黒電話


 眉間へほんの微かな皺が寄ってしまったかもしれない。密かにため息をつく。

 通いなれた喫茶店なのに居心地が悪いのは、目の前にいる女が原因だ。

 親友の手に、爪先を赤く彩った細い指が絡まる。必死に笑みを浮かべながら熱々だな、と冷やかしている自分は、アカデミー賞をもらえるほどに演技が上手いといえよう。

 いちゃつく二人をぼんやりと眺めながら、この親友と初めて出会った頃を脳裏へ蘇らせる。

 約八年前くらい……高校二年の頃だった。数馬という人間は本当にいい男だ。彼を最初に目にした瞬間から、この、熱くて自分でも戸惑ってしまうような、恋心という感情を抱えてしまったのだと思う。

 初めまして、と優しげに微笑みながら手を差し出してくる姿は、陽の光を一身に浴びるかのように鮮明な形で心の中へと映り、今も、それは消えない。

 必死で話しかけ、望む事を素早く察知できるよう彼に全神経を向けた。その甲斐あっていつの間にか俺達は親友――いや、それ以上なのかもしれないが、とにかく絶対無二の存在だと言える程に親しくなれた、はずなのに。鳶に油揚げをさらわれてしまった。

 しかし数馬へ告白をしていないのだから。それは自業自得だとも言えるだろう。

 同性愛へ世間が向ける目。それが俺の勇気をくじけさせた。

 彼だとて、男から自分が性的対象に見られていると知ったらきっと、もう二度と……視線すら交わしてくれなくなるだろう、そう思った。親友という一番身近な立場にいることができるのならば、それだけで満足だ。そう考えた。親友の上をゆく、もっと身近な立場がある事に気づかず俺は、かりそめの幸せに嬉々として浸っていたんだ。

 結果、今はもう、幸せになれるその場所は彼女のものとなってしまった。

 それを恨めしく思い、唇を噛み締めながらも幸せそうな二人を眺めることしか出来ず――好きな人のそんな姿を悲しく思うなどと、自分の醜さを確認して自己嫌悪に陥る。しかしそれでも数馬と離れようとは思わない。だから……この気持ちにしっかりと蓋をして、何食わぬ顔で二人と接する。自分の感情を見破られぬよう、笑顔で会話をする。

 そんな生活が五年も続くと、多少は二人のいちゃつく姿に慣れてしまう。ただその頃より、頭の中に一つの黒い電話がいつの間にか、住み着いてしまった。

「ねぇ、早く映画に行こうよ」

 数馬の肩にもたれかかりながら甘えた声を出す女。

 微かによってしまっている眉間の皺が更に深くならないよう、意識して目元まで柔らな笑みを浮かべる。

「いや、でも青磁とまだ話をしているから……」

 よく言った。心の中でほくそ笑んでしまう。しかし……心底恨めしそうにこちらを睨んでくる彼女の視線。

「……話は明日でもできるだろう? 映画、行けよ」

 本当は傍にいて欲しいのだが、彼女が横にいる状態ではあまり近寄って欲しくない。

 演技をすることにも限界があるから――この嫉妬という感情は、どうにもうまく扱いきれない。

「悪い。じゃあまた明日な」

 頭を下げてくる数馬へ、早く行けとばかりに手を振る。

 指が、微かに震えていないといいけれど。数馬の服の裾を掴んで、こんな我儘な女なんてやめろ。俺にしておけと言いたがる唇へこそりと力を入れた。

 こちらへ得意げに笑みを送ってくる彼女が、苛々している心を余計に逆立てる。

 通いなれたこの喫茶店から、ドアベルを鳴らし、二人は静かに去っていった。

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