08


 喫煙所を出た羽柴は行くあてもなく、フラフラと歩いていた。生駒隊を迎えに行くまで、まだかなりの時間がある。ロビー前の受付を担当している事務員は何かと耳聡く、隊員達のあんな話やこんな話を羽柴に聞かせた。一通り話して満足したのか羽柴の肩を叩き、また別の隊員に同じ話をし始める。こうしてボーダーこそこそ噂話は広がっていくのだ。それを眺めながら羽柴は愉快な人だと思った。ボーダーのトレンドを知りたいなら広報に顔を出せばいいが、あんな話やこんな話は受付の事務員が1番面白おかしく話してくれる。それを聞くのも羽柴にとって娯楽の1つだ。ラウンジで働いている人と仲良くなると新メニューの情報をいち早く手に入れられるし、誰に何を聞けば何を教えて貰えるか羽柴はよく知っていた。羽柴を前にすると相手はつい、うっかり口を滑らせる。ように仕向けてきた。とも言えるかもしれない。
 ラウンジでコーヒーを買い、空いている席に座った。着ていたMA-1のジャケットを脱ぎ、ポケットに突っ込んでいた古本を取り出した。ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』だ。
 無実の罪で殺し屋と警察の双方に追われる実業家を護送する腕利きのドライバーとガンマンのコンビが、タイムリミットに追われる苦闘を描いたハードボイルド作品だ。彼等が乗っている車がシトロエンというのも羽柴的にポイントが高い。シトロエンの中でも羽柴が好きなのはDS21だ。映画『裏切りのサーカス』や、『サムライ』また『個人生活』ではアラン・ドロンと共に登場してきた名車の1つだ。小説の表紙は四隅がボロボロになりすぎたので、持ち運ぶ時はカバーを取り外している。初めの頃はカバーをセロテープで補強していたがセロテープと紙の境目辺りが薄くなったので、それも辞めてしまった。暫くの間、物語に没頭していた羽柴は向かい側の席に誰かが座った事に気付かなかった。ページを捲る際に視線が少し上がって、その時に初めて気付いたのだ。

「……やぁ、ジーン」
「や、羽柴ちゃん」
「元気にしてる?」
「まあね」
「デートは上手くいった?」
「まあまあって所かな。あの人、おれを全然エスコートしてくれなくってさ」
「相手が違えば対応も変わるよ」
「……そうかな」
「私には優しい」
「へぇ」

 言いたい事がありますよ、という風に迅は羽柴の前から動かない。腹を括れ、羽柴斎。どうせ退屈な話だろうが、迅にとっては大切なのかもしれない。羽柴が話を聞く体制をとったのを見て、迅は「あのさぁ」と話し始める。

「おれは多分、自分で思ってる以上に心の狭い人間なんだよ」

 温くなったコーヒーは味が悪く羽柴は顔を顰めたが、迅はそれを気にせず口を動かすのに精を出している。

「唐沢さんの確定された未来を見たよ。……もう過去の話だけど。唐沢さん、羽柴ちゃんとキスしてたんだよ。……してたって言うか、されてたって言うか」

 ラウンジには雑音が溢れており、2人の会話を気にする誰かは居なかった。もし、ここにA級3位風間隊の菊地原士郎が居れば「最悪」とでも呟いていたかもしれない。彼には強化聴覚という副作用がある。ウルトラマンのように「1km先に落ちた針の音が聞こえる」といった超人的なものではないが、それでも常人の5〜6倍程度の聴力を持っている。彼なら2人の会話くらい、簡単に聞こえただろう。

「夢にしては悪趣味すぎるだろ。まあ、夢じゃなくて副作用なんだけどさ」

 心の狭い人間だから、羽柴にキスされた唐沢に嫉妬して気が狂いそう。とでも言いたいのか。キス1つでここまで余裕がなくなる男を見て、羽柴は目の前に座っている人物が本当に迅なのか疑わしく思えた。迅悠一という人間は、こんなにも人間らしい生き物だっただろうか。常に余裕があってヘラヘラしていて、時には副作用のせいで弱る事もあるが暫くすれは元に戻る、ぼんち揚げ好きのセクハラ男ではなかったか。

「とんだ副作用だよ。好きな女の子がおれじゃない男とキスしてるのを見なきゃなんないんだからさ」

 羽柴の脳内には、迅が泣きそうな顔でザ・キラーズのミスター・ブライトサイドを熱唱しているシーンが見えた。好きだった曲が嫌いになりそうだ。どうしろって言うんだ。

「ところで、羽柴ちゃん」
「……何かな、ジーン」
「恋人を作る予定とかある?」
「今のところ無い」
「おれだって分かってるつもりだよ。羽柴ちゃんは束縛が嫌いだし、おれは羽柴ちゃんの恋人じゃないから誰ともキスするななんて言えないし、それでもさぁ、どうしようもないんだよ。分かる?」
「分から、分かりたくないかな」
「特別扱いしてくれるんじゃなかったの?」

 おい、調子に乗るなよセクハラ魔神。羽柴は小さく迅を睨んだが、そんな事をしても今の彼には何の意味もなかった。

「それとこれは別だよ、ジーン」
「……初恋は実らないって、セオリーなんだな」
「ロミオとジュリエットも死んだし」
「おれが死んだら羽柴ちゃんも死んでくれんの!?違うでしょ!」
「そんな大声出さなくても聞こえてる」
「ごめん。……なんで、おれが、謝ってんの?」

 迅は羽柴を睨み、羽柴は肩を竦めた。そんな羽柴を前に迅は大きくため息を吐いた。

「いいよ、もう。何もかも許してあげる」
「そんな立場に居ないだろ」
「いずれはそんな立場に立ってる。おれの副作用がそう言ってる」

 迅のこのセリフは今までボーダーに多大なる良い影響を齎してきたが、今回のはただのハッタリだろう。自分が弱い立場に居る時、相手に勝つには向こうよりデカい銃を出すか、ハッタリをかます。ナイフが相手なら銃を、銃が相手なら砲弾を。何も持っていなければ嘘とハッタリを。迅の場合、100パーセントの嘘という訳ではないだろうが、羽柴にハッタリないしは鎌を仕掛けているのは確かだ。羽柴は未来の自分にエールを送った。今を大切にするので精一杯なんだよ、こっちは。と、言い訳がましい愚痴を心の内に留めながら。そろそろ生駒隊を迎えに行く時間になり、羽柴は席を立った。


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