38


 
 竜の王、ジャレットに呼ばれたコンスタンタンは、晩餐会の会場外で待機していた。飛び込みで入った案件に、ジャレットは苦肉の策でコンスタンタンにアルトの送迎を任せたのだ。
 ジャレットから引き継がれ、アルトを本城から離宮へと案内する。

「晩餐会はどうだった? オヤジ共にからかわれたりしなかった〜?」
「優しい方々、でした」

 小さな声で答えてくれた。うん、ぶっちゃけ小さく聞こえるのは、僕と距離があるからなんだけどね。
 虎の国の宰相と酷似しているコンスタンタンがまだ苦手なようだ。
 廊下の幅の端と端の距離だけど、僕負けない。
 他者から見れば、首を傾げかねない状態だけど、お互い頑張っているのだ。褒めて欲しい。
 明るく話しかけながら、本城から離宮へと渡る扉の前までやってくる。
 頑丈で、重い扉。非常時には物理的な鍵と魔法の鍵で施錠される、なんとも厄介な扉だ。
 コンスタンタンは憂鬱になる。

「聞きたかったんだけど、この扉の向こうに何か感じない?」

 覚悟を決めて扉を開きながら問いかける。
 扉を支えながら先にアルトを通すと、アルトはほっと一息吐く。

「……一歩、この渡り廊下へ入ると、すごくほっとします」
「へぇー、そうなんだー」

 うん、僕はぞっとしてるけどね。

「なんというか、温かい空間に、包まれている感じで……」

 僕には、重くて苦しい空気が圧し掛かってくる感じだけどね。
 晩餐会からの雰囲気のまま、ふわふわと離宮の感想を述べるアルト。
 コンスタンタンとアルト、受け取る物が違う。
 それもそのはず。ここは本当の意味でアルト専用の離宮なのだ。
 アルトにとって離宮はとても居心地の良い物だろう。しかし、他者にとってはそうは云えない。
 何故なら、ジャレットが己の血を混ぜて作った要塞だからだ。
 竜の血は強い。更に、王の、ジャレットのとなれば、最強だ。
 呪いよりも強固な竜の王の血。アルト以外は敵であり、敵は拒絶し、排除する。完全なる要塞。
 建築段階でも、作業者は相当痛手を負っていた。ジャレットから直々に緩和の魔法をかけてもらわなければ触れることもままならなかったと聞く。ジャレットがアルトのためだけに造った離宮なのだ。
 ぶっちゃけ、コンスタンタンもこの離宮に入るのに一週間とちょっとかかった。初めは渡り廊下に一歩踏み出した時点でダメだった。吐いた。
 これが竜の王の独占欲かと恐怖すら覚えた。
 怒りと憎悪と他者への拒絶、そして愛。
 それらが織り交ざり、コンスタンタンを襲うのだ。
 ぐっと腹に、心に力を入れて自我を保つ。
 短期間で“慣れた”というレオには脱帽だ。
 コンスタンタンは、いよいよ離宮への扉を開く。
 アルトが少し早足で中に入った。
 穏やかな顔をして、コンスタンタンに笑う。

「……特に、離宮の中は優しい気持ちのシャワーが降り注ぐような感じがするんです」

 滝だよ。竜の王の想いが滝のように流れていて、僕潰れそうなんだけど。

「ここはジャレットが君のために作った離宮だからね。だから、君にとっては心地がいいはずだよ」
「俺にとっては……?」
「そう、君にとっては。本当、君専用だからさ〜、僕にとっては少々居心地が悪いかな。仕様だから仕方がないけど、簡単に云えば君以外がここにいることを許さないって感じかな〜」

 軍事要塞に匹敵する離宮。でも、きっとそんな事実この子が知る必要もないだろね。
 ジャレットも教える必要もないと思ったんだろうな。

「あの、どんな、感じですか……?」
「そうだなぁ、どろどろ〜、ずーんって、感じ」

 それを聞いたアルト様は、戸惑って見せた。
 別に気にすることじゃない。

「竜の愛ってそんなもんだから、気にすることないよ」

 独占欲は竜の国の人の特徴だ。王ともなれば、それは強いものだろう。

「愛されてるね」

 すんなりと出た言葉に、目の前の子はカチッと固まり、そして次第に顔を真っ赤にさせた。

「ぁ、あ、あい、って……」

 おや?と、コンスタンタンは驚く。
 どこか冷静で、弱々しく、感情に乏しい印象があったが。あ、うん。僕が苦手だから、そういう顔ばっかりされているというのもあるけどさ!
 こんな顔もできるんだね。いや、できるようになった、が正しいかな。
 コンスタンタンはこれからが楽しみだと笑いつつ、でももう少し僕に近寄って欲しいなと、廊下の端を歩いた。





 晩餐会が無事終わり、その翌日。
 昨晩は何だかんだと疲れてしまって、そのまま眠ってしまったため、朝方風呂に入った。
 ポカポカとした温まった身体で、昨日の出来事を思い出しふわふわとした気持ちでいた。
 強面だけれど、優しい人たち。知らない人ばかりだからと気にかけてくれたレオ。そして、終わりに少しだけだったけれど、迎えに来てくれたジャレット。
 こんなに温かく迎えられたことは生まれて初めてだ。前の世界でも、こんなことはなかった。もちろん、この世界に来て、虎の国にいた時も。
 こんなに温かいところに居て、嬉しくて。でも、その反面、ここを離れなくてはならない時が来たらと思うと恐くて想像もできない。
 楽しかった。嬉しかった。
 ふふっと、笑うと「楽しそうだな」と不意に声をかけられた。
 ぼんやりしていたため、ジャレットがいたことに気づかなかった。

「ジャ、ジャレット様」

 独りで笑うところを見られていた。恥ずかしくて俯くと目の前にジャレットがやってくる。

「何を笑っていた?」
「……昨日の晩餐会のことを」

 広いソファのアルトの隣に腰をかけ、長い脚を組むジャレット。自然な仕草で腰を抱き寄せられ、距離が近くなる。

「晩餐会は楽しめたようだな」  
「はい……」

 腰を抱かれながら、髪を弄ばれる。

「あ、の……」

 より意識させるためだろうか、積極的に触れてくる。顔が赤くなる。大きな身体に抱きこまれてしまう。

「良い匂いがする」
「リンゴの、お風呂に、入ったので……」

 肩口に顔を埋められながら、匂いを確かめる獣のように鼻先を押しつけられた。

「そうか」

 そんな近くでしゃべらないで欲しい。
 鼓動が早まって、自分自身が心臓になったかのように体中に心音が響いてくる。
 アルトが急な接触に動けないでいると、ジャレットは「お前に合っている」と頬を撫でた。
 恥ずかしくなって、言葉にならない声を出すとジャレットの熱が籠った視線とぶつかる。
 視線が絡まり、目を通して、その熱が自分の心に入っていくような感覚を受ける。
 優しさよりも濃く、心に深く注がれる熱いモノ。
 異物として違和感があってもいいのに、アルトの胸にはただそれが注がれていく。
 優しさは温かい液体のようなものだった。でも、これは一体なんだろう。
 苦しいような、それでいて何かを欲しているようなよく分からない胸の中の変化に首をかしげていると、派手な音を立てて扉が開いた。

「ジャレット、緊急事態だ」

 コンスタンタンが冷静な声と共に部屋に入ってくる。
 ジャレットはすぐにアルトを解放して立ち上がり、コンスタンタンが持ってきた手紙を受け取る。アルトは何だか嫌な予感がして、胸の前で手をぎゅっと握りしめ固まる。視線をジャレットへと注ぐ。
 ジャレットはその手紙を読むと、嘲笑した。

「全く、恐れ入る」

 コンスタンタンに手紙を返す。

「謝罪ではなく要求をしてくるなんて。虎は何を考えているんだかね。それと、エティエンヌ様はもう準備を始めてるよ」

 虎、エティエンヌと聞こえて、アルトの心がざわつく。視線を彷徨わせれば、ジャレットが教えてくれた。

「虎の国がエティエンヌを寄越せと要求してきた」

 残酷な要求にアルトは絶句した。
 目を大きく見開いて顔色を変えたアルトは、タリルに教えてもらった掟を思い出す。
 異界からやって来る竜の国の花嫁を虎の国の王が迎えに行き、この世界を教え、そして、虎の国は竜の国の王女を花嫁に迎えること。
 竜の国の王女は、ジャレットの妹であるエティエンヌだ。
 アルトは、優しい彼女を思い出す。そして、同時に虎の国が竜の国の人にとってどれだけ残酷な扱いを受けるのかを思い出した。
 竜の国とは違う、虎の国での差別。
 言葉を失ったアルトをジャレットが抱き寄せる。
 強い存在を傍で感じながらも、頭は考えてしまう。
 竜の国の花嫁は一年が期日だ。しかし、アルトが竜の国へ早い段階で来てしまったため、エティエンヌの嫁入りも早まってしまったのだ。

「俺の、せい……」

 答えに辿り着いてしまったアルトに、竜の王は否定する。

「アルトを連れ去ったのは俺だ。それに、遅かれ早かれあいつは嫁に行くことは決まっていた」
「でも、虎の、国は……」

 エティエンヌが嫁入りする国は、彼女に対して優しくないだろう。
 それがわかっているからこそ、心が苦しい。
 ジャレットの腕の中で悲しみながらも、心が揺らめく。
 そこへ、お茶の準備をしていたレオがエティエンヌが急遽出国することを告げに来た。
 輿入れの荷より先行して虎の国へ入ると云う。
 強行しようとするエティエンヌの話を聞いて、アルトはすぐに彼女の元へ行きたいとジャレットと共に城の外へと向かった。
 既に城の門の外にいたエティエンヌは、アルトの姿を見て「あらあら」と云った。エティエンヌは変わらず迫力のある美貌で、更に華美となった真っ赤なドレスを着ている。

「見送りはよかったんですのよ、アルトちゃん」
「エティエンヌ、さん……」

 エティエンヌの心情を知らぬアルトは、本人を前にすると頭の中が真っ白になった。
 自分のせいで、生まれ育った場所から離れることが早まったのだ。
 否、アルトは考えを改める。
 自分がまた虎の国に戻れば、彼女が正式に嫁ぐ日まで時間を稼ぐことも、別れを惜しむこともゆっくりできるかもしれない。
 優しく、楽しい日々を与えてくれた人だ。
 心は全てではないけれど、癒された。身体も回復している。
 また頑張れる。

「お、れが……」
「大丈夫よ、アルトちゃん」

 アルトの言葉を遮り、エティエンヌが笑みを浮かべる。

「心配無用よ」

 真っ赤な巻き髪を後ろへ払い、目を細めて笑う。身の内から溢れ出る強さに、アルトは思わず見とれる。

「それに、お礼はちゃんとしなくてはならないわ」

 小さく呟かれた言葉はアルトの耳には届かなかった。
 エティエンヌはジャレットと視線を合わせただけで、兄妹の会話を済ませる。
 別れの時が来る。

「また、会いましょう。アルトちゃん」

 そう云って、エティエンヌは己の近衛隊と共に竜の国を去った。
 親しい人を失った喪失感、別れが押し寄せる。
 悲しむアルトの肩をジャレットが抱く。アルトはその胸に顔を埋めた。


*** 


 赤い存在が虎の国の城前に現れた。空を舞い、降り立ったその人物は、お供を連れ城内を目指す。
 真っ赤で綺麗な巻き髪を後ろへ流し、胸元が開いた派手なドレスを捌きながら歩く。ドレスは繊細かつ大胆なデザインでレースが重ねられており、いずれも真っ赤だった。
 虎の城の者たちはその者の出現に目を奪われた。迫力のある美貌と、強気な印象に。たちまち赤い瞳とかち合えば虎の者は「ひぃ!」と声を出して退散した。
 赤い存在は案内人を追い越し玉座の間へと向かう。ヒールの音を響かせ進む存在を誰も止められない。
 いよいよ玉座の間に辿り着くと、案内人が門番に声をかけ扉が開かれる。
 赤い瞳を真っすぐに見据え、玉座に座る虎の王と対峙する。

「竜の国の王女、エティエンヌ・ル・ワイバーン、ここに参上しました」

 虎の王にとっては襲来に近い彼女の訪問に、眉間に皺を寄せる。宰相のパスクァーレを睨みつけたが、虎の国からの達しで嫁いできた彼女を無下にもできず、結果、労いの言葉をかけるしかなかった。
 エティエンヌはそれを受け、慣れぬ国での身の回りの世話人を要求する。
 王と会話する赤の麗人を、宰相は場違いな二人の神童の腰を抱きながら値踏みする。しかし、その視線に気づいたエティエンヌが真っ赤な唇で笑う。

「そういえば、私のアルトちゃんが随分とお世話になったみたいですわね」

 彼女は彼がこの国でされたことを知っている口ぶりに、宰相らは固まった。更には、世話役として二人の神童を指名するエティエンヌに、神童と宰相はいよいよ顔を青くした。
 彼女は竜の国の王女だ。
 真っ赤な瞳の奥に業火が見える。その炎は怒りと遠くない未来に地獄を映していた。

「よろしくお願いしますわ」

 目を細めて彼女は綺麗に笑った。

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