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 散策する森に、野花が綺麗に咲くようになった。温かな柔らかい日差し。虫たちも嬉しそうに戯れる。
 仔狼のジーノは、春になったと同時に成人した。数ヶ月前まで、小さかった身長も短期間で伸びた。幼さのあった貌も、丸みがなくなり、美しさを残して綺麗に整った。白金の毛色は、狼にしては珍しく、目を引く。誰もが彼の成長に感嘆した。恐らく、チェザに恋をしたからという理由もあるだろう。年頃の娘たちから熱い視線を向けられることも多くなった。抜きん出た容姿だけでなく、仲間たちの中でも1,2位を争う戦闘力を身に付けているからだろう。尾を切り落としても、ジーノの魅力は損なわれることはなかった。歩くことすら困難だったが、少しずつリハビリし、努力して、今では若い獣人らとなんら変わらない動きができるようになった。
 そんなジーノと、魔術師のチェザとの関係は良好だ。
 最近は、希少な薬草を取ってこいという指示はなくなり、比較的簡単なものが多い。どうやら、チェザはジーノをからかうことに価値を見出したようだ。困る。
 安全な森で多く生息している薬草を取り終えると、ジーノはその足で城へと向かった。
 大人の仲間入りしたジーノは、チェザの部屋の前で深呼吸をする。己の反応を見て楽しむチェザは、こちらの気持ちを無視して、色々仕掛けてくるようになった。が、仔狼から成人に成長するまでの間、何度かキスされ、いい加減耐性がついた。はず。
 大丈夫。
 ジーノは、決心して扉を開けた。
「チェザ、おはよう!」
 当のチェザは、プティと会話中だった。談話というより、緊張感を持った話し合いに近かった。が、ジーノの登場で、その張り詰めた空気が溶けた。邪魔しちゃったかなと耳を垂れさせるジーノに、チェザが「ああ」と間を置かず返事してきた。
「一度休憩にしよう」
 ジーノ、おはようさん。
 疲れた顔に笑顔を貼り付けるエルフのプティ。
「おはよう、プティ」
 持ってきた薬草が入った籠を、定位置となった作業台の上に置く。すると、チェザがこちらへやって来た。
「また伸びたか?」
「え、そうかな」
 チェザを見上げる。チェザとの身長差は縮まったが、それでも差はある。チェザの身長が高すぎるのだ。
「伸びた気がしない」
「少し伸びてる」
 後頭部をすくうように持たれ、つむじにキスをされて、ビクンと反応してしまった。しかし、この反応に満足しなかったようで、チェザは「この程度ではダメか」と独り呟いた。ドキドキとする胸を抑え、さり気なく距離を取って、お茶の準備をしようと逃げた。
 少し伸びた白金の後ろ髪を揺らす姿に、プティがチェザに問いかける。
「たったの3ヶ月で、あの成長ぶりだ。お前も何か思うところがあるんじゃないか?」
「思うところとは何だ」
「あんだけ綺麗に成長したんだぞ。例えば、いつも以上に構いたいとか誰にも取られたくないとか、ちょっとでも思わないか?」
 プティの言葉に、ジーノがガチャンと音を立てる。幸い、カップは無事だ。
 耳が良いジーノに、二人の声は丸聞こえなのだ。
 紅茶のセッティングが終わり、慎重に二人の元へ持っていく。テーブルに紅茶のセットを置くと、ふいにチェザの手がジーノの顎を掴んだ。
「そうだな、確かに顔は綺麗だ。……性奴隷として侍らせようか」
 少し前まで子どもだったジーノに、その言葉は刺激が強すぎた。ボンッ! と、音を立てるようにジーノの脳機能は急停止した。首まで真っ赤になるジーノ。久しぶりの面白い反応に、「とは思った」と続けたチェザも満足そうだ。
 魔術師は、ジーノが知らない間に、言葉責めまで習得していたようだ。
 大人なワードに、ジーノはどぎまぎする。性奴隷ということは、チェザは性的に見てくれているということだろうか。もう、それなら性奴隷でもいい気がしてきた。
 蕩けた脳内で、チェザに申し出ようとした所を、プティが慌てて止める。
「だからっ、お前はっ、もう少し自分の身を大切にしろ!」
 相手は、魔術師だ。身を捧げたところで、お前との関係に進展はない。こいつは、悪い魔術師なんだ! と、説教をするプティ。酷い言われようだが、恋人や伴侶ではなく、性奴隷が最初に出てくるあたり、魔術師の残忍さが出ている。
 ジーノもその場の勢いで失ったり、傷ついたことを思い出して、流されてはいけないと、話題を変えてみる。
 先ほど神妙な顔をして何を話していたのか問うと、紅茶の準備を始めたプティが苦い顔をする。
「近々、また戦争が起きるかもしれん」
 ティーポットに湯を注ぎながら、プティが続ける。
「知ってると思うが、我が国の王は野心家だ。内戦で王位を勝ち取った。今はこの国は平和だが、ぼちぼち敵国の情報を集め始めている」
 戦争を仕掛ける国の情報をな。
 プティの話に、ジーノは重苦しい戦いの記憶と、血が沸くような感覚の両方を思い出した。獣人は狩猟民族なため、狩りの本能が根付いている。が、戦争は失うものも多い。それを思うと、戦争に諸手を挙げて賛成できない。
 淹れてもらった紅茶が目の前に置かれる。その水面に少しだけ元気のない自分の顔が映った。立っていた耳が力を失くして折れる。その様子を見ていたチェザが、ジーノへと手を伸ばす。頭に触れるかというところで、己の行動に気づいたチェザが、伸ばした手を戻した。ジーノは手が伸ばされた気配だけを感じて、何だったんだろう? と、疑問符を浮かべた。
 チェザは、手の平を見つめながら、自分の中にある何かに、不思議な気持ちを抱いた。

 戦争は季節が変わらないうちに始まった。
 王国レットルは、左右の隣国ではなく、少し離れたクアデルノ国に戦争を仕掛けた。
 春のあたたかな気候の中、緊迫した空気が流れる。黄色の花畑を踏み散らし、獣人軍は敵国の陣地へ赴いた。
 獣人は前線を任されることが多い。殺傷力が高く、スピードもある。打撃や安定感に関しては、他の種族の方が向いているが、今回の作戦では獣人の方が適していた。
 敵国の王に、宣戦布告の手紙が届いたら、開戦となる。国の外れで使者からの合図を待つ。
 ジーノたちの隊は、外から攻撃し侵入する。他の多くの部隊は行商に扮するなど少しずつ敵国へ侵入した。
 耳を澄ませて、国の中心部を見る。そして、合図の銃声と共に、ジーノは声を張り上げる。
「突入だ! 行くぞ!」
 士気が上がった部隊員は雄叫びを上げて、先陣を切るジーノと共に敵国へと突撃して行った。
 鋭い爪が、敵国の軍人を倒していく。民間人には手を出さず、声を張り上げ「降伏せよ!」と攻めていく。
 奇襲に近い攻撃は、実は王による作戦だ。
 既に潜伏していた仲間が、次々と困惑している軍人たちを倒していく。
 クアデルノ国は、高台に塔があるのが特徴だ。近隣国を監視しつつ、警戒もできる。敵国として戦いにくい相手だが、この国が手に入れば、監視塔として今後の戦いに有利になる。そのために、王はこの地を欲するのだ。
 ジーノは、予想できるその先を、敢えて考えない。戦闘中は、目の前にいる敵だけを倒す。仲間が危なかったら助け、援護する。深入りしそうな仲間を引き留め、計画通りに指示された範囲から動かないように攻撃する。
 敵も自然と中心部に集まる。四方を囲うようにジーノの国が陣を張っているのだ、そうならざる得ない。一定の距離を保ち、ジーノたち王国レットルは敵国の王へ降伏を呼びかける。
 三度目の呼びかけに、応じる気配はない。民間人は、建物の中に籠り、様子をうかがっている。
 ジーノは、前方を仲間へ任せて、後方を見た。黒く長いマントを着た黒髪の魔術師がこちらへやってきている。チェザだ。
 ジーノは、飛び上がるほどの嬉しさを抑えて、部隊を下がらせるように仲間へ指示を出す。チェザが近づいてくる。チェザとジーノの部隊の配置交代をするという時、ジーノの視界に、仲間の姿が映った。子どもの獣人だ。その仔は、周囲が見えていないのか、仲間の隊員の声が届いていない。功績を上げることに必死で、陣を乱している。敵が集まる中心部へ向かおうとしているので、ジーノが止めに走る。手を伸ばして、仔の腕を掴むと、斜め上の建物から軍人がナイフを投げるモーションに入ったのが見えた。慌てて、仔を庇うように前に出る。ナイフが放たれる。仔だけでも守ろうとするジーノ。しかし、ナイフが届くより先に酷く低い声が耳に届いた。
 瞬間、鋭い光の線がナイフを消し、その延長線上にあった塔の上部を破壊した。
 刺さると思っていたジーノが、魔法の気配に安堵し、恐る恐る振り返る。すると、魔術師のチェザの不機嫌な顔があった。
 腕の中にいた仔が安堵と恐怖心で泣き始め、その頭を撫でた。初めて見るチェザの不機嫌な顔に、困惑する。
 仔の泣き声の中、沈黙を守っていたクアデルノ国は、破壊された塔から白い布を垂れさせた。
 降伏の意の白い布に、王国レットルの軍は勝利の歓声を上げた。
 割れんばかりの歓喜の声に、ジーノも緊張が解ける。腕の中の仔を仲間に預け、チェザの元へ向かおうとすると、その本人が真後ろに居た。驚くより先に、チェザによって肩を掴まれる。
 勝利に沸く声の中、ジーノとチェザの二人は姿を消した。

 チェザに掴まれた肩を放されたと思ったら、知らない景色だった。高い壁を背に付き飛ばされて、背中を強かに打ちつけた。何をされるんだ、何なんだと眉を下げたら、チェザに抱きしめられた。
 黒いマントの下、高級な香水のいい香りがした。
「チェ、ザ……?」
 戸惑いの声を上げると、チェザが強く抱きしめてくる。呼吸がこんなに近い。チェザが自分を確かめるように首筋に顔を埋めてくる。どうしたのかと問いかけると、何度目かの呼吸の後に小さく返事があった。
「……何なんだ」
 そう呟いてから、また沈黙が流れる。きっとチェザの中でも整理がついていないんじゃないかと思う。そして、また同じ言葉が繰り出されて、チェザが顔を上げた。
「お前が、傷つくと思ったら、呪文を唱えていた」
 チェザの表情が困惑で歪む。
「お前が消えると思ったら、胸が苦しくなった」
 今まで感じたことのない痛みと、感情を訴えるチェザ。
「これは、一体、何なんだ……」
 縋るような瞳に、きつく抱きしめられている腕に、紡がれる言葉の意味に、ジーノはこれ以上ないほど顔を赤くした。無自覚、無意識なチェザの言動に、思考が大混乱して、でも、真剣な彼に返事をしなければと、口を開いた。
「そ、れは……恋、じゃないですか、ね……」
 改まった口調になった。チェザの心に自分在るという事実に、ジーノはしどろもどろな答えを返した。
 チェザは、その答えに、目を見開き、己の心に生まれた感情を受け止め、「そうか」と呟いた。それから、ゆっくりと抱きしめられて、ジーノもドギマギしながら、その背中を抱き返した。自分の恋が、胸にある弾けそうな熱が、もっとチェザに伝わればいいのにと、黒いマントをぎゅっと握りしめた。
 二つの恋が交差したその日、王国レットルは、クアデルノ国を降伏させることに成功し、若き王の名が近隣諸国に轟くこととなった。また、降伏させた功績として、魔術師のチェザには多くの褒美が与えられ、その切っ掛けを作ったジーノと獣人の仔にもおまけで褒美があった。
 クアデルノ国は、あの時のチェザの魔法で王が死亡し、その側近と協議し、少額の賠償金を支払うことで、概ね傘下に入ることとなった。そして、クアデルノ国は王国レットルの監視塔として役割を担うこととなる。
 領土を手に入れた王国レットルでは、クアデルノの監視機能を上げるため、多くの人間が行き交うこととなった。人の流れは商いに勢いを生み、経済が回れば国民の心も穏やかにした。
 クアデルノの監視塔が完成した頃には、気づけば春も終わっていた。
 ジーノとチェザは、忙しなく過ぎていった春の終わりに、己らの恋が重なった。季節は初夏となり、穏やかな日々が戻ってきた二人は、共に行動するようになる。
 青い空と入道雲のコントラスト。新緑が映える。高い気温に、乾いた風が気持ちがいい。
 溶けそうな空からの光の熱とは違って、ジーノとチェザの二人の恋は春のように穏やかな熱だ。
 夏の暑さの中、二人は城から見える森へと向かう。鮮やかな黄色の花を指さして、ジーノが名を云えば、チェザが詳しい解説をする。
 チェザはまだ、恋というものが分かってない。だから、チェザの提案で、二人はこうして時を共にする。
 魔術師の特徴のような黒のマントを脱いで、上品ながらも動きやすく薄手な装いのチェザに対し、ジーノはタンクトップに半ズボンの軽装で森の中へと入る。
 ジーノもよく知るこの森は、危険が少なく、遊びに向いている。
 他愛のない話をしながら、森へと入り、目指すは湖だ。チェザはジーノのことを聞きたがり、そこから互いのことを話し、気づけば目の前に湖が迫っていた。
 美しい湖畔を眺め、ジーノはチェザをこっそりと見る。すると、チェザと目が合った。同じタイミングで目が合ったことに、ドキンと胸を高鳴らせる。胸を押さえるジーノに、チェザが口火を切る。
「恋愛に関する文献を読んだ」
「へ? あ、うん」
 湖の水辺に徐にしゃがんだチェザに、ジーノも同じように屈む。水をさらさらと手で弄ぶチェザが涼しげに見えて、ジーノも同じように水に手を入れた。高い気温に、水の冷たさは気持ちがいい。
「文献はまだまだ情報量が少なくてな、仕方ないから恋愛を題材にした小説を読んでみた」
「そうなんだ」
「ああ。そこには好きな子には意地悪をしたくなるとあった。恋とは、特定の相手を好きだと感じることで、所謂好きな子を大切にしたり、共にありたいという感情のことだ。俺の場合、好きな子とは、お前で合っているな?」
 それを確認されるのは、少し違うようなと思いながらも、恥ずかしそうに「たぶん」と答えると、チェザは確信を持って頷き。
「つまりは、こういうことだろう」
 ぱしゃっ。
 突然、手で跳ねさせた水が、顔にかけられた。冷たい水を急にかけられて、驚いて目をぱちくりさせる。でも、その後、にやりと笑って、ジーノもお返しとばかりに水をかけた。反撃に出ると思っていなかったのか、チェザがびっくりしている。見たことのない顔に、ふふっと笑っていたら、少し強めに水をかけられた。
 その後は、お互い水の掛け合った。夏の暑い日ということもあって、二人が湖に入ることに時間はかからなかった。水辺がキラキラ輝いて、水しぶきが飛び交い、自然と笑みが零れた。
 お互いがぐっしょりと濡れて、ジーノが、まだ水をかけようとする手をチェザが掴んで。ぐっと二人の距離が縮まった。波紋がいくつか消えた時、二人は自然と唇を重ねる。
 冷たくなった唇は、すぐに離れて。チェザの腕がぎゅっとジーノを抱いた。冷たい水の中なのに、ジーノは全身を熱くした。濡れた服がこすれ合う。触れた部分が敏感になって、何も考えられないくらい熱くなって、泣きたくなった。瞳が潤む。そっと腕が解かれて、屈むように顔を覗き込まれる。瞳が合うと、飲まれるような黒の瞳を認識したら、チェザに後頭部を手で掴まれた。そして、上を向かされ、唇を強引に塞がれた。
 チェザは何だか興奮しているようだった。
 うっすらと開けていた唇から、舌を入れられる。貪るように舌が動いて、吸われて。
 こんな激しいの知らなかった。
 冷たい水の中にいるのに、お互いの身体が熱くて。魔術師も体、熱くなったりするんだ。なんて、他のこと考えてしまう。でも、すぐにすごいキスをしていることを突きつけられて、体がおかしくなる。ぎゅっと抱かれている腕が、チェザの手が、濡れたタンクトップの中に入ってきて、腰を撫でてくる。途端に、何だかいけないことをしている気がして、でも、チェザからのキスは強引で気持ちが良くて。
 唇が放された時には、ジーノの表情は色を放っていた。チェザはその表情を見て、すぐに顔を背ける。何それと思っていると、チェザの頬が染まっていた。それを見て、ジーノも顔を赤らめる。初めてのチェザの照れ顔に、若干パニックになるジーノ。
 近い距離で、互いの心臓の音が聞こえているんではないかと思うくらい、心臓が高鳴っていた。
 無言になる二人だったが、冷たい水の中で体温が奪われ始めて、我に返る。
「……そろそろ、出るぞ」
「……う、うん」
 ぎこちない動きで、二人は湖から上がり、こんな時に限って小さいタオルしかなくて、二人で困った。
 服を脱いで、水を絞って広げると暑い気候と乾いた風がすぐに服を乾かしてくれる。でも、ジーノはなんだか恥ずかしくて、ほぼ裸のチェザの方を見れなかった。でも、チェザからは視線を感じて、その視線にもじもじと体を小さくした。
 服は割と早く乾いて、二人は会話も少なく、湖を後にするときには終始無言だった。
 森を歩きながら、冷えた体を摩ると、チェザの手が伸びてきた。驚いたし、もうチェザの顔からは照れはなかったけど、ジーノはその手を握り返した。
 手を繋いでいることに気づいて、ジーノは、他者の感情に疎い特徴を持ちながら、きっと自分をよく見て、理論やらなんやら難しいことを考えながら、自分の心を埋めていくこの魔術師を好きだと思った。
 繋いだ手はお互いまだ冷たかったけど、ジーノは、改めて、この魔術師に恋をした。


 夏の空が青く高い。
 初恋の二人は、お互いの心を少しずつ擦り合わせながら、恋の火を灯らせていった。
 二人は、同じ時を過ごした。実が弾けるような感情から、小さな火を徐々に大きくするようなものへと変化をさせながら。
 夏の半ば。
 白い花を片手に、ジーノは凪いだ海のような気持ちでそこに立っていた。そっと別れの言葉もなく、花を置く。
 自分を赤子の時から育ててくれたニットが亡くなった。老衰だった。随分と長生きだった。
 自分もいつの間にか成獣になっていて、獣人の仲間を引っ張る主力となっている。あと少しすれば、自分ももう中堅と呼ばれるグループになる。
 ジーノは空を仰ぎ見た。
 何かを思うでもない。虚無でもない。たくさんの白い花が、乾いた風に飛ばされていく。その様をただ見ていたら、飛ばされていった花の向こうに、チェザがいた。
「ここにいると聞いた」
「……うん」
 静かなジーノに、チェザが動く。成長して成獣となっても、チェザの方が一回り大きい。その大きな腕の中に、ジーノは閉じ込められた。
 純粋に、驚いた。
「どうして……?」
「お前は、悲しいという感情の時、耳が下がる」
「……うん」
「そういう時に、俺がこうすれば、お前は感情を嬉しいに変化させる」
「……うん」
 涙は出ない。でも、ジーノはこの腕の中が大好きで、チェザの胸に擦り寄った。何も言わず、大人しいジーノに、チェザは足元の花と墓石を見て、思いついた。小さく呪文を唱える。
 耳元で何事か呟くのを聞いて、ただぼんやりと見えるものを視界に映していたが、ちらつく白いものに、意識を戻した。
 白い花が降っている。花は、ジーノたちの周囲だけに降り注いだ。墓に降りた花は、消えずに残っていく。
 雪のようだと呟くと、気に入ったかと尋ねてくる。無表情のように見えるが、瞳が揺れている。
「うん、ありがとう」
 優しい、自分にだけ優しい魔術師。
 抱きしめてくれる背中をぎゅっと抱きしめた。

 情熱的なキスも何度か、戯れるキスや抱きしめることはたくさんした。
 いつもの調子に戻ったジーノは、戦争の準備に駆り出されていた。監視塔のクアデルノへ行き来して、戻ってきたら陽が傾いていた。
 あれだけ暑かったのに、陽が落ちると少しだけ肌寒さを感じる。もう、夏の終わりだ。
 腕を抱いて摩ると、やけに暗い影が動いた。
「どうした、痛むのか」
 いつもの黒いマントを羽織ったチェザだ。すぐ近くにはエルフのプティもいる。
 ジーノはチェザに腕を取られ、腕を確認される。
「ううん、ちょっと寒かったような気がしただけ。今は大丈夫」
「そうか」
 魔術師のチェザはまだ仕事があるようだ。ジーノの頬を撫でると、プティとの話し合いに戻っていく。そんなチェザの背中に明日部屋に遊びに行くと声をかけると、「ああ」と返事があった。
 久しぶりに会える。魔術師のチェザは忙しいが、一緒に朝食くらいは食べられるはずだ。
 労働で疲れていたが、チェザに会えると思うとそれも吹っ飛ぶくらいだ。
 ジーノは明日を楽しみに、仲間たちとの家へ戻っていく。
 一歩、また一歩。チェザに背を向けて歩き出したジーノ。
 その時、腰に違和感を覚える。何だろうと思ったものの、立ち止ることなく、家へと急いだ。

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