。
 悪くはないとけりをつけたものの、やはり後ろめたさがあった男たちはセルマの様子にほっとした。罪悪感が薄れていく。
 セルマは身につけている白い服が薄汚れたアルトを蔑んだ笑みで見下した。


 体に重りがのしかかっている。
 アルトは心の中でそう思った。
 セルマがアルトに告げたのは、神童の手伝いと称する水汲みだった。
 樽が両端にくくりつけられた天秤棒で水を運ぶ。重さがある樽に水が入ればよりそれは重くなる。
 溢してしまっては何をされるかわからないとアルトは足に、手に力を入れて踏ん張った。
 肉体労働は弱っているアルトの体を酷使し、精神を蝕んでいく。 
 神童たちの監視下、重い水を運ぶ作業に何も考えなくなった。
 ふらふらとする足元を踏ん張る。
 空腹も、シロのことも、そして竜のことも何も考えることなく、アルトはただ重い水を運んだ。


 いくら往復しただろうか。
 嘲笑が飛び交っていた声も遠くなったのは夜が近づいてからだった。
 神童らが去って漸くアルトは労働から解放された。
 よろよろと来賓室に戻ってくるとシロが駆け寄ってくる。
 そのシロの相手もできないくらい疲れていたアルトはそのままベッドへと倒れこんだ。
 疲れた。
 瞼が重い。
 シロを撫でてあげたいと手を伸ばすも、シロの頭を指が掠める感覚があるだけだった。
 眠ってしまったのか、それとも意識を飛ばしたのかおそらくどちらもだろうアルトに、シロは眉を下げる。
 逃げろと云われ離れたアルトとこんなに長く離れたことはなかった。
 シロはその間の寂しさを埋めるため、アルトのベッドをよじ登る。そして、死んだように眠るアルトの伸びたままの腕の下から潜り、胸の中へ収まったのだった。
 



  シロはここ数日、物陰からそっとアルトの様子を窺っていた。
 アルトを心配し、時には神童らを睨みつけ何度も間に入ってやろうかと憤慨した。でも、自分がアルトに守られていることも知っていた。だから、ぐっと我慢した。
 長く見守り、自分の力のなさに泣いた。独りで泣いていると城の人々が気にかけてくれて食べ物をくれた。でも、自分の親であり主人であるアルトを気にかけてくれる人はいなかった。
 すぐそこで神童たちに酷いことをされているのに。
 シロはその差が歯がゆかった。
 昼が過ぎて今日は早くにアルトは解放された。
 連日の嫌がらせも飽きてきたのだろう。
 シロは急いで来賓室へと戻った。
 自分がアルトの近くにいて見ていたことを知られてはいけないと思ったからだ。
 走って部屋に戻ると暫くしてアルトが戻ってきた。いつものようにベッドへ倒れこむ。頭を撫でてくれようとするのもいつものことだ。今日は労働の時間が短かったのか、ちゃんと撫でてくれた。
 シロはひと撫でされるだけでも嬉しかったが、すぐに死んだように眠ってしまったアルトに不安になる。
 シロが知る限り、アルトはここのところ水しか口にしていない。
 労働に時間を割かれて食べ物を手にする機会を失っているからだ。
 ボロボロのアルトを見てシロはアルトが食べられるものを探しに行こうと思い立った。
 目をキリッとして眠ってしまったアルトをそのままに部屋から出た。
 テッテッテと小走りにちょっと廊下を歩くと不意に声をかけられた。
 その人は白い服を着たおじさんで隠すように包みを持っていた。白いおじさんは薬草の匂いがしたし、何を持っているのか怪しかったが、シロにはその包みの中身が匂いで分かった。
 食べ物だ。
 白いおじさんは「花嫁様に持って行ってくれるかい」とシロにその包みを託した。
 シロはしっかりと頷いて、目と鼻の先の来賓室へと戻って行った。
 




 顔に何か当たる感覚にアルトは目を覚ました。無意識に横を向けばシロの姿が目に入る。ぼんやりとなんだろうと眺めると、シロは何かをアルトに突き出した。柔らかい包みのそれがアルトの痩せた頬を突く。

 な、なに?
 ぐいぐいとシロはどこか嬉しそうに包みを押しつける。何?と、アルトは鉛のように重い体を起こし包みを開いた。
 白い包みを開くとそこにはパンとハム、チーズ。そして小さなりんごがあった。
 目の前に広がる食料に、アルトは目頭を熱くした。
 唇が震える。

「あ、りがとう……っ」

 震える唇で、掠れた声でいっぱいの感謝をすると、シロは早く食べてと前足でパンを突き出す。
 泣き出しそうになるのをこらえて、アルトはそのパンに食らいついた。
 嬉しさでいっぱいで食べ物の味なんてわからなかった。
 久しぶりに満たされた腹は全ての活力の源となった。空腹が満たされれば心に余裕ができる。神童に捕まり連日水汲みをさせられたが、本気で抵抗していなかったように思う。
 あのときのタリルの言葉が思い起こされる。

“逃げてください”
 アルトはシロを撫でながら逃げようと決意する。もっと必死になって逃げようと。
 翌日から、アルトは朝早くから来賓室を抜け出してシロと一緒に逃げ回った。神童の手足となっている城の男たちから隠れる。大抵森まで行ってしまえば逃げ切ることができた。
 けれど、アルトも必死ならば城の男たちも必死だった。神童の我儘は多くの人を振り回した。
 運が悪かったのか、それとも男たちの必死さが功を称したのかアルトは見つかり追われることとなった。
 角を曲がったり進路を変えながら逃げた。途中で足がもつれて転んでもすぐに起き上って逃げた。
 男たちの必死な息遣いが遠くなった時、物陰に飛び込んだ。
 息を整えながら辺りを見渡す。すると、ふいに廊下を歩いてきた男と目が合った。
 男はアルトをしばし見つめると「ついて来なさい」と踵を返した。
 アルトは怯えた表情から困惑の顔になり、それでもその白衣の男の後をついていった。
 着いていった先は、案外近くにあった医務室だった。
 薬の匂いが充満する部屋でアルトは無意識に安堵の溜め息を吐いた。
 白衣を着た男――医者は、無言で薬棚を漁り始める。アルトは呆然と立ち尽くしたまま医者の後ろ姿を見ていた。
 医者は目当ての物を見つけ振り返ると立ったままのアルトに少し驚く。

「……怪我をしている、そこに座りなさい」

 医者に指摘されて、擦りむいていたことに気づいた。
 大人しく椅子に座ると治療を受ける。
 医者は始終無言だった。アルトはこの人から期待しないで欲しいと云われている。だから、アルトも黙って治療を受けた。何も期待しないように。自分ひとりでできるように。誰に頼ることもないように。
 傷を消毒してもらっていると沈黙を守っていた医者が重い口を開いた。

「……逃げなさい」

 その言葉に顔を上げる。医者は真剣な瞳を向けている。
 アルトの状況を知っている彼は、ただただそう助言した。彼にはそれしかできなかった。
 彼の助言がなくともそうしようと決めていたアルトは、胸に小さな穴が空くのを感じた。打開策を期待していなかったわけではない。きっと心の奥でどこか期待していたのだと思う。
 ゆっくりと俯いて、それから頷いてみせた。
 逃げなければならないことはわかっていた。ひとりで逃げなければならないこともわかっていた。
 治療が終わり、立ち上がろうとするアルトに医者はすっと何かを差し出した。それは食べ物だった。驚くアルトに、医者は「ここで食べていきなさい」という言葉を残して部屋を去っていった。
 傷ついた心とは別のところに温い水が注がれる感覚がした。
 小さく傷ついた心に蓋をして、もらった食べ物に噛み付いた。
 その後も、医者やタリルの助言通り捕まることのないように逃げる生活を続けてきた。逃げながらも、頭を下げ城の人々に食料を貰う姿は物乞いのようだと次第に空虚になっていく心で悲しんだ。
 必死に逃げるにも食べ物に困り、力が出ない。そんなアルトが意思を固めたって容易く捕まってしまうのは目に見えていた。
 ゲーム感覚でアルトを弄ぶ神童たち。城の人々も見て見ぬ振りしかできない。彼らに捕まると重労働が待っていた。次第に抵抗らしい抵抗すらできなくなってきていたアルトに、神童らも刺激にならないのか、今回は異なった。

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