お人形はお終い
「あの人、本当に人間っぽくなりましたよね」
ほとんど呟くような問いかけに、朝餉をかき込んでいる二人は「まあな」「そうアルナ」と似たような反応を返した。
先程玄関前で会った、下の階であくせくと働く少女を思い浮かべる。彼女と初めて顔を合わせたのはもう一年は前になるだろうか。第一印象は「人形」だった。会話をすることは殆どなく、表情は能面かと見まごうほど動かない。たまさんよりも、絡繰よりも機械じみた人間がいるのかと驚愕したものだ。
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「先月分の家賃はチャラにしてやる、その子にここでの日常ってヤツを教えてやっておくれ」
まずは遊ぶことを覚えなきゃね、と煙を吹かしたお登勢さんに、前にも似たような依頼があったなと思いつつ、滞納した家賃が少しでも無くなるならと僕らは喜んで引き受けた。同時に難題でもあると感じたのは、見ての通り。あまりにも彼女という人間が、わからなかったからだ。
店から出たは良いものの、何をすればいいのか、はたまたどこへ連れていけばいいのかと大いに揉めた。その間、ただただぼうっと周りを眺めているのも、かぶき町においての彼女の異質さを浮き上がらせている原因なのだろう。
「ここは敢えてパチスロに行ってみるべきだと思うね銀さんは」
「敢えてって何だよ! それアンタが行きたいだけだろーが!!」
「乾物屋に行くネ! 酢昆布買いたいアル!」
「それただ買い物付き合わせてるだけェェ!」
「ったく、メンド臭ェな。つーかよォ、綴っつったっけ? 遊び方がわかんねェとかなんとかって聞いたけどよ、自分のしたいことなら何だっていいんだぜ。行ってみたいところとか知りたいこととか、なんかねーの?」
ようやく真面目な顔になった銀さんの問いかけに、僅かに表情が動いた、かと思えば――
「……美味しいスイーツが食べたいです」
今までの能面が嘘のように、彼女ははにかみ、笑った。
なんだ、普通に笑えるじゃないか。神楽ちゃんと二人ホッとして綴さんを見つめる中、銀さんだけは怪訝そうな表情を浮かべていた。
「わぁ、美味しそうですね」
かぶき町の中でも若い女性が好みそうなカフェを何軒かピックアップして、その中で綴さんが選んだのはふわふわのパンケーキが名物のお洒落なお店だった。最初の印象とは打って変わり、年頃の女性らしさのある普通の人に見えた。――けれど何故だろう、こんなにも違和感があるのは。きっと通りすがりの他人であれば町にいる普通の人となんら変わりないのに、近くにいればこそ感じる居心地の悪さ。
銀さんは相変わらず注意深く彼女を観察していた。恐らく初めから気付いていたのだろう、この妙な異質さに。
カフェの次は雑貨屋、その次は呉服店。普通に笑い、喜び、楽しそうにしている綴さんを見ていて気が付いた。こうしてただの女の子に見えるからおかしいのだろう、と。
日も暮れ、足は自然と帰る場所へと向かっていく。正直、お登勢さんからの依頼を達成できた気がしなかった。いや、遊びに連れていくという意味では完遂出来たのかもしれないが、そこに含まれる意味が分からないほど鈍くないのだ。
「今日はありがとうございました、とても楽しかったです」
そう言って頭を下げる綴さんに、神楽ちゃんと顔を見合わせる。どうやら考えていることは同じらしい。これで終わって良いものかと思考を巡らせていると、銀さんが一歩前へ出た。
「楽しかったってこたァねーだろ」
「……」
「お前、一体誰の振りして一日過ごしてたんだ? 誰を真似して楽しい振りしてた?」
銀さんの言葉を聞いて、ああ、そういうことかと腑に落ちた。
だって彼女は、出かける前までは人形のようだったから。僕らが揉めている時でさえ、周囲を見回すだけで何の反応もしなかった。……恐らくあの時に選んだのだ、道ゆく人の、誰を真似するか。
「別に行きたいところも知りたいことも無ェなら無ェでいいんだよ、そん時ァ俺らが色々連れ出して一緒に経験積んでやるさ。でもハナッから諦めて誰かを見本にテメーを偽ってちゃ、変わるモンも変わらねェだろ」
綴さんはどんどんと無表情になっていった。まるで貼り付けた仮面が剥がれ落ちていくかのように。
きっと何かしらの事情を抱えてここに流れ着いたのだろう。自分の心を見失ってしまうほどの、何かがあったのだろう。これは推測に過ぎないが、他人を観察し、自分ではない自分を作り上げてまで誰かの振りをしていたのは、その誰かに徹することを生きる手段としていたからではないだろうか。心を見失ってしまったからこそ、取り戻し方が分からずに架空の人物を演じていたのではないだろうか。彼女はきっと、彼女自身の意思に気づけないでいるのだ。
黙り込み、次第に俯いていく彼女の手は小刻みに震えていた。
「わ……わからない、今は自分が誰なのか。わからない、私らしい自由な生き方が、あの人が言っていた自由が……」
探し物が見つからず途方に暮れるその顔が、能面の裏に隠されたその顔こそが、彼女の本当の顔だった。
「そんなモン、すぐに決められることでも、すぐに出る答えでもねェだろうよ。……誰も急かしゃしねェ、ゆっくり探しな。それに探しモンなら、俺らがいくらでも協力してやるさ」
「なんせそれで家賃がチャラになるらしいからな」、と銀さんは笑った。綴さんは顔を上げ、じっと銀さんを見つめている。
「その迷子になったガキみてーな面の方が、よっぽど人間らしいじゃねーの」
ぐしゃ、と乱雑に彼女の頭を撫でた銀さんは、店の戸を開け暖簾を潜る。「帰ったぜババア」、という声が聞こえて、僕らも慌てて中へと入った。
「ただいま帰りました」
お登勢さんは彼女を一瞥し、「今までで一番いい顔になったじゃないか」と笑った。
「引き続き頼んだよ、場合によっちゃ今月分の家賃を減らしてやらなくもない」
その言葉に食いつき、その後僕らが奮闘したのは言うまでもない。
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「あんだけ協力したっつーのによォ、今じゃ家賃回収の機械になっちまってよ。人の心はどこに置いてきちまったのかね」
「いやアンタが払えるもん払わないでパチンコでスろうとしてたのが悪いんでしょ。ってか僕らの給料寄越せ!」
「そうアル! 先月分ももらってないネ!!」
ギャーギャーと騒ぎながらも思う。人形のようだった綴さんがああして笑えるようになったのは、僕らと過ごした時間が楽しかったからであれば良いと。