おやゆびの約束 (1/2)
そろそろ結婚でもしようか。
さて、そろそろ夕飯の買い出しにでも行こうか、みたいな軽い口振りでカカシがそう言ったのは、何の変鉄も無いある日の夕暮れ時。
一日の仕事を終えて片付けと着替えを済ませた頃にカカシが迎えに来て、それから二人で夕食を摂るのが私たちの生活パターンとして定着しつつある。
今日もそうして疑問や違和感も無く心地好い宵を過ごす予定でいたけれど、彼から突如として飛び出したのが先程のせりふだ。
「...、はぁ?」
「はぁって何、酷いリアクションだね」
「え、だって、え?何て...?」
「サキホと結婚したいな。しようよ、してくれるよね?」
畳み掛けられ、有無を言わさないどころか、首を縦にも横にも振ることができずに固まってしまった。
この人は何を言っているんだろう。
結婚。
勿論言葉の意味は知っているけれど、あまりに唐突すぎて。
「あれ...おかしいな。すぐにでも"うん"って言って貰えると思ったんだけど」
硬直を続ける私を見て、言葉のとおり心底意外だという表情を浮かべる。
そっちのほうが私にとっては意外だった。
なんちゃって冗談だよ、といつもみたいにへらりと笑う彼を簡単に想像できるのに、実際に目の前に居る彼は至極 真剣な様相なのだ。
「...サキホ?」
「や...、あの、何か変。だよね」
「もっとロマンチックな言葉のほうが良かった?」
「いやいや」
「場所が悪い?満天の星空の下とかじゃないとだめ?」
「そうじゃなくて、」
「...やっぱり指輪、必要?オレは仕事柄あんまり着けたくないんだけど...」
「違うって。そんなことじゃなくて...早すぎない、かな、その...結婚とか」
彼の推察する、私が戸惑う理由のポイントがことごとくズレているのはわざとか、それとも本気で言っているのか。
そう。問題はそこではなくて。
とにかく話が早くはないかと。
何せ私たちが紆余曲折のすえやっと恋人同士と呼べる関係になって、まだ三ヶ月弱なのだ。
「サキホは、好き合って一緒に居るんなら結婚するのが普通っていう考えじゃなかった?前にアスマと紅にそう言ってたじゃない」
言った、確かに。そう遠くない記憶だ。
アスマ、紅と初めて一緒にお好み焼き屋に行ったときの話だ。
二人が恋人同士だと聞いて、それならいずれは結婚するんだねと私が口にした。考えが短絡的すぎると言われたけれど、お互いが好きで一緒に居るのだから普通そうなるんじゃないのかとも言った。
いま、自分にも恋人と呼べる存在ができてようやくこの考えが単純すぎていたことを思い知る。
彼に対する気持ちが浅い訳じゃない。
少し前に密売組織の男にも求婚されたことがあったけど、あれとはまた状況が違う。
だけど私たちはまだ、生活のほんの一部を共有しているだけに過ぎなかった。
家族になるということは、この先の人生を共有するということ。
そんなことはカカシだってわかっているはずだ。
いい歳になるまで友だちも無く世間知らずだった自分とは違い、彼は十分に分別をわきまえている人間なのだから。
それなのに、どうして急にそんな考えに至ったものか。
「それは″いずれは″って事だよ。こんなのいきなりすぎる。よく考えないと…」
私が言い訳するようにそう言うと、カカシの眉間がぎゅっと歪んだ。
ため息を漏らして、肩を下げ、静かに椅子に座る。
視線は睨み付けるように床に落とされてしまった。
よくない言い方をしてしまったのだろうか。機嫌を損ねてしまったかもしれない。
「カカシ...あの、」
「…サキホは。時間をかけてよーく考えたら、オレ以外の誰かを選んだ方がいいって答えが出る可能性があるの?」
カカシが、いま、傷ついた顔をしている。
私はそういうことを意図して早すぎると言ったのか、自分で自分の胸に確認する。
そうじゃない。
絶対に、そういうことじゃあない。
思わず唇を噛んでしまう。
何て言えばいいんだろう。
この人以外の誰かなんて考えたことも無かった。でも、結婚なんてものも考えたことが無かった。
それをうまく説明する言葉がない。
冗談にしたって本気にしたって、うまく切り返せるだけの器量が私にあればよかったのに。
何を言っても言い訳じみた言葉になってしまいそうで、彼を傷付けそうで。
「ごめん、困らせた」
不意に優しく、寂しげに目を細めて謝ったのは彼のほう。
彼の口にする"ごめん"は、どうしても
初めてのキスを思い出させる。
「抱きしめてもいい?」
問いに頷くと、彼は椅子に座ったまま、目の前に立っている私の腕を引き、抱きすくめた。
逞しい腕できつく腰の辺りを絞められる。
彼は私の胸の谷に埋まって深呼吸した。
熱い息が外へ逃げていくことができずにそこに留まっているのを、温度で感じる。
息苦しくないのかな、と思うくらいぎゅっと顔を押し付けていた。
離さない、離したくない、と言われているみたいだった。
心臓が苦しい。
何が彼の気持ちをこんなに逸らせるのか。
気持ちはお互いにこんなに揺るぎないとわかっているのに、急ぐ必要があるだろうか。
そんな考えのさなか。
「大切な人間がいなくなる夢を、ときどき、見る」
ぽつりと、胸元でくぐもった声がそう言った。
大切な人間がいなくなる夢。
それは多分夢でありながら彼の記憶の再生映像なのだと思う。
ときどき会話の中で懐かしげに語る、家族や、師や、友人の。
私にはその夢の恐怖に震える彼の気持ちが痛いくらいに解る。
私も親と師を失っている。それは彼の経験している悲しみほどは残虐なものではないのかもしれないけれど、彼の悲しみに寄り添うくらいの資格は、きっとあるんじゃないかって思ってる。
そう考えると、彼の言いたい事はにわかに明瞭になっていく。
たぶん。その"大切な人間"の中に今は私がいて。
残虐な"その日"は、いつだって突然やってくると経験で知っていて。
失うことが、ただただ怖いのだ。
「オレはね。サキホ以外の女を選ぶ可能性なんて無いって思ってる。
ほかの誰も、こんなに好きにならない。
この先ずっとだ。確信してる。
自分の気持ちばっかりで、サキホの気持ちを無視しているのかも知れないけど。
どうしても早く。もっと強くて、少しでも確実な方法で繋がっていたい。
それが紙切れ一枚の約束でもいいんだ。
心が繋がってるとか、身体が結ばれてるとかって言ったって、そんなの何処の誰も保障してくれない。
形の無い不確かなものだろう。
おまえは気が付けば一人で無理してぶっ倒れてたり、どっかの馬鹿に攫われて結婚させられそうになったりするしで気が気じゃない。
だから家族になりたい。
おまえが一人で抱え込まないように。
誰も二人の間になんて入れないように。
…ねぇ。理由になってるかな?言いたいことが色々ありすぎて、なんだかまとまらない」
震えて泣き出しそうな声にたまらず銀の髪をくしゃくしゃと撫でると、カカシはそれまで私の胸元に預けていた顔をふっと上げてようやく目と目を合わせてくれた。
「ああ何やってるんだろ、情けない。本当に困らせてるよね。…ごめん、ちょっと今日は、出直すよ」
さっきよりワントーン高い声は、わざとそうしているようだった。
振り払うようにそう言いながら椅子を立とうとする彼を、今度は私がぎゅっと抱き締めて動きを制した。
いま、行かせちゃいけない。
私はそうして彼の気持ちをうやむやにしてしまったことが、過去に一度あったじゃないか。
互いに衝動だけにまかせて振る舞ってしまった、あの日の初めてのキス。
やっぱりどこまでも、気持ちを伝えるのが不器用なのだ、この人は。
受け取る側の私が、ちゃんと真正面に居てあげないといけないのだ。
私ごときの腕力なんて、彼には指一本で振りほどくことができるだろう。
でも彼はそうせずに身体を預けてくれた。
「サキホ、」
「ほんと、困っちゃうな…」
嫌になる。
私だって、決して気持ちを伝えるのが上手な人間ではないのに。
それでもどうにかして伝えなきゃいけない瞬間っていうのは必ずあって―、そう、カカシだって精一杯だったのだ。
彼だってきっとたくさん考えたのだ。
それこそロマンチックな台詞とか、ムードのある場所だとか、色々考えた結果、先ほどのストレートすぎるプロポーズを絞り出してくれた。
ストレートな言葉の影に、たくさんの切な想いを隠そうとしながら。
不安げに私の顔を覗きこむカカシに、私は思わずため息を落とした。
「困っちゃう…断る理由が、ひとつも無くてさ」
あんまり可愛くない返事だってことは解ってる。
でも、不器用なプロポーズに不器用な返事で、私たちはすごくお似合いなんじゃないかと思える。
「...それって、」
肩をすくめて微笑んでみせると、さっきまで泣き出しそうだったカカシは、母の姿を見つけた迷子の子どもみたいに安堵に頬を綻ばせた。
その顔を見て、不思議と確信めいたものが私の胸の内にふわっと浮かんできた。
―私たちなら、家族になれる。
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