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 ジャレットの言葉は不思議な効果をもたらし、特に緊張などなく安眠から目覚めたアルトは、レオに身支度をしてもらいながら今か今かと部屋の引っ越しを待っていた。しかし、レオはいつも通り世話役を全うするだけで、部屋の物を何かに納めたり、運び出したりといった行動を見せず、ついにジャレットがアルトを連れ出す時までそれはなかった。
 ジャレットに連れ出されたアルトは、実は部屋から出るのは初めてのことだった。療養のため続きの部屋から出ることは無く、だから初めて見る城の内観は新鮮だった。
 廊下の窓から見る竜の国は自然豊かで美しく、アルトの目を楽しませる。
 しかし、隣の存在に意識せざる得ないアルトの心は忙しい。緊張でもないし、好意でもない、ただジャレットを意識してしまうし、してはダメだと焦ることもあれば、目に入る景色に感嘆して気を抜けば安心を感じてしまう。落ち着かない心境をなんとかしたいと目を泳がせれば、その視界の中に白い宮殿を見つけた。心を落ち着かせそれに意識を集中させると、それは今いる城の隣に建てられており、この城からいくつか渡り廊下で繋がれているようだった。アルトは「あのお城は何だろう」と小さな疑問を持つ。ジャレットを意識してしまう心をコントロールしてその疑問で頭をいっぱいにする。けれど、それも始めだけで、目に飛び込む光景にいつの間にか夢中になっていった。
 有名な建築物を見ているような探検しているような感覚を覚え、更に窓や開放的な渡り廊下から見える竜の群れが空を飛ぶ姿は圧巻だった。
 廊下を譲ってくれる竜の国の城の人々には慣れないけれど、ジャレットが一緒なら恐くもなかった。 
 ジャレットとアルト、そして後ろに控えていたレオの三人で先へ進むと人気のない廊下の途中に大きな扉があった。それを開くと、白い石壁の渡り廊下が現れた。その親しみやすい城の廊下へと一歩踏み出せば、アルトは温かい安らかな何かに包まれる感覚を受けた。
  頭の先から足のつま先まで包まれる。
 柔らかい温かなシャワーを浴びる感覚。
 酷く安心する。
 夢心地とまではいかないが、安堵を覚える場所に、何故かジャレットがアルトを気遣い「何ともないか」と問うた。

「大丈夫です。何か、安心して……」

 深く息を吸い込めば体の中までそれで満たしてくれそうな程だ。どうしてそんなことを訊くのだろうと首を傾げると、背後でレオが「うッ」と声を漏らした。重苦しそうな顔をしている。

「レオ、どうかしたの?」

 そういえばここ一週間ほど忙しそうにしていて、時折疲れた顔を見せていたレオ。もしかしたら、体調が悪いのかもしれないと思うと、レオはぐんっと前屈みの姿勢を起こし、背筋を正した。

「……何っ、でもねぇ。それより早く行け」

 顔色は悪くない。平気そうな顔を見せるレオに、体調が悪いようには見えない。アルトが首をかしげると、その様を見ていたジャレットは何食わぬ顔でアルトを先へと案内した。
  白い廊下の先にはまた大きな扉があり、重そうな扉をジャレットが片手で開く。するとそこは宮殿の中だった。
 白い石壁を基調にした内装。青色の絨毯が敷かれた廊下、等間隔に明かりを灯す照明はこだわりを感じるものだった。
 物珍しさにアルトがキョロキョロと辺りを見渡す。

「珍しいか」
「はい、とても」

 ジャレットの声にはっとして急に恥ずかしくなる。大人しくなってしまうアルトに、ジャレットが「行くぞ」と先へ促した。
 青い絨毯の廊下を進むと広間に出た。パーティでもできそうな程の大広間に唖然としてしまう。

「こっちだ」

 ジャレットが惚けているアルトの肩を抱いて促す。その触れた肩に熱を感じたような気がしたが、先への移動でよくわからなくなった。
 アルトはジャレットに連れられ、緩やかな回り階段を上り、何度か角を曲がったところでいくつか部屋らしきところを通った。その中である一つの扉と対面した。
 それまで黙ってついてきていたレオが、「お茶の準備をしてきます」と一礼するのを見届けるとアルトはジャレットが開いた扉の中へと入った。
 部屋は上品な調度品が置かれていた。煌びやか過ぎるでもなく、かといって貧相には決して見えない。
 ソファに、低いテーブル。書き物ができる机。
 そして、中央の壁を背に天蓋付の大きなベッドが置いてあった。
 どうやらこの部屋は寝室らしい。
 こんなところで誰が寝るんだろう。
 上品な装飾が付けられた天蓋。そこからは上質なカーテンがぶら下がっている。

「体は大丈夫か、そこへかけていろ」

 ジャレットにそう云われ、アルトは大人しくベッドの端に腰を下ろす。

「ここは誰かのお部屋ですか?」

 もしかしたら、ジャレット様の別の部屋なのかもと思っていたアルトに、ジャレットは云う。

「お前のだ」
「え」

 驚くアルトに、ジャレットは悪戯に笑ってアルトの横に座る。

「こんな大きな部屋が俺の、ですか?」
「部屋じゃねぇな」

 なら、何が。そう問う前にジャレットは答えた。

「この離宮はお前のだ」

 その答えに驚いて、言葉がでない。出た言葉は状況を把握したいがために頭を回転させて出た問いかけだった。

「もしかして、さっきの白い宮殿……」
「ああ、ここはその白い宮殿の中だ」

 気が動転するアルトの頬を撫でるジャレット。

「一国の王が妃となる相手に離宮をやるくらい珍しくないだろ。それとも、アルトの世界ではなかったのか?」 

 確かに、以前の世界の史実ではそういった類の話はいくつも存在した。けれど、まさか自分の身に降りかかるとは思っていなかった。
 困惑して色々な思考が交差する。困った時の視線を左右に揺らす癖が出ると、ジャレットがアルトを軽く後ろへ押した。視界が反転し、柔らかいベッドに倒れる。声を上げるよりも先に、ジャレットが覆いかぶさってくる。
 顔が近い。ただ目の前の顔を見つめるアルトに、ジャレットの指が頬を撫でた。

「顔の一つも赤くするかと思ったが、赤くならねぇな」

 ジャレットの行動に驚き、離宮を与えられた困惑についていけてないアルトに、思うような反応を得られなかったジャレットは身を起して乱暴にアルトの髪を撫でた。 

「この離宮はお前のだ。好きに使え」

 撫でた手が離れていく。離宮を与えられて、アルトは困惑したが離れていく手を意識して掴んだ。

「……ジャレット様は使わないんですか」

 掴まれると思っていなかったのか、ジャレットがほんの少し驚いたが、主張がありそうなアルトの様子に黙る。必死な言葉を聞こうとしているのに気づいて、アルトはどこかほっとしながらも意見を述べた。

「お、俺は、おれ独りじゃ、この離宮は広すぎます。だから、その……」

 何が云いたかったのか。
 ただ困惑して、でもジャレットがアルトに特別な何かを贈ってくれてのは純粋に嬉しくて。それでもこんなのは過分で。

「あの、だから……一緒に、使いませんか」

 しどろもどろになりながら出た言葉は自分から見ても不出来だった。 

 ジャレットに迫られ意識はしても頬を染めることがなかったアルトは、自分の出した回答の意味に気づいて羞恥で顔を赤くした。
 今の発言を忘れて欲しい。
 顔を赤くしたまま視線を左右へ泳がせると、頭上から「クッ」と笑い声がした。
 今云った言葉の取り消しや否定をしようと慌てれば、ジャレットが先にそれをさせなくしてしまう。

「二人で使うっていう考えはなかったな」

 戸惑うアルトを面白げに見つめるジャレット。
 離宮はただアルトを安全に守り住まわせることが目的で建てられた物。
 通う考えはあっても、一緒に使うという考えはなかったらしい。

「近いうちに俺の物もこちらに移させる」
「え、あ、の、無理に、そのしなくても」
「お前に近い方が都合がいい」

 ジャレットの意図を感じてアルトはとうとう黙ってしう。今しがた云われた心を満たす活動にはその方がジャレットには都合がいいらしい。
 恋愛どころか人に慣れていないアルトは、ジャレットが嬉々として部屋を一緒に使うという距離の縮め方をどこか他人事のように考える。
 確かに、そうした方が効率的だろう。
 対象が己だというのに、変に冷静なのは現実逃避なのか、または違うものなのか。この時のアルトにはよくわからなかった。


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