新2
10
戦闘が開始され、短い休息日は終わりを告げた。
休みの間に戦地を離れ、魔術師を集めていたらしいプティが、新たな魔術師を連れて戻って来た。
王命により、やっと結成されたエリート魔術師集団だ。
プティは彼らに指示をすると、チェザの隣にいたジーノに声をかける。
黒のマントの下の酷い顔を見て、眉間に皺を寄せた。
「顔色真っ青だが、大丈夫か?」
「……大丈夫、だ」
ジーノは、小さく答えた。
少しは良くなったとはいえ、まだ体中が軋んでいる。
病には強いこの体は、やはり死人だからか、傷の治りが遅い。むしろ、治っているのか、治るのかすらジーノには判別できない。
でも、今チェザが生きている間は、傍に居たいと思っている。
依存だと云われたら、そうかもしれない。でも、どんな瞳を持ったとしても、自分はチェザが好きなのだ。瞳の感情が変わっても、なくなっても、それは変わらず好きなのだ。獣人の習性がそうしているのかもしれない。けれど、好きで離れられないのは自分の意志だ。
真っ青な顔色で、背筋を伸ばすジーノ。チェザの隣は譲らない。そんな気持ちで、隣に立った。
ほどなくして、戦闘が始まった。
魔術師の集団は、待機という名の見学だ。今は狂戦士が戦い、その主人が見守っている。
そんな二人を、最初に集められた魔術師集団の一人が、エージェントのプティに話しかけた。
「あの人は、魔術師ではありませんね」
「!……気づいてたのか」
「ええ、我々魔術師には、わかります」
淡々と冷静に話す魔術師は、二人を見る。
この地で一番の嫌われ者は、魔術師の格好をして、恋人でありながら狂ってしまった魔術師を守っている。
「彼がなぜあの選択をしたのか、分かりかねます」
「……そうだろうな」
冷酷な特徴を持つ魔術師には、到底理解の出来ない話しだ。プティは、魔術師が理屈を捏ねて批判するのを身構える。が、彼の口から出たのは意外な言葉だった。
「我々にとって、あの状態は恐怖でしかありません」
魔術師が狂ったチェザを見て云う。
「それでも、あの者は傍に居てくれるんですね」
眩しいものを見るような目に、プティが驚く。
「……羨ましい」
それは、魔術師の本音だった。残酷で他人の心を推し量ることが苦手な魔術師が、二人を見てそう呟いた。
魔術師の男は、二人の事情も過去も知らない。けれど、ジーノがチェザを想い伴う様や、目に見えない二人の関係を、好ましく美しく見えたようだ。
プティは、二人を見る。プティには、悲しい結末を迎える二人にしか見えない。目を反らしたいくらいだ。しかし、魔術師はそう思わないらしい。
狂戦士となったチェザが、味方の陣を破壊する。それを見守りながら、チェザは魔術師の男に声をかけた。
「手伝ってくれ。止められるか?」
「私たちは魔術師ですよ?」
傲慢で自信家の魔術師に、やっぱりこいつらはこういう性格だったとプティはチェザへ向かって走り出した。
狂戦士となってしまった魔術師のチェザを止めるジーノは、明らかに体調を崩していた。青い顔をして、それでも味方への被害が出ないようにとチェザを止めに入る。が、もうジーノすら判別出来ないほど狂ってしまったのか、チェザがジーノの首を掴み、締め上げた。
「ぐっ……!」
強い力で首を絞められる。チェザと名を呼ぼうにも、喉が潰されるくらい首を絞められ、止めてと訴えることもできない。
このまま、チェザに殺されてしまうかもしれない。それならそれでもいいかもしれない。でも、チェザを残して、再び逝くことだけはしたくない。
そんなことを考えていると、チェザがジーノを放り出し、誰かが体当たりしてきた。プティだ。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
息を吸う。呼吸を繰り返していると、チェザが魔術により拘束されていた。プティが寄ってくる。
「おい、大丈夫か?」
その声に、頷いて、どういう状況なのか尋ねようとしたが、自分の体が、意識が保っていられなかった。ぱたりと、地面に倒れ込む。チェザが危ない目に合うのではないかと、心配するも、体も意識もいうことを聞いてくれない。
瞼が落ちた。
目を覚ますと、救護テントの下にいた。
どっしりとしたおばさんの衛生兵に、文句云われながらも手厚い看護を受ける。その後、プティが見舞いに来て、この地での戦いは終結したことを聞く。
リーヴル国の残りの戦地は、魔術師集団を試験的に導入するため、この大隊は待機とのことだ。そして、チェザは、魔術師たちが拘束中で、他の者は手出しできないようにしているらしい。
プティはすぐに出立らしく、状況の説明を終えると忙しそうに去っていった。顔を見に来たらしかった。
ジーノは、チェザの傍にいたくて、ガタガタの体に鞭打って起き上ると、おばさん衛生兵に怒られる。が、いくつか薬や包帯を持たせてくれて、彼女は送り出してくれた。
救護テントの中は、ある意味皆平等だ。しかし、ジーノが一歩その場所から踏み出すと、途端に嫌悪の視線を向けられる。
治療なんて受けてんじゃねぇよと、すれ違う人に悪態を吐かれる。
王国レットルのエージェントであるプティがいる間はいい。名が知れているプティが睨みを利かせるので、誰も手出しできない。が、いないとそこは地獄へ変わる。
本調子ではないジーノがゆっくりと歩むと、石が投げられる。当たりはしなかったが、それを切欠に、いくつもの石がジーノへ投げられた。
酷い言葉で罵られる。
それに反論することなく、ジーノは歩く。時折、石が身体に当たるが、先ほど貰った薬と包帯でなんとかなると、チェザを目指した。
この地へ残った魔術師らの元で、チェザを引き取る。魔術師たちは冷めた目をしていたが、魔術師の特徴を知っているジーノは、特に気にしなかった。
時間をかけて、本陣から随分と離れた物陰に辿り着くと、ジーノは腰を下ろした。その隣でチェザにも座るように促す。疲れて、ごめんねと声をかけて、鎖を少しだけ引っ張ると座ってくれた。
遠くの空に星が輝いている。
ジーノは溜息を吐いた。
嫌がらせで配給されるものもなく、プティがいなければ治療もできなかっただろう。本来なら魔術を扱う者は特別待遇でテントを用意されるはずだが、案内もない。きっと誰かが使っているか、用意すらされていないのだろう。
世界で一番の嫌われ者になってしまった。
ジーノは、傷だらけの手を、同じく傷だらけのチェザの手へと伸ばす。血が滲むチェザの傷は、もう塞がらなくなった。ジーノは、指を絡めて、手を繋いだ。
チェザの肩に、そっと凭れかかる。
こんなに多くの人に嫌われているのに。
今が一番穏やかだ。
ジーノは、遠くの空に見える星を眺めながら、重たくなる瞼にそのまま意識を手放すことを良しとする。
優しい風が吹く。
ジーノは、穏やかな空気の中、チェザの隣で眠りについた。
プティの指示で他の戦場ヘ向かったエリート魔術師集団は、成果を上げ、いくつもの戦地を鎮圧した。やがてリーヴル国での戦争を終結へと導いた。あの大国カンデーラが軍を引いたのだ。その理由は、王国レットルの魔力による戦闘の成果もある。が、実は、王国レットルの左隣に位置するラントカルネから、アプローチがあったのだ。この情報を知った大国カンデーラは、軍の撤退命令を出したらしい。
リーヴル国での終戦を受けて、大隊は帰国準備へ入った。それは、ジーノらも同じで、人目を避けてどのルートで帰ろうかと思案していると、指示連絡係として戻って来たプティがジーノたちの顔を見てほっとした顔をした。
「良かった、間に合った」
どうかしたのかと聞くと、プティは真剣な表情をする。
「お前たちは、国へ戻るのか」
「うん。一旦城へ戻るつもり」
チェザの部屋は城の中にある。そこに身を寄せていたこともあり、ジーノはそこへ帰る気でいた。しかし、プティは思うところがあるのか、ジーノに城ではなく街中の自身が持つ家へ行くように云われる。
ジーノも特に行くあてもなかったので、素直に頷いた。
二人と別れたプティは、この先のレットルに嫌な予感を覚えていた。
エルフの勘というやつだ。
「きな臭ぇ……」
何事も起こらなければいい。起きないでくれ。
プティはそう祈りながら、指示を待つ魔術師集団の元へ足を向けた。
王国レットルは、隣国であるラントカルネと会談を行った。なぜ、この時期にラントカルネ国が、接触してきたのか。今まで激しい対立はないものの、交流もなかったのは事実だ。
誰もが疑問と警戒する中、ラントカルネの軍師が口火を切る。
実は、ラントカルネ国の王が崩御されたのだという。
軍師は、私事ですがと前置きをして語り始めた。
ラントカルネ国の王は、事情があり体が弱く、病気がちだった。心根は優しい方で、軍師は彼が穏やかに過ごせるように尽くそうとした。軍師の王は優しい彼だけであり、逆に王にはふさわしくないとも思っていた。政で心を乱させるのも身体の負担になるため、軍を借りる形で己が指揮をしていた。
今は戦乱の時代。そんな中、彼が穏やかに過ごすには、国に攻め込まれないことが絶対条件だった。
ならなぜ、我々ラントカルネが戦争をしたか。それは、攻めに行かねば、攻められるからです。最大の防御は攻めること。攻めることで、王の周りを平和にできた。亡くなるまで、平和にしてあげたかったと語る。
レットルの王は、それまで静かに耳を傾けていたが、軍師の意図が見えず、尋ねた。
ラントカルネはレットルとどうありたいのかと。
すると、軍師は同盟と共闘を申し出た。
そして、大国カンデーラに怨みがあるとも。
レットルの若き王はそれに目を細める。
軍師は語る。帝国が解体された時、次期カンデーラ王で現王に、ラントカルネの王は毒を飲まされた。その毒の後遺症で、体が弱くなったのだと。
大国カンデーラを倒せればそれでいい。
難敵レットルと敵対するより、共闘してカンデーラを倒す方が確実だと思ったらしい。レットルとの戦いで兵力を消耗したくないとも笑った。
ラントカルネの軍師の本音に、レットルの王も笑う。
カンデーラには、個人的に怨みがあると打ち明けるレットル王。
怜悧な二人は笑い合った。
会談の結果、王国レットルは、ラントカルネの申し出に合意した。
同盟が組まれ、打倒カンデーラと目標を掲げると、王と軍師は信頼できる人数で会談を続ける。
些細な問題が残っているのだ。それは、民族同士の争いだ。
ラントカルネの主たる民族と、レットルに多く存在する民族の仲が悪い。これはこの世界でもよく知られていることだった。これ定義する各々の大臣に、王と軍師はほくそ笑む。
仲が悪い者同士を一つにする方法。それは、共通する悪を倒すことだ。
軍師が提案し、それならと王が乗る。
我が国の嫌われ者に、悪者になってもらえばいい。
王と軍師は悪い顔をして笑い合った。
プティの予感は、当たることとなった。
城へ戻って来たプティは、王国レットルと、ラントカルネ国が同盟を組むことを聞きつけ、走った。国のトップ同士が出した命令を知り、すぐにジーノに知らせようとしたのだ。
しかし、それをラントカルネのトップである軍師に呼び止められる。
そんなに急いでどちらへお出かけかな?
プティは、軍師の登場に冷や汗をかく。ジーノたちが危ないのは明らかだが、ここで自分が捕まるのはまずい。
「急いでるっちゃ、急いでる。まさか、うちの国とアンタの国が同盟を組むとは思わなかったからよ」
軍師は読めない顔をする。
「アンタも知ってるだろ。うちとアンタんところの民族が仲が悪いことは」
このことで、王に直訴しようとしていたところだと告げると、軍師はなるほどと、相槌を打ってきた。
「このままだと民族間のいがみ合いで戦争になる。大国カンデーラとの戦いを前に戦力を失うのは得策じゃない。それに、急拡大して、国民が置いてけぼりだ。いつ寝返るかわからない」
プティの正当性のある誤魔化しに、軍師も思うところがあったらしい。
貴重な意見だと、軍師は王との話し合いにプティも参加して欲しいと云いだした。解放する気がない軍師に、プティは心の中で舌打ちをした。
そして、ジーノたちのことを思う。
どうか、逃げてくれ……!
心の叫びは、誰にも届かない。プティは、軍師に連れて行かれた。
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