ただならぬ関係 (3/3)





 引き戸の前で、思わず立ち止まった。
 話し声が漏れ聞こえてくる。
 もうとっくに沸騰しているやかんの音にかき消されて途切れ途切れに聞こえたが、それはカカシとバクの声である。

「―からぁ、いつまで怒ってるのかって――!オレがそんなに―」

「――じゃないの!もうおしまいよ、もう知らない、カカシなんて―!」

「おいサキホ―!おまえいい加減―!」

「やっ、離して…!!」

 明らかに、会話は諍いだった。
 いいことだったのか悪いことだったのか解らないけど、助けを求めるような彼女の声に、私は反射的に戸を開けていた。

「いつまでも意地張ってろよ!代わりなんていくらで…も…………あ、」

 私が戸を開けたことに気づいて荒げていた声も尻すぼみになり、あ、と間抜けな声を漏らすカカシ。
 彼女の細い手首をきつく掴んでいる。
 掴まれている彼女は、着ていたツナギの上半分を脱いでいてタンクトップから色素の薄い肌を晒している。
 女の私から見てもなかなかに無防備な格好だといえる。
 言い争っていたせいか、頬は赤く瞳を潤ませて。
 そんな格好で。
 こんなシチュエーションで。
 さっきの会話で。
 どう見ても、カカシに迫られているようにしか。

「―っきゃああああああああ!!!」

「サ、サクラ…!?ちょ、待っ、」

 思わず叫んでしまった私の口をふさごうとカカシの手が動いたが、自分でも信じられないくらい俊敏にそれを振りほどいて逃げた。

 慌ててナルトとサスケのいる作業場へ戻ると、私の叫びと様相に驚いてどうしたんだと二人は声を掛けてくれたが、うまく説明ができない。

 心臓がドコドコ鳴って破裂しそうだった。

「み、見ちゃいけないものを、見ちゃって…カカシ先生とバクさんが痴情のもつれ的な…!
 なんか、こう、ただならぬ雰囲気で!!私最初から何か変だと思ってたのよあの二人、そーゆーことだったのよ!」

「全然わかんないんだけど、どーゆーことだってばサクラちゃん…」

「だからねつまり!あの二人は元恋人なのよどうも先生が復縁を迫ってるみたいなのよキャアアア!」

「え、えぇぇー?あの姉ちゃん、全然イチャパラっぽくねぇし、絶対カカシ先生のタイプじゃねーって」

 ナルトの言う通り、彼女は化粧っ気もなくグラマラスというような体躯でもない。
 職人らしい仕事一途な感じで、色恋の匂いが感じられない女性だ。
 総合的に見て私たちが普段のカカシから思い描く、彼の好みに合った―イチャパラ的な―イメージとは違う。
 だけど。
 あんな雰囲気を醸し出しておいて、何もないわけがない。

「……カカシの野郎にもてあそばれた、のかも」

 苦々しく眉をしかめながら、ぽつりとサスケが呟いた。

「きっとそれだわサスケ君!カカシ先生ったら遊びのつもりであの人に手を出したけどいつの間にかタイプじゃなかったはずの彼女にハマッちゃってて、振られたけどどーしても別れたくないんだわ!自分がモテるからって調子に乗ってるとそういう事になるのよね!ドラマや少女漫画でよくあるパターンだわ!
『壁ドン!オレのこと忘れられんのかよ!』みたいな!!」

「フン…遊んでそうだからな」

「マジか。カカシ先生最低な上にかっこ悪ィー…」

 瞬間、視界に影が落ちる。
 背筋がすうっと寒くなった。
 振り向くまでもなく、よく知ったその気配は私たちの上官のもの。

「おーまーえーらぁぁぁぁ、勝手なことばっかり言って…!!」

「ぎゃああああ!!!」

 怒気と殺気をこれでもかとまき散らしてカカシが私たちに食ってかかった。
 勝手なこと、というけれど、さっき私が見聞きしたものは鮮明だったし、他に考えようがないじゃないか。

「だーれが振られたって、誰が!」

「カカシ先生でしょ、どう考えたって」

「オレは振られてなんかいません」

「じゃあ一方的に関係を迫ってたの?やだキモチワルイ!」

「一方的でも無い!」

「だって先生、今はカノジョ居ないって言ってたじゃない」

 この問答に心底疲れたように、あのねぇ、とカカシはがっくりと肩を落とし、そして後ろを振り返った。
 渦中の彼女が、そこに立って私たちのやりとりを見守っている。
 彼女はカカシの視線を受けて、どこか気まずそうに苦笑いを浮かべた。





「こいつ―サキホは、オレの奥さん。
 カノジョとかじゃなくて、れっきとした奥さんなのね」





「!?」

「!!」

「…!」





「ええええぇぇえええええっっ!?」




 私とナルトが絶叫する。
 サスケもいつもの鋭い目を丸くして口を開けていた。
 驚きすぎだろうが、とカカシは額を抱えて盛大にため息を吐いた。

「えっ、なっ、だって。先生結婚してるなんて初耳…!」

「別に隠してたわけじゃないよ、言う機会が無かっただけで。
 まーお前らともそこそこ仲良くなってきたからここらで紹介しとくかと思ったわけ。
 ところがこの人の機嫌がどーにも悪くてね。
 紹介する前にそっちを何とかしようと思ったんだけど。ね、サキホ?」

 カカシはバクのことをサキホ、と呼んだ。
 おそらくそちらの名が彼女の本名なのだろう。
 その名を呼ぶカカシの声色がなぜか不思議といつもと違った風に聴こえて、なんとなく、だけど特別なものを匂わせる。
 彼女にとって特別な相手にだけ、その本当の名を呼ぶことを許しているのかもしれないと。
 それにしても、今この場ではそんな甘い空気はこれっぽっちもないのだけど。

「………」

「はぁ…こんな調子で三日間も口きいてくれないし目も合わせてくれなくてさ」

 三日間。結婚して同じ家に住んでいるとすればそれは確かに異常である。
 この店に踏み入れたときの二人の会話を思い出す。
  ―久しぶり、カカシさん
  ―わー、それ皮肉?
 三日ぶりにまともに顔を合わせて言葉を交わした瞬間なのだろう。違和感のあったあの会話は、どうやらそこから来ているらしい。

「…カカシが悪いんじゃない」

「そんなに怒ることじゃないでしょ」

「あ、あのー。つまり喧嘩中ってこと?いったい何が原因で…」

「聞いてくれる?酷いんだから、この人私との約束破って…」

 消え入りそうな細い声でバクが言った。
 瞳にこらえきれない涙がにじんでいる。
 きゅっと噛み締めた唇は赤く、自分よりもずっと大人の女性が見せるその感情的な仕草に胸が痛んだ。
 女の人にこんな顔させるだなんて、いったいこの男はどんな酷い仕打ちをして彼女をもてあそんだというのか。
 とても想像がつかない。
 けれど、絶対にゆるせない、そんな予感はしている。
 カカシはもう言い訳する気力も無さそうにポケットに手を突っ込んで居心地悪そうに首を掻いていた。





「あじさい堂の季節限定・栗饅頭買ってきてくれるって言ったのにいっつも忘れて…!もう販売終わっちゃったじゃない!!」





「…へ?あじさい、堂?」

「…くりまんじゅう?」

 私とナルトのつぶやきが宙に浮いた。
 約束。
 あじさい堂。
 栗饅頭。
 いつも忘れて。
 終わっちゃった。
 あまりに突拍子もなくそれらの単語が飛び出したものだから、事の顛末を理解するのに数秒かかってしまった。
 どうやら夫婦喧嘩の原因は、カカシがあじさい堂の栗饅頭を買い忘れたことらしい。

「だから、それは悪かったって!でもあじさい堂じゃなくても栗饅頭くらい売ってるだろ!?」

「それじゃ意味が無いって何度言えばわかるの!?全然味が違うんだから!カカシのばかあぁぁぁ…!」

「ちょ、ねぇ、サキホ…」

 ついに泣き出す彼女に、さすがに強気な態度も崩さずにいられなくなったらしく、カカシは慌てふためいて彼女をぎゅっと胸元に抱き寄せた。
 悪かったよ、ごめんね、と囁きながら髪を撫でる。
 こどもをあやすみたいに甘い声。
 こんなカカシの姿は見たことが無い。
 ていうか、なんていうかもう、見ていられない。
 バクの方も、めそめそ泣きながらカカシのばか、きらい、なんて心にもないであろう可愛らしい悪態を吐いている。
 こうして身体を寄せ合ってしまえば、もう完全に二人の世界だった。
 このままイチャイチャチュッチュの仲直りモードに突入することは必至だ。

「先生、弱ッ…」

「…くだらねぇ、帰るぞ」

「お、おじゃましましたー」

 居たたまれなくなってそそくさと外へ出る私たちを、カカシは一瞥もせずに片手だけひらひらと振って見送った。
 困ったような嬉しいような垂れ下がった右目。
 なんだか情けない、けれど。
 今まで知らなかったそういう人間味のある部分に妙にこそばゆくなる。
 あのカカシにあんな顔させる女性がこの世に存在するのだ。




「最高にばかばかしい夫婦喧嘩だったってばよ…」

「ああ、はた迷惑だな」

「んー…でもなんか…羨ましーぃっ!」

 私が笑いながらそう言うと、男子二人は理解できないと言いたげに顔をしかめていた。









おしまい



式日