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 何度も失神して、何度目かの目覚め。

 アルトは、ふと意識を取り戻して、目を開いた。視界に天井が見える。白いけれど飾りが施してある天井を見て、ぼんやりとあれ?と疑問に思った。監禁生活をしていた時には目が覚めるといつも鉄格子の向こうに空が見えた。けれど、今は違う。アルトはハッとして起き上がろうとすると、すぐ隣からそれを制す声がした。

「あッ、駄目ですよ!大人しくしてて下さいッ!」

 高い声で注意され、アルトはビクリと体を振るわせ、その声の主を見やった。そこにいたのは、赤毛の少年で水面器の上で布の水を絞っているところだった。

「ほら、ちゃんと寝てて下さい。カンタレラを飲んだんですからっ」
「カンタ、レラ…?」

 少年にベッドへと押さえ込まれて、アルトは聞き覚えのない単語に首を傾げると少年は簡潔に教えてくれた。

「カンタレラっていうのは、猛毒の一つです。解毒剤を飲まなければ一日で死に至ります。本当に危ない所だったんですよ!」

 急に声を荒げられ、アルトは面食らう。しかし、思えば、この世界に来てやっとまともな人間に会えたのだ。しかも、自分のことを心配して叱ってくれたのは前の世界でもなかったことだ。

 アルトはそれを急に自覚して嬉しくなった。

 嬉しい。嬉しいッ!
 心が嬉しさで溢れ、胸が苦しくなる。この嬉しさを伝えたかったけれど、それを伝えてしまって良いのかわからない。

 アルトが知らず嬉しさで涙を瞳に溜めると、赤毛の少年はそれを見て慌て始める。

「わっ、泣きそうな顔して、どうしたんですか!?どこか痛いんですか!?あ、痛いんですよね!?すぐに医者を…!」
「あ、違うっ。大丈夫、だから…」

 医者を呼びに行こうとする少年を、アルトは慌てて引き止める。大丈夫と答えながら、「ただ嬉しかっただけ、だから」と伝えると、目の前の少年はキョトンとした表情をした。その顔を見て、アルトは混乱する。

 アルトが生きてきた前の世界は、自分を異のものとして見ていた。それはアルト自身も感じていたことだし、皆が異として見る存在を受け入れないことも理解はしていた。そのため、アルトは前の世界では人と会話することが皆無だった。友人なんて存在しなかったし、そもそも人の傍にいることも山田と行動を共にすることで何とか達成していたようなものだった。つまり、アルトはろくに人と会話をしたことがなかったのだ。だから、少年がこの表情になってアルトはどうすればいいのかわからなかった。

 え、どうしよう。こういうとき何て云えばいいの?というか、そもそも俺、人と話したこととかあんまりなかったし。山田と会話っぽいのはしたことあったけど、山田が一方的にオカルト話するだけだったし。

 酷く混乱して狼狽するアルトに、その様子を端から見ていた少年が慌てて謝罪した。

「あっ、あのッ!嬉しいって云ってもらえて僕も嬉しかったですから、そんな不安にならなくても大丈夫ですっ」

 少年の気遣いに助けられて、アルトは「すみません」と謝罪する。すると、少年は首をぶんぶん振った。

「花嫁様、どうか謝らないで下さい。そんなことされたら、僕っ…」
「え、でも、他に何て云えばいいか…ん?」

 わからないと続けようとしたアルトだったが、それよりも少年の言葉に引っかかりを感じた。

 今、何て?
「…あの、その花嫁様って、誰のことです、か?」

 恐る恐る、思わず敬語になって尋ねると、さも当然という表情をして少年は答えた。

「あなたのことですけど」
「あ、やっぱり、そう…なんだ」

 会話の流れからもしかしたらそうかもしれないとは思ったが、まさか本当にそうだとは思わなかった。

 俄かに信じがたいアルトは、少年から額に固く絞った冷たい布を乗せられながらこの世界のことを知ろうと尋ねた。

「俺は、その…誰の花嫁なの?」
「竜の国の王の花嫁様ですよ」

 竜の国…と鸚鵡返しをして、頭の中にこの世界の情報を叩き込んでいく。

「え、と、じゃあここは竜の国、なんだよね?」
「いえ、ここは虎の国です」
「は?」

 竜の国の花嫁というのだから、てっきり竜の国だと思った俺は混乱した。目が泳いで酷く混乱、困惑する俺に、少年は「詳しい説明は後ほど宰相様からあると思います」と苦笑した。その言葉に少なからず安堵した俺は、そういえばこの少年の名前を知らないことに気づいた。

「…あの、君の名前を聞いてもいい?」
「あっ、ごめんなさい!僕ったら自己紹介もしないままでッ!えっと、僕の名前は…タリルと云います。虎の国での花嫁様のお世話係です。何かありましたら、僕に言って下さい」

 花嫁様だとか、お世話役だとか情報が色々と飲み込めなかったが、そのことには目を反らして、アルトは取り合えず自分は志羅或人と名乗った。

「シラ・アルト様ですね」
「うん、だから、その、花嫁様って呼び方じゃなくて、できれば名前で…」
「えーっと、ではアルト様ですねっ」

 短い間ですが、よろしくお願いいたしますっと頭を下げたタリルに、アルトは急いで起き上がって「こちらこそよろしくお願いしますっ」と頭を下げる。ぽてっと、額に乗っていた布が落下した。すると、

「ああッ、だから、花嫁さ、じゃなかった…アルト様、大人しく寝てて下さいッ!」

 タリルに横になるよう注意され、再び額に冷たい布が乗せられる。小言を漏らすタリルに良い印象を受けながらアルトは思う。

 前は世界を間違った。今は新しい世界にやって来ることができた。が、ここが自分の居場所であっているのかはわからない。今は以前の世界で感じた違和感はない。俺という存在はこの世界で合っているのかもしれない。が、間違っているのかもしれない。正解は誰も教えてくれない。

 タリルが傍で控えながら見守ってくれている中、アルトは重くなってきた体に漸く微熱を覚える。

 熱で意識が揺らぐ中、人が傍にいることの安堵感に嬉しく思いながら、この世界が俺を受け入れてくれたらと心中で呟くのだった。

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