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自分の肌を這っていた男の手がなくなった。抵抗しても敵わず、顔色を悪くしてこれからされるであろう行為にただただ泣きたかった。
しかし、いつの間にか自分の上に圧し掛かっていた男は消え、耳には男たちの醜い悲鳴が聞こえてくる。横へ逸らしていた顔を正面にし、自由になった身体を起こせば男たちがシロによって倒されているところだった。
その光景に呆然としてしまい、シロが自分の前に出て威嚇していても声をかけることすらできなかった。
シロが男たちへ向かって吠えるのを、よろよろと手を伸ばす。止めたいのか、どうしたいのかわからない不確かな意思は中途半端に手を伸ばすだけ。アルトが何もできずにいると、シロと男たちの間を割るようにして黒虎が舞い降りて来た。
男たちを一喝すると、シロを窘めるように唸る。収拾をつけられないでいたアルトは黒虎が現れたことでとても安堵した。
しかし、その安心もすぐに崩れることとなる。恐怖と疲労によりまだ立ち上がれないでいたアルトの耳に嫌な声が響く。
「何をしている!」
その声を聞いた途端、サッと顔を青ざめさせる。どこから騒ぎを聞きつけたのか、宰相が兵士を伴いこちらへやってくる。その姿とキツイ視線を向けられ反射的に身を縮こませてしまう。
宰相は、現状を見てからアルトを見やり、こう云った。
「……とうとう反逆に出ましたか」
予想外の発言に、アルトは驚く。
「いつかやると思っていましたよ。もはや、会議を開くまでもない。竜の国の花嫁は、その従者の白虎を使い、反逆目的で城の男たちを暴行を加えた。これは明らかな事実です」
反逆を行ったと主張する宰相に、アルトはいよいよ胸に大きなひびが入った。呼吸をしているのに、苦しい。吸っているのに、酸素が足らない。手足が痺れて陣陣して痛みを伴い始める。
でも、自分の体調よりももっと大切な命が危機にさらされている。
苦しそうな呼吸を繰り返すアルトの傍で、黒虎が宰相の発言に即座に異を唱えた。
そんなことあるはずがないと。
アルトは男たちに襲われ、貞操を奪われそうになっていた。それを従者であるシロが救ったのだと。そして、今回の件は然るべき話し合いの場を設けるべきだと訴えた。
しかし、宰相はその訴えを鼻で笑った。
「襲われた? 花嫁様が城の男たちを誘惑したのでは?」
宰相の発言に、黒虎が目を見開き叱咤する。
そんなはずがないだろう!とでも云っているように、黒虎が吠える。
アルトはそれを傍で見ながら、不規則な呼吸を繰り返す。
宰相はアルトを見下しながら、失礼と笑った。
「ですが、ここは人気のない城の外れです。事件が発覚した場所から怪しいと思いませんか。本当に襲われていたのでしょうか? そもそも、花嫁様はあの竜の国の者です。反逆、または享楽目的で複数の男たちを誘惑したのでしょう」
「……ち、がッ……!」
声を出すが、声にならず。頭がずんと重くなり、乱れた呼吸で声が出せない代わりに、アルトは首を横に振り、懸命に否定した。そんなことはしていないと。
アルトの弱々しい態度に気を良くしたのか、宰相は別の切り口で責めて来た。
「まぁ、いいでしょう。この際、花嫁が誘惑したかどうか、反逆罪であるかどうかは置いておきましょう。しかし、そこの白虎が男たちを傷つけたのは確かです。どのような原因があるにしろ、城の大切な労働力である男たちが血を流し、怪我を負った。これは大変な損失です。それに、その花嫁の白虎は前回も過度な防衛で問題を起こしています。これは、再犯防止、指導不足により、起きたとも言えます。いくら幼いとはいえ、二度目はありません。白虎には罰が必要です」
アルトは緊張で乾いた唇を思わず閉じた。自分を助けたがためにシロに罰が下りようとしている。信じられない思いで黒虎を見た。
黒虎も今のままでは正当防衛のシロに罪が下りてしまうと必死になった。気に入っている以上の感情を抱いていることは自覚している。だからこそ、シロを助けたかった。
黒虎は正当防衛だと主張した。度が過ぎているとは思えないとも。そうでなければ、アルトだけではなくシロも危険に晒されるところだっただろう。特に虎の国は竜の国を差別している。竜の国の花嫁の虎であるシロも例外ではない。
しかし、宰相は目を細めそれすらもねじ伏せる。
「現状をよく見て下さい。これを過剰と云わずなんというのです。男たちは傷を負っている。仕事も一時的にできないでしょう。一方、目立った外傷がない花嫁。誰が見たって過剰な防衛です。白虎が逆に襲ったとも言い切れない状況です」
責められて黒虎は言葉を詰まらせる。シロが手を出した時点で、こちらに分が悪いことはわかっていた。けれど、シロがアルトを慕い守ろうとしたのは正しい行動だ。今の、この国がおかしいのだ。
情勢を嘆く黒虎を黙らせることに成功した宰相は調子よく口を開く。
「とはいえ、不出来な主に仕える運命を背負ってしまった白虎には同情の余地があります。ここは最大の温情をかけて前回同様、主に責任を取って頂くことにします」
宰相の思惑が見え、黒虎が反対した。この場で話し合うべきことではない。国の重鎮、王の指示を仰ぐべきだとも訴えた。
アルトは流れるように自分へ罰が圧し掛かることに息すら忘れた。
声を上げる黒虎に、煩わしくなったのか宰相が静かに切り捨てる。
「では、その仔虎に罰を受けてもらいますが?」
宰相の一言に、黒虎は口を閉じ、悔しそうに噛みしめる。アルトはただ打開を信じて黒虎を見る。その視線を強く感じながらも、黒虎は選択を迫られ、口を開いた。
それは、シロを指導のため自分の監視下に置くというものだった。
黒虎はシロを守るために先手を打ったのだ。そしてそれは、同時にアルトに罰を受けさせることに同意したということだ。
宰相の手中にある現状から、シロを救い出す手立てが他になかった。
黒虎の選択に、宰相は口元に弧を描く。
理解をしているのに、黒虎の決定を信じられず固まるアルトに処罰が言い渡される。
「白虎が起こした暴行事件の責任、そして、竜の国とはいえ“花嫁”であるにもかかわらず、複数の男を誘惑し我が国の風紀を大いに乱した罪、更に反逆の疑いがあることから、20日間の禁固刑と処する」
突風のように宰相からもたらされた衝撃が体中にぶつかった気がした。それらはアルトの全身を一瞬にして熱くし、一気に体温を低下させた。
シロが自分を救ってくれたことは正しいことだ。あのまま襲われていれば、自分は何をされていたのか、もしかしたら死んでいたのかもしれない。シロはただ襲ってきた男たちから助けてくれただけじゃないか。自分だって、男たちを誘惑なんてするものか。異世界で、右も左もわからない国で、反逆など起こせるはずもない。
「ゃ、よ……」
言葉にならない声が漏れる。
無実なのに、それでもまた、あの地下に入れられるの。
縋る思いで黒虎を見た。けれど、その視線を逸らされる。
アルトを擁護する者はいなかった。
逸らされた目に、アルトは今度こそ脱力した。力なく目の前に広がる現実を眺めるだけのアルト。その両腕を、宰相が呼び付けた兵士たちが持ち上げようとする。それを拒むように安易な甲冑をパシパシと叩く。
「い、やだよ、嫌だ……」
弱々しい抵抗に、兵士はものともせず腕を強く掴む。聡い頭は冤罪で牢に入れられることを拒み、心はシロのいない孤独の訪れに次第に壊れていく。
「おねが、いや、も、つれ、いかな、で……」
狂ったように声が出てくる。
「ひと、り、いや、たすけ、……っ!」
シロは黒虎に阻まれながら泣いている。
「あ、ああ、っっ―――!」
叫び声が鼓膜の中で聞こえ、アルトには外に声が出ているのかわからない状態になった。
悲痛な叫び。
両腕を持ち上げられ、気力も体力も奪われ、最後の味方まで失ったアルトは人形のように引きずられる。
心が折れてしまったアルトの小さな抵抗の声を聞きながら、黒虎はその姿を目に焼き付け自分の不甲斐なさを悔いるのだった。
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