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ニコラスは目が覚めてからも、しばらくソファに横たわったまま微動だにしなかった。頭に蜘蛛の巣が張っているような釈然としない鈍い痛みがある。二日酔いと、いつもの低気圧による偏頭痛だ。慣れた痛みを無視して、ニコラスは暖炉の上にある時計に目をやった。朝の六時を過ぎたところだった。ダンブルドアは何かの用事で居ないのか、ペットの不死鳥と共に部屋から消えていた。テーブルの上にはシャンパンのボトルとグラスの他に、ガラス製のフルーツバスケットが置いてある。昨日の夜には置いてなかったものだ。バスケットにはイチゴを初めとするベリー系のフルーツやリンゴ、それから熟れた桃がいくつか盛りつけられていた。ニコラスは、その中から桃を一つ選んだ。熟しすぎるほど熟した、皮が濃いバーガンディ色になって、中身がでろでろになっている桃だ。ニコラスは、まず人差し指を使って桃の中央にゆっくりと穴を開け、桃の中で指を小刻みに揺らして種へとトンネルを進めていった。種に指をかけ、ゆっくりと引き出す。一度では取り出せなかった。あまり力を加えすぎると、桃が割れてしまうからだ。ニコラスは注意しながら少しずつ種を動かして取り出した。夕日のような黄金色をした果汁がニコラスの胸元や腹部に飛び散った。元々、着ていないようなものだったワイシャツは、寝ている間にソファの下に落ちていた。ニコラスは天井を見つめながら両手で桃をもてあそぶ。桃の穴を指で広げながら。部屋中に熟れきった桃の甘ったるい香りが充満している。ニコラスは履いていたズボンを下着ごとずらして、桃を股ぐらへと近づけた。桃がつぶれ、こすりつけられる。ぐちゃぐちゃとした音が、ニコラスの荒い息遣いと共に部屋に響く。ニコラスは、これまでに体験したことのない感覚を得た。桃の果汁が素晴らしい潤滑油の代わりとなって、ニコラスを快楽へと責め立てる。これ以上、我慢できないギリギリまで桃を握ったニコラスの風変わりなマスターベーションは、唐突に絶頂を迎える。暖炉の火が爆ぜた。ニコラスは精液で汚れた使用済みの桃をテーブルの上に置いた。
古代中国の周の時代から、桃は同性愛と結びつけられてきた。中国語で「分桃」という言葉は男性の同性愛を指すが、その由来はとてもロマンティックだ。周の君主、霊公は、卑しい身分の家来ながら美しい弥子瑕を見初める。ある日、霊公と果樹園を散歩していた弥子瑕は、木になっていた桃をもぎ取り、一口、食べる。そして、あまりに美味なその桃を、愛する霊公に食べさせたい、と霊公に食べかけの桃を差し出した。残念ながら、月日が経ち、霊公の弥子瑕への愛が偏執的で不安定なものになると、ふたりの関係は悲劇的な終焉を迎える。詩人の阮籍が、弥子瑕の無償の愛に基づいたこの行動を詩に詠み、「分桃」という言葉が生まれた。男性君主が男性を寵愛することが悪いことでも恥ずかしいことでもなかった時代は、愛情のこもった言葉とされていたが、その後ホモフォビアが広まると、十二世紀には男娼を指す言葉として使われるようになった。桃は夏の盛りに旬を迎える。湧きたつ愛の完璧なメタファーだ。同性愛のシンボルとしても、これ以上ないだろう。桃の花は、霊公と弥子瑕の恋のように一気に開き、はかなく散る。
校長からの呼び出しに、おっかなびっくり校長室へ足を踏み入れたセドリックは、ソファに転がって眠るニコラスを見て、呼び出された理由を理解した。部屋中に香る甘い匂いに、ニコラスではないのに腹が減って仕方がない。テーブルの上に置いてあった飲みかけのシャンパングラスに口をつけて唇を濡らした。
「ニコラス、そろそろ起きなよ」
いつ見ても美しい身体だと思う。振り積もった雪のような、真っ白な肌は、たった今からセドリックが踏み荒らしていく。桃の果汁でベタつくニコラスの肌を舐めながら、いくつもキスの跡を残していく。
「朝から、刺激的だね、セドリック」
「刺激の意味は?」
「きみの全てだ」
ニコラスが寝惚けながら、のろのろとワイシャツを着ているあいだ、セドリックはテーブルの上に置いてある桃に手を伸ばした。セドリックはニコラスが桃を使って何をしていたのか聞かずとも分かっていた。セドリックはニコラスの使用済みの桃を口に頬張った。甘くて、苦くて、ぐちゃぐちゃしていて、ドロドロだった。喉が渇く。お腹が空く。もっと食べたいと思うようになる頃には、ニコラスがシャンパンを口移しで飲ませていた。
「僕と桃、どっちが気持ちよかった?」
「どっちも最高」
「いつもの部屋で一度に両方、試してみない?」
「きみほど刺激的な人、他に居ないよ」
ニコラスはシャンパンのボトルとグラスを、セドリックは熟れきった桃を持って、八階の廊下へ向かった。セドリックの提案はニコラスの想像を遥かに超えたものだった。刺激的に始まり、情熱的に激情と共に終える。ニコラスが知りもしなかったほどの快楽と焦燥のごちゃ混ぜになった感覚は、脳を、神経を、五感のすべてを麻痺させる。世界には他者しか居ない。何もかも、すべてのことはインタビューの質問を答えるようでしかない。外を歩いても光はニコラスを通り抜ける。可視光線を透過させて生きているような感覚に陥る。存在。それが何だ。ぼくは精一杯、存在してる。過去は今や、ぼくの未来の一部。現在は、もう手が届かない。それでも愛を信じている。人は生きている限り誰かを愛するべきだ。セドリックが大勢の他者の中からニコラスを選んだように。セドリックはニコラスの首筋に息を吹きかけ、ニコラスは枕を噛み締める。ニコラスは、もうセドリックなしでは生きられなくなった。だからセドリックの前で死んでしまいたいと思った。美しく暗い望みが、熱い息と共にベッドの上に吐き出された。
「きみが、いつか、ぼくを葬る。そうなればいいのに」
「僕は君を妊娠させてやりたいよ。たとえ人の形をしていなくとも」
「もし明日、世界が終わるとしたら、きみは何をする?」
「君とセックスして、桃の木に水をあげる。君の名前を呼びながら」
「喉が渇くのは、そのせい?」
「ニコラスは水よりシャンパンの方がいいみたいだけどね」
セドリックはニコラスが使った桃を食べ、ニコラスはシャンパンを飲む。身体中が汗と果汁でベタついていたが気にならなかった。
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