幸せの青い靴 - 月島蛍


 街路樹に寄りかかって、僕はヘッドフォンに手を添える。スーパーグラスの曲が終わって、スマッシングパンプキンズが流れ始めた。窮屈な足元を気にしながら、メロンコリーそして終りのない悲しみに耽る。左手に枯葉が触れる。僕はそれを慌てて掴むと、口の中へ放り込んでみた。僕の体の中でそれが確かに色付くと信じている。排気ガスの匂いで我に帰ると、終りのない悲しみの中で、僕は歩き出した。
 ソファに座って甘いコーヒーを飲む時、決まって彼女の肩を思い浮かべる。狭く頼りない肩幅で、自らの体温で溶けてしまいそうなそれを見る度、焦燥に駆られていた。彼女はとても消化しきれない失意を抱えていた。僕は決まって気付かないフリをする。その狭い肩幅で誤魔化せない嘘に対して、僕は気付かないフリをする。
 その日もいつも通り彼女と駅に向かった。いつからか常に行動を共にする僕らにとってそれは至極当たり前の日課で、また、日常の代名詞でもあった。手を繋ぐ事なんて滅多にない僕らは、必ず一歩分の距離をとっていた。彼女は一歩左側で目を閉じながら佇んでいた。僕は彼女の青いスニーカーと白線を見ながら、フランスの国旗を思い浮かべていた。

「ねえ」

 目を閉じながら彼女は言う。

「カカト、完全に潰れちゃった」

 背伸びをしてカカトを浮かせてみせる。青いスニーカーはスリッポンの様に、履きやすい形になっていた。

「もう、ダメだね」
「そうだね、新しいのを……」

 と言い掛けた所で電車がホームに近づいてきた。白線の内側に、というアナウンスが流れると、君は空へ踏み出した。玄関から外へ踏み出す様な、本当に軽やか足取りだった。
 線路に飛び込む人を見た。例えば「ホームに落ちた人を果敢に助ける勇気ある人々」の話は良く聞く。でもそれは当事者が他人同士であるから成し得る事じゃないか。事実、僕は何も出来なかった。ただそれが決まっていた事かの様に立ち尽くした。
 僕には彼女が視界から消えた事が理解出来なかった。けたたましいブレーキ音に体が反応した時、僕はようやく事態を理解した。そして駆け出す。どうしようもない位地球が回っているのを感じた。
 慌ててホームに降りると線路上に彼女が見えた。バラバラにならないんだ、と妙に冷静な事を考えながら走り寄る。青い靴を片方だけ履いた足をだらりと伸ばしながら、線路の上に横向きに寝そべる様に倒れていた。
 おはようと言いたい位に呆気無い倒れ方で、僕は毎朝そうしていた様に彼女を抱き起こした。どうやら意識がまだある様で、頻りに体を動かしている。衝撃で壊れた腕時計をさすっていた。僕があげた、本当に安物の腕時計。

「新しい靴」

 彼女が口を開く。今考えれば、僕はこの時に「何故こんなことを?」と聞くべきだった。

「新しい靴、買おうね」

 靴なんてどうでもいいじゃないか。僕は必死に彼女の肩を撫で続ける。何故か良く分からないが、本当に彼女の肩が溶けてしまう気がした。
 いつしか彼女の動きが止まる。壊れた時計を触る腕は動かない。深く呼吸をする。どうしようもない位地球が回っているのを感じた。
 僕は脱げた片方の靴を探し出すと、それを彼女の足にカカトを踏まず履かせた。まだ履けるという事を証明してやりたかった。そしてまた彼女を抱き起こすと肩に歯を立て、溶けて無くなる前に、それを食べた。
 終りのない悲しみが終わる頃に家に着いた。ソファーに腰掛け、コーヒーをすすり、彼女の靴を履いてみる。窮屈で仕方ないが、カカトを踏まずに履ける度に僕は安心している。
 最近、僕の肩が頼りなく見える事がある。それは彼女の血や肉が僕の中で生きている事に他ならないが、言い換えるなら消化仕切れない失意を背負った事になる。もしかしたら僕は今終りのない悲しみの中に居るのかも知れない。
 僕は、君は、いや、僕らはいつか、新しい靴を履けるだろうか。



スマッシング・パンプキンズ - メロンコリーそして終りのない悲しみ


- 33 -

*前次#


短編 トップページへ