日曜の朝 - 月島蛍


 中学の卒業式が終わっても、僕の日常が劇的に変化する事は無かった。今までと同じように、休日は(と言っても今は高校が始まるまでの春休み期間な訳だけれど)斎の家で映画を見たり、音楽を聴きながら、思い出にもならないような話をするサンデー・モーニング。
 ルー・リードの優しい歌声が、いつもの地下室に滲む。彼女の家には何故か地下室があって、家を建てた当初は物置部屋として使っていたらしいけれど、斎が中学生になって直ぐ、この地下室を自室にしたそうだ。
 壁には時計じかけのオレンジのポスターが貼ってあり、僕はいつもマルコム・マクダウェルの青い目を見つめながら、雨に唄えばを口ずさんでいた。別に誰かを殴りたいだとか、刺して突き落としたいだとか暴力的な事を思った訳じゃない。ただ、何となく、そうするべきだと思ったからだ。
 僕は幼い頃から、斎に色々と影響を受けていたと思う。音楽、小説、写真、映画……今でこそスマートフォンがあれば簡単に手に入れられる娯楽ばかりだけれど、当時は自分の知らない素敵な世界の欠片に触れたような気がして、いつも楽しかった。
 インスタグラムもツイッターもフィルマークスもスポティファイも読書メーターもなくたって、斎が居ればそれで良かった。僕らは少し(……いや、物凄く。それも世間からはナードと呼ばれるだろう類の物ばかりの)偏った知識を身に付けながら長い時間を一緒に過ごした。4月から始まる高校生活に、何の期待も持たずに。
 斎はいつも通り、やる気のない表情(本人曰く、退屈疲れと言うらしい)でだらけていた。赤いサイコロが彼女の手の中で転がっている。サイコロでさえも、どこか気怠そうだった。

「偶数が出たらピアスを開けようと思う」

 ローテーブルにはメンズ・ファッジとポパイが置かれていた。どちらも以前、僕が買ってきたものだ。他にも、表面にヒビの入ったカセットテープのケースがレゴブロックのように組み立てられていたり、チュッパチャプスの木が生息していたりする。とにかく、色んなものが乱雑に置かれていて、その中にピアッサーが2つ転がっていた。

「いいんじゃない?」

 と僕は言った。実際、僕が言わなくても斎はそのうち自分で開けるだろうと思っていたし、そのタイミングで僕も開ければいいとさえ思っていた。確か、アインシュタインが神はサイコロを振らないと言っていたような気がするけど、彼女は神ではないから、サイコロを降っても地獄に落ちたりはしないだろう。音もなく彼女の手から滑り落ちたサイコロは、ローテーブルを過ぎ去り、テレビ台にぶつかった。4が出た。

「あー、どっちだった?」

 斎の居る場所からは見えないのだろう。僕に聞いてきた。

「僕が嘘をつく可能性は?」
「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う。コレは本当だったんだね」
「……偶数だよ、4が出た」
「そう。6が3つ揃ったら悪魔の数字だったのに」
「やり直す?サイコロが足りないけど」
「いや、辞めとく。右と左、どっちがいい?」

 正直、どっちでもいい。

「じゃあ、左に開けるよ」
「そう。なら私は右に開ける事にする」

 パッケージからピアッサーを取り出して、適当な位置に合わせた。ガシャン。耳元で響いた音は思っていたよりも大きかった。その後、穴が空いた事を実感させる鈍い痛みと違和感が、じわりと緩やかに僕の左耳で主張した。血が出る事はなかった。

「所詮この程度か」

 僕は落胆したように呟いた。ピアスを開けるという行為は、何故か、とても凄い事なんだと思っていた僕は、呆気なく終わったその儀式に少しガッカリした。斎は鼻で笑いながら「何に期待してたの?」と言った。

「さあ?」

 自分でも分からなかった。

「血の契りを交わす訳じゃ無いんだから」

 それもそうか。僕は斎の言葉に納得した。それにしても今時、血の契りがどうのなんて言う人、彼女以外に居るのだろうか。斎が立ち上がったせいで、彼女がベッド代わりにもしている年季の入ったソファはギシリと音を立てた。鏡の前に立った斎は、いつになくご機嫌だ。
 ねぇ、知ってた?君が満足したなら、僕はそれで満たされるんだよ。わざわざ言ったりしないけどね。


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