朝が砕けて散らばっている



 深夜零時を過ぎても眠れなくてSNSをなにも考えずに眺めていた。指で引いて、離す。すると新しい言葉が次々と現れる。眠れない夜にそんな言葉の嵐は最適だった。そのうちに眠れるような気がしてくる。そんなタイミングで着信が入った。都内某所で数多くの低級呪霊が発生している、と。まだ起きててくれて助かりました、と電話越しに焦った声が聞こえる。どうやらわたしが任務に行くのは確定事項らしい。
 急いで準備を済ませて玄関に行くと恵がいた。急な呼びかけだったので集まったのはわたしと恵だけだったようだ。ねえ、恵、コーヒー飲み過ぎて眠れなかったの?そう揶揄うと、心底嫌そうな顔でわたしのことを睨んだ。恋人に向ける顔じゃないと思う。すぐに感情が顔に出る、そんな恵も可愛いけど。

 夜と朝の間にある無限のグラデーションをふたりで眺めていた。ようやく終わった。疲れた。空を見上げると朝焼が紺色の夜を少しずつ、すこしずつ水色に変えていく。さっきまでは幽かに惣暗をたたえていた景色も、ほのかに色を持ち始めた。
「疲れたね…」
「…同感です」
 これはお給金はずんでもらわないと割に合わないな、わたしはまるで泥濘に引きずられるかのような足取りで恵のほうに向かう。弱い呪いばかりがうようよと、夜の闇の中、あちこちに蔓延っていた。そういえば、わたしたちって深夜手当的なものってあるんだろうか。連れてきてくれた補助監督は怪我をした一般人の対応に追われて、申し訳なさそうに、すみませんがふたりで帰ってくださいと言い残して高専に向かった。こんな朝とも夜ともつかないような時間に仕事だなんて、硝子さんも大変だなあ。

 ふたりで帰ると言っても、まだ朝の四時を過ぎたところ。始発まではまだ時間があるし、駅まで歩くのも辛いし、電車に乗ったあと無事に高専の寮までたどり着ける自信もなかった。

「あ、恵、鵺乗せて」
「嫌ですよ、疲れるんで」
「始発まであと一時間半もあるよ?待つ?」
「…今回だけですからね」

 両手で翼の形を作り、影から鵺が現れる。相変わらず不思議な光景だ。影から現れたというのに、こうして触れるし、なんなら今から背中に乗るのだ。
 恵の、鵺、の言葉を合図にゆっくりと上昇していく。人目が気にならない高さになると、空気が冷たい。暴れないでくださいね、と注意をされたが、そんな気も起こらなかった。

「ねえ、思ったより寒いからくっついていい?誰も見てないし」
「名前さんは嫌って言ってもやりますよね」
「正解」

 腰あたりに腕を回して、背中に顔を埋める。心臓の音はなんでこんなに人を安心させるのだろう。嫌がる素振りを見せた割に、恵の掌がわたしの手に重なる。その指先は冷たかった。強がっていたものの、恵だって凍えていたのだ。お互いの体温を空の上で分け合った。ようやく身体の震えがおさまって、街を見下ろす余裕ができた。朝方四時過ぎの街並みを空から眺める贅沢を噛みしめる。

「朝って四時からって感じしない?」
「まあ、たしかに」
「真昼も真夜中もいいけど、早朝の東京も好きだな、わたし」
「…たしかに綺麗ですね」
「鵺に感謝しないとな」
「その前に俺に感謝してくださいよ」
「してるってば、ありがと、恵」

 元旦の日の出だけが取り沙汰されるが、当たり前のように毎日太陽は登って、当たり前のように街を水色に染め上げていく。いつもなら、夜に始まった任務であっても補助監督が車で送ってくれるから、気づかなかった。空から眺める東京のことを。人が少ない時間帯の東京は信じられないくらいうつくしい。この街の夜景は人工的につくられた美しさだとするのならば、今この瞬間、夜と朝の隙間は限りなく澄んだうつくしさで光っていると思った。

「わたし、なんか、気持ち良くて、眠くなってきちゃった」
「絶対寝ないでくださいよ、部屋まで運ぶのめんどくさいんで」
「帰ったら恵の部屋で寝ていい?」
「…勘弁してください」
「一緒に夕方くらいまで眠ってようよ」

 まあ、たまには、あんたの我儘に付き合うのもいいか。
 斜め下から見上げた恵の瞳には水色の街が並んでいた。
 東の空に向かって飛んでいるわたしたちに朝はどんどん近づいていく。目に入る車の数が少しずつ増えていく。信号が動き始める。鳥の穏やかな鳴き声が聞こえる。太陽の光を浴びてビルのガラスが乱反射する。わたしたちの眼下には、朝が砕けて散らばっている。


20200520
朝が砕けて散らばっている