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 虎の国の宰相と、竜の国の宰相は双子と見まがうほど顔が酷似していた。虎の国で辛い思いをしたアルトはその記憶を拭うことができず、どちらの国の宰相も苦手となりそうだった。しかし、竜の国の宰相が上手に立ち回ったおかげで距離をおけば送迎くらいは可能という範囲に落ち着いた。
 これは、偏にアルトの頑張りと、コンスタンタンの努力につきる。
 コンスタンタンはまず、顔の印象を変えるための必須アイテム眼鏡を投入した。その際、アルトを溺愛するジャレットからは「顔を焼け」、アルトに過保護な世話役レオからは「顔をたこ殴りにしたらどうスか」という意見が出たことを追記しておく。
 そして、アルトと接触する際にはジャレットがその場にいる時のみを徹底し、顔を見なければ大丈夫という段階の際には、世話係のレオや王女であるエティエンヌといった複数で会うようにした。
 そうして、虎の国の宰相とは別人であり、個として認識されるようになったのだ。
 コンスタンタン自身、アルト懐柔に行動を起こすことに驚いていた。元々は行動を起すよりは裏で糸を引く策士気質であり、効率的であることを好む。こんな回りくどい方法は自分でも信じられないでいた。しかし、やはり竜の血が国の母であるアルトを求めたのだろう。
 さて、まだコンスタンタンとまだほんの少し距離があるものの、白の離宮や竜の国の生活にアルトが馴染み始めたころ、ジャレットが一通の手紙を差し出してきた。
 ジャレットの来室に伴い、世話役のレオがティーポットを傾け紅茶を淹れている。そのレオも見守る中、封蝋された手紙を受け取る。刻印には竜が使われていた。
 アルトは首を傾げながら、封蝋を砕いて封を開ける。上質な紙の手触りを感じながら開くとインクの香りがした。
 そこまででアルトは顔が真っ青になった。
 飛び込んできた文字に、思考が停止してしまう。
 不審に思ったレオがその手紙を失礼ながら覗き込む。
 そこには、晩餐会の招待状があった。
 手紙を見た途端、顔色を悪くするアルトに対し、ジャレットの後ろで控えていたコンスタンタンはレオにすごい目つきで睨まれ、知らぬ顔をする。
 今回の晩餐会の主催はジャレット本人だ。もちろん、彼が自発的に開こうとしたわけではなく、爵位ある将軍らの強い希望で場を提供することになったのだ。
 アルトには云っていないが、竜の国で保護されてから幾度と謁見の機会を後回しにしてきた。アルトの体調を優先してのことだったが、一目見たいという声が抑えられないところまで来ているのだ。
 もちろん、絶対的な王であるジャレットが首を振れば素直に従うが。
 けれど、一度勢いがついてしまうと厄介なので、今回の晩餐会はできれば参加してもらいたい。
 コンスタンタンが宰相の立場でそう思っていると、レオがアルトの手から手紙を奪い取った。

「コンス、てめぇ……」

 レオが怒るのも無理はない。
 主催が王であるということは、晩餐会が開かれる場所は当然、本城となる。離宮はアルトの持ち物であるし、離宮で開くわけにはいかない。他にも色々と問題もある。つまりは、アルトは住み慣れた離宮を出て、本城で見知らぬ人たちと食事をしなければならないということだ。
 しかも、レオも承知の通り、虎の国での晩餐会で酷い目に遭うという悲しい過去を持ちながらだ。
 忌々しげにレオが視線を向けてくるが、コンスタンタンはとぼけることに徹する。
 その横で青い顔をするアルトの髪をジャレットが軽く引っ張る。

「大丈夫だ、とって食うわけじゃねぇよ」

 ジャレットがそう云えば、青くなった顔が幾分かよくなる。
 アルトは不安ながらも、晩餐会への参加を決めた。
 小さく頷き、参加の意思を告げると周囲は驚きながらも忙しく行動を開始した。
 あれよあれよという間にレオに世話をされ、部屋に差し込む光が弱くなり、夜を迎えた。
 窓から見える色の変化に次第に緊張が高まる。
 水すら受け付けなくなったアルトは、質の良い服を纏いながら、レオに促され本城への移動を開始した。

「……ジャレット様は」

 ガチガチに緊張するアルトは無意識にそう問いかけた。少し頭が混乱しているのもある。

「あー、それがな、出迎える予定だったんだが、緊急の案件で少し遅れるってよ」
「……そ、ですか」

 小さく消え入りそうな声を出すアルト。

「……レオ、は?」
「悪ぃ、出てくる料理の確認してぇから、少し遅れる」

 でも、心配すんな。気前の良い奴らばっかだからという、レオの言葉も遠く感じる。
 離宮の渡り廊下から本城へ足を踏み入れると途端に不安が襲った。レオは頻りに心配したが、アルトはただ表情を固くして前へ進もうとする。
 全く違う方向へ向かうのをレオが「こっちだぞ」と、軌道修正させる。
 顔色をレオに心配されながらも、アルトはいよいよ晩餐会会場の扉の前へとやってきた。
 レオは最後まで心配してくれたが、会場案内すると、料理担当の人に呼ばれ、「美味いもん食わせてやっから!」と、早々に離脱していった。
 ぽつんと扉前に立つアルト。
 嫌な記憶と心細さと恐怖と緊張でよくわからなくなる。晩餐会だというのに、食欲などとうにどこかへ行った。
 あの時は、黒虎がいた。でも、今は。
 否、ここは竜の国だ。そう思って頭を振る。
 違う。違う。と、虎の国の記憶を必死に押しこめる。
 頭の中がパンクしそうな緊張でいっぱいのアルトに、顔色が見えなかったのか門衛が残酷にも扉を開ける。
 晩餐会が始まる。

 

 

 エラルド・ヴァレンティは晩餐会に出席していた。
 貴族階級を持ち、騎士である彼は今宵参加できる幸運を心から喜んでいた。
 竜の王の花嫁は、この竜の国の妃となり、母となる方だ。竜の血が母を求めるかのように騒ぐ。それは他の参加者も同じで、エラルドと違って強面の武人らも親しくなりたいと心なしか浮かれていた。
 虎の国では残酷な扱いを受け、少し前まで療養していたと聞いていたが、今は回復なさったらしい。
 きっと聡明で美しく、快活な方だろう。
 期待で大きく膨らむ心のまま、草原をかける少女のように健康的な肌をした花嫁を待ち望んだ。
 門番の「アルト・シラ様がお越しになられました」という声と開かれた扉にエラルド他、着席していた彼らは全員起立する。
 皆が注目する中、おずおずと白を基調とした服を纏ったアルト様が入場する。
 そして、喜びで満たされた心が、粉砕した。

 顔色死んでるーーーーー!
 アルト様の顔色は真っ青だったのだ。青を通り越して白い。そこまで白くなるかという程に白い。
 竜の屈強な男たちは花嫁の顔色を見た瞬間に青ざめた。

 ええええ、回復なさったって話はどこへ行った!?
 竜の男たちは花嫁と同じく顔色を悪くしながら沈黙を守る。

 まだ療養中だったのでは?
 あんなにお顔を悪くされてっ! 
 いや、待て!何かが違うっ。

 そんな会話が耳に届いて来そうだと思いつつ、エラルドは心の中で否定する。
 それはこの場にいる竜の男たちも確信したようで、心の中で頷く。
 確かに、顔色は死人のように白い。だが、彼らの中に流れる竜の血が、直感が、否と云っている。そして、彼らは答えを導き出す。

“もの凄く、緊張なさっている”
 白い両の指をぎゅうと握りしめたまま、俯くアルト様。
 極度の緊張により今にも倒れそうな花嫁に、竜の男たちは決意する。
 竜の国の花嫁にこれ以上の緊張を強いてはならない。
 男たちは今までにない程団結した。 
 エラルドは横目に騎士団長を見遣る。
 彼の案内で晩餐会が始まる。
 エラルドの視線に気づいて、団長は深く頷いた。

「本日は晩餐会にご足労いただき、誠にありがとうございます。ささっ、どうぞお掛け下さい。すぐにお食事に致しましょう」

 どこからどう見ても武人たる団長に、アルト様は消え入りそうな声で答える。

「……ぉ、招き、ありが、と、ございます」

 掠れてる!お声が掠れてるーーー!
 恐縮なさっているアルト様のお姿に、若手の騎士は涙目だ。
 アルト様が席に着かれ、漸くエラルドたちも席に着く。
 竜の国の宮廷料理はコース料理と呼ばれるもので、前菜に始まり、スープ、魚料理、ソルベ、肉料理、チーズ、デザート、飲み物が順番に出てくる。
 竜の国の特徴として、竜の国民は体格がよく、大きくよく食べるため、それぞれに量が多いこと。また、スープはごろごろとした大ぶりな野菜が入っていることが一般的だ。
 前菜が運ばれてくる。
 アルト様は恐る恐る確かめるように皿に触れる。その仕草に、エラルドは胸が締め付けられる思いがした。
 環境に恵まれなかった能力持ちの特徴だ。
 騎士団長なんて、ナプキンで目元を拭っている。
 自分が触れても何事も起きない、耐魔食器であると確認できたらしいアルト様は胸を撫でおろした。

 もう、国中の食器を耐魔食器にしましょう!
 エラルドはそう心の中で叫ぶ。
 否、もう既に竜の王によってその政策は始められている。
 全力でこの政策を働きかけようと誓う。
 アルト様は相変わらず緊張した面持ちだ。料理のマナーも守らなければと思っているのだろう。 
 ほっそりとした手で恐る恐る外側のナイフとフォークを取る。

 大丈夫です、合ってますよ。

 それに合わせて、エラルド他騎士らもナイフとフォークを持った。
 高貴な方、何より花嫁であるアルト様に恥をかかさないように心がける必要があった。
 運び込まれていた前菜を食べ始め、なるべく温かな雰囲気を作り出そうとエラルドも左右の席の同僚と小話をしてみる。
 いよいよ、スープが運び込まれた。良い香りの、大ぶりな野菜がごろごろ入ったスープだ。
 エラルドも男爵と呼ばれる芋のスープは大好物だ。
 アルト様は前菜を少し口にされただけで、スープが来たので申しわけなさそうにしながら下げてもらったようだ。
 アルト様がスープ用のスプーンを手になさる。
 それに合わせるように同じくスプーンを持ち、エラルドもスープを掬った。
 飲んだスープは美味しい。 
 ごろごろ、まるまる入っている芋も良いほくほく感だ。
 皆も満足そうにほくほくしている。良い雰囲気だった。
 が、エラルドや皆がアルトへ視線を向けた時。

「あ……」

 小さな悲鳴とも取れる声と同時に、スプーンから零れ落ちる芋。
 ボテっ、ゴロ、ゴロ、ゴロ……
 スプーンから零れた男爵芋はワンバウンドし、皿から離れた所で止まった。
 静寂が訪れ、晩餐会の時が、止まった。

 芋ーーーーーーーー!!
 竜の男たちの絶叫が心の中で爆発した。
 アルトは元々悪い顔色をサッと青くした。最早、死人と呼べる程だ。
 男たちは心の中で罵詈雑言を浴びせる。

 おのれ、芋!芋の分際でアルト様に恥をかかせおって!
 ごろごろ野菜のほくほくスープから逸脱してんじゃねーよ!誰がテーブルクロスの上をゴロゴロしろと言った!
 芋の癖に男爵とは生意気な!
 そうだ、そうだ!男爵の爵位貰ってんじゃねーよ!
 やべぇ、オレ、芋より階級下だ!
 はぁ!?主、爵位は?
 準男爵ッス!
 芋に負けを取るとは何事か!
 そもそも、イノセントは何をしておるのだ!
 料理の確認をすると言っておきながら、これはイノセントの失態であろう!アルト様の小ーちゃなお口にあの大きさの芋が入るわけなかろう!
 責任問題は後だ!今はアルト様のフォローに入ることが先決であろう!
 視線だけで会話する屈強な男たちは、大いに混乱していた。
 エラルドは、回転が良すぎる頭の中で植物図鑑の芋のページが開いてしまっている。芋はナス科だ。
 緊張をさせてはいけない、恥をかかせてはいけない。何かしらの手立てを打たねば!
 竜の男たちは困惑、混乱しながら打開策を練る。が、芋の裏切りは予想以上に男たちを苦しめた。
 そこに、一つ。新たな芋が転がる。
 ボテンッ、ゴロン、ゴロン……

「いやはや、今日の芋はよく逃げますなぁ」

 高級なクロスの上を新たな芋が転がり、止まっていた。

 閣下ーーーーーー!!
 竜の国、海軍大将閣下が絶妙なタイミングで芋を転がしたのだ。

 閣下、流石です!
 芋、閣下、最高です!
 芋閣下万歳!!
 竜の国の騎士、軍人らは芋閣下に続け!と、スプーンで芋を放る。

「ややや、私の芋も逃げますぞ!」
「こちらの芋も逃げてしまった、はっはっは!」
「本当に、今日の芋はよく逃げますなぁ、おっとっと!」
「こちらは人参も逃げましたぞ!」
「お前、それは食わず嫌いであろう!」

 恥をかかせないように全力でアルト様のミスを庇う。皆が皆、芋を転がし笑い合う姿にアルト様の心のこわばりがほっと吐息と一緒に出たようである。
 まだまだ表情は固いものの、安堵した様子を見せるアルト様。
 ガチガチに固まっていた雰囲気が柔らかくなるのを感じ、エラルドを含め男たちは歓喜した。
 そう、それは深窓の令嬢が儚くもほほ笑みを見せてくれたような心に刻まれる瞬間に似ていた。

 守らねば!
 この儚い存在を守らねば!
 男たちは芋、時折他の野菜を転ばせながら高揚した心のまま誓う。
 晩餐会が開始した時とは比べ物にならないくらいの温かい雰囲気となった。そこに、扉が開き新たな人物が顔を出す。
 料理の監修を担っていたレオ・ビー・イノセントだ。
 レオは、晩餐会のテーブルクロスに転がされた芋を凝視する。一つ、二つではない数の芋に激怒した。

「食べ物で、遊んでんじゃねぇえええええ!」

 温かな晩餐会に、レオの怒号が響いた。
 叱咤を受けた後、気心が知れるレオが様子を見に来たことで、アルト様の緊張は解けていく。レオはまだ料理の確認があるらしく、本当に様子だけ見て退室していった。
 ここでようやく乾杯が行われた。騎士団長がずっと乾杯のタイミングを見計らっていたので、思わずエラルドは苦笑してしまった。
 乾杯の後、自己紹介が行われる。一人ずつ立って名乗る。
 今回の晩餐会は、竜の国の最高機関の中でも軍部、騎士団が中心となっている。竜の国の海軍大将、空軍大将、そして騎士団長が揃っていた。騎士団長が画策していた所、海軍大将、空軍大将が便乗したらしい。
 まさか、両大将がちゃっかり席に着いているとは思わなかった。
 晩餐会も終盤に差し掛かり、いよいよお開きかとエラルドが宴の余韻に浸っていると竜の王が現れた。アルト様の傍らに立たれる。
 どんな会話をしているのかは、エラルドの位置からは耳に届かない。ただ、アルト様は竜の王が来られてから完全に気を許されて、頬を染めながら笑みを浮かべている。
 竜の王は目敏くテーブルにデザートの皿が片付けられ、飲み物のカップしか乗っていないことを知ると、騎士団長を一瞥する。
 その視線は「宴は終いだ」と云っており、騎士団長は背筋をビシッとして、晩餐会の閉会を宣言した。そのやりとりを見ていた両大将は、やれやれといった感じだった。
 晩餐会は竜の王により強引に閉会し、アルト様は肩を抱かれ退室された。
 その際、アルト様がちらりとこちらを振り返り、礼をされた健気な姿はエラルド他竜の男たちの胸に刻まれた。

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