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 お節介なエルフのプティは、城から帰って行った仔狼のジーノのことが気になっていた。
 真っ青な顔に、所々汚れた服。そして、短くなっていた尾。
 あれだけ、ふわふわしてたのになぁ。
 いつもキャンキャンとチェザの周りをうろついていたイメージがあった。キラキラとした瞳をしていたから、記憶に残っている。
 これは、何かあったな。
 ふらふらと歩く、小さい背中を思い出して、プティはがしがしと頭をかいて、溜息を吐いた。
 この国の国級魔術師であるチェザ。その彼に与えられている部屋へと足を向ける。
 内戦が終わり、近隣国は冷戦状態の中、魔術師を留めている王の思惑には、溜息しか出ない。脱線した考えに、いかんいかんと、プティはノックをしてからチェザの部屋の扉を開いた。
 問題のチェザは、試験管に入れた魔法薬を見ていた。
 プティは、その様子に溜息を吐いて、「よぉ」と声をかけた。
 チェザは、試験管から目を離して、「ああ」と返事をする。そして、二つの試験管を眺めながら、試作の結果を零した。
「治療薬を作ったが、やはり、獣人の尾もウサギの毛皮も、効果は大差ない」
 呟いた結果を、羊皮紙に書き留めるチェザに、プティが慌てる。
「おい、その尾ってのは、チビの尻尾のことじゃねぇだろうな!?」
「チビ……?」
 検討がつかないという顔をするチェザに、ジーノの名を出し、仔狼の獣人だと云うと、「あの毛玉か」と返って来た。
「毛玉……ジーノの尻尾を薬作りに使ったのか?」
「あの毛玉がジーノという名なら、そうだ」
「なん、てことを……!」
 頭を抱えるプティに、不審な目を寄越すチェザ。魔力が強い割に、大人しい性格だから、油断していたが、こいつも魔術師だった。
 トラブルの予感どころか、もう事が起きてしまったことに、胃を痛める。
「って、待て。おい、もしかして、お前が無理矢理、尾を切り落としたとか言わねぇよな……?」
 プティの脳内では、怯えるジーノが悪い顔をしたチェザに手篭にされている映像が流れる。しかし、チェザは首を振って否定した。
「あの毛玉に、欲しいと言ったら、自ら持ってきた」
 少ない言葉の中から情報を整理すると、なんとなく顛末が分かって来る。しかし、仔狼のジーノは失うものが多かった。あまりに可哀想だ。先ほど見た様子が思い出される。
「お前は、軽く言ったかもしれんし、ジーノもお前の頼みを真に受けたことも悪いと思う。だがな、あいつは、尻尾を失っちまって、歩くことが難しくなったんだ。獣人ってのは、尾でバランスを取って二足歩行するからな。俺はエルフで長生きだから、そこら辺はよく知ってる。ここまで来るのも大変だったろうに。お前、あいつの服の汚れくらいは気づいただろう? ジーノの自業自得といえばそれまでだが、それじゃあ、あまりに可哀想だ」
 ジーノのことを語るプティ。だが、それに対する返答は素っ気なかった。
「そうか」
 チェザの返事は予想していた。魔術師の特徴だ。他者の感情、痛みに気づかない。疎いのだ。
「あいつの状態を魔術師のお前に置き換えると、そうだな……声を失うくらいだな」
「!」
 魔術師にとって、声を失うこととは、魔力が使えなくなることと同義だ。全ての魔術師は詠唱で魔力を発動させる。それができなくなるということは、魔術師にとって悲劇でしかない。一部陣を用いて魔法を発動させることは可能だが、陣の構築が成立しているものは少ない。もし、声を失ったら、魔法陣で鍋の火を起すくらいしかできないだろう。
 己が声を失うと同等のものを失ったのだと教えられ、無表情のチェザもその事実に動揺した。
「なぜ、毛玉はそんな大切なものを……?」
 わからないという顔をするチェザに、自分で考えろと言いたいが、こいつは魔術師なのだ。恐らく10年かかってもわからないだろう。
「それはな、お前のことが好きだからだ」
「……あの毛玉が?」
「ああ。お前を好きだから、お前の望みを叶えてやりたいと、体張って叶えたんだ。まぁ、自分の尾を切り落としてまで叶えるってのは、少し歪んじゃいるが。それでも、お前を好きで仕方なかったんだろうな」
 プティのお節介に、他者の感情に疎い魔術師のチェザも、何か思うところがあったようだ。獣人の仔狼の現状を魔術師の場合に置き換えたことで、他者のことを考えやすくなったのだろう。
 魔術や魔法薬の研究でしか発揮されなかった思考は、初めて他者のことに使われることになりそうだ。
 魔術師は冷酷だ。しかし、疎くとも、感情や心は持っているのだ。それが小さくとも。
 いい傾向だ。
 顎に手を当てて考えるチェザに、プティは世話がやけると笑うのだった。



 チェザは、本名ではない。通称だ。エルフに名を聞かれ、名をもじって答えた時から、そう呼ばれるようになった。
 魔術師が名を知られるのは命取りだ。そして、本当に大切な場面でしか名乗らない。
 そのチェザは、若き国王から与えられた部屋で、じっと扉を見つめていた。それがいつ開かれるのか。ただそれだけをじっと待っていた。
 朝陽が登り、頂上へ移り、昼となり。傾き始めた頃、ふいに扉が開いた。そして、覗かせた顔に溜息が出た。
「俺の顔見て、あからさまに溜息吐くなよ」
 プティだ。目的の人物ではなくて、チェザはすぐに興味を失った。
 金髪髭面のエルフ、プティはここのところ頻繁に顔を出すようになった。チェザが魔術以外の、毛玉のことをそれとなく尋ねると、気食の悪い笑みを浮かべて答えてくれる。プティはキモイ奴だが、長生きで博識なおかげで、獣人について随分と詳しくなった。
 チェザは、アンティークの椅子に腰かけ、再び扉を見つめる作業へ戻る。
 実は、尻尾を魔法薬の材料にした日から一週間、あの毛玉は姿を現していない。プティは、歩行が困難になっているし、何よりお前に会いたいと思うかだなと、云っていた。が、それでは俺の疑問が晴れない。
 獣人にとって、命とも云える物を差し出した。それが好意による行動。プティは恋愛感情の暴走などと云っていたが、自分にはよくわからない。だから、それに至った情報を得たかった。好奇心が生まれたのだろうか。何にせよ、あの毛玉が来ない限り始まらない。
 プティが横から絡んでくるが、チェザの冷めた黒の瞳は、扉を向いていた。だから、扉がゆっくりと開いていく様に気づくことができた。扉から遠慮がちに顔を覗かせたのは、一週間ぶりの毛玉だった。
 毛玉は、白金色の毛に覆われた耳をペタリと伏せながら、窺うような視線を寄越す。だが、それも一瞬で、一週間前の出来事に凹んで元気がないながらも、チェザの顔を見ると、嬉しそうな雰囲気へと変わった。
 チェザは、顔面の緊張具合等を観察していて、その変化に気づくことができた。そのまま、一挙一動見逃すことなく、観察をしながら、「こちらへ来い」と指示を出す。毛玉は、何が起きたんだという間抜けな顔をしながら、近づいてくる。警戒と喜びで耳が忙しなく動く。
「まず、問い1。なぜ毛玉は俺に好意を抱いた? 簡潔に答えろ」
「え、ぅえ? あ、えっと……」
 突然の問いかけに、しどろもどろになる。動揺した時には、いつもなら、尻尾を掴んで弄るところだが、切り落としてしまったことを思い出して、指を絡ませたり、つんつんしたりするしかできなかった。
 チェザの言葉に戸惑うジーノに、見守っていたプティが助け船を出す。
「チェザ、まずな、名前聞くところから始めようか」
 ジーノは会う度に名乗っていたことは知っていたが、チェザの認識が毛玉なのはあまりに不憫だと思ったようだ。
 チェザもプティの助言に従う。
「そうか。お前、名を名乗れ」
 観察されているのだが、まっすぐに見つめられ、名を聞かれるという状況に、ジーノは混乱を起こした。先々週は、勢いと下心で切り落とした尻尾を、鍋で煮込まれて、チェザとの恋は始まってすらいなかったと思い知らされたというのに。いつもの塩対応はどこへやら。チェザが一心に自分を見つめてくれている状況に、何をされるんだろうと青ざめつつ、頬を赤くした。
「あ、の……ジーノ、です」
「ジーノ、か。ジーノ、答えろ。なぜ、俺に好意を抱いた?」
 プティがそうじゃないと、頭を抱える。ジーノは、チェザからの圧のある質問に、頬を赤くした。自分の気持ちを吐露することは、恥ずかしいものだ。しかも、好意を抱いている本人を前にしてとは、残酷にも程がある。けれど、尻尾のことで懲りたはずのジーノは、それでもチェザが自分に興味を抱いていることが嬉しく、先への可能性のためにも、理由を答えた。
「な、内戦で強い魔力に惹かれて、綺麗な顔してたし、憧れから一瞬で好きになりましたッ」
「そうか。問い2、どうして尾を失ってでも、俺に献上した?」
「そ、れは……チェザが俺の一部でも欲しいっていってくれて、嬉しかったから。それに、俺の尻尾を気に入ってくれて、愛でてくれるかなとか、チェザが俺のこと、す、あ、想ってくれるようになるかなって、思って……」
 顔を真っ赤にして、瞳に涙を浮かべる。恥ずかしい。恥ずかしいと、心の声がへたる耳と短くなった尻尾に表われている。
 プティももう止めてやれと制止をかける。チェザはまだ質問したいことがあったようだが、尻尾を切り落とした後遺症のことを考えたようで、それ以上の質問は止まった。しかし。
「俺に気に入られようとして、自ら尾を献上したことはいえ、損失と報酬が噛み合っていないな」
 ぽつりと呟いた独り言。
 魔術師の何事も天秤にかける考えから、チェザはジーノに向き直った。余程、魔術師の立場に置き換えたことが効けているらしかった。
「あの時の報酬もまだだったな。俺にして欲しいことがあれば、何でも叶えてやる。何をして欲しい」
 強い魔力を有しているチェザの考えは、強力な魔力を用いたことを一度くらいならしてやろうという気持ちだ。しかし、プティとジーノの考えは違った。
 ジーノは、おおいに混乱しながらも、チェザに何でもしてもらえるというキーワードに冷静に考え始める。
 手を繋いでもらう、一緒にお茶を飲む、だだだ、大胆にもハグしてもらうとか!?
 仔狼の考えることなど、たかが知れている。そんなジーノの横から、プティが「チューだ。チューしてもらえ」と横やりを入れてくる。プティの大人な意見に、ジーノは最大限に頭が混乱した。先ほどから、頬が赤くなりっぱなしだ。
 言葉にならない言葉を漏らすジーノに、プティの言葉が聞こえたチェザは、ふむと考えてから、ジーノの顎をすくい取った。高身長なチェザは、覆い被さるようにして、ジーノの顔を覗き込む。そして、幼いジーノの唇にそれを押しつけた。 ジーノは自分がキスをされていることに、大きく目を見開く。
 柔らかい唇の感触に、心地よさを感じたチェザは、ちろりとその唇を舐めてから、ジーノを解放した。
 顎から手が離れて、今の出来事に茫然とするジーノ。自然とチェザの瞳と目が合って、現実を受け入れて、受け損ねて、脳がショートした。首まで真っ赤にして、ブツンと電源を切ったように機能が停止したジーノは、そのまま後ろへと倒れてしまった。プティが慌てて抱き留める。キスをしたチェザは、倒れたジーノの予想外の事態に、少し驚いたようだった。全身を真っ赤にして、意識を飛ばすジーノに、ゆるりと冷徹な魔術師の心が動いたような気がした。


 仔狼のジーノは、想い人であるチェザの気まぐれで、キスをされてしまい、あまりの衝撃と歓喜で意識を喪失した。
 気づけば、仲間たちと暮らす家におり、先ほどのことが嘘なのではないかと思ったが、少しかさついたチェザの唇と、舌で舐められた感覚を思い出し、ベッドの上を転がり回った。
「〜〜〜〜〜〜っ」
 チェザの綺麗な顔が近づいてきて、そして――。
 黒の瞳も綺麗で、チェザの瞳が伏せられたと思ったら、自分の唇は奪われていた。思い出して、顔を赤くする。声にならない奇声を上げていると、いつの間にか部屋に入って来ていたニットが何とも微妙な表情でジーノを見ていた。
「……何」
 スッと冷めた表情でニットに答えるが、今更だ。
 ニットは、プティからの忠告を言付かったと、ジーノにその内容を話した。
 プティからの忠告は、今回、尾を切り落としたことで得た、チェザからの興味や褒美は偶然であり、今後身を削っても、同じ否それ以上のものを得ることはない。だから、指の一本くらいなどと軽々しく考えるなというものだった。
 尻尾を落として、最初は傷ついたものの、結果としてチェザにキスしてもらえた。なら、指なら、何をしてもらえるんだろうと、悪い考えをしたのも事実。けれど、あの時の痛みや、チェザに受けれ入れてもらえてすらいなかったショックを考えると、流石に反省した。
 ニットの説教も混じったプティからの忠告に、今回は耳を傾け従うことにした。その旨を伝えると般若だったニットの顔も説教が終わり、穏やかなものとなる。また倒れたのだから、早く休めとベッドへと戻された。ニットの皺が増えた顔を見て、おやすみにおやすみと返した。
 翌日、ジーノはチェザを尋ねた。尾を切り落として、歩行が困難になっていたが、今では普通に歩けるまで回復し、いつものように薬草を届けに来たのだ。
 慣れた城の中を歩き、ジーノの部屋へと向かう。いつものように中から聞こえてくる声を耳で確かめ、ノックをせずに扉を開いた。すると、すぐそこにチェザがいた。音からの情報で、場所はだいたい把握していたが、意外に近くて、固まってしまう。
「お、はよう、チェザ……!」
 ジーノに気づいたチェザは、読んでいた本を閉じ、一歩踏み出た。チェザの大きな手が、ジーノの顎をすくい取る。目を見開いている間に、チェザの顔が近づき、口付けられた。すぐに離れたが、至近距離で観察される。
「なんだ、今日は倒れないのか」
 惚けて、顔を真っ赤にするに留められたジーノに対し、チェザが少し残念そうに「魔術師に、キスで意識を奪える力はなかったか」と続ける。
 ジーノは昨日の今日で、二回目のキスをされてしまい、それを脳が処理をすると、キャパオーバーを起こした。へにゃへにゃと座り込み、力が入らなくなってしまった。
「どうした?」
「腰が、抜けて……」
 ジーノは、色々泣きそうだ。持ってきた薬草だけは死守したが、しばらく立てそうにない。二回目のキス、次に話しかけられるという奇跡。耳も短くなった尾も、砕けた腰と同じようにへにゃへにゃと、力が抜けてしまったようだ。
 座り込んでしまったジーノを、腕を組みながら見下ろすチェザ。床に置かれた籠に視線を移すと、その中に入った薬草を見て、金貨が置いてある机を指さした。
「ジーノ」
 座り込んで動けないジーノの名を呼び、報酬を受け取っていけと気づかせる。名を呼ばれて、驚いていると、チェザの口から信じられない言葉が飛び出た。
「商人から買うより、お前が取ってきた薬草の方が新鮮だからな。これからも、頼む」
 その言葉に、ジーノは目を輝かせた。チェザの中で存在し、自分の居場所を得ることが出来た。自分の望む形ではない。彼の中では、薬草売りという存在でも、彼に覚えられ、ポジションを得ることができたことに喜びを感じる。
 既にチェザは、ジーノから目を離し、読んでいた本へと興味が移っていた。
 ジーノは、力の入らない腰をどうにか動かそうと、ずりずりと床を這った。顔は、真っ赤だ。
 報酬は明日。明日貰う。だから、今日は、昨日もだけど、色々チェザからもらって、限界!
 高揚しすぎて、瞳に涙を溜めたジーノは、床を這ってチェザの部屋を後にする。その様を見たチェザは、予想外の面白い行動に驚き、口元に笑みを浮かべた。

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