07
教師といえば時代によっては聖職者などと美しい呼ばれ方もしたものだが、情けなやこの独身女。日々のお楽しみといえば実家からの仕送りダンボールである。
ありがたや、ありがたや。
えいやっと勢い良くそれを開けた私は、次の瞬間「うムム」と考え込むことになった。
てかてかと艶やかでお月さまのようにまん丸く、ずっしりと重い…なんと立派な、スイカだ。
私が好きだからと、思いやりで母が入れてくれたのだろう。愛情はようく伝わった。確かに私はスイカが好きだ。好きなのだけど、これは困った。
それは一人で食べきるにはいささか難しいサイズのものだった。一人暮らし用の小さな冷蔵庫に入れたら、それだけで一杯になってしまって他の物が入らなくなりそうだ。
学校はもう夏休みに入っていた。
休暇中とはいえ、教え子の家をやたらと訊ねるのはいかがなものかと考えた。が、近くに気兼ねなくおすそ分けできるような友人はいなかった。よく見知ったご近所さんと言えば唯一、この家しか思い浮かばない。選択肢がほかに無かった。
というわけで私はスイカを担いで成歩堂芸能事務所をたずねてみた。
「スイカ?」
「はい、実家から送ってきたんですけど一人じゃ食べれないから。みぬきちゃんとどうぞ」
「わー、ほんと、大きいね…まいったな」
きっと喜んでくれるだろうという私の予想に反して、むう、と成歩堂さんは眉をひそめた。
「嫌いですか?」
「いや、みぬきも僕も大好き。…ただみぬきが友達とキャンプに行っちゃっててね。5日間くらい帰ってこないんだ」
「5日?ずいぶん長丁場なキャンプですね」
「うん、小学校最後の思い出とかいってさ。どっかの親が引率してくれてるみたいだけど。僕はキツイから遠慮したよ」
成歩堂さんはインドア派か…。まぁ、見るからにといったところだ。私もどちらかといえば同じだ。
「僕もさすがに一人でこいつは…。あ、そうか、一緒に食べればいいのか」
「えっ」
「みぬきには内緒だよ。食べ物のことになると本気で怒るからね」
「え、あの、ハイ」
「さー上がって上がって。暑いでしょ」
上がってと促されて、ようやく意味を理解する。一緒にというのは、私と彼との二人でということか。
それは確かにごく自然な提案だった。
あまりに自然なので断るという選択肢も瞬時には浮かんでこなかったけれど、でも何だかこれっていいのかしら?教師と、教え子の親だけで会うというのは。なんだか自然なようで不自然な状況ではないのか。…と思いながらも優柔不断な私は、成歩堂芸能事務所兼自宅に上がりこんでしまった。
以前家庭訪問で来たときとなんら変わりなく、散らかっている。
「座ってて」
と言いながら成歩堂さんは、スイカを持ってキッチンへと向かった。すとん、すとん、と包丁の音が聞こえてくる。
多少戸惑ったものの、スイカを食べたいなぁという単純すぎる欲望がまさって「まぁ、いいか」と私は状況を受け入れた。
スイカを食べて世間話の一つや二つをするだけのこと。ご近所づきあいだ。
座って、と言われたソファに私は腰をかけ、そしてテーブルの上に広がっている冊子に目を留める。
見覚えのあるものだった。
『計算100問ドリル』
『漢字書き取り帳』
『課題図書 逆転の夏』
私が学期末に生徒たちに配布した夏休みの宿題だ。テーブルの上では計算100問ドリルが今まさに解かれているところらしく、計算式の途中でシャープペンが転がっていた。
お、ちゃんとやってるんだ、偉い偉い…。ってちょっと待て。
それは明らかに、私の見慣れたみぬきちゃんの字ではない。
「お待たせーみのりちゃん塩かける派?」
「成歩堂さんっ!!そんなことより!!」
「あ、ごめんスプーン使う派?」
僕とみぬきはいつも使わないからさぁ気がつかなくてごめんねはっはっは。と、どうでも良い成歩堂親子情報をどうもありがとうございます。
そうじゃなく。
「ちょっとこれ!ダメじゃないですか、宿題手伝っちゃあ!」
「バレたか」
「生徒の字くらいわかります!ちゃんと本人にやらせてください」
「でもさ、みぬきは思い出作りに忙しいだろ?僕に何かしてやれないかと…」
「だーめーでーす」
「ていうかこんなの小学生解いてるの?難しすぎない?」
「どれがですか?」
「ほら今解いてるコレ。『タイホ君が犯人を見つけ、時速30キロで…』っていう」
「こーゆー文章題はただのひっかけなんですよ。単にこの数字とこの数字をかけて…ほら、」
ちょちょいのちょい、と私は生徒に教える感覚でその答えを導き出し、そして瞬時に後悔をした。
「私が解いちゃったじゃないですか…」
「これで共犯だよね」
にやりと不敵に笑いながら成歩堂さんはスイカを一口齧った。
してやられた、と感じる。たぶん確信犯だ。最初からそのつもりで私を誘導したのだ。
つかみどころが無く、ちょっぴり憎らしくて、大胆不敵。
でも、隙間に見える笑顔がときどきあどけない。
そんな彼の表情が、仕草が、どうにも憎みきれない自分がいる。
だって私は、彼の弱い部分もよく知っていた。みぬきちゃんへの愛情とか、家族であるための信念とか。そういう部分を知ってしまっているから、どうしたって憎めるわけなんてないのだ。
それどころか、このギャップが彼の魅力なのだと認めざるを得なかった。
これは周りの女性が放っておかないだろうな…とぼんやり思うと、ちょっとだけ、きゅんと切なかった。
パパは恋をしない、なんてみぬきちゃんが言っていた。
もしそうなのだとしたら、きっと何人も女性を泣かせているんだろう。
それから何だか気の抜けてしまった私たちはスイカを齧りながら、ああだこうだと学校の宿題についてちゃちゃを入れた。
「この課題図書…『逆転の夏』?ってどんなの?」
「あー、これは…最初ちょっとサスペンス調なんです。野球部の部室で物が無くなったりする怪事件が起きて。
かと思いきや、最終的には主人公の野球少年が努力のすえに逆転サヨナラ勝ちをするっていう。まぁありがちな、押し付けがましい青春モノですよね」
私の話すあらすじに、成歩堂さんは可笑しそうに眉を下げて笑った。
「先生がそんな風に言っていいの?」
「生徒には言いませんけどね。やっぱり綺麗ごとだなって。挫折だってするし、もっと色んな形の青春もある。逆転って、良い方向にだけじゃない。裏切られたり騙されたりもするじゃないですか」
「あるよねー。例えば少年が事件に巻き込まれて弁護士になる夢を検事に転換するとか。弁護士になった親友は悪人にだまされて失墜させられるとかねー」
成歩堂さんがあまりにすらすらと物語を例えるので、そういう小説でもあるのだろうか、と私は考えた。
弁護士に検事?とすると、推理ものかヒューマンドラマ系のサスペンスのお話にありそうだ。しかし、これでも学生時代は随分と本を読んできたつもりだけど、思い当たる作品はなかった。
「やけに黒い話ですね。…それ、騙された弁護士さんはその後どうするんですか?」
「んー…真実を探す旅に出る。でもその行方は、誰にもわからない。逆転すると、いいんだけどね」
その話しぶりからするに、それは未完のお話のようだ。
お話の結末はまだ見えてこない。先の見えきっている綺麗ごと小説とは違う、というわけだ。
「そっかぁ…うん、そうでなくちゃ」
「え?」
「人生はそうでなくちゃ。挫折したり失恋したり蒸発してみたり。綺麗にまとまるなんて無理」
「………だよね」
「でも!どんでん返しは期待したい!」
ですよね?と私が言うと、成歩堂さんは噛み締めるようにゆっくりと頷いて、それから私の目をじっと見た。
「どうしてキミは…」
「?」
どうしてキミはそんなにすぐに、僕の言いたいことがわかる?
成歩堂さんはひどく困った顔でそう言った。
そして、私はその答えを探していた。
―どうして彼の言いたいことが理解できるのか。
うーん、と息を止めて考えてみた。
上手な答えはすぐにはでなくて、でもたぶん、成歩堂さんのことを知りたいと思っているからだ、と私は思った。
その思いが言葉になる前に、キスで口を塞がれた。
あれ?
キス。
そう、キスだ。
唇が重なっていた。少し汗ばんだお互いの肌と、成歩堂さんの不精に伸びた髭が軽くあたっている。まごうことなき、キスだった。
不意の静寂の中、じーわじーわと外で鳴いているセミの声が、やけに大きく聴こえた。
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晴天の式日