メシア - 迅悠一


 多分、あなたが居なくとも世界が止まるなんてことは起きない。恐らく、わたしが居なくとも誰かは今日も笑っている。わたしは産まれてからずっと他人から忘れられない為に、笑って、笑って、笑って、笑う。今はもう笑い疲れて、吐き気がする。人間には二度の死が訪れる、なんて話をどこかの誰かが話していた。一度目は肉体の死、二度目は存在の死。わたしに関わりのある人たちから忘れ去られてしまうことが、死ぬことよりも恐ろしい。狂犬みたいに誰彼構わず噛み付いて、吠えて、笑って。そうでもしなければ相手にされないと思っていた。死後数十年経った後で価値が認められた絵みたいにだけは、なりたくなかった。そう思いながらも、死後数十年経った後の為みたいに生きている、役にも立たないこんな日々も死ねば少しは綺麗に映るのかもしれない。もう息をしていても、それだけで、生きているだけで迷惑にしかならない気がして死にたくなる。優しさを貰うこととか、名前を呼んで貰うこととか、他にも色々と諦めた。四年間ずっと。いつしか名前を呼ばれるのが嫌になって、忘れられない為に積み重ねたこの四年は、結局のところ、わたしに何も齎さなかった。そればかりか、むしろマイナスの方向へ向かっている。それだけが事実で、それしかないのが嫌で、できるだけ長く首を絞めて息を止めた。死ねないし、死ねないけど、死ねないから、許されないんだろう。きっと。

「おれが、許すよ」
「今更だよ」
「それでも、許すよ」
「頑張ったんだ」
「知ってるよ。だから……」
「なに?」
「おれが殺してあげるから」
「うん」
「その日まで」
「その日まで」

 わたしがこんな風になってから、周囲の人が今更、取り繕って「信じて」なんて言ったところで、何も響いてこないけど。それでも、彼の言葉は信じて良いかもしれない。期待すれば裏切られるのは定説で、だから、多分、彼がわたしを殺す日なんて、わたしが死ぬまで来ないんだろうけど、それでも。殺してやるって、あんな顔で言わないんだよ、普通。わたし達は産まれてからずっと事実を直隠しにする為に、笑って、笑って、笑って、笑う。今はもう笑い疲れて、影で泣くだけ。それから死にたいと呟けば、案の定というか二、三人に避けられる負のループに突入。今や全世界に蔓延る独裁スイッチが押されない日はない。安易な関係を手に入れて、一生やっていけると思っていたけど、それも随分とお門違いだったらしい。

「大丈夫。あなたに言った訳じゃないから。だから、気にしないでね」
「気にしないさ、今更だし」
「うん」

 だから、気にしないでね。さようなら。誰かが一人笑う度に別の誰かが絶望している毎日で、そんなもんだなんて言って、また見殺しにするだけ。アルバムの写真を一枚ずつ壁に貼って、何度も刺して、何度も刺した。死ねないし、死ねないけど、死ねないから、それで許せたら良かったのに。記憶の中の子供に問う。ちゃんと仲良く出来てましたか?それは、あなたがよく知ってるでしょ?そうだね、そうだけど、もう、分からなくなったんだよ。ねえ、どうして、そんなに楽しそうに笑えるの?まだ間に合うかな?取り戻せるかな?

「もう、何も……」
「いらない?ほしくない?」
「分からない」
「分からない方がいい」
「そうなの?」
「その方が幸せな時もある」
「あなたは幸せ?」
「お前が生きてるから、今は幸せだな」

 弱虫は、幸福をさえ恐れるもの。綿で怪我する。幸福に傷つけられることもある。幸せを幸せだと感じることが出来なかったわたしは、できるだけ長く首を絞めて息を止めた。死ねないし、死ねないけど、死ねないから、代わりに涙が出てきて、死にたくなった。明日は笑って、無理矢理にでも笑って、何とか笑って、必死で笑って、生きていく。生きていくから、死にやしないから。

「それで、許してね」
「許すよ」
「許して欲しいの」
「いいよ」

 わたしの神様。それで、許してくれませんか?

 多分、お前が居なくとも世界が止まるなんてことは起きない。恐らく、おれが居なくとも誰かは今日も笑っている。でも、お前が今日、笑ったこと。他でもない、お前が笑ったこと。それで、おれの世界は救われたんだよ。本当さ。


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