08
九十四年のクリスマス当日は日曜日ということもあってか、どの学年も朝から賑やかだった。夜に行われるダンスパーティの会場の飾り付けの最終チェックに追われる先生たちや、城の中を走り回るサンタクロースの格好をした生徒などを横目に、ニコラスはフラフラと歩いていた。上級生のほとんどは、ダンスパーティの準備に追われているらしかった。下級生たちも今年は家に帰らず、学校に残っている。パーティが始まるのは午後八時。一時間前に準備を終わらせるとしても、まだまだ余裕があった。渡り廊下の向こうからハリー・ポッターが歩いてくるのが見えた。
「やあ、ニコラス。あの、ダンブルドアが君を呼んでて、それで、校長室に来て欲しいって」
「ザ・ウィアード・シスターズが到着したのかもね。今から向かうよ、伝言ありがとう」
ニコラスがその場を離れようとしたとき、ハリーが呼び止めた。
「セドリックが、きみをダンスパーティに誘いたかったって言ってたんだ。ぼくは、きみのこと、よく知らないけど悪いヤツじゃないって思ってる。だから、彼を傷つけないで」
「セドリックと卒業旅行の予定を立てたんだ。ヴェネツィアに行くつもり。イタリアは愛の国だよ。愛は、ぼくらを引き裂いたりしない。ぼくは愛を信じてる。きみも新聞に書かれてるほど悪いヤツじゃない。結局、何を信じるかは自分次第だ。そう思わない?」
ハリーとセドリックが、どんな表情で、どんなニュアンスで会話していたのかニコラスは知らない。でも、セドリックが自分のせいで傷ついているというなら、これ以上に素晴らしいことはないと思った。彼が傷ついているなら、それはセドリックの中でニコラスが生きている証拠となる。ニコラスが、今まで、そうだったように。愛した相手に傷つけられることは、それは自分の中に完全に相手がいるということ。愛が、ただ温かいものだけなら、ニコラスは愛を信じなかった。ふと、リーマスのことを思い出した。戯れる指先の官能と、浮ついた「愛情ごっこ」の、むせ返る虚しさを。あれは愛ではなく恋だった。初恋だった。優しい気分になったとき、彼に逃げられた。だから裏切られたと思った。でも仕方のないことだったと、今は言える。
校長室に飾られている絵画を眺めるジョニーの横顔は、とても美しかった。彼に声をかけるのを躊躇うほどには。ニコラスは、しばらくの間、彼の横顔を眺めていた。
「ニコラス?声をかけてくれば良かったのに」
「あなたが、とても美しかったから」
「きみも、とても美しいよ」
「なら、ぼくと二人で一日中、お互いを見つめていようか」
「そうなれば世界で最も美しい景色を見つめている、世界で最も幸せな二人になれるね」
ジョニー/カーリーを初めとするザ・ウィアード・シスターズのメンバーはダンブルドア校長に、様々な魔法を見せてもらっていたらしい。
「今日は、きみの為に演奏するよ。マスコミに追われる皮肉的で悲惨な者の為にね」
「なら、ぼくは、あなたに美しいと思って貰えるように、めいいっぱい着飾るよ。だから、あなたは、ぼくだけを見てて」
時として、人と人との別れは、とてもシンプルだ。大袈裟にすると、却って嘘くさくなる。台本が用意された芝居でない場合、今日のダンスパーティを最後にニコラスとカーリー・デューク、本名をジョニー・グリーンウッドとの関係は最後になるだろうとニコラスは思った。そして、ザ・ウィアード・シスターズも、今年を最後に、きっと解散するのだろうなと思った。九十年代に入ってから、パンクはタイムパート制のアルバイトのような扱いになり、次第に消え失せたかと思えば、次に出たポスト・パンクの神は自宅のキッチンで首を吊って自殺した。これはマグルの世界で起きたことだ。そんな負の感情を吹き飛ばすかのように現れたバンドはビートルズの再来と呼ばれるほどの威力と実力を持ち、ギャラガー兄弟が率いるオアシスは英国の音楽界の先頭をフェラーリのように猛スピードで走っている。英国は今、ブリットポップ・ムーヴメントという新たなジャンルを生み出しているさ中にある。皮肉にも、アメリカのグランジの神であるニルヴァーナのカート・コバーンが自殺した後に。音楽界で最も最先端を突き走っているのは米国でなく英国だ。ザ・ウィアード・シスターズのメンバーも、それぞれレディオヘッドやパルプなど、自分のバンドの活動が忙しくなる頃だろう。ニコラスが愛した人や、ものは全て過去になる。現在は、もう手の届かない場所にあり、未来は過去と同じでコントロールが出来ない。ニコラスは、何もかもを振り切るような足取りで自室へ戻った。
黒のシースルーのボウタイブラウスは、生地がレースのような布で出来ているので、ニコラスの白い肌が少し透けて見える。背中には裏表で別の色をしたスパンコールで薔薇をあしらった。肩から腕にかけても同じスパンコールでラインを引いた。胸元の大きなリボンを結び、パールのイヤリングと指輪をつけて、爪にはホログラムカラーのネイルを施した。ボウタイブラウスと同じ生地のスラックスには、太ももあたりから切れ込みを入れてスリットドレス風にアレンジを加えた。黒の革靴にもパールで飾りをつけている。ダンスパーティで見かける男は、みんな一様に同じような服装ばかりで面白みがない。ニコラスは、どんなときも性別に関わらず着飾ることを楽しむべきだと思っている。これは誰かのためなんかではなく自分のためだ。単純に好きだから、というのもある。
全ての準備を終えたニコラスは、ベッドの下に隠してあるジンの瓶を引っ張り出した。学校主催のパーティで、生徒にアルコールが振る舞われないことなど分かりきっている。グラスを舐めて、小さく、ため息を吐いた。
「ギムレットには早すぎる、なんてね。チャンドラーを読んだことのある人間が、この城の中に何人、居るんだろう?」
レイモンド・チャンドラーの小説『長いお別れ』に登場する有名な言葉が、ニコラスの寂しい部屋に響いた。この言葉は主人公の友人の言葉だ。それを知っている人間は自分以外に居ないのだろうなと思った。
『ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ。ほかには何も入れないんだ。マルティニなんかとてもかなわない。』
ニコラスの手元にはライム・ジュースがなかったので、そのまま二杯目のジンを煽った。パーティの始まりと終わりは、どんなときも憂鬱と倦怠で出来ている。会場となっている大広間や、玄関ホールに続く階段には、すでに人が溢れていた。ニコラスは今夜のパートナーであるルーナを探そうとするものの早々に諦めた。人が多すぎるのだ。次第に足音が4分の4拍子のリズムに聞こえてくる。摩擦を減らすためにダンスフロアに振りかけているベビーパウダーの甘い香りと、脳を揺さぶるエレクトロニック・ミュージックが懐かしい。酒ではなく水で、ヘロインではなくLSDで、自分たちの世代による死んでしまったパンクへの返答を高らかに叫ぶアシッド・ハウスが、狭く薄汚いクラブが、たまらなく恋しくなった。魔法界は何もかもが一世紀ほど遅れていると思っている。音楽や文学を初めとする文化も、価値観も。ニコラスという存在が魔法界でイレギュラー扱いされるのは、魔法界の方が遅れているからだ。DJの居ないパーティに出てワルツを踊るなんて、あまりにも古臭すぎてカビが生えてきそうだ。ニコラスが現実逃避しているとき、ピンクグレーにシルバーを混ぜたようなレース生地で作られたドレスが視界に入ってきた。シルバーに輝く四芒星のイヤリングが素敵だ。
「おくれてゴメン」
「パーティは遅れて参加するのが礼儀だよ」
ニコラスのパートナーのルーナだった。彼女はマジマジとニコラスを見つめたかと思うと、二、三度うなずくような仕草をした。
「やッぱりスパンコールで正解」
「キラキラしてるでしょ。触ってみてよ」
ルーナの指先に合わせてスパンコールの一枚一枚がひっくり返る。すると色が紫から赤に変わる。ルーナはお気に召したのか、パーティが始まるまで、ずっとニコラスの腕を撫でさすっていた。大広間の中は普段の装いからは想像できないほど様変わりしていた。各寮の生徒たちが食事をする長テーブルは消え、シルクの敷かれた丸テーブルが隅に配置されている。床も無愛想な石畳から白の大理石に、壁から天井にかけても白銀の霜に覆われ、星の瞬く夜空のように見える黒い天井の下には、何百ものヤドリギや蔦の鼻綱が絡んでいる。
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