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 本部到着後、嵐山隊と別れた羽柴は換装を解いて喫煙所へ向かった。ボーダー本部内では大抵の隊員が換装しているが、羽柴は基本的に用事がない限り生身で居る事に重きを置いている。トリオン体は便利だが羽柴にとってそれは戦闘服の扱いだ。戦場で用いる服装であり、日常生活を送るのには相応しくない。スイッチの切り替えという意味でも、生身とトリオン体を使い分けている。
 事務室や資料室ばかりの並んだ普段あまり人が出入りしないこの階は、他のどんな場所より静かだ。奥の角にある喫煙所は誰かが入室しない限り電気は点いていないのだが、何故か今日は明るかった。

「……うわ、めんど」

 ポケットの中で転がしていたオイルライターの蓋をカチンと音を立てて閉めた。舌打ちをして喫煙所に入ると、中に外務・営業部の唐沢克己が煙草を咥えながらだらしなく床に座り込んでいた。

「……あぁ、悪いね」

 そう口では言うものの、立ち上がったりはしなかったので羽柴も隣に座り足を伸ばした。ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつけた。唐沢は横目で羽柴の持っている金のライターを眺めている。『コンスタンティン』で主人公のジョン・コンスタンティンが使っていたライターのレプリカだ。スーツ姿で煙草を吸うキアヌ・リーブスに一目惚れして次の日には買っていた。勢いはあるが、後悔はない。
 表面には聖ベネディクトのメダイが刻印されている。聖ベネディクトは西方の修道生活の祖として約1500年前に活躍した有名な聖人だ。「ベネディクト」という言葉には「祝福の人」という意味が込められている。彼は生涯、多くの人を祝福し人々の心から悪霊を追い払った。表面中央には聖なる十字架と、会則などを記した書を手にされている聖ベネディクトの御姿が刻まれている。聖人の向かって左下には聖ベネディクトがかつて奇跡的に回避した毒入り葡萄酒の杯があり、そこから蛇が逃げ出している。右下には毒入りパンを取り去ったカラスの姿。裏面には魔除けの呪文が四方八方に並んでいる。刻印された言葉にはそれぞれ意味がある。

C S P B
CRUX SANCTI PATRIS BENEDICTI
「聖なる師父ベネディクトの十字架」

C S S M L
CRUX SACRA SIT MIHI LUX
「聖なる十字架が我が光であるように」

N D S M D
NON DRACO SIT MIHI DUX
「竜(悪魔)が我が導き手となることが決して無きように」

V R S N S M V
VADE RETRO SATANA.
NUNQUAM SUADE MIHI VANA
「退け悪魔。虚しき事で我を誘うな」

S M Q L I V B
SUNT MALA QUAE LIBAS.
IPSE VENENA BIBAS
「汝が我に与うるは悪し物なり。汝自身が毒を飲め」

EIUS IN OBITU NRO PRAESENTIA MUNIAMUR
「彼(聖ベネディクト)の臨在により、臨終に際して我らが強められんことを」

 カトリックにおいて、聖ベネディクトのアクセサリーは、古くから伝染病・毒・嵐・悪魔祓いなど魔よけ用のクロスとして大切にされてきた。天主と聖ベネディクトの御祝福を呼ぶためにアクセサリーにして身に付ける事も多いらしい。

「素敵なライターだ」
「私達を誘惑に陥らせず、悪からお救い下さい。アーメン」

 白い息を吐き出しながら羽柴は十字を切り、主の祈りを口にした。

「罰当たりだな。地獄に堕ちるんじゃないか?」
「地獄かぁ。天国には誰が居ます?」
「……エド・シーランとか?」
「エド・シーランと永遠の関係を築ける気がしない。病める時も健やかなる時も、いついかなる時もシェイプ、オブ、ユー。でも地獄にはイアンもシドもカートも居る。地獄の方が魅力的です」

 死んで地獄に堕ちたらジョイ・ディヴィジョンとセックス・ピストルズとニルヴァーナのライブを見よう。今、決めた。米津玄師がイアンもカートも昔の人よと歌っていたが、羽柴からしてみればずっと憧れの人で、今でも心の中で生き続けている。
 だから「うるせぇな。そんな事くらい知ってるよ。それでも好きなんだから仕方ないだろ」とジョイ・ディヴィジョンのTシャツを着て言うしかない。ジョイ・ディヴィジョンのアンノウン・プレジャーズがプリントされたTシャツは何枚あってもいいと本気で思っている羽柴は、見つける度に買ってしまう。既に5枚は持っている。長袖だったり、半袖だったり、パーカーだったり。自分でもアホだと思うが、辞められない悪癖の1つだ。
 持っている服の大半がバンドTシャツなのは、ある種の宣言の様なものだ。自分の好きな物は一体、何なのか。何を信じているのか。誰かが羽柴を判断する時に真っ先に目に入る情報として、バンドTシャツは1番手っ取り早い。
 羽柴の言葉が余程、面白かったのか唐沢は口元に笑みを浮かべて笑った。

「君は神を信じる?」
「まさか。不可知論者ですよ」
「俺と同じだ。いいね、気に入った」
「弁証法神学の話でもした方がいい?」
「神学論争は退屈だろ。そんなに好きじゃない。君はどう思う?」
「伝説(レジェンド)は自分で作ってこそ価値がある」
「最高だな。君は地獄より魅力があるよ。10歳若ければデートに誘ってるんだが」
「人間関係に年齢は必要ないですよ。今でも誘ってくれていいのに。お互いそんな時間があればだけど」

 羽柴と唐沢は同時に煙を吐いた。煙草は吸う嗜好品ではなく、吐く嗜好品だと思っている。嫌な気分を白く染めて吐き出す。代わりに肺が黒くなるが、肉眼で確認出来ないのでなかった事にしている。とことん自分勝手を極めるのが羽柴だ。地獄行きは決定しているようなものだから、好きに生きて笑って死んでやろう。今のところは、いい感じだ。
 羽柴にはクラッシュして燃え尽きた経験はないが『トップガン』でトム・クルーズ演じるマーベリックのセリフを頭に思い浮かべながら、3本目の煙草に手を伸ばした。唐沢はきっと4本目か、5本目になる。
 羽柴にしろ唐沢にしろヘビースモーカーではなく、チェーンスモーカーだ。1度吸い始めたら中々、手が止まらなくなる。ヘビースモーカーの全てがチェーンスモーカーではないが、チェーンスモーカーの全てはヘビースモーカーと言える。

「これを吸い終わったら、仕事に戻るよ」
「私もそうします」

 30分にも満たない逢瀬は直ぐに終わりを迎えた。羽柴は出ていく唐沢の腕を引っ張りキスをした。

「ここだけの秘密に。アーメン」
「……若いって恐ろしいな」

 三門市良い男ランキング2位の唐沢は特に動揺する事なく、喫煙所を出ていった。その足取りはどことなく軽かった。


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