「……なんであんたがここにいるの? 今後近づくなって言われてたでしょ」
「生憎とこれは鶴見中尉殿のご判断でね」

 鶴見さんの? と眉を顰める。宇佐美上等兵は九重怜子に近づくな、というのも、そもそもは鶴見さんの命令だったはずだ。偶然(なのかはわからないが、それを知るのは本人のみである)私と鉢合わせ、危害を加えたにも関わらず、今度は仲直りとばかりにこの男を送り込んできた。二階堂兄弟から仕入れた話によれば、どうも宇佐美は鶴見さんに心酔しているらしく、ゆえに「接触するな」という命令が出ていたようだ。手をあげる可能性があるから、と。だからあのような行動に出たのも、鶴見さんの関心を買う私が気に入らなかったからだろう。心底面倒臭いし、聞くに二階堂兄弟よりも血の気が多いらしいので、やはり鶴見さんの意図は読めない。私に恐怖を植えつけて良いように動かしたいのかとも思ったが、結局のところ何を考えているのかは定かではなかった。

 しかし、と彼を見上げる。ファーストコンタクトでは憎悪に染まった目でこちらを見ていたというのに、今やその気配もない。一体彼の中で何があったのか、それとも敵意を隠しているだけか……今更隠す意味もよくわからないが、やはり鶴見さんの命令だからだろうか。もしくは、その憎悪を払拭するだけの何かが起きた、とか。

 何にしても、あまり関わりたくない人物には変わらなかった。害されるかもしれない、というのもそうだが……私に微笑む、よく似た男と比較して、落胆してしまうからだ。尾形上等兵に対しても、きっと同じことを思うだろう。

「今日は鶴見中尉殿からお使いを頼まれている」
「鶴見さんから?」
「その格好でいるなら鶴見中尉殿、と呼べ。そもそもお前、なんで着物じゃなくて軍服着てるの」

 宇佐美は呆れたように私をじろりと一瞥した。これくらいしか着方のわかるものがなかったため、鶴見さん……鶴見中尉殿のご厚意で支給してもらっている。
 そんなことを説明するのも面倒なので「楽だから」とだけ答えると、別に興味もなかったらしく「へえ」とさもどうでも良さそうな返答を寄越した。

「まあなんでもいいか。ホラこれ被れよ」

 サイドテーブルに置きっぱなしの軍帽を手に取った宇佐美が、それを乱暴に私の頭に被せる。その力強さによろめいて踏ん張ると、「貧弱」と鼻で笑われた。

「骨なんて簡単に折れそうだね」

 そう言って私の腕のあたりを見つめるので、思わず宇佐美に掴まれた箇所をさすった。まだ、痣は色濃く残っている。

 宇佐美は私の顔に視線を戻すと、首を傾げて暫し無言で見下ろしていた。じっと見つめられる居心地の悪さに顔を顰めていると、宇佐美は不可解なことを言いはじめる。

「怒った顔、みせろよ」
「……前も言ってたけどなんなのそれ」
「だって――お前の怒った顔は、随分と……。いや、これは別に言わなくても良いな。癇(カン)に障る」
「?」
「とにかく気に入ったんだ」
「はあ……?」
「だからお前には苛々するけど、あの顔に免じて許してやる」

 なんだそのめちゃくちゃな理論は、と戦慄する。怒った顔が気に入った? 普通は笑顔とかでは? それに、だから許すって、どれだけ上から目線なんだろうか。正直何ひとつ理解できない男だが、ここで反感を買うのも、と反論することはやめた。理解できない相手を無理に分かろうとする必要もないだろう。

 別人だ。別人なのだ。私の知る男ではない。
 「やって」と言われて、やってあげたいと思うのは……この男ではないのだ。

 僅かにを頭(かぶり)ふって、思考を切り替える。考えたとてどうしようもないことなのだ。

「やれって言われて出来るものでもないから。それより、どこに行くの?」

 鶴見中尉殿の言いつけなんでしょ、と言えば、あからさまにつまらなさそうな表情を浮かべていたのがぱっと華やいだ。「そうそう、お使いに行くんだった」と、うふふと笑いつつ宇佐美は病室を出ていく。眠ったままの尾形上等兵をちらりと横目で見つつ、同じく病室を後にした。

 そうして案内されたのは、甘味処である。

「お使いって、中尉殿のおやつなんだ……」
「僕らも食べてきていいって。お前みたいな女にも甘味を分けてくださるなんて、中尉殿は懐の深いお方だろ?」
「一言余計なんだけど。……一緒に食べるなら三島さんか月島軍曹が良かったな」
「僕だってお前とじゃなくて中尉殿とご一緒したかったよ」
「お互い様だね」
「そうだね」

 嫌味をぶつけて笑い合いながら、空いた席に着く。
 慣れた様子で宇佐美が店員さんと話すのを横目に、店内をぐるりと見まわした。分かっていたことだし、兵舎と軍病院での往復で散々目にしたことではあるが、店内ですら和装の人間でいっぱいだ。気が滅入りそうになる。
 あまりマイナス方向へ考えるのは良くない、と一つ溜息をついて、目の前に運ばれてきたみたらし団子に口をつけた。

「! 香ばしくておいしい。焼き目がしっかりついてる」
「鶴見中尉殿御用達のお店だからね。美味くないはずがない」
「何本でも食べれちゃいそう。……時重と百之助にも食べさせてあげたいなぁ」

 思わずそう溢して、会えない事実に気持ちが落ち込みそうになる。こういうのは、考えない方がいいのだろう。帰るのがいつになるのかを考えると寂しさで苦しくなってしまう。だから出来るだけ家族のことは考えないようにしていた……が。幼馴染たちに関しては同じような顔触れがいるために、考えないことができなかった。まあ逆に言えば、彼らがいるおかげで家族のことはあまり考えなくて済んでいるわけだが。思い浮かぶのは幼馴染たちのことばかりだ。

 なんとなしに団子を眺めていると、ふいにじっと見つめられていることに気づき、顔を上げる。

「……なに? 食べづらいんだけど」
「自分の名前を呼ばれてるみたいだ」

 ああ、と頷く。私にはそんなつもりはないが――彼にしてみれば、自分と同じ名前を呼ばれているのだから当然といえば当然だ。

「あんたのことは宇佐美上等兵って呼ぶよ。時重とは呼ばないから、そう言ったら幼馴染のことと思っていいよ」
「ふーん。……トキシゲはさあ、どんな奴なの? 僕と顔も似てるんだろ?」
「どんなやつ……優しいよ、すごく。ちょっと過保護なくらい」
「へえ」

 ものすごく興味がなさそうである。だったら最初から聞くなとも思ったが、この男は案外お喋りらしい。そう悟ったのは、鶴見中尉殿の話を延々と聞かされ続けたからだった。
 あの人がどれほど素晴らしいのかを小一時間ほど説かれて(お前にはわからないだろうなと嫌味もセットで)、「そうなんだ」「そうだね」と適当に相槌をうつ。

「お前はもう少し鶴見中尉殿に感謝した方がいい。あの人のお陰で男まみれの兵舎で何事もなく過ごせてるんだ」

 それはそうだ、と私は素直に頷いて、団子を頬張った。兵舎に移ると聞かされた際、男しかいないと知って貞操の危機を感じた私は鶴見中尉殿に不安をこぼしたことがある。それに対しての返答は「君を害するような真似はさせないさ」。当初は他人事と思って、と不安感は拭えなかったが……今日に至るまで、そういった身の危険は感じたことがない。何かしらの根回しをしているのだろう。
 そうして生まれるのは「この人なら私を守ってくれる」という信用と、「なぜここまで心を砕いてくれる?」という疑問だ。見ず知らずの小娘に、初めからずっと優しすぎる。それもスパイの疑いをかけている相手に対して、だ。子供扱いともまた少し違う。なんというか、あまりにも慣れた態度というか。そう、あの人が私に接する態度は、まるで旧知の仲のような――。

 思考の海に沈みかけたところで、「オイ、ちょっと」と声をかけられ、現実に引き戻される。

「口元タレついてる」

 伸びてきた手が、ぐっと私の口元を拭う。そしてそのまま、親指についたタレを口に含んだ。

「ああ、ごめん」
「……恥じらいとかないのお前」
「時重がよくやる。顔が似てるからあんまり違和感なかったなぁ」

 やはり、ふと気を抜いた瞬間は時重といるような気持ちになる。行動や仕草が重なれば重なるほど、どうしたって彼に見えてしまう。

 それがどれほど安心感を与えて、どれほど落胆させるのか――目の前の男には、知る由もないだろう。

 男の顔がわずかに歪む。

「僕の中にトキシゲを見るのはやめろ。不愉快だ」
「うるさいな、仕方ないでしょ。別人と思ってても頭が騙されたりするの。あんた見てると時重思い出しちゃうの。不愉快だって思うなら無駄話はしなくていいし、黙ってていいよ」
「ハァ〜? お前に指図されるのも不愉快!」
「め、めんどくさ……」

 不満を口にすることすら面倒で、最後のお団子をぱくりと口に含んだ。まだ何か文句を言っていたが、溜息と共にそれを聞き流し、お茶に口をつける。
 そうしてしばらくはぽつりぽつりと己のことを話したり、彼の話を聞いたり、ささやかな諍いを起こしたりと存外穏やかな時間を過ごした。あの殺意はなんだったのだろうと思う程度には、敵愾心を感じることはなかった。

「そろそろ中尉殿にお届けしなくては!」
「ごちそうさまでした」

 お店を出て、兵舎へと向かう道を歩いていると、険しい顔をした人々が一定の方向から流れてきた。切羽詰まった様子を見かねた宇佐美が数人に声をかけると、口々に震えながら教えてくれる。なんでも爆発だか銃撃戦だかが起きたとか。
 思わず隣にいる男の腕を掴み、身体を寄せる。

「ねえ宇佐美上等兵、この辺は……っていうか兵舎の近くか。よく爆発するの? 殺し合いになるの?」
「お前これ、トキシゲに対する距離の詰め方だろ絶対……ってそんなわけないだろ。よく爆発して殺し合うとかどれだけ物騒な町だよ」

 さっさとお守りを終わらせないと、と呟いた宇佐美が歩き出すので、「状況を確認しにいくの?」と問えば、「お前みたいな弱っちいの連れて行けるわけないでしょ」と呆れられてしまった。とりあえず私を兵舎に届けて、それから向かうとのことだった。

「――宇佐美上等兵殿!」
「三島か。どうした?」

 兵舎に入る直前、三島さんに呼び止められて顔を見合わせる。私は今日はこのまま尾形上等兵のいる病院に、と鶴見中尉殿から伝言だそうだ。
 一体なぜ、と思いつつ、何やら宇佐美に耳打ちをした三島さんとそれを受けて頷く宇佐美に、恐らく先ほどの爆発銃撃騒ぎのことだろうと異様な興奮に包まれた町中を思い浮かべる。

 話し終えた宇佐美が、こちらを見遣った。

「団子は僕が中尉殿にお渡しするから、お前は三島と百之助のところに向かうように。物騒な騒ぎもあったことだし、軍病院からは出るなよ」
「わかった」

 宇佐美の言葉に素直に頷いて、三島さんと共に病院へと進み始める。爆発や銃撃というくらいだから、かなりの規模の騒ぎ……というか事件だったのだろう。すれ違う軍人は皆慌ただしく動いている。

 兵舎が焼け落ちた、と聞かされたのは、翌日のことであった。