新3


11

 プティの主張も空しく、同盟国共通の御触れがあった。
 その手配書には、悪しき魔術師とその従者の狂戦士が、謀反を企てた。見つけ次第、直ちに捕えよ。尚、生死は問わないという文言で締めくくられていた。
 たまたま、プティを待つことに飽きて、食料の買い出しをしていたジーノは、号外のように配られていた紙を手にして、驚愕した。思わず、食料を取り落としそうになる。
 その紙には、自分とチェザの人相が描かれていた。生死は問わないの文に、ジーノは人混みを避け、プティの隠れ家へ足早に向かう。
 プティを待つことも考えたが、城へ戻ってからこちらへ顔を出さないことを考えると、ここも危ない。
 ジーノは、部屋中を漁り、いくつかの服を取り出した。プティのものだが、緊急事態だ。
 上等なコートをチェザへ。手配書には、ジーノが魔術師で主人、チェザは従者と書かれていた。なら、それを逆に。そして、戦士の印象をなくして、貴族のように。
 シャツに手を通し、チェザを見る。体の至る所の傷が塞がらない。肌が出ているところは覆う必要があった。ジーノは急いで手袋をつけさせ、帽子を被らせる。
 貴族とそのお付きの服装となると、すぐにチェザの手を引いて、プティの隠れ家から出た。
 帽子を目深にかぶり、街に溶け込む。
 隠れ家が川の近くで、船着き場があり、来ていた船に乗り込んだ。
 金はプティの家から拝借した。
 船はゆっくりとした速度で進む。
 チェザの帽子を直す振りをして目深に被せた。ジーノの人相書きは、死人となる前の情報で、白金で描かれていた。今の髪色は銀色だ。それだけでも誤魔化せるだろう。
 船が、プティの隠れ家の前を通る。ジーノが様子を窺うと、王国の軍人が来ていた。
 ドクンと鳴らない心臓が音を立てた気がした。
 プティは自分たちを逃がそうとしてくれていた。捕まえるために、隠れ家へ向かわせたわけじゃない。でも、軍人が来るのが早すぎる。
 疑心暗鬼だ。
 精神が混乱する。頭を振って、考えを切り替える。今は、逃げることが優先だ。
 奥底にある悪い考えには気づかないふりをした。
 船は、城から離れていく航路だった。最終地点ではなく、もう使われていない降り場に交渉して降ろしてもらう。
 ジーノは王国レットルから離れ、傘下に入った国や監視塔でも、逃げられる場所へ逃げようと考えた。
 服装が功を奏し、無事に城から遠のくことができると、ジーノは、近くの国境の門へ様子を見に行った。が、門には門番の他に、軍人もいて、警戒中だった。いつもなら、多くの者が行き交う門も、人通りが少ない。ここを通れば捕まってしまう。
 ジーノは、頭の中で、国内の地図を広げる。門のない国境を越えるしかない。
「……チェザ、行こう」
 チェザの腕を捕まえて、ジーノは移動した。日中は目立つため、夜に移動する。たまたま橋の下に小型のボートを見つけ、それに乗り込んだ。折角、城から離れたのに、城へ近づくルートを通るしかなかった。静かに、手漕ぎのボートで進む。朝が近くなってきて、分岐点の手前で降りた。
 ジーノとチェザは、監視塔の方角を目指している。その方角は国境に門もない。もしかしたら、国境を超えて他国へ行けるかもしれない。夜通し歩いた。そして、ジーノは見知った街に出くわす。
「あ、ここは……」
 自分が生まれ育った集落だ。
 一気に懐かしさがわく。思い出されるのは、温かな仲間のいる家だ。晩年は床に伏せていたが、それでも帰る場所だと思わせてくれる場所だ。
 ジーノは目頭を熱くする。
 帰りたいと思う場所だが、今は容易に帰れる場所ではない。ここが、ジーノの出身地だと知られているだろうし、知り合いの仲間たちも寿命を迎えている者がほとんどだろう。厄介者をわざわざ迎え入れるとは思えない。
 オレンジ色の灯り。知っている町並み。それだけ見れれば、十分だ。
「チェザ、ここが俺が生まれ育った所だよ」
 自分の育った街をチェザに紹介する。チェザはここを、ジーノの家を訪れたことがあった。それも、随分と前の出来事のように思える。
 ジーノは、目の前の光景を焼き付けて、チェザの手を引いた。
 振り返ることなく、ジーノはチェザと歩く。故郷への道ではない場所まで来ると、突然チェザの歩みが止まった。前屈みになり、咳と共に口から血を流した。ジーノは驚いて、その場に座るように促す。
「ゴホッ……ぐっ、……ガハッ……!」
 地面に血が零れる。吐き出された血に、ジーノは狼狽える。しかし、何か出来るわけでもない。背中をさすることしかできず、瞳に涙を浮かばせる。
 チェザはもう体の中すらボロボロなのだ。
 死期が近い。
 そう思うと、辛い。死人の自分が思うのは、変なのかもしれない。でも、チェザの生が終わると思うと悲しくて仕方がなかった。
 ジーノは、チェザの背中をさすりながら、周囲を見渡す。
 この地区は、帝国時代に開発が盛んだったが、近年の紛争や戦争で工事が中断されたところだ。ジーノは、幼い頃のことを思い出す。ずっと小さい頃だ。集落を抜け出した年上の仲間たちに連れられて、秘密基地に遊びに来ていた。ジーノは耳をピンと立てて、チェザの体を支えて記憶にある場所へと向かう。
「チェザ、もう少しだから……」
 月明かりの下でも、顔色の悪いチェザを抱え、ジーノは「確か、ここを……」と、半端に工事された建物の中のドアノブを横へスライドさせる。
「開いた……!」
 幼い頃の記憶にあった秘密基地。そこにジーノはチェザと入った。
 秘密基地とは云ったものの、そこは、内装がそこそこ整えられている一つの部屋だった。割と綺麗に保たれているように思う。けれど、近年は人の出入りがないような感じだ。
 ジーノはチェザを寝かせる。部屋は、大人二人が横になれる程の広さだ。
 チェザの口元の血を拭うと、何かないかと部屋を見渡す。
 ここに出入りしていた者たちが持ち込んだ物を漁ると、使えそうな物がでてきた。
 ジーノは、しばらくの間、ここに留まることを決める。チェザの体調も悪い。回復する可能性は低い気がする。
 国の、世界の悪者になってしまった自分たちが、安寧な時を過ごせるのは奇跡に近い。
 ジーノは、チェザに寄り添う。
 戦争、嫌悪、移動、逃走。めまぐるしい日々に、ジーノも体力の限界だ。
 チェザの隣で横になると、すぐに意識を手放した。

 チェザを隠れ家に残し、ジーノはいつもの服装に戻し、近くの市場へ来ていた。
 拝借した金はあるものの、あちこちに張ってある手配書に、迂闊に動けないでいた。
 ジーノたちを探しているのは、軍人ばかりでなく、王国レットルの種族や、他国の民族までもが手配書を持っている。逃げることに必死で、情報を得られていない。
 食べるものの一つくらいも欲しいところだった。目の前に市があるのに、手配書を持つ者たちがいて近づけない。もう少し陽が落ちてからにするかと、引き返そうとした、その時。
 何者かに肩を掴まれた。
 鳴らない心臓が、大きく鼓動したような感覚に陥る。
 ここで捕まったら、ダメだ。
 抵抗してでも逃げた方がいいか。そんなことを考えていると、ぐっと肩を引き寄せられた。
 物陰に引きずり込まれ、誰かに抱きしめられる。口元を手が覆う。
「……静かに。探したぜ、おっさん」
 その言葉に、ジーノは、相手の顔を見る。そこにいたのは、成獣したリタだった。
「リタ!」
「ここは、奴らがうろついてる。場所を移すぞ」
 リタは、手配書が公表してから、ずっとジーノを探してくれていたらしい。隠れ家に身を潜めていることを話すと、だろうなという返事があった。それから、この王国レットルが、 ラントカルネ国と同盟を組んだことを教えてくれる。そして、自分たちがなぜ、手配書に載ってしまったのかを。
「おっさんたちが止められずに、やらかしてたのを、利用されたんだ」
 プティと連絡を取り合っていたリタが、彼からの情報も話してくれる。
 王国レットルとラントカルネの民族間の仲の悪さを、ジーノたちという悪を共闘して倒すことで、解消しようとしているとのことだ。
「俺も初めて聞いた時はそんなことで関係が改善するかよって思ってた。でも、王様たちの思惑通りになった」
 ジーノは言葉を失う。
 確かに、被害も多く出た。でも、それ以上にチェザは敵も倒していたというのに。
 監視塔から最近戦っていたリーヴルまで、敵の殲滅に一番貢献していたのは、チェザだ。チェザは、狂ったとはいえ、命まで削って戦ったというのに。
 拳を握る。
 悔しい気持ちでいっぱいだ。
 ジーノがチェザを見つめると、リタがほんの少し耳を垂れさせたが、すぐに耳を立てて、ジーノへ云う。
「おっさん、ここも早く逃げた方がいい」
 ここは、俺たち獣人の集落が近い。一番警戒されている。国境も魔術師が張っているが、今、プティがなんとか外部と連絡を取っている最中だ。
「プティのじいさんも、最近まで投獄されてて、ようやく出してもらったんだ」
 初耳だった。
 あの時、一瞬でも疑ってしまったのが恥ずかしい。プティは大丈夫なのか聞くと、ピンピンしていると返ってきた。
 リタは、それから食料等をいっぱい持ってきてくれた。
 早く逃げた方がいい、逃げるときには協力するとも云ってくれたが、ジーノは消極的だった。
 ジーノ自身も疲れていたこともある。チェザの命の灯火も消えかけている状況だ。
 それに、逃げるって、どこに……?
 現状、ジーノの狭い世界に逃げ場なんてない。
 国境には魔術師が配備されていると聞いた。町中には、手配書を持った者がたくさんいる。
 追い詰められた悪者は、どこへ逃げればいいというんだ。
 ジーノは、助けを求めるようにチェザを見つめる。
「世界の悪者になっちゃった。どうしようか」
 チェザの黒い髪を撫でる。緊迫した状況下だが、二人の時を過ごせて、ジーノは嬉しかった。

 それから、日が変わらぬうちに、ジーノたちの隠れ家にリタが慌てた様子でやってきた。
「おっさん、逃げろ! ここに軍の奴らが来る!」
 額に汗をかいて、知らせに来てくれたリタに、ジーノは反射的に起き上がった。すぐに、チェザを抱える。反対の肩をリタが支えた。
「建物出たら、荷車に乗れ。俺が引いて街の外まで逃す」
 階段を降り、建物の入り口へ向かう。警戒して外へ出て、荷車にチェザを押し込み、自分も中へ入った。馬で引くらしい。自分たちの上に、藁がかぶせられる。
 ほどなくして、荷車は走り出した。荷車は止まることなく、駆けていく。
 この町を脱出しても、次はどこへ逃げればいいんだろうと考えてしまう。
 軽快な音を立てて、馬が引いていく。その時、リタが「やべぇ」と声を漏らした。
 ここ数日動かないでいたチェザが、ピクリと反応して、ジーノの腰を掴んだ。そして、チェザに抱えられて荷車を飛び出すと同時に、先ほどまでいた場所が攻撃された。魔法だ。
 自分がチェザに抱えられている事実に、驚いていると、チェザは飛び出した反動で、屋根へと飛び乗る。ジーノを放ると、魔方陣を展開する。しかし、展開途中で魔方陣が消滅してしまい、チェザは唸り声を上げて、体内の魔力を集めそれを放った。体から、血が流れる。
 放たれた魔法は、空中にいた魔術師に向かう。が、それは避けられた。
 魔術を無理に使った反動で、チェザの口から血が吐かれる。
「チェザ……!」
 駆け寄ると、そこへ魔法攻撃があり、ジーノはチェザに突き飛ばされる。
 砂埃が舞い上がる中、冷徹で無表情なままのチェザが、魔術師を見ている。そして、また体に傷を増やし、魔法を放つ。
 戦闘が始まった中、ジーノはチェザの行動に戸惑いと期待を隠せない。
 チェザが、守ってくれた……?
 狂ってしまったチェザ。狂戦士の称号を天の空から与えられてしまったというのに。
 無意識でしているというのか。
 もしかしたら、根底にある気持ちが、無意識下でも働いてしまっているのかもしれない。
 戦闘中なのに、不謹慎だ。でも、ジーノは嬉しかった。
 チェザが、魔術師集団と戦う。空中を飛び回る魔術師に集中していると、屋根によじ登り、チェザへ攻撃してこようとする者がいた。すぐにジーノが瓦礫のレンガを投げつける。レンガは男に当たった。
 チェザを守りたい。守らなければ。
 そう思い、チェザを見て、屋根に居る複数の魔術師を見る。
 一人がチェザへ攻撃し、もう一人が長い呪文を唱えている。きっと、強力な魔法だ。ジーノは、レンガを掴むと、その魔術師へ向かって投げる。しかし、他の魔術師の攻撃に阻まれて、倒すことができない。
 そうする内に、詠唱を終えた魔術師が頭上に巨大な魔力を生み出した。チェザは、他の魔術師の攻撃を防ぐのに精一杯だ。
 だから、ジーノは駆けた。獣人の脚力は健在だったようだ。
 チェザと魔力の間に入る。腕を広げて、チェザの盾になった。
「うッ……!」
 遠くで、リタが叫ぶ声がした。
 脇腹が抉られ、そのまま魔法は通過して、爆発した。
 目撃した者たちは、皆言葉を失う。
「はぁ、はっ、はっ……」
 体の一部を失う。それでも、立っていられるのは、自分が既に死人だからかもしれない。
 目が合ったチェザの瞳が、わずかに開かれたように思えた。
 魔術師たちは、ジーノの行動に僅かに攻撃を遅めた。その隙に、チェザが巨大な魔力を生み出し、放った。それは、光り、爆発する。
 その光りの中、立ち尽くし呼吸しかできないジーノを、チェザが抱えて、走り出す。
 そこからは、チェザの呼吸だけが、ジーノの耳に届いていた。
 はぁ、はぁ、はぁと苦しそうな呼吸と、走って体が上下に揺れる。
 何もかもが、ゆっくりに見えた。
 考えたことがある。
 あの時。自分が死んだ時。
 ジーノは確かに、チェザに恋をしていた。それは、チェザも同じだと思っていた。
 でも、でも。
 チェザは、ジーノとの時間を過ごす中で、愛するようになったのではないか。
 恋を超えて、愛していたから、チェザは、ジーノとの別れを拒んだのではないか。
 自分に生まれた恋する感情、そして、愛していたから、それすらと交換してでも、ジーノの傍に居たかったのではないか。離さなかったのではないか。
 生き返った自分は、チェザからの愛を貰っていた。
 チェザへ恋をする自分は、それ以上の愛を貰っていたのだ。
 今も、前も、チェザの瞳は変化しても、それでもこうして傍にいるチェザを、好きにならないわけがない。
 愛さないわけがない。
 魔術師が、魔方陣を展開する。チェザは、ジーノを庇って、攻撃を受けた。体の一部が失われた。
 チェザの体勢が崩れて、ジーノも放り出される。
 指一つ動かないジーノに、チェザが這ってでも傍に来てくれた。
 隣に倒れ込んで、口元は血で汚れていた。
 チェザの手が、魔法を発動する。しかし、その力は無く。
 ジーノを見つめるチェザの心臓が裂け、血が舞う。
 瞳の光を失っていくチェザは、こちらに笑いかけてくれた気がした。
 ジーノの呼吸も呼吸が小さくなっていく。
 ジーノは、自分だけの魔術師が亡くなったことを悲しんで、目尻から涙を流した。

 魔術師集団がジーノとチェザを見つけ、戦闘しているという知らせを聞きつけ、エルフのプティは現場へ駆けつけた。
 が、既に二人は絶命した後だった。
 プティを喪失感が襲う。
 リタが、初恋のジーノを亡くして声を上げて泣いている。
 友人だった。
 寿命が長い魔術師のチェザとは、長い付き合いだった。
 ジーノは、子どもの頃から知っていて、可愛がっていた。
 別れは、幾度も経験している。けれど、友人を失った悲しみに慣れることはない。
 プティの目から涙が零れた。
 プティはエルフの涙を発動させ、彼らの傷は消え失せた。
 あまりに悲しい結末だ。
 プティは、控えていた魔術師の視線に気づいて、口を開く。
「友人だったんだ」
「彼らは、悪者などではなかった」
「ああ。そうだ。こんなに純粋で想い合っている子らはいない」
 プティは、魔法を発動させる。
 まだ仄かに残る彼らの能力を混ぜて、せめて、二人一緒に居られるようにと、聖剣を作り出す。
 白い聖剣は、キラキラと小さな輝きを纏う。
 その場にいた者たちが、その白さに彼らの心の純粋さを見ていると、急に雲が開け、天が輝いた。
 天が光り、二人の亡骸と共に聖剣が光り始める。
 そのことに、プティが怒りを覚え、叫んだ。
「死してなお、二人の運命を弄ぶのか!」
 しかし、地が聖剣によって裂かれ、その割れ目から二人の亡骸が吸い込まれていく。
 手を伸ばすプティの涙が再び落ちた時、彼は天の意図に目を見開いた。

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