06


スマッシング・パンプキンズの1979を流しながら、テレビ局へ向かう。
何度聴いても色褪せない名曲だ。
この曲を聴くと走り出したくなるのは何故だろう。
キリアン・マーフィが主演を務める『オン・エッジ 19歳のカルテ』で序盤にこの曲が流れた。
ティーンエイジャーの日常を切り取った歌詞と、美しいベースラインが映画への没入感を深くさせた。
羽柴にとって音楽は気分を高揚させるものだ。
そういう意味ではギリシア的な要素が強いと言えるかもしれない。
古代ギリシアのアポロンの祭礼の中で、音楽は重要な役割を担っていた。
音楽は精神を高揚させ、また感情を抑制するもの。
羽柴の傍にはいつだって音楽があり、映画があり、それらは重要な役割を果たしてきた。
いつだって羽柴を救ってきた。
だから、テレビ局の前で「ボーダーの特集なんかするな!」と叫んでいる反ボーダーの連中の戯言だって聞き流せる。
3時5分前の到着だ。
関係者用のゲートに入るのには許可証が必要だが、羽柴は未だに貰えていなかった。
だから一般でも近付ける表の方へ回った。
今回の件で確実に認証が下りるだろう。
彼らはボーダーのロゴが入ったどデカい装甲車を前にしても怯む事なく、寧ろワラワラと集まって来た。
何人もの声が重なって正直な話、何を言っているのか上手く聞き取れない。
羽柴は端末で嵐山隊のマネージャーに到着と反ボーダーの運動会について連絡を入れて、お気に入りの曲を流した。
オアシスのデビューアルバムから堂々の1曲目、ロックン・ロール・スターだ。
羽柴が愛してやまないノエル・ギャラガーは、ファースト・アルバムに収録されているロックン・ロール・スターとリブ・フォーエバーとシガレッツ・アンド・アルコールで俺が言いたい事は殆ど書いたと言っていた。
要約すると、俺は死にたくなんかなくて、永遠に生きていたい。
煙草と酒があれば生きていける。
なんてたってロックンロールスターだし。
といった感じだ。
マンチェスターの労働者階級としての日常からなんとか這い上がろうとする姿だけでもかっこいいのに、そこから実際にスターになってしまうのだから、オアシスは、ノエルは生きる伝説だ。
デビュー前にこの曲を数人の客の前で演奏した時に「お前ら救えねえ連中だな」と罵られて、後でそいつらをメンバー全員でリンチしたなんていうエピソードもあるが、そういった破天荒な所もオアシスらしいと言える。
俺はこの街で生きている。
簡単には逃げられやしない。
一日一日があまりに早く過ぎていく。
少しは太陽の下に出て、ペースを緩めないといけない。
毎日があまりに早く過ぎていくから。
俺は輝かしいスターとして人生を生きる。
連中はそれを時間の無駄だと言い、教養を高めるべきなどと抜かすが、俺にとってそれこそ退屈な時間だ。
愛車をぶっ飛ばしてどこまでも行くぜ。
お前らは俺たちを気に掛けもしないが、この夢は現実となり、今に俺の感情さえ無視出来なくなる。
今夜、俺はロックンロールスターだ。
今夜、俺はロックンロールスターだ。
今夜、俺はロックンロールスターだ。
お前らと共に落ちぶれてたまるか。
今の自分を見てみろよ。
今夜お前ら全員俺の手の中だ。
今夜、俺はロックンロールスターだ。
今夜、俺はロックンロールスターだ。
今夜、俺はロックンロールスターだ。
たかがロックンロールだけどな。
羽柴にとって音楽は精神を高揚させ、また感情を抑制するものだ。
だからテンションが上がっているのも、怒りを鷲掴みにして地面に沈み込ませているのも、正しい反応だ。
反ボーダーの連中が何を言っていようが、羽柴にはどうでも良かった。
思想は自由であるべきだし、その自由に伴う責任を負うのは羽柴ではなく彼らだ。
でも、1つ彼らは失敗を犯した。
それは羽柴の前で装甲車に貼り付けられたロゴを、叩き殴った事だ。
羽柴は運転席のドアを開けて、外へ出た。
それだけでビクリと肩を動かした連中は、最早、羽柴の敵ですらなかった。
堂々とした足取りで、ボーダーのロゴの前に立つ。
このロゴに込められた意味を、ボーダーで働く全員の意志を、彼らは何も知らない。
何も知らないで生きてこれたのだ。
それは多分、きっと良い事なのだろう。
城戸司令が何を思い、三門のどこからでも見えるバカでかい無骨な箱を作ったのか、羽柴には分からない。
城戸司令にしか分からない。
それでも、だからこそと言うべきか、このロゴを叩く事だけは許されない行為だ。
人の思いを踏みにじるヤツにいい人間は居ない。
羽柴はボーダーのロゴの前に立つ。
ボーダー隊員としての誇りを守る為に。
答えはいつだってシンプルだ。
羽柴はそう思いながら何も言わず、ただそこに立って連中を眺めている。
何も言わない、何も反応しない。
糠に釘、暖簾に腕押し。
それが一番ラクで、一番問題が起きない解決方法だ。
それに羽柴に関係があるのは嵐山隊であって、他の有象無象ではない。
何を言ったって聞く耳を持たない、母国語すら通用しない相手はお喋りしないに限る。
って、前にも言った気がする。
赤い隊服がテレビ局から出てくるのが見えた。
それと同時に、空に黒い穴が開くのも見えてしまった。
ここで近界民の出現とは、タイミングが良いのか悪いのか。
反ボーダーの連中は手のひらを返すように羽柴に何とかしろと詰め寄る。
……あぁ、何だ、この程度か。
羽柴は本部に通信を入れながら、助手席のドアを開けて相棒を二丁手に取り、装甲車の上に立った。
本部の誰かの声が聞こえるが、それも頭の中でガンガン音が鳴っているせいでよく聞こえない。
ノエルのギターとリアムの歌声だけが羽柴の脳内を占領していた。
羽柴がトリオン兵を撃破し美味しい所を全部持っていったせいで、嵐山隊は反ボーダーの連中の相手をさせられている。
まあ、これも給料分の仕事だろう。
「こちら、羽柴。嵐山隊と合流。ついでにトリオン兵も撃破。全て事後報告になってしまい申し訳ありません」
「構わん。他に問題は?」
羽柴の通信に対応したのが、まさかの城戸司令で一瞬、背筋が伸びた。
ビックリした、マジでビックリした。
「反ボーダーの連中が現場に居ましたが、嵐山隊が対応中。特に問題はありません」
「……了解」
城戸司令の「了解」の声がいつもと若干、違ってた気がする。
気がするだけだから、何の問題もない。
羽柴はそう信じたい。
でなければ、後で呼び出しを食らう羽目になる。
最上階は嫌だ、最上階は嫌だ。
ハリー・ポッターのように心の中で呪文を唱えた。
迅なら行きなれてるだろうが、羽柴はただのB級ソロ銃手だ。
上層部が会議を行っている最上階に呼び出されるという事は、普通の隊員からすればクビか謹慎か封印措置かの3択だ。
行きたくないに決まっている。
嵐山隊の説得もあり反ボーダーの運動会はこれにて終了。
バラバラと人が散っていくのが見えた。
装甲車から飛び降りた羽柴に時枝が声をかけた。
「お疲れ様です、斎先輩。災難でしたね」
「……あぁ、うん」
羽柴の返事にキレがないのを怒っていると勘違いした木虎と佐鳥が、途端にオロオロし始めた。
「斎先輩は怒ってないよ」
「どうしてそう思う?」
羽柴は何か別の事を考えている風に、視線を合わせず時枝に聞いた。
「怒るというより落胆に近い気がしますね。ガッカリしてる」
「何故?」
「何故なら、彼らに意志がなかったから。斎先輩のお眼鏡に適う人が1人も居なかった。違いますか?」
「曲がりなりにも反ボーダーという主義を掲げている以上、彼らには大小あれど、そこに意志があったはず。で、そんな彼らが近界民を前に何をした?」
時枝は数度、瞬きをしてゆっくり口を開いた。
何が正解で何が羽柴の欲しい言葉か、時枝は思考を巡らせている。
「貴方を頼った。逃げる事をしなかった。装甲車の後ろに隠れる事も出来たのに。彼らのした事と言えば、ただ斎先輩に詰め寄る事だけ。これでは彼らが本当に反ボーダー主義なのかどうか疑わしい」
「そう。だから、この程度なのかって思ったんだよ」
「意志が脆弱すぎる、ですか?」
「そんな感じ。ガッカリ、そう、ガッカリしてる。それも、物凄く、ガッカリだ」
「斎先輩は、少し意志を尊重しすぎるきらいがありますね。人の本質を見抜くのが上手い分、思考がワイルドで、尚且つシニカルでもある」
羽柴は自分の人間性に難がある事を自覚している。
そして、自覚した上で棚に上げて言う。
時枝はそれを、こういう人間も居るんだなと笑って許してくれる事を知っているからだ。
話し相手が嵐山や木虎であれば顔を顰めるだろう話題でも、時枝はそれが貴方の面白い所ですからと羽柴に言える、言えてしまえる人間だ。
だから羽柴も時枝の事を面白いと思うし遠慮しない。
「自分の意志もなく、思考を放棄した人間なんて、与えられた情報を何の疑いもせず鵜呑みにして、肥太って食べ頃になった時に殺される屠畜場の豚と何が違う?あぁ、別に差別してる訳じゃないよ。どんな人間も平等にクソだから。でも、意志もなく思考を放棄するって事は、つまり、それって、もう人間とは呼べないだろって話」
羽柴と時枝の話に割って入る者は居なかった。
ただ、黙って2人の会話を聞いている。
ただ聞いているだけでなく、自分の中に落とし込んで考えている。
これが人間のする事だ、と羽柴は思う。
人間は考える葦であるとはよく言った物で。
地球上で最も弱いが、考える事が出来る。
なら、その考える事を捨てたら?
人間とは呼べないだろう。
「ワイルドでシニカルで、それにディックやギブスンに似てハードボイルドっぽくもある。でもね、斎先輩」
時枝はここで1度、話を区切った。
「こうも思うんです。斎先輩の言う豚は、若しかすると『動物農場』から来た豚なんじゃないかって」
「……時枝にSF小説を勧めた過去の私、今すぐその本を焼き捨てろ!そして豚はチャーシューにしちまえ!」
「『華氏451度』ですか。焚書は嫌いだったはずでは?」
羽柴にパンチを入れる事が出来てご満悦なのか、時枝は口元に笑みを零している。
飼い犬に手を噛まれた気分だ。
こんな事になるとは思っていなかったし、彼は羽柴が思っている以上に羽柴に影響を受けている。
時枝は乾いたスポンジの如く羽柴から吸収し学習している。
反撃の仕方や、反撃に使う材料が羽柴に似ているのはそのせいだ。
「むかつく。時枝なんか『時間貯蓄銀行』とか『時間監視局員』に追いかけ回されればいいのに」
「あー、『モモ』は分かりましたけど、後半のは?」
「修行が足りないな。『タイム』ってSF映画だよ。キリアン・マーフィがかっこよかった。主演はジャスティン・ティンバーレイクだったけど、キリアンの方が好き。B級っぽい雰囲気があってその辺も楽しめた」
「『ジャンパー』とか『ルーパー』みたいな?」
「それだ!めちゃくちゃ分かりやすい例え、ありがとう。雰囲気が似てる」
「なら、見てみます。面白そうだ」
羽柴は荒船と冬島隊のオペレーターを務める真木理佐や、本部開発室のチーフエンジニアを務める寺島雷蔵らを誘って、ボーダー内で勝手に映画同好会なるものを設立している。
同好会の会員は随時募集しているので、そろそろ時枝を誘ってもいいかもしれない。
羽柴は他にも東、太刀川、諏訪、冬島隊の隊長である冬島慎次を筆頭にボードゲーム部を作り上げ、現在は将棋の強い水上や、チェス好きの王子を仮部員扱いとし夜な夜な集まっては賭け事に勤しんでいる。
どちらの集会もボーダー本部非公認の活動だ。
因みに、羽柴と諏訪は読書好きという共通点もあってか読書倶楽部と称し、お互いに好きな本を紹介し合う活動も行っている。
読書倶楽部には、今のところ二宮隊の隊長である二宮匡貴や蔵内がたまに顔を覗かせたりもしている。
所属部隊や兵種は一切、関係のないただの趣味活動だが、意外なメンツと繋がりが出来たりするので割と力を入れているメンバーは多い。
成人した隊員達は酒を飲む良い機会作りだと言っていた。
嗜好品や娯楽に手を出す隊員が多いのは、そこに一般的な日常があり安心するからだと羽柴は思っている。
これが嗜好品や娯楽の範囲に留まっているから誰も問題視しないだけであって、その関係性は帰還兵とドラッグによく似ている。
依存先を1つ間違えるだけで人間は簡単に壊れる。
ボーダー内で精神を病んだ人間に対して、最終手段に記憶封印措置というものがある。
なかった事にしてしまえる技術をボーダーは持っているが。
そこにも薄ら寒い何かを感じざるを得ない。
ベトナム戦争でアメリカが得た教訓の一つは「人間をかなり部品らしくする方法は確立したが、部品を人間に戻す方法はよく分からなかった」という事で、未だに人間を完全に部品にする方法も、部品を完全に人間に戻す方法も見つかっていない。
トリオンという目に見えない未知の力を除けば。
戦争とは人間が参加しうる最も恐ろしく最もトラウマ的な行為の1つであり、ある程度の期間それに参加すると、98%もの人間が精神に変調を来す環境、それが戦争だ。
そして、例え部品にされても、狂気に追い込まれない2%の人間は、戦場に来る前に既に正常ではない。
即ち、生まれついての攻撃的社会病質者らしいという。
第二次世界大戦で米兵の発砲率は15〜20%、ベトナム戦争では90〜95%と言われている。
その理由は単純で、射撃訓練の標的を「人」型にしただけ。
ただ、それだけ。
人は人を殺したくないと思う。
だから思う前に撃つ訓練を繰り返す。
「人」が見えたら撃つ。
見たら条件反射で撃つ。
その訓練を繰り返す。
単純なだけに恐ろしいと思う。
それが「人殺し」の心理学だ。
では、羽柴を含めた戦闘員達が普段やっている事は?
その疑問に、確固たる回答は用意されていない。
狡い大人はきっと、こう答える。
ボーダーは三門市を守る為の民間軍事組織ではあるが軍そのものではない。
我々は政治的な事を考える立場にはない。
それは政治家や民間人が考えればいい。
我々は最高責任者である城戸正宗最高司令官の命令に従い、その通りに動くだけだ、と。


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