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 夢人の風邪は、翌日には治り、完全復帰した。店も改修が終わり、再始動することとなった。
 ハルとの関係は、あれから進展はなく。ただ、少し何か言いたげなことが多く、いつも以上に視線が熱い。この短期間でハルに何かあったのだろうか。ヒサメに尋ねても、「さぁ、春でも来たんじゃないですか」とそっけなく返されてしまった。スズは知らないという。
 夢人は、開店前に現れた小さな存在に、おやつを与えると、扉を開けて営業中のプレートを出した。それと同時に並んでいた客を店内へ招き入れる。営業再開と同時に新作のパスタを出すから、客が朝から並んで待ってくれていたのだ。
 しかし、通常とさほど変わらない客の数。否、少し前から人通りが少なくなってきている気がする。レベル2区画は家族層が多いのが特徴だ。でも、夢人の目に家族連れの姿はない。それに、通行人の身なりが貧しくなってきたように思う。
 この国に何か起きようとしているのだろうか。
 そんなことを思った時、突如、国の機関である塔からけたたましい警戒音が鳴り響いた。
 夢人の瞳に、空から何かが降ってくる物が見えた。
「夢さんッ!」
 異変を察知して、ハルが店から飛び出てくる。守るように背中に庇われながら、棒状の何かがミルフィ国の青く光る結界とぶつかる瞬間を目撃した。
 衝撃が国全体に走る。強い振動が起きた。目に見える範囲の人々が混乱を起こしている。
 一体、何が起きたんだ。
 あまりの衝撃と信じたくない現実に、混乱する。
 すると、雑音が響いて、すぐに男性の声が国中に拡張された。
「現在、ミルフィ国は、神聖ルチルから攻撃を受けています――」
 辺りが静寂に包まれた。その中を、ただ無機物から発せられる抑揚のない声が木霊する。
「ル、チル……」
 ハルが信じられないような顔でスピーカーの声を聞き入りながら、睨む。
 国のアナウンスは、民間人は地下シェルターへ避難し、戦闘員として志願する者は、国の機関である塔へ集まるよう告げている。繰り返しアナウンスを続けるスピーカーに、人々は慌てて移動を始める。人の波に飲まれないよう、立ちつくすハルを引っ張り、店の中へと押し込んだ。
 客は先ほどの衝撃で店を出て行ったらしい。店では、この緊急事態にスズとおしゃべりするヒサメがいた。
「スズ連れて非難しなくていいのか!?」
「この国では、どこにいても同じでしょう。結界に攻撃があって、これだけの反動があったのですから」
 それより、あなたこそ非難した方がいいんじゃないですか? と、返されてしまう。いつもの掴みどころのない、嫌味な態度のヒサメに冷静さが戻って来た。
 俺は引っ張って来たハルに目を向ける。
「……ルチルは、なくなったんじゃ、ないのか」
 ハルの問題が浮上した。ハルが長年迫害を受けて来た国、ルチル。全ての力で城を消し去り、滅ぼしたはずの国。
 混乱するハルに、夢人も状況がわからず、何も云う事が出来ない。
 すると、ヒサメが溜息混じりで、「王国ルチルは一度滅びて、神聖ルチルとして最近誕生したんですよ」と、教えてくれる。
「あなた方、新聞を読まないんですか?」
 呆れた顔でそう云われ、思えば亡命してからこの国で生きるために、店を運営することに必死で、他国の情勢を知る余裕なんてなかった。
 夢人はヒサメに神聖ルチルの情報を乞うた。
「僕もそれ程詳しいわけではありませんが」と前置きをして、ヒサメが話し始めた。
 王国ルチルは陸続きの近隣国の中でも中心的な国であった。近隣の国は、ルチル王の兄弟が国を治めていた。王国ルチルが滅んだ後、隣のステラ国が領土を吸収し、神聖ルチルとして生まれ変わったのだ。神聖ルチルの王は、ルチル王の弟の息子だという。
 神聖ルチルは、その後兄弟の国を次々と吸収し、勢力を付けると、他国を侵略していった。強大な魔力を武器に、ろくな交渉もせず、武力だけで隷属国を増やしていった。そして、神聖ルチルの手が、海を越えたミルフィ共和国にまで延びてきたのだ。
 ミルフィ共和国にとって、敵となった神聖ルチルの王は、ハルの従兄弟だ。
 ハルは、消し去ったはずの脅威が、再び浮上して言葉を失っている。呆然とするハルに、夢人はぐっと肩を掴んだ。自分を見失いそうになっていたハルは、夢人の存在を思い出して、ほっと溜息を吐き出した。
 騒がしかった人の声も、遠くなり、これからどうしようかと考えた時に、レベル1にある支店のことを思い出した。非難してくれていればいいが、店を守っているかもしれない。真面目な人も多い。心配になって、支店の様子を見に行った方がいいかもしれない。そう思い、ハルに声をかけようとすると、店の扉が開いた。
「失礼する」
 入って来たのは、ジョゼとエマだ。
「ジョゼ、エマ! 無事そうで良かった」
「無事ですよー!」
「勝手かと思ったんですが、支店の方は皆を非難させるために解散させました」
 ジョゼの言葉に、ほっと安堵した。そして、ちゃっかり売り上げも回収してきていたため、その金は二人にやることにした。これから、何が起こるかわからないからだ。
 二人が来て、レベル1区画からレベル2区画までの様子を教えてもらう。だいたい予想した通りだが、皆が皆シェルターへ非難しようとして大混乱が起きていたらしい。それを見て、ジョゼとエマは混乱に巻き込まれるのを避け、暫く支店に残り、人気がなくなったのを見計らってこのレベル2のワケアリまで来たとのことだった。
 ジョゼとエマもこれからシェルターへ向かうのかと尋ねると、首を振った。ヒサメと同じ意見で、むしろ人が密集するシェルターは逃げ場がないとのこと。
「籠城は最後の手段ですが、待っているのは死だけですよー!」
 やけにニコニコと笑むエマに一瞬恐怖を覚えると、店の外から声が聞こえた。警戒して、ヒサメとハルが構えると扉がゆっくり開かれる。
「ワケアリさーん、いますかー?」
 間延びした声。夢人はそれを聞いたことがある。
「担当さん!?」
 顔を出したのは、担当のデイジーとハルベリーだ。後ろの方で同じく役人だろう男たちが武器を持っている。
 デイジーとハルベリーは武装しており、非難できていない者がいないか見回りに来たそうだ。
「かといって、シェルターの収容率は120%越えで、避難誘導できないから、安否確認か国外へ放逐くらいしかできないんだけどね」
 どうします? と、尋ねられ、夢人は決断できないでいた。すると、その横からヒサメが「僕は戦闘要員を希望します」と述べた。
 驚いてヒサメを見ると、なんて顔をしているんですか、ブサイクですよと失礼なことを云われる。
「ニー族は世界でも最強。僕は戦闘には慣れていますし、大丈夫です。でも、スズはまだ成獣ではありませんし、子どもなので、戦えません」
 スズの肩を抱きながら、その小さい肩を撫でる。「兄様……」と、心配そうな顔をするスズに、ヒサメは担当へ向き直る。
「ニー族の中でも最強の僕が戦って差し上げるのですから、スズは保護して下さいますよね」
 圧のある視線で、担当たちを見る。ミルフィ共和国は、難民を受け入れることで人口を増やす政策をしていたため、国民は愛国心が低い者が多く、戦闘要員は希望者が少ないのが現状だ。もちろん、王国時代を過ごしてきた元々の国民は、戦う術や愛国心も持っているが数が少ない。
「出来る限り、保護しましょう」
 ヒサメの要求に、頷くデイジー。
 強力な戦闘員の確保ができたものの、数多の国の連合国となった神聖ルチルと対抗できるだけの火力としてはまだまだ少ない。
 担当とヒサメのやりとりを見ていたエマが「仕方ないですねー」と、ジョゼの背後からひょこっと出てくる。
「僕が援軍を出しますよっ」
 ニコニコとしながら云い放つが、突然の発言に、皆こどもの戯言だと苦笑する。すると、ジョゼが姿勢を正した。
「こちらのエマ・アンリエット改め、エマ・ソーダ様は、ルーナ帝国の皇子です」
 貴族の子だと偽っていたエマのカミングアウトに、ハルベリーが反応した。ルーナ帝国といえば、大国も大国。紛争ばかりの大陸を統一し、その上に君臨した国だ。
「とりあえず、私兵の100人を急ぎで貸しましょう」
 エマが化粧品のコンパクトのような鏡を取り出し、連絡を取った。
 本当かどうかわからないが、本当っぽい他国が絡むことになり、判断がつかなくなったデイジーとハルベリーが国の上層部へ判断を仰ぐため、国の中枢である塔へ移動することになった。
 夢人とハルも流れでミルフィ共和国の中心部へ。
 塔の中は、人が忙しなく動いていた。対策本部と称された広間に通された夢人たちは、上層部の中でも総指揮官という男と対面した。
 まず、エマがルーナ帝国の皇子だと告げると、顔を青ざめさせたが、援軍を送ると云うと表情が緩和した。
「僕がここにいて、脅威が迫っている。それだけで、僕が戦う理由は十分なはずです。挨拶はここまでにして、状況を整理しましょう」
 拡げられていた地図を指さし、エマが私兵からの情報と指揮官が現在得ている情報を合わせ、兵の配置を決めていく。
 現在、神聖ルチルから遠距離による魔法での攻撃を受けている。が、エマの私兵とミルフィ共和国の兵は接近戦は得意でも、遠距離は苦手だ。問題が浮上すると、ヒサメが淡々と介入してくる。
「僕の力なら距離は関係ありませんよ」
 ニー族のヒサメだと云うと、指揮官は笑った顔のまま固まり、エマの顔が輝く。
「なら、いいこと思いつきましたっ」
 エマが子どもの指で、敵の陣地を指す。
「ここに、兵を直接送り込みましょう! そして、攻撃を終えたら、ヒサメがこちらに兵を送り返して下さい」
 とんでもない作戦が出て、夢人が思わず「マジか……」とこぼすとヒサメが指揮官へ問う。
「武器は足りてますか?」
「正直なところ、戦いが長引くと供給できなくなる」
「なら、財布に用意させましょう。商人ですが、武器も扱っているはずです」
 スズが兄のヒサメに小型の通信用鏡を差し出す。それを受け取り、弟の頭を撫でると一時的に場を離れて連絡を始めた。
 元気で子どもらしい子どものエマが、指揮官へ質問を投げかけ、綿密な作戦を立てていく。そのギャップに戸惑いながらも、夢人が真剣に耳を傾けていると、エマが唇を尖らせた。
「んー、もっと戦力が欲しいですねー」
「ヒサメじゃダメなのか?」
「ヒサメは、3個大隊くらいの力でしょう。現状ではそれでも有り難いですが、戦いは生き物です。長期戦になる場合や、相手の持ち札がわからない以上、強力な力が欲しいです」
 強大な力と聞いて、胸の中がざわついた。夢人は、知っている。
 夢人は、戦争なんて初めてだ。それを自覚したら、途端に怖くなった。戦争は、失うものが大きい。今、自分の目の前にある顔が、消えてしまうのだ。それは、夢人が好きなハルも。そして、己も。それに、相手はハルを虐げていたルチルだ。もし、戦争に負けたら、今度こそハルを許さないだろう。殺されてしまう。そう考えて、思考が停止するくらい怖くなった。
 そして、思いつく。
 夢人は、この戦争に勝つことだけを考えて、ハルを真っ直ぐ見た。
「ハル、戦ってくれ」
 心臓が軋む音がした。

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