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 腕の中の彼女はいつかの酔っ払った折に抱きかかえた感覚より少しばかり軽く感じた。
 この一週間あまり、まともな食事を摂れたのだろうか。
 あの屋敷でどんな扱いを受けていたのか。
 視認できるところに目立った外傷は見られないが、見えない部分は果たして...。
 それを確認するには、言葉にして訊くしかない。まったくもって気の進まないことではあったが、確認せずにいるわけにもいかない。

「...酷いこと、されなかった?」

「ん......、毎日最悪な気分だった」

「...それは...、」

 キワドイ質問だということは承知で訊いたが、それ以上を探ることに流石に強い抵抗を覚える。
 嫌な想像が脳裏を駆けていく。
 辛いことかもしれないが、と言おうとしてマスクの下で口を半分開き掛けたところで、胸元に居る彼女がふふっと軽い笑い声を上げた。

「もうね、毎日取っ替え引っ替えにお人形みたいな服ばっかり着せられて。
 コルセットでぎゅうぎゅうに締められるの。その上で見たこともないようなご馳走出してくるもんだから、ある意味拷問だよね。苦しくて食べられやしないのに。
 それでしらはね翔鏤が毎日毎日口説くんだ。一緒に密売しませんかー、ついでに結婚しませんかー、って。
 ちょっと意味わかんないよね。カカシ、どう思う?」

「.........」

 どう思う?
 そう投げ掛けられて数秒思考を巡らせてみたが、答えが出ずに木々を跳ね駆けていた脚を止めた。
 垂直に落下し、足の裏に集めたチャクラで着地の衝撃を和らげながら地面に舞い降り、張り出した木の根にゆっくりサキホを座らせた。
 真正面に向かい合うのは、随分と久しぶりのような気がした。

「ごめんね、重いから疲れるでしょ」

 彼女の気遣いがちょっとだけズレているのはいつものこと。

「あのね、真面目に訊いてるの。何かされてないのか、怪我してないか、...言いにくくても、隠してほしくないんだ」

 先程の彼女の口調は、あまりに軽くて、明るくて、冗談みたいに響いた。
 綺麗な服を着せられてご馳走を出されての待遇だったなどと、まるで誤魔化しに聴こえてしまう。心配を掛けないためにそんなこと言っているんじゃないかと思えたのだ。

「嘘は吐いてないよ...」

 真っ直ぐに見据える。
 じっと捉え、視線を外させない。
 どれ程オレが真剣か、どれ程サキホの身を案じているのかわかってほしかった。

 一呼吸間を置いて、消えそうな掠れた声で彼女が呟いた。

「わかった...。ちゃんと、話す。先に言っておくけど、怪我とかは無いから」

 心配してくれてありがとう、と微笑んで言うと、長く重い溜息を吐いてゆっくり口を開いた。
 その時間がいやに長く感じてもどかしい。

「本当に今言った通り。閉じ込められてはいたけど、乱暴されるようなことは無かった。
 私の鍛冶屋としての腕をほしがっていたから、下手に怪我させるわけにいかなかったのかもね。
 でもとにかく退屈で...それに、この先どうなっちゃうんだろうって怖かった。
 怖くて、怖くて、あの屋敷に閉じ込められてから私、毎日カカシのことばっかり考えてた。
 側に居てほしいって。
 カカシのことが好きだな、大好き、って毎日想ってたの。
 自分の中からそういう気持ちが湧いてくることがね、一番辛かったよ。
 だって、もう伝えられないんだ、私わけわかんない奴のお嫁さんになってしまうから。
 カカシにとって私が他の女の子たちと一緒だったりそれ以下だったり、笑われても相手にされなくても、...そりゃ、嫌だけど、惨めな想いしてでも、...伝えたかった。ちゃんと伝えるべきだったんだなって思って。
 こんなにカカシが好きだってこと、どうにもしようがないの...。
 あぁ、もぉ、なんか上手く言えないけどとにかく──」




「ストッ...プ...!!まて、待て待て」

「待てって、カカシこそちゃんと聞いてよ、そっちが隠さずに話せって言った!冗談じゃなくて私これでも本当にカカシのこと好─」

「これ以上大人しく聞けるかっての!!あのねぇ、オレは好きな女にそんな好き好き連呼されて冷静にいられる程出来た人間じゃーないんだよ、ばかサキホ!!」

「...すきなおんな、って?」

「おまえしか居ないでしょーが」

 やっとの思いで口にできた告白がこれだなんて。
 何でこんな言葉しか吐けないのだろう。
 頑張ればもっとシンプルでスマートで優しくて慈愛に満ちた表現が浮かんできそうなものを。
 アスマが言った通り、言葉にして伝えないといけないこともある。
 そうでなければ伝わらない相手もいる。
 やっぱりどうしても、気持ちを伝えることに関しては自分は不器用な人間らしい。
 でもオレをこんな情けない人間にさせているのは、他ならぬサキホだということは確かだ。

 ほんともう、これ以上冷静を装うのは無理。
 そう吐き捨てるとほとんど同時、噛み付くみたいに唇を塞いだ。
 あぁ、本当に冷静なんかじゃない。
 マスクが邪魔だ。
 悔しいけれど一瞬離れ、邪魔な薄布を取り払うとぽかんと目を丸くしている間抜けで愛らしい表情の彼女に改めて口付けた。
 生ぬるくてやわらかな感触が直接触れて、それがあまりに心地よくて、泣きたいくらい狂おしい。
 サキホは初めは反射的にわずかに背を反らせたが、次第にふわりと身体の力を抜いて唇を預けた。
 角度を変えれば、わずかな隙間から熱い息が漏れた。
 それがどちらの吐息なのかわからない程に、頭の奥まで彼女への想いに支配されていた。



 いつまでもこうしていては次に自分は何をしてしまうか想像に難くなかったから、名残惜しくはあるがゆっくりと唇を離す。
 取り敢えず互いの気持ちは明かしあったものの、そうなると今度は新しい言葉が見つからなかった。
 気恥ずかしさが二人を包んで黙りこくってしまう。

「…今度はぶっ叩かれなくて安心した」

 冗談で濁して笑うしかなかった。
 つられるように彼女もニッと笑うと、次の瞬間、その両手でオレの両頬を勢いよく捕えてバチンという軽快な音が森に高く響いた。

「いッ…!」

 さすがに痛い、と抗議の声を上げる間も無く頬を挟んだままの両手はぐいとオレの顔を引き寄せ、もう一度だけ小さなキスを落とした。

「さぁ、帰ろうよ」

 晴れ晴れとしたやわらなか声にそう言われると、ついさっきまであったしらはね翔鏤への殺意さえすっかり溶かされるように消え失せていた。



式日