ロマネスクの続き - 夏油傑
※若干、R-18っぽい表現あります。
その晩、夏油はしこたま酒を飲んだ。それこそ、浴びるように、飲んだ。そうでもしないと、自分が何を仕出かすか分からなかったからだ。前後不覚の視界の中、布団の上に倒れ込んだ。自分は、何をやっているのだろうか。そう思わずには居られなかった。
手を伸ばした時、原稿用紙の山に指先が掠めた。ガサガサという音を立てて、山は崩れた。今や夏油は、紙の雪崩に生き埋めになった遭難者だ。自分で作った山に殺される、間の抜けた男。夏油は自分という生き物がひどく浅ましく、まだ、やせ細った鼠の方が立派に生きているようにさえ感じた。
橙色の電飾が揺れている。それと同じように、夏油の心もまた、揺れている。
彼女に、斎に、いくら嫌われても構わなかった。そんな投げやりな事さえ思い浮かんだ。しかし、それはもう仕方のない事なのかもしれない。自分の書く話は、低俗だ。品がない。その上、美しくもないのだ。これ以上、彼女をモデルに話を書くのはよそう。
自分の書く話と、現実にいる斎の、あまりの乖離に泣きたくなった。何故、あの美しい人を、美しいままに表現出来ないのだろう。ああ、それは自分の中にある欲が顔を出したからだ。そして、その欲をあまつさえ、本人にぶつけてしまうとは。
確かに、彼女は夏油の思ったような反応をしなかった。寧ろ、夏油のなすがままに、快楽に身を委ねていたではないか。しかし、そうさせたのは、他でもない夏油自身だ。夏油はそれが許せなかった。自分さえ我慢していれば、彼女に余計な事を言わなければ、斎はあんな表情で夏油を見つめたりしやしなかっただろう。
たった一人の、心の芯から愛したいと思った人を、自分の欲のためばかりに、汚したのだ。
「好きです。せんせい」
斎の声が、頭の中で響く。やめてくれ。私は、君にそんな風に言って貰えるような男ではないんだよ。君は、その事をこれっぽっちも分かってやしないんだ。
酒のせいか、夏油には斎の幻覚が見えた。志乃は執筆中、夏油の私室には入ってこない。幻覚なら、自分のイマジネイションが産み落とした産物ならば、もう、何をしてもいいじゃないか。
夏油は斎を布団の上に押し倒した。ほら、見ろ。これが私だ。欲に抗えない、抗おうともしない、どうしようもない生き物なのだ。
「好きです。せんせい」
「ああ、そうだね。私も……私は、」
私はお前を犯したいのだ。いつか、どうせ汚れてしまうなら、この私が汚してやろう。いつかの未来で、知らない男に犯されたとしても、その時、思い出すのは私なのだ。
斎の艶やかな黒髪が、橙色の光に照らされている。夏油は黄金に光る川のようなそれを指で掬い、絡めた。いつもは隠されている首元や鎖骨が顕になる。しっとりと吸い付くような肌の感覚に、目眩を覚えた。焦らすように淡い無地の青を、ゆっくりと剥ぎ取った。
陽に焼けていない白い肌はどこまでも柔らかく、夏油の指と指の間を埋めていく。この白く柔らかな肌には、さぞ赤い縄が似合うのだろう。今、手元にないのが惜しいと思った。
夏油は今まで、女の裸体というものに一度も心を動かされた事はなかった。しかし、今、目の前であられもない姿で横たわっている斎に、一種の感動すら覚えた。生まれたままの姿が、これほどまでに美しい女もそう居ない。薄い身体が、呼吸の度に上下する。
「夏油せんせ……」
斎が身をくねらせて、何かを訴えようと夏油を呼ぶ。その声は甘く、夏油の脳髄を痺れさせた。彼女の眼から流れる涙を舐め取り、小さく開いた口に自らの舌をねじ込んだ。前歯から順に歯列をなぞり、互いの舌の熱い感触に溺れそうになった。
夏油と斎の重なる舌から糸を引く細い唾液が、空中でプツリと切れた。夏油は、はっとした。今、目の前にいる彼女は幻覚などではなかった。
「斎、君は……」
「先生になら、何をされても構いません。どうか、どうか捨てないで。私を先生の傍に置いてください」
斎の言葉は夏油にとって、どんな暴力よりも酷い痛みを伴った。斎の純情を弄び、支配しようとした結果、彼女にこんな事を言わせてしまった。その罪悪の中に、夏油は言いようのない背徳を見つけた。流れに身を任せるように、その背徳の先にある快楽を手に入れようと、彼女の内股に手を伸ばした。
「あ……」
指を中に押し込み、ゆっくりと上下に動かしてやると次第に粘性のある音が漏れる。羞恥と快楽を耐え忍ぶためか、斎はきつく目を瞑っている。その表情すら愛おしく思う。彼女は微かな異物感から逃げようと腰を引いたが、夏油は指を折り曲げ円を描くように中をなぞった。
「あ、せんせ……」
「痛かったら、ちゃんと言うんだよ」
指を中心へと押し進めると、斎は身体を仰け反らせて震えた。しばらくすると全身の力が抜けたが、それに反して中はぎゅうぎゅうと夏油の指を締め付ける。呆気なく昇り詰めた斎の意識は、彼女が呼吸を整えているうちに段々と薄れていった。
このまま無理を強いて犯してしまおうかとも思ったが、それは酷な事のように思えた。斎は初めて、身体の内側にある快楽を知ったのだ。今は、このままの方が良いだろう。夏油は彼女の身体を丁寧に清めてやった。寝顔があまりに無垢で泣きたくなった。
「斎、本当にすまない。どうか、君の手で私を地獄に送ってくれ」
斎の無抵抗は、無知は、穢れなき信頼心は罪になり得るだろうか。斎を汚した事よりも、斎の信頼を汚してしまった事が、夏油の心に影をさした。自分のような卑しく、他人を信用しない人間にとって、斎の無垢の信頼心は、それこそ雲一つない青空のようにすがすがしい。それが、たった一夜で、黄色い汚水に変わってしまったように思えてならないのだ。
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