03
ぴんぽーん
ぴんぽーん
ぴんぽぴぽぴぽぴぽぴんぽぴんぽーーーーん
――ガチャ
「ちょっとうるさいよ、みのりちゃん」
心底嫌そうな顔で、彼は玄関の扉を開けた。
「だったらチャイム一回で出てください」
もう夕方に近いというのに、成歩堂さんはあからさまに寝起きの顔でニット帽をかぶったままの頭をがしがしと掻きながら玄関に姿を現した。
相変わらずの無精ひげに、スウェット。
ピアニストのお仕事はディナータイムからなのだろうけど、それにしても、なんてだらしない姿だろう。
「待ちくたびれちゃって」
「ちゃんとプリントでお知らせした通りの時間ですよ」
言いながら私は【家庭訪問タイムスケジュール】を突きつけた。
私自身が作ったものだ。各家庭の希望日時とにらめっこして、試行錯誤しながら調整と確認を繰り返して作ったそのスケジュールを、まさか私が間違えようはずもない。
「ああ、本当だね」
自信満々の私に対して成歩堂さんは悪びれることもなく、はっはっはとお得意のうそ臭い笑いでそれを流し、まあどうぞ上がってよ、と言いながら踵を返した。
そう。
私が今日ここへやってきた理由は簡単だ。
受け持ちクラスの家庭訪問なのである。
はじめて成歩堂芸能事務所に足を踏み入れた。
ここは自宅兼事務所ということらしく、つまり成歩堂親子がそこで生活をしているのだそうだ。
その点はあらためて訊いて確認するまでもなかった。
そこは生活感に満ち溢れていたからだ。
日用品や雑貨に見られる生活感―それから、妙なカオス感。
この何とも言えないカオスな空気はどこからやってくるかというと、所狭しとひしめく手品グッズの数々であった。
成歩堂みぬきちゃんが魔女っ娘系アイドルではなく、マジシャンだということを、私は最近知った。
彼女が言っていた「ビビルバーのステージ」というのは、ショーレストランのステージのことだったのだ。
新クラスの自己紹介タイムで、ぱんつから校長先生のカツラやら何やらを取り出す手品はクラスメイト達に大ウケだった。
それがまたクオリティの高い手品だったもので、私もびっくりしてしまった。小学生ながらにステージに立っているというのも納得がいった。
成歩堂さんに促されて玄関をあがってすぐの部屋はオフィスのようだ。
生活感に溢れているとはいえ、オフィスらしい立派なデスクや大きなキャビネットなどもある。
ふぅん、と自然に興味が湧いてそのキャビネットのガラス扉を覗き込んでみると、約半分はみぬきちゃんの物であろう手品関係の本。
それからあと半分、は―。
これは、ええと、六法全書。
六法といえば、法律が書いてあるあれだ。
それだけじゃない。刑法なんちゃら、判例なんちゃら、法廷のなんちゃらと、要するに法律や裁判に関する書籍で埋まっていた。
あまりにちぐはぐな取り合わせだ。
「―成歩堂さんって、もしかして傍聴マニアとか…」
「素晴らしい観察力と発想力だねぇ」
「や、だって。そういう人いるらしいじゃないですか」
「傍聴マニアねー。まぁ似たようなもの、か…。とにかくみのりちゃん座ってよ。家庭訪問でしょ」
「成歩堂さん」
「うん?」
「ちゃんはやめて下さい、今は、仕事なので」
至極真剣に、まっすぐに成歩堂さんの目をとらえてそう言うと、彼はふいっと視線を泳がせて、ごまかすように微笑んだ。
児童の保護者に慕われたいとは思うし、気安さというのも大事だと思う。
でも、私は新卒のひよっこ教師なのだ。
下に見られてなめられることが一番危険なのだ。
「…じゃ、どうぞお掛けください、みのりセンセイ」
彼は改めて私をセンセイと呼ぶと、ソファに座るよう促した。
黒い革張りのソファはこれまた手品道具で埋まっていたけれど、それらを少しだけ避けさせていただき、私は端っこにちょこんと座った。
新学期を迎えてまだ1ヶ月も経たないが、生徒宅の家庭訪問を実施している。
最近は中学受験をする生徒も少なくないため、6年生はどうしても早い時期に父兄との面談が必要なのだ。
初めての家庭訪問に緊張していたけれど、成歩堂さんは超ご近所さんなうえに顔なじみでもあったので、私は萎縮することなく淡々と話をすることができた。
「―――で、成績はそんな感じなんですが、進学について―受験などは考えていらっしゃいますか?」
「うーん。僕の考えることじゃないからなぁ…」
と成歩堂さんは心の底から興味なさげに宣うので面食らってしまった。
僕の考えることじゃない、なんて、当然だけれど他のどの家庭の親御さんも決して言わない。
彼がみぬきちゃんの実の父ではないということは、引継ぎで聞いてはいるけれど。
「ま、本人のしたいようにさせるさ」
「本人…みぬきちゃんの希望は?」
「大魔術師になること。と言っても、みぬきはもうすでにプロフェッショナルだけどね。一層高いところを目指すだろうね。小さいころから彼女の目標は決してブレない。育ての親として、そこに到達するために必要な手助けを僕は惜しまない。それだけのことだ」
それだけのことだ。
そう言い放つ、低くやわらかな声。
成歩堂さんはまるで言いなれた言葉のようにとても軽く言い放った。なのにそれが、私の胸にずしんと響く。
何物にも屈しないような、抗うことを許さないような、そんな決意を感じさせる。
みぬきちゃんに関して、おそらく、ずっとずっと前からその道筋だけがまっすぐに決められていることなのだ。
プロのマジシャン。
今よりもっと高いところ。
簡単に口にするには重たい道筋なんじゃないだろうか。
養父であるこの人。実の子供ではない子に対してそこまでの気持ちを持つというのは、並大抵のことではないのは容易にわかる。
この人はいい加減な気持ちで言っているんじゃない。適当に大きなことを言っているんでもない。本当にすべてがみぬきちゃんの為なのだ。
不覚にも、ああ格好良いパパだ、なんて思ってしまう。
目の前に居るこの人は、寝起きのスウェット姿にニット帽に無精ひげなのに、だ。
あんまり不躾に、じいっと見つめすぎただろうか。
成歩堂さんは苦笑いを浮かべた。
「あー。まぁ、言いたいことはわかる。まともじゃない家庭だって―」
「―いいえ!」
反射的に声を挙げていた。
そんな誤解は困る。
今の私のこの気持ちを、そんな風に誤解してもらっては。
私は背筋をぐっと伸ばした。
「良い、家庭だと思います」
私の素直な感想だ。
この家は、この二人の親子関係は、“普通の家庭”とは言えないのかもしれない。
でも、間違いなく、家庭訪問で見て来た他のどの家庭よりも素敵だと思った。
「へ?…そう、かな」
成歩堂さんは私の言葉に驚いたように目を少し大きく開いた。
「成歩堂さんとみぬきちゃん、親子としても一個人としても信頼し合っているのわかります。例え血がつながっていても、それが出来ない家族だっているじゃないですか。だから、素敵だし、羨ましいって思います。良いお父さんで、羨ましい」
「……、」
どことなく顔を赤くした成歩堂さんは、落ち着かない様子で「あー」とか「うー」とか小さく唸って、控えめに私の目をちらりと見た。
「なんだろう。ウチのことをそんな風に言われたのは初めてで。なんだかこそばゆいな」
本気で照れているのがわかって、私の中では飄々とした掴めないイメージだった成歩堂さんが若干崩れる。
私が彼のポーカーフェイスを揺るがせたのだ。
それが一種の快感のように感じられて、やたらにドキドキと胸が鳴った。
ドキドキ。
ドキドキ。
え?
なんだもう、止まれ、ドキドキ。
「あ、えっと、コーヒー飲むかい?」
もう家庭訪問でするべき話はし終えたという頃に、思い出したように彼がそう言ったので、おかしくて笑ってしまった。
ドキドキはその間もずっと、小さく、だけど確実に、鳴り続けていた。
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晴天の式日