さようなら - 松野一松
口先だけでモゴモゴ喋る彼が「さようなら」だけは、いやにはっきり発音する人だということを知っているのは私だけなんじゃないかと思う。
例えば、近所で可愛がってたネコがいつの間にか居なくなっていたとか。小学生の頃、仲が良かった女の子がいつの間にか遠い街へ引っ越していたとか。兄弟でよく遊びに行った駄菓子屋がいつの間にか閉店になっていたとか。
そういう、気が付いたら居なくなっていた人や物や場所を彼だけが覚えているからなのかもしれない。ファーストコンタクトで、それらが大切な存在になるかどうかなんて分からないから。気付いたらそうなってるから、だからこそ彼は初対面の人相手にも簡単に「さようなら」を言えるのだと思う。大切にしていた相手と同じ重さで。彼が「さようなら」を言う時は、いつだって今生の別れになる。
「ホントのさようならが何時なのかなんて、誰にも分かんないでしょ」
だから、彼は私に限らず全ての人に対して同じくらいの質量で「さようなら」を言う。彼は猫背気味なくせして、人より少し速いペースで歩く。その上、踵を引きずるようにして歩くものだから彼が愛用しているゴム製のスリッパはボロボロだ。地面とゴムが摩擦して鈍い音が出る。酷く耳障りな音と同じような響きで彼は「いつ誰がそういう風になるのかなんて、誰にも分かんないんだよ」と告げる。
どんな物にしろ、ファーストコンタクトで分かることなんて限られてくる。不変の物なんて存在しない。彼はその事を知っている人だ。そこに伴う痛みも。
「めんどーだよね、こういうのって」
彼はいつものような卑屈さで、ヒヒッと笑った。
「手ぇ、繋いで帰ろっか」
私は、彼が私に向かっていつか言うであろう「さようなら」に怯えるしかないのだ。
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