27


 聖域で安寧の時を過ごしていたのも長くは続かなかった。
 意図的でなくともそこに住みついていたアルトは、神童らが探し回っていることに気づいていたが、動く気力もなかった。
 それでも、教会なのか、神殿なのかわからない聖域の扉が急に開かれた時には咄嗟に逃げた。
 傍にいると聞かないシロを何ども云い聞かせ、独りで逃げさせた。アルトも逃げたが、早々に捕まった。
 長く走ったように思ったが、城の端の方だろうか。両腕を二人がかりで抑えられ、腹に重い拳がぶつかる。
 吐く物もなく、痛みの分だけ息が吐き出されるだけった。
 虚ろな瞳をして、ただただ痛みに耐えようとしているアルトに男たちは気味の悪い笑みを浮かべる。

「あの餓鬼共に、お前さんを好きにしていいって云われてんだ」
「竜の国だが、向こうの国の良い御身分の奴を抱けるってのは気分がいいな」

 息を荒げて、興奮したような目つきで男たちはアルトを見やる。その視線に、虚ろな瞳をしていたアルトは恐怖した。
 男たちは抱くと云った。半ばパニックになって、必死にもがく。
 けれど、アルトの弱り切った抵抗など、男たちには通用しない。
 男の武骨な手がアルトの服に伸びる。
 優しい竜から貰った大切なものだと思いだして、声を上げようとするが、声にならない。
 男は力を入れて乱暴に引き裂こうとする。が、破くことはできなかった。

「なんだぁ?」

 軽い素材の服にそれ程の耐久性があるとは思っていなかったのだろう。
 怪訝な顔をする男たちだったが、破れないと知ると裾の方から手を差し入れて来た。

「何だか知らねぇが、捲っちまえば関係ねぇ」
「ちっと細いが、肌は悪くねぇな」

 裾を捲られ、足を撫でられる。
 嫌だと思い、今までにない程の力で抵抗すると男の一人に拳が当たった。

「イテッ……、この野郎ッ!」

 平手が飛んできて、頭に当たる。その拍子で倒れこむと、今度は手を蹴られた。元々水汲みで荒れていた手の甲。男の靴が当たって、容易く皮膚が破れる。赤く染まっても男たちの暴力は止まらない。
 倒れたアルトは、白い服をめくり上げられ、足を掴まれる。
 嫌だ!と声を上げるも、先ほどの攻撃で興奮しているらしき男に手で口を押さえられた。
 声が出せない。
 怖い、怖い。
 恐怖を抱くアルトの視界に男のにやけた顔が映った。



 タリル・ランナーベックは、城の廊下を歩いていた。
 己の現在の主である神童のセルマ・ドリーからは指示らしい指示はない。ただ、神童の範疇であろう労働を云い渡されるだけで、それも午前中には終えてしまった。
 やはり、神童たちはアルトから自分を遠ざけたかっただけなのだろう。
 ぎこちない笑みを浮かべるアルトの顔ばかりが浮かぶ。
 アルトと一族を天秤にかけ、一族を選んだ裏切り者である自分。
 選んでからも何度も自問し、その度に溜息をつく。
 頭の片隅で、アルトの言葉が繰り返される。
 その崇高とも云える考え、言葉。
 でも、今のタリルにそんなことができるはずもない。
 力もない。地位も危うい。
 それで何の大業を成せるというのか。
 アルトの言葉は、悩みとなって日々考えさせられる。でも、考えても己の不安、意志の弱さに押しつぶされる。
 今日も大きな悩みに深い溜息を吐く。
 ふいに廊下の窓から見える空を見上げ、眺めていると耳に聞き慣れない荒々しい音が聞こえてきた。
 何事かと思い、視線をやると城のはずれで男たちが白い服を着た人を囲んでいるのが見えた。
 その白い服にタリルは見覚えがあった。
 顔がさっと青ざめる。
 アルトが襲われていると知ると、駆けだした。
 助けなければ!助けなければ!と、足が動く。思いついた相手を探しに走る。王でもなければ、意地の悪い宰相でもない。ましてや、主犯である神童らでもない。

「黒虎様!黒虎様は!」

 虎の国で二番の地位である黒虎の名を呼びながら、タリルは痛くなる胸を抑える。
 どうして自分がすぐに助けに行けないのだろう。どうして自分には地位がないのだろう。
 神童の範疇である事件。状況を冷静に考えて黒虎に助けを求めるのは正解だ。だけれど、自分が助けに行きたい気持ちを裏切っているようで、辛い。
 タリルはその気持ちを一度振り払うために、胸を叩く。
 今はどうでもいい。
 泣きたいなら後で泣け。今はアルト様を助けなければ。

「黒虎様、緊急事態です!」

 
 
 
 黒虎は、執務中に己を呼ぶ声が聞こえてきた。黒虎はその声に、何事かあったのだと察知し、声の主の元へと向かった。
 声の主は、ランナーベック一族の者で、アルトの元お世話係だ。彼は、城のはずれでアルトが襲われていると報告してきた。それを聞くと黒虎は全速力で駆けだした。
 空を蹴って件の現場へと急ぐ。遠くから白い服を着た者が組み敷かれているのがわかる。
 怒りが湧いて更に駆けるスピードが速くなると、その目標となる現場に白毛の艶やかな輝きが飛び込んで行くのが見えた。
 その存在に思わず「ダメだ!」と声を上げる。
 シロは先日の事件で主を守ろうと正当防衛とはいえ、男たちを威嚇した。これ以上事を起こせば何らかの処罰は免れない。
 黒虎は叫ぶ。地が揺れるほどの怒号。
 けれど、その声も空しく、シロはアルトを組み敷く男に牙を剥いたのだった。

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