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 リーヴルは、王国レットルが監視塔となっている元クアデルノ国に降伏させた後、交渉にて傘下とした国である。実は、リーヴルは過去に一度防衛戦をしたことがある。その相手が、大国カンデーラだ。リーヴルは、カンデーラの隣に位置していた。接している土地は少しだが、それでも大国のカンデーラは脅威に違いはなかった。
 ジーノたちは、急いでリーヴルへ向かった。すでに、監視塔のクアデルノにいた兵を派遣済みだが、大国カンデーラに属している魔術師が力を使えば戦況は不利になる。そのため、なるべく早くリーヴルに到着する必要があった。
 プティが手配した馬車でリーヴルへ向かう。王国レットルからクアデルノまでは道が舗装されたので、以前より早く着ける。ジーノたちは、途中で馬を乗り換えながら一日でリーヴルに着くことができた。
 リーヴルの国境では、既に戦闘が開始されており、多種多様な種族の味方が戦っていた。幸いまだ、敵国の魔術師の気配は無い。現場の指揮を執る者にプティが魔術師が到着したことを知らせると、すぐに戦闘の合図があった。
 しかし、チェザは心を失っている状態だ。魔術の発動に、命を削っている。前回の戦闘でも攻撃を止められず、味方を怪我させる場面もあった。ジーノは今のチェザを、戦闘させるのには抵抗があった。徐々に魔力の制御もできなくなってきている。力が強くなり、コントロールもできなくなっているのだ。
 ジーノの心配をよそに、王国レットルの国級魔術師であるチェザは戦争の指揮を執る者の命令で、戦場に出た。少し離れた味方の陣地で見守るジーノ。
 チェザは、虚無の瞳で、立っていた。指揮を執る者は、プティの助言からか味方の軍を下がらせる。急に軍を下がらせたのを不審に思ったのか、敵軍が警戒する。が、チェザ一人を前進させたことで、彼が魔術師だと気づいたのか、飛び道具で攻撃をしてきた。その攻撃に、チェザの瞳が開かれ、瞬時に魔方陣が展開される。それは、青い光となり、鋭い刃となり、敵を切り捨てた。広範囲で攻撃が成功すると、味方の軍から歓声が沸いた。しかし、それも一時的なもので、チェザが新たな魔方陣を展開させると、皆言葉を失う。敵全体へ軽度の攻撃ができたというのに、更に強大な魔力を生み出し、それを敵へ向けようとしているチェザに、恐怖を覚える。敵の軍の顔色が青くなり、逃走する者も出る中、チェザは魔術を放った。血管から直に魔力が流れ出し、強い魔力が生み出されていた。
 敵軍を消し去り、地面を抉る程の威力を見せたチェザは、目を青く光らせながら吠えた。獣のような声は、ビリビリと強い波動のように周囲の人に届く。体中の血管から魔力を抽出し始めるチェザの動きに、プティが声を上げる。新たに魔法陣が展開されると、ジーノが飛び出した。
「止めて、チェザッ!」
 後ろから羽交い締めにするが、強い力で振り払われる。地面に倒れて擦り傷を作った。その間に、術は発動し、味方の陣地を襲った。
「止めろッ!」
 プティも止めにやって来る。どうにか次の魔術の発動を止めようとするが、もう見境がなくなっている。発動先が味方の本陣へ及びそうになった時、他の兵たちも止めにやってきた。チェザを強引に地面に倒し、魔術の発動を止めることができた。
 ジーノは、地面に倒れた時にできた傷を擦りながら、振り返る。
 息が止まった。
 白い煙が上がっている。
 そこにあったはずの味方の陣地、そしてその奥にあった街の一部が消えていた。
 鳴るはずのない心臓が、激しく音を立て鳴り響く程の惨状だった。
「チェザ、なん、で……」
 茫然とするジーノ。
「心がなくなったからだ」
 後ろの方から、プティが声をかけてくる。
「大丈夫か」
 差し出された手を掴んで立ち上がる。
「チェザは心を失った。探してるんだ。でも、お前にくれてやったから、見つからない。もう、狂いかけてる」
 言葉が出なかった。
「完全に狂うのも、時間の問題かもしれん……」
 悲しそうな瞳をするプティ。その瞳をただ見つめた。涙が滲む。泣き出しそうな顔をするジーノに、プティが頭を撫でくる。ジーノは目元を腕で隠した。「ジーノ」と、呼ばれる。
「……チェザから離れて、お前は別の道を歩んでもいいんだぞ」
 思わず顔を上げた。でも、プティの言葉はすぐに否定できた。
「傍にいる。……チェザが望んだから」
 チェザの傍を離れることはどうしても考えられなかった。
「辛い道だぞ。もしかしたら、誰かに殺されるかもしれん」
「その時は、チェザと死ねばいい」
 涙で濡れた瞳で、鼻を赤くして、真っすぐにプティを見つめる。
「そうだった、お前はチェザのことに関してはぶっとんでいたんだったな」
 神妙な顔をしていたプティが破顔する。シリアスな場面なのに、はっはっはと笑われた。
 チェザは、傍に居られるなら、どんな形でもいいと、心を失ってでも、ジーノとの死による別れを止めたのだ。そんなチェザから、離れようなんて思えるだろうか。ジーノはそんなこと考えたこともなかった。
 自分への感情をなくした瞳をしても、チェザのことを好きなのだ。
 ただ、悲しい道を歩もうとするジーノ。プティは、複雑な心境で、何もなくなった陣を見る。
 狂いかけの魔術師の被害は大きい。
 プティは、今回のことで王に報告する必要があると、ジーノらから離脱し別行動することを決めた。既に、味方の軍から厳しい視線を向けられている。この先、ジーノとチェザは、味方の嫌悪に晒されることになるだろう。
 敵ではなく、味方である魔術師によって、傷つけられたのだから。怨まれて当然だ。
 それでも、ジーノは、チェザが好きなのだ。ずっと、恋している感情は変わらない。
 味方に縛られたチェザの隣に立った。


 プティと別れ、死人のジーノと魔術師のチェザは、馬車に揺られ次の戦地へ赴いた。
 この地も、既に敵と交戦中で、ジーノとチェザは乱暴に馬車から降ろされる。置き去るように馬車は走って行き、王国レットルの軍人が、行けと顎をしゃくる。味方の視線は冷たかった。同じ敵と戦っている仲間とは思えない冷たさだ。
 王国レットルと、元リーヴル国の兵は、前回の戦いのことを知っているのか、チェザとジーノが前へ進むと、逃げるように後退していく。
 ジーノは、できるだけ被害が出ないように、本陣から距離を取る。
 悲しい言葉だと心の中で毒を吐きながら、チェザを見つめた。
「チェザ、戦うよ」
 ジーノを見て熱い感情を抱いていた瞳は、今はただの漆黒で空虚だ。でも、心を失っても、彼の目に自分が映っていると思うだけで、ジーノは嬉しい。彼を残して逝くことの方が、本当は辛いんじゃないかと思える。チェザのことに関しては、少しだけ歪んだ考えを持っている自分に笑えた。
 チェザは、ジーノの言葉に反応したというよりも、戦場の空気に触発されたに近かった。
 ジーノの好きな黒の瞳が、魔術を発動することで、青く光りはじめる。魔術の発動を感じると、ジーノはそっとチェザから離れた。戦闘が始まったチェザは危険だからだ。
 チェザは、唸りながら己の命を削って、魔法陣を展開させる。血管から青色の光が魔力へと変わっていく。
 広範囲に展開された魔法陣。敵は、こちらの兵が撤退したことで、前進してきて、魔法陣の範囲に入ってしまう。
 後は、チェザの独壇場だ。魔法陣は光の刃となり、土地まで抉る。建物を破壊し、敵の血で塗れた戦場で、一人、新たな魔法陣を展開する。
 チェザは、険しい顔つきだ。体が悲鳴を上げているからだ。詠唱という手順を踏まずに、無理矢理魔力を引き出した反動だ。ジーノは彼を止めに走る。チェザは、それでも止まらず、敵を倒しても無差別に攻撃を始める。術が発動し、魔方陣が消えると、また新たに魔方陣が展開される。魔術が発動された隙を狙って、ジーノはチェザの元へ近づいた。足元に飛び込み、前から抱きつく形で止めに入る。
「チェザ、もう敵はいないッ!」
 止まって! と、叫ぶ。チェザは、構わず新たな魔方陣を展開する。瞬間的にそれは波動となって、ジーノは軽く吹き飛ばされる。思わぬ事で受け身が取れず、腕を岩に打ち付けてしまう。怪我を負って、腕を押さえる。痛みに顔が歪む。しかし、それよりチェザを止めなくてはと前を見ると、チェザの暴走が止まっていた。魔力になり損なった力が、バチバチと全身から放たれている。何が起こったのかはわからない。もしかして、自分が怪我をしたから止まってくれたのかと、良いように考えてしまう。
 チェザが止まると、すぐにジーノは駆け寄った。

 この地での戦いは、早くに鎮圧することができた。暴走が止まって、チェザと味方の陣地へ戻ってくると、皆が距離を取って、恐怖に怯えていた。中には、親しい人が傷ついたのだろう、こちらに殴りかかろうとして止められている場面にも遭遇した。
 忌々しい視線を多くの者に向けられ、ジーノは悲しい気持ちになる。だから、味方の陣から離れた場所で、チェザを休ませた。チェザは、その身を削って魔術を使うようになった。目に見えないだけで、体はボロボロなのだ。
「チェザ、少し待ってて。何か食べられるもの持ってくるから」
 ジーノの言葉に、チェザからの返事はない。座るように何度か促して、座ってもらってから反応はない。
 心を失ってしまった彼に、以前の彼のように、自分を映して欲しいと思う。胸が震える。彼からの感情が欲しい。
 不安な心がそう思わせているのだろうか。
 寂しい気持ちになって、それを押し殺してジーノはチェザに笑いかける。そして、足早に食料を調達に向かった。
 本陣の配給の列に紛れて、パンと干し肉、水を手に入れることができた。自分用のパンに齧り付いて、チェザの元へ帰る途中、味方の話し声が聞こえてきた。それは、割と離れたところでの会話だ。でも、ジーノは、獣人の名残で耳だけはよく聞こえる。
 彼らの話題は専らチェザの悪口だった。
 憎悪を感じさせる言葉が繰り広げられる。それは、一つのグループの話題ではなく、複数のグループでも話されていた内容だった。
 好きな人が嫌われていく。
 それも、きっとこの先、殺されてしまうくらい憎まれる。チェザは、チェザの魔術は自分では止められないから。きっと多くの者を傷つける。
 どうしたら、いいんだろう。
 立ち止まって、でも、答えは出なくて。ジーノは、聞こえてくる残酷な言葉に耳を塞いでチェザの元へ戻った。
 チェザは、動かずそこにいた。
 が、彼へと近づこうとしている者が数人おり、ジーノは駆けた。
 一人の男が、チェザへ石を投げつけた。その石で、チェザは頭から血を流す。それでも、男の怒りは収まらない。
「お前が、あいつを……!」
 チェザの暴走で、仲間を失ったのだろう。
 ジーノは、その怨みからチェザを守ろうと彼の前に割って入った。
「止めろッ」
 声を張り上げる。声の大きさに驚いて、自分たちが何をしたのか、そして、狂っているチェザがどんなに恐ろしい存在か思い出したのか、男たちは急に足を竦ませた。謝罪の言葉もなく、足をもつれさせながら、ジーノたちの前から逃げた。その後ろ姿に最後まで警戒し、姿が見えなくなるとチェザを振り返った。
「チェザ、大丈夫!?」
 小さく魔法陣を展開しているチェザに構わわず、彼の血を服の袖で拭う。先ほどの戦いで疲れているのか、ジーノが傍に居るからなのか、魔法陣はスッと消えた。
 綺麗なチェザを傷つけられて、ジーノは泣きそうだ。じわりと涙が滲む。石を投げられた当初は痛みで顔を歪ませていたが、今はいつもの無表情へと戻っている。もっと、痛み以外の感情があればいいのに。そんなことを考えたが、その心は自分が貰ってしまったのだ。自分の生と引き換えに。
 ジーノは、滲んだ涙をぐっと堪えて、チェザの傷の手当てをしなくてはと、立ち上がった。
「チェザ、薬持ってくるから、少し待ってて」
 チェザに声をかけ、ジーノは再び本陣の方へと走った。


 救護テントの場所へ向かうジーノは、獣人の名残である耳に、気になる話題を拾った。それは、ジーノがいる今の軍は、待機命令が出たということ。そして、もう一つ。王国レットルのエージェントであるエルフのプティが、王命で新たな魔術師の確保に動いているらしいとの噂だ。何でも、エリート魔術師集団を作るつもりらしい。
 男たちは口々に好き勝手語っているが、信ぴょう性は高かった。プティが抜け、交代で来た指揮官補佐が話していたのを聞いたそうだ。
「でも、何で今になって魔術師集めなんかするんダ? うちには、バケモノだけど、強い魔術師がいんダロ」「馬鹿だな。そのバケモノが手に負えなくなった時のために、集めるんだろ」
「そっか〜、お前、頭イイナ!」
「お前が馬鹿スギ!」
 魚人の男たちは、ケラケラ笑い合っている。
 ジーノはその会話にショックを受けた。バケモノという言葉。そして、その内容。
 ぎゅっと手の中にある薬瓶を握った。
 可能性がないわけではない。今回の被害も大きかった。いつか、チェザが止まらなくなったら、そうなるだろう。命の長さも、そう長くはない。
 俯いて、正面から目を逸らす。
 魚人の男たちの会話は終わらない。
「それにしても、あのバケモノどうにかならないかネ」
「怪我させられたら、たまったもんじゃナイ」
「お前、怪我どころか、下手したら死んじまうゼっ」
 笑い合う魚人たちに、ジーノはそっとその場を離れた。帰り道にも、チェザを悪く言われた。
 戦力として、命まで削って戦っているのに、事情を知らない他人の言葉は、酷くジーノを傷つける。
 石も投げられた。この先、チェザが暴走しなくなることはない。
 チェザ一人が嫌われていく。
 どうしたらいいんだろう。自分には何ができるんだろう。
 薬瓶と包帯を抱えながら、死人のジーノは一人考えた。治る気配のない自分の怪我を見て、死人だから治らないかもと他のことを思う。
 チェザが嫌われなければいいのに。
 ふと心の中で呟いた言葉に、ジーノは解決の糸口を見つけた。
「……俺が嫌われればいいんだ」
 チェザがこれ以上嫌われないように。憎悪の矛先を自分に向ければいい。
 心が重苦しい。でも、大好きなチェザ悪く言われたりするのは嫌なのだ。
 丸くなった爪を見る。病には強くとも、以前とは異なる。
 攻撃もできなくなってしまった自分には、こうすることでしか、チェザの役に立てないから。
 ジーノは、チェザの元へ戻った。
 治療をすると、痛みを感じたのか、チェザに突き飛ばされた。それにジーノは笑う。
 この先を考えると息もできないくらい重苦しい。でも、チェザの役に立てるならこの上なく嬉しく思ったし、誰にもこの役を譲らないと歪んだ独占欲が生まれた。
 翌朝、リーヴル国内の最寄りの市場へ出かけたジーノは、目的の物を揃えて昼過ぎにチェザの元へ戻って来た。
 ジーノは、チェザが纏う魔術師の象徴である黒のマントを脱がす。
 感情のない瞳に自分が映っていて、ジーノは大丈夫だよと笑う。そして、ごめんねとチェザの首に、家畜用として売られていた首輪を取り付けた。首輪からは、長い鎖が伸びている。ジーノの自身は、チェザの黒いマントを頭から覆った。長さは適当なブローチで調整した。
 ジーノは、チェザから伸びる鎖を掴む。それはまるで、主従のようだ。
 待機命令が解除された。次のリーヴル国の戦争に、魔術師のチェザを投入することに決めたようだ。プティとも合流した。プティは新たな魔術師を3人連れて戻ってきた。ジーノはその新しい魔術師たちを見て、少なからずショックだったが、いつか、遠くない未来を思うと、それまでを二人で居ようと思える。
 プティは、二人の格好を見て、ジーノの決意に「それでいいんだな」と悲しそうな瞳で尋ねてきた。
 もう、決めたことだ。
「うん。俺はチェザの傍に居る」
「そうか」
 決意を示すと、プティが呪文を唱えた。ジーノとチェザをふわりとベールが包む。
「お前たちを繋げる呪いだ」
「プティも魔法が使えるの?」
「俺はこれでもエルフだからな。少しくらいはできる」
 お前らに加護があらんことを。
 二人の先に、プティは悲しい瞳で笑った。
 程なくして、ジーノたちは戦場へ移動となった。

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