湖の夢 - 槙島聖護
槙島聖護という男は、無意味な時間を嫌う、そんな男だった。睡眠中に見る夢にもそれぞれ意味があるらしい。しかし、槙島はそれをとくに信用している、という訳ではなかった。だからこそ、あの夜に見た夢は槙島自身の調子を狂わせた。
普段、槙島は夢を見るような眠り方をしない。よっぽど疲れていたのか。それも、身体的にではなく、精神的に。だからこそ、脳が覚醒しきった今でも鮮明に思い出せるあの夢の内容に、ため息を吐く他なかった。
斎は、普段とは様子の違う槙島を横目に、うつくしいよこがおだな、と、少し場違いなことを思った。
蒼白く優雅でいて打ち解けない一種神秘を感じさせるその顔は、シルクの髪に取り囲まれ、鼻は額からまっすぐに通り、口元に浮かべる笑みは、優しく神々しい真面目さがあって、ギリシア芸術最盛期の彫刻作品を想わせたし、しかもその形式の完璧にもかかわらず、そこには強く個性的な魅力もあって、斎は自然の世界にも芸術の世界にもこれほど成功した作品は見たことがないと思った。
彼女がそんなことを思っているなんて露知らず、槙島はぺらりと小説のページを捲った。その動作をみて、やっぱり今日の槙島はどこかヘンだな、と斎は思った。
「しょうご」
ぽつりと彼の名前を呼ぶが、返事はない。面倒だと思っているのか、もしくは、今は関わらないでほしいのか。なんの反応もないからには、どうすることも出来ずもう一度彼の名前を呼んだ。
「しょうご、どうしたの」
槙島は斎の呼びかけにそっと顔を上げた。そうして、斎の頭をするりと撫でて、小さく微笑んだ。
「斎は夢を見るかい?」
「電気羊の夢なら」
その返答がお気に召したのか、クスリと笑った。あぁ、やっぱり彼のよこがおはうつくしい。
槙島は手にしていた本をそっとテーブルの上に置いて、斎と向き合う形でソファに座った。こういう人間らしい仕草は、あまり彼に似合わないけれど、それを彼に言うと拗ねて後が面倒だと知っていたから、斎は口を噤んだ。
「電気羊ではなくて、湖の夢だよ」
「川の夢なら見たことがあるな。増水して、勢いが凄くてね、飲み込まれて死にかけた」
斎はヘラリと笑って答えた。
「お互い、水関係の夢にはいい思い出がないらしい」
「聖護はどんな夢を見たの?」
「大きくて綺麗な湖の中心で、体中が麻痺して動けなくなった。周りを確認しようにも、水の中だから視界が揺らいではっきり見えなくてね、どうすることも出来なかったよ」
たった一人で、湖の中で身動きが取れなくなったら……そう思うと怖くなった斎は、そっと槙島に抱き着いた。
「波はあった?」
「いや、なかったよ。酷く静かで落ち着いていた。ただ僕だけが、身動きの取れない状況に苛立っていた」
「そっか」
「あぁ。そうして、目が覚めた時、真っ先に君のことを思った」
自分一人が死んでいくなら別にどうなろうと構わない。けれど、斎に何も言わずに死んでいくのは何だか申し訳ない気がしたのだ。
「私はきっと、私が思っている以上に聖護に愛されているんだね」
槙島は斎の言ったことには答えなかった。この男はそういう酷い男なのだ。だからきっと、私をおいて死んでいく。揺らぐ視線の中、湖の中心で四肢が麻痺して、そうして一人死んでいくのだろう。
例えば、そんな世界。
もしかしたら、いつか槙島聖護さんが揺らぐ視界の中湖の中心で四肢が麻痺していたこともあったのかもしれない、例えばそんな話。
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