まっすぐな傷跡


 千本使いだと言うと、鼻で笑われることがある。
 殺傷能力の低い小手先の道具だと。

 だから初めてあの鍛冶屋へ行って店主に「千本って好きなんです」と言われたとき、嬉しくてたまらなかった。
 この人を信頼して自分の武器を任せようと、素直にそう思った。






 鍛冶屋クロガネへ通うようになったのは半年ほど前からだ。アカデミー時代の同期生、はたけカカシの紹介だった。店主が代替わりしたばかりの鍛冶屋であったが、腕は確かで、その仕事ぶりには顧客の誰もが絶対の信頼をおいていた。
 このオレ、不知火ゲンマもその一人だった。


 その日クロガネを訪れると、オーダーしていた千本は既に仕上がっていた。
 丁寧に丁寧に調整して仕上げをしているのだろうに、その店主は必ず客に品物を手渡す前に、もう一度最後の検品をする。
 その最後の検品を、横からじっと眺めているのが好きだ。
 店主が集中するのがわかる。音が無くなって、思わず呼吸が浅くなる。その瞬間、店の中の時間の流れが妙にゆっくりに感じられて、そこに居るのが無性に心地よかった。まばたきさえスローモーションに見える。
 まばたき、呼吸、唇を噛む癖。
 じっと見つめていてふと思った。
 この人の睫毛はこんなに長かったか。
 この人の唇の色はこんな色だったか。
 そんな些細な容姿のパーツや動作ひとつひとつが、急に自分の中に飛び込んでくるような感覚。
 この感覚は─。




「なーんかよぉ、最近可愛くなっちゃったんじゃない?」




 オレがそう言うと、鍛冶屋の店主─麦野サキホはきょとんと目を丸くして「はい?」と気の抜けた声を上げた。
 聞いていたのかいないのか、オレの言葉の意図を確認するように小首をかしげる小動物のような様子は、女だてらに木ノ葉一の鍛冶屋と名高い"クロガネのバク"の厳つい通り名がどうしても似合わない。
 サキホは検品を終えたばかりの千本をケースにきっちりと並べると、いつものように「お待たせしました」と一言添えてオレに手渡した。

「毎度仕事が早くて助かるよ」

 受け取った千本を指でなぞる。一切の歪みはない。
 それは恐ろしく切れ味がいい代物で、いつもの癖で口にくわえると、造り手であるサキホは怒る。ケガをする、危なっかしいからやめてくれと言うのだ。
 さすがに、いくらなんでも自分の得物でケガなんてしないとオレはその小言をあしらっていた。事実、千本をくわえる癖は子供の頃からであるが、一度もそうしたことは無かった。

「ゲンマさんさっき何か言いました?」

「なんか急に可愛くなったんじゃないか、って」

「へぇ、誰がですか」

 呑気にそう問うてくる彼女は、やっぱり里一番の鍛冶屋の肩書きとはギャップがある。
 シャイで鈍感で少しだけ世間知らずな、どこにでもいる女の子なのだ。

「アンタが」

「─っわた、わたし!?」

「あのさぁ、あれ、マジなの?」

「はい…?」

「はたけカカシとアンタのこと」

「!!──ぎゃっ!」

 はたけカカシ。その名を耳にするだけで手に持っていた鎚を自分の足に落として悶絶している。
 とても分かりやすく動揺してくれてありがとう。
 聞かないでほしいと言いたげに睨まれたけれど、否定しないのだから、どうやらそういうことらしい。

「へー、マジなんだ」

 カカシが懇意にしているのは知っていたし、そのおかげでこうしてクロガネの顧客になることができたわけだが、カカシとサキホの組み合わせではどうしても色恋の匂いがしなかったので意外だった。
 あちらは女遊びで浮き名を馳せるエリート忍者。こちらは地味で純朴な職人女。一体、何がどう転んでそういう風に落ち着いたものか。
 しかしそう言われてみれば、少し前からカカシの女絡みの噂はぱったり途絶えていた。
 サキホのほうにも、知り合った頃に比べると変化があったように感じる。最近になって妙に、彼女は女性らしさを増しているように思えた。
 具体的に何がとはうまく表現できないのだが、雰囲気とかオーラとでも言おうか。目の輝き、小さな仕草のひとつひとつに現れる女性らしい一面。なんとなく、感じるものがあったのだ。
 どうしてそんなことに気付いてしまったのか、自分でも不思議だった。今までそういう話題を彼女と話したことも無かったというのに。

「えー何だよー言えよーそゆことオレにちゃんと言っとけって」

「え…ゲンマさん別に私に興味ないでしょう」

「あるよ」

「いや、ないです」

「あるもん!」

「もん!とか可愛く言われても…」

「だってさ、オレ、その噂聞いてすっげぇ─、」






 ─すっげぇ、ムカついたんだよね。






 その答えに驚くほどあっさりと辿り着く。本当に、自分でも驚くほどにだ。
 あ、と思って口をつぐんだ。これは言ったらまずい奴なんじゃないかと咄嗟の自制心がはたらいた。
 サキホとカカシがそういう仲らしいって誰かに聞いて、半信半疑になりながらも、オレは確かにムカついた。どろっとした嫌な気持ちを持ったのだ。
 興味ないでしょう、だって?
 馬鹿言えよ。興味のないやつがこんなくだらないことで腹を立てるのか?

「…ゲンマさん?」

「─痛ッ、てぇ」

 ふっと気が抜けた一瞬、ぴりっとした痛みが口内に走った。
 一呼吸置いて、血の味がじんわりと広がっていく。くわえていた千本で、頬の内側を切ったのだ。にわかに信じ難く、呆然としてしまう。自分の得物でケガをしたことなんて、一度も無かったのに─。
 明らかに動揺だった。これじゃあ彼女を笑うこともできない。

「あっ、血─!だから千本くわえるのヤメてくださいって言ってるのに」

「こんくらい、何でもない」

「でも─」

「ツバ付けときゃ治るさ」

「何言ってるんですか。口の中のケガにツバ付けるって無茶苦茶な。ちょっと見せてください」

 そう言いながら、オレの口の中を覗こうと懸命に背伸びする。心配げな表情がためらいもなくずいずいと近づいてきた。キスでも迫られているかのように顔が近い。
 でも、本当にただただ、怪我を心配しているのだ。彼女は悪意だとか下心といったものに鈍感すぎる。だからオレみたいな奴にも親切心を見せるし、こんなにも無防備でいられる。
 カカシにしてみたら、危なっかしくて仕方ないだろうなと思った。相手が自制心の欠片もない奴だったらどうするんだ。

「ちゅーしてアンタのツバ付けてくれたら治るかも」

「はぁあ!?ばっばっばっ、ばっかじゃないですか!」

 そんな冗談でもってやっと、突き放すように顔を遠ざけてくれた。
 趣味の悪い冗談だとは思うけど、わざわざこっちから不信感を煽らなきゃこの状況に気づきもしないのだ、この女は。中々に難儀だ。
 無防備に寄ってきたのはそっちだというのに、オレが馬鹿呼ばわりされている不条理さ。
 その気になれば本当にキスだって出来た。
 ただ、カカシに殺されるだろうからしないだけで。

「ゲンマさんなら、そーいうことしてくれるコ、いっぱい居るでしょう」

「まーね」

「…心配して損した」

「ははッ」

 彼女はからかわれた不快感をあらわにして頬を膨らませた。
 そうだ、他人の心配なんて損するだけだ。特別な気持ちが無いなら尚更。
 損するだけだ。
 オレも。
 彼女がどうして急に可愛く見えてきたかなんて、考えたら損をする。だってムカつくだけだった。キスしてくれる女が何十人、何百人居たとしたって、やっぱりオレはムカついただろう。

「…さて、カカシに見つかって殺される前に帰らねーとな。あーおっかねぇ」

「なら最初から、からかわなきゃいいんです」

「だってアンタ可愛いからさー」

「だから、そういう…」

 これくらいの言葉でいちいち顔を赤くして照れないでもらいたい。そういうところが色恋に不馴れなの丸出しで、凄くダサいというかガキくさいというか。
 でもって、どうしてそういうとこまで可愛く見えるんだオレの目は。
 可愛いって思うしキスしたいしカカシよりオレの方がカッコよくね?って思うしオレの方が先に出会っていたらとかしょうもないこと考えてるしなんかもう嫌だ。やっぱり彼女の言う通りオレは馬鹿だ。

「だああぁぁッ!」

「ひぇっ、!?」

「帰るぜ。帰る帰る帰る。これ以上居たらもー」

 これ以上居たら、余計なことを口走りそうになる。
 それは絶対に嫌だ。
 三角関係とか横恋慕とかそんな面倒くさくて格好悪いのは絶対に。
 自分らしくないから嫌だ。






 ゲンマさん、私、千本って好きなんです。

 まっすぐだから。

 自分の技量をごまかせないから。

 使い手の方も、そうじゃないですか?






 初めて会った日、千本をオーダーをしたオレに彼女がそう言ったのをよく覚えている。
 そうそう。
 そういう所あるよな、千本って。
 使い手がこんなにひねくれててもこいつは妙に素直なもんで、痛みと血の味を教えてくれるのだ。
 失恋の胸の痛みの代わりのつもりだろうか。主人想いな、なかなか健気でかわいいヤツなのだ、千本という忍具は。


 帰ろうとした戸口のところでもう一度だけ振り向くと、「傷、おだいじに」と彼女が言った。
 特別な意味は何もこめられていない、軽くて、でも、やっぱり優しい声で。
 口内の傷がちりりと痛む。

「─ああ、またな」

 オレは何事も無かったようにそう言って、滲み出た血を飲み下した。







式日