****

 その日から飯束の猛アタックが開始された。

 彼はまず、全く興味の無かった合唱部へ入部した。顧問が井上だったからである。

 入部届けを受け取り、驚いたように眉を上げた井上へ耳打ちをされた。

「演技に身を入れる気なのは構わんが――部活最中にくだらんことをしやがったら蹴り飛ばすから覚悟しておけ」

 耳元をくすぐるその低い唸り声に飯束は身を竦ませたのだが、それでも決心は変わらなかった。

 飯束の、合唱部での地位はすぐさま上がった。それは彼の歌う姿勢など関係なかった。女子が多い部活動であり、飯束は常に彼女らに囲まれた。甘えられるような声をいくつも聞き、笑顔を作る頬が痙攣をしそうになる頃にたいてい、井上から歌うことに集中しろと全員へ注意が飛んだ。

 そんな一週間を過ごし、飯束は合唱部で歌うことが好きになってきていた。思い切り声を出すことが、自分の中にあるもやりとしたものを吹き飛ばしてくれるような気がした。

 カラオケとはまた違う楽しみがあった。幾重にも連なるハーモニーに己の声が混ざる。一つの作品を大勢で作っているような感覚も受けた。

 次第に飯束は、部活動へ熱心になっていった。放課後は必ず真っ先に音楽室へ行くようになり、そこで、他の生徒が来るまでに井上より受ける個人レッスンが楽しくてたまらなかった。

 しかし、そうしていても彼は、計画を変更しようと考えなかった。

 グランドピアノの前に座っている井上から見えるように、ペットボトルの水を飲む。わざと唇から垂れ流すようにこぼして反応を伺うと、面白がるような瞳が眼鏡の奥に見えて――顔を赤らめさせたのは飯束の方だった。

 部活動が終わり、生徒たちが帰る中、飯束は駐車場で井上を待ち伏せしたことがある。

 曇った空は今にも雨を降らせそうだったのだが、それは飯束の計算の内だった。

 しっとりとした雨を全身に浴びて、カッターシャツが肌に張り付いてきた頃に現れた井上へ、飯束はとても綺麗な笑みを送った。

「遅いよ。待ってたんだぞ」

 それはとても妖艶な姿だった。淡い色をした乳首はカッターシャツから透けていたし、濡れた髪が頬へへばりついていた。目元を緩ませ微笑むその顔にも色香が漂っていた。

- 56 -

*前次#


ページ:



ALICE+