鬱くしい欲求 - 英はじめ


「今日のは解剖のしがいがあったよ」

 帝都大の凄腕外科医、英はじめ。噂によれば帝都大のブラック・ジャックと呼ばれているのだとか。体力勝負な所がある外科医だからか、細身でありながら、白衣の下には引き締まった筋肉が彼の身体を鎧のように覆っている。すらりとした出で立ちに、陽の光を浴びたライ麦のような美しい金髪。その前髪から覗く灰色のような水色のような目は、どことなく海の中を悠々と泳ぐサメを彷彿とさせる。十人が見れば一人の漏れもなく十人がこの男を美しいと言うだろう。さながら、おとぎ話から抜け出てきた王子様。彼が働く病院に入院している子供、とくに女の子の初恋を尽く奪っていくだとか。だが、そんな見た目に反して、彼の性格までは王子様と呼べない事を私は知っていた。

「今頃、こんがり焼けているんだろうなぁ。フフ……」

 私の働く火葬場は、先々代辺りだったか詳しい話は忘れたが、帝都大と懇意にしている。この男、英はじめと知り合ったのも、そういう経緯があった。個人的な話をするならば、知り合いになんてなりたくなかった訳だけれども。職場が大きなスポンサーを失うのは私としても痛手であり、声を大にしては言えないのだが。

「人の肉の焼かれる匂いというのは、どうして、こうも食欲が湧くんだろうね。ねえ、君はどう思う?」
「貴方がサイコパスだからでは?」
「自分の精神状態くらい把握しているさ。私は自分が狂っている事を自覚している。これは正常な判断だ。ねえ、今から一緒に食事でもどうかな?最近だと、ランチに焼肉を食べるのが流行っているだとか」

 人の話を聞かない上に、会話が成り立たない。彼が解剖を終えた検体を焼いている、他でもない、この場所でそんな話を振ってこないで欲しい。しかも、よりによって焼肉とは。いつ入っても広々とした大きな部屋だと思う。床も壁も大理石で囲われた、無機物な大きな箱。人が肉を手放し骨となる場所。そんな場所でも、彼は朗らかに笑っている。

「まあ、焼肉は冗談として。午後から予定は入ってないだろう?人を焼く予定が」
「嫌な言い方。私以外のスタッフに、そういう事あまり言わないで下さいよ」
「おや、嫉妬かい?これでも、話す相手は選んでいるさ」

 結局、いつものように彼に振り回される羽目になった。エスコートされた先は、ランチを提供するカフェテラスの日当りのいい席だった。認知度が低いのか、私たち以外に客は居ない。向かい合って、食事をする。ひどく人間らしい行為だ。そういった、生きているを実感する瞬間は、彼には似合わないと思っていた。が、結局は彼も私と同じように、生きている人間だった。例え、相手がサイコパスでも。食後のエスプレッソを飲みながら、目の前に座っているビスクドールのような見た目の男を眺める。

「そんなに見つめられると、穴が空きそうだ」
「いっそ憎らしいほど綺麗な顔だと思って」
「ルッキズム主義という訳ではないが、美醜という観点から見れば、君だって間違いなく美を兼ね備えて生まれてきたと思うよ」
「……口説いてる?」
「勿論それもあるが、紛れもない事実だよ。私は君の事を気に入っているんだ。殺してやりたいと思うくらいには、ね」

 左手首を掴まれた。ギリギリと骨の軋む音がしそうな程、強い力だ。彼から目線を外そうとすれば、また力が強まる。サメのような目が、私を見ている。逃げられない、食われる。

「さて。さっきも言った通り、私は君を気に入っている。殺したいと思うと同時に、ここで殺してしまうのは勿体ないとも思うわけだ。矛盾しているよね。君を殺してバラすのが楽しみで仕方ないが、それをしてしまうと、もう二度と君を楽しめなくなる。それは私としても困るんだ。だから、ね……」

 君を犯す事にするよ。私は今どんな顔をしているのだろう。彼は私の反応を見て、観察し、あまつさえ支配しようとしている。頭では分かっているのに、体が正常な反応を見せないのは、防衛本能が働いているからだろうか。タクシーに連れ込まれ、ホテルへ向かった。もう逃げられない。逃げたとしても、行き着く場所は一面焼け野原で隠れる場所なんてどこにもない。もう既に、立場ははっきりしていた。彼が狩る側に立ち、私は狩られる側で足掻く事すら諦めた。流石は天才外科医とでも言えばいいのか、一流のホテルだった。きっと、初めからそのつもりだったのだろう。フロントの女性スタッフは、彼に203号室の鍵を渡しながら頬を赤く染めている。これから先、203号室が殺人事件の現場になるかもしれないのに。

「君は鎖骨のラインが美しいね」

 柔らかいベッドの上、生ぬるい彼の指先は、今にも私の首を締めようと焦らしていた。

「私の愉楽の為に、死んでくれないか?」

 彼のその言葉を最後に、私は意識を失った。気が付いた時には、既に彼は居なくなっていた。重い身体を引きずってバスルームへ向かった。鏡に映った自分の姿を見てゾッとした。腹に散らばるいくつもの赤い鬱血痕、首には彼が締めた手の痕がくっきりと残っていた。それなのに、私は彼を憎めない。ああ、そうか。彼は確かに正常だ。狂っているのは、他でもない私の方なのだから。


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