おやゆびの約束 (2/2)
「そうと決まったら夕飯の買い出しにでも行くかー」
「…ねぇカカシの思考回路ってどうなってるの。もう平常運転なの?」
思わずそう言いたくもなる。
緊迫したやりとりから一転、次の瞬間の言葉があまりに暢気なもので。
「もう平常運転だよ。それくらい、オレにとっては当たり前で自然なことなの。サキホとこの先もずっと一緒に居ることが」
言い切られ、にっこりと微笑まれれば、文句も出てこない。
ああ、なんだかしてやられた感?
泣き落としに引っかかってしまったのだろうか。
それなのに。悔しいのに。あったかい気持ちはそのままで、やっぱり嬉しいんだ、私は。
彼が私を"この先ずっと"と言って求めてくれたことが。
商店街でお互いの好きな食材をたくさん買い込んで、それから珍しく食卓に飾る花なんかも買ってカカシの部屋へ帰った。
食事でお腹と胸をいっぱいにして、そして温かいお茶で一息ついたあと、すでに用意されていた紙切れに自分の名前を書いた。
それから、名前の後に拇印を押す。
私はこのとき生まれて初めて血判というものを押すために指先を切った。
カカシは私に、そんなことしなくていい、オレの血を使えばと慌てて言ったけれど、これは自分の血でなければ意味がないのと制すると、苦々しく顔を歪めながらも見守ってくれた。
一般人とは違って忍の世界では血で契約を結ぶ習慣があり、そういう世界の人に嫁ぐわけだから、この程度の覚悟を見せなくてこの先どうするというのだろう。
やってみれば案外痛くないものだ。
無事に紙の上に拇印を押し終えると、カカシが私の親指から滴る血を舐めとって、丁寧に丁寧に絆創膏を貼ってくれた。
ぐるりと親指の先に巻かれたそれがなんだか妙に誇らしくて、照明にかざして眺める。
「指輪みたい?」
「場所が全然違うけどね」
「やっぱり欲しい?ちゃんとした...」
「いらない、何も」
ずっと、ちゃんと、あなたが側に居てくれたらそれでいいんだ。
たとえそれが一枚の紙切れの上であっても、血と血で結んだこの約束なら、小さなリングなんかよりもずっと信じられる。
そう言いたかったけれど、あまりに恥ずかしくて、口にしようかどうか迷っているうちにキスで塞がれてしまった。
そのままベッドに縺れ込んで、言葉は必要なくなって、思考回路も遮断されてしまう。
徐々に乱れ、乱されていく呼吸に呑まれていく。
まだ慣れない行為。
でも行為の後は、不思議とよく眠れるということには、最近気づいた。
彼の香りと体温に包まれて眠って、そして起きると、すごく幸せだった。
私たちは翌朝どちらともなくとても早く目が覚めた。
空がようやく白みだすかどうかという時刻だった。
婚姻届けを持って目指したのはアスマの部屋で、アスマは、早朝の突然の来訪者にまず驚き、差し出されたその紙切れにさらに驚いていた。
「証人のサイン、俺でいいのか?」
私たちにはどちらも家族が居ないのは彼も知っている。
カカシの上司である三代目火影様が確たる証人としてはベストかと思ったけれど、そういう体裁なんかより、ただ単純に私たちのことを一番知っている、わかってくれている人物を選んだ。
「大役だろ?」
カカシがそう言うと、アスマは笑って、咥えていた煙草を噛んだ。
「そんなこたぁ無ぇさ。お前らは簡単に別れりゃしないだろうから、証人くらい気楽なもんだ。…ま、名誉なのは確かだな」
さらさらと署名を済ませると、彼も慣れた手つきで親指で血判を押した。
その大きな手で、わしわしと私の頭を乱暴に撫でる。
アスマの印象は出会ったころから変わらない。死んだ父や、親方を思い出させるあったかい包容力。
「…兄貴とか父親ってのは、こんな気分なのかな。妹か娘を嫁がせる気分だぜ」
アスマの言葉が私の思いまで見透かしているようにリンクするのが嬉しい。
抱き付きたくなるような衝動があったけれど、抱き付いたらたぶんカカシが怒るので、ぐっと自制した。
「まー、今後とも仲良くな」
「ありがとうアスマ」
「アスマと紅もさっさとすれば?」
「うるせぇよ。大体お前ら早すぎだろ。本っ当に、螺子が二三本ぶっ飛んでやがるな。
…ていうか、時間も早すぎねーか?今から行っても役所まだ開いてないぜ」
言われている通り、役所が開くまでまだだいぶ時間がある。
アスマだって寝ているところを私たちの来訪に叩き起こされたのだ。
外では鳥が鳴いているけれど、どこもかしこもまだ静かで、商店街も通りの端から端まですべてのお店にびっちりとシャッターが下ろされていた。
ここ以外にも寄るところがあってね、とカカシが言う。
寄るところというのを私も聞かされていなかったものだから、思わずカカシを見上げた。
カカシは右目で私に笑いかけて、それからアスマの方をもう一度見て続けた。
「慰霊碑と、墓地にね。報告しなきゃいけない相手がたくさん居る」
たくさんの報告しなきゃいけない相手。
それは、きっと、彼の親や先生や友達…ときどき夢に見ると言っていた、大切な人たち。
それから―。
「よく考えたら、サキホの親御さんやクロガネの親方に許しをもらっていないし」
同じくそこに居る、私の大切な人たちも。
彼は、考えてくれていたらしい。
きっちり挨拶してこいよ、とアスマは私たちを笑顔で送り出してくれた。
通りに人目が無いのをいいことに、普段はしないのだけど、手をつないで墓地まで歩いた。
そこに着くまでカカシは何もしゃべらなくて、たまに握る手を緩めたりぎゅっと力をこめたり。
後で聞くと、考え事をしていたらしい。
どうやって私のことをお父さんやミナト先生に紹介すればいいかとか、馴れ初めまで報告すべきなのかとか、もし クロガネの親方が今も生きていたらぶん殴られていたんじゃないかとか、そんなことを考えていたんだとか。
それを聞いたらあんまりにおかしくて、おなかを抱えて笑ってしまった。
おしまい
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