マニフェストは愛妻至上主義 (1/2)


 ずっと同じ悩みが廻っている。
 忍界大戦終結から、ずっとだ。

 職業病なのか生来の気質なのか、物事を決断するのは早い方だ。
 ミスジャッジも時にはある。が、それはそれとして、時間をかけて決断を先伸ばしにするようなことは今まで殆ど無かった。
 それくらい、迫られている決断は大きなものだった。


 火影になるのか否か、と。


 周囲は早くなれと云う。
 しかし二つ返事でわかりましたと応えるにはあまりに大きすぎる命題だ。


 火影岩の展望広場から里を見下ろす。
 あの忍界大戦から一年が経とうとしている。とてもまだ落ち着いたとは言えないが、人々は里の復興に前向きに勤しんでいた。
 今日もあちこちから、建具を木槌で叩く音や、活気のある物売りの声が聞こえてくる。
 その里の中を、乾いた風が通り抜けていく。風は高くなった空へと木の葉を舞い上がらせる。
 季節は、夏と秋のあいだ。
 季節がこうして移ろっていくのと同じように、世代交代もまたしかり。
 それは、わかっているのだが。
 周囲の望む声とは逆に、自分が火影の器とは、オレは到底思えないのだ。


 ほぼ毎日、シズネ、ナルトやサクラ、時には綱手から直々に火影就任についての返事を急かされ、のらりくらりとかわしていた。
 他のやつに会ってもだいたいその話を持ち出される。
 それくらい、次期火影ははたけカカシということでほぼ決定要項として周囲の意識に定着してしまっているようだ。
 オレとしては綱手が続投すればいいと思うが、大戦でのダメージも大きく、もういい加減のんびりさせろと言われた。
 確かにあの御方は里の一番大変な時期を背負って、そして長として充分立派に勤めあげた。老体を労って─と言ったら本人に殴られそうではあるが、このタイミングで退くのは至極妥当なことである。
 どうあってもノーとは言いづらい雰囲気だ。しかし、雰囲気に流されてイエスと答えるのもいかがなものか。



*



「ただいまー」

 玄関に入る前から、秋刀魚の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
 ちょうど夕食の支度が仕上がるところらしい。
 おかえり、といつもの笑顔が返ってくる。
 これだけは戦争の前も後も変わらない。
 うれしかった。

「なんと、ご馳走じゃない」

 こんがり焼いた秋刀魚に茄子の味噌汁、野菜の煮付け、小鉢、あと冷えたビール。
 何も驚くところのない平凡すぎる食卓だけど、オレの好きなものばかり並んでいるので、彼女が意図してそうしたのだろう。

「誕生日だもんね。毎年何もいらないって言うし、食事くらいは好きなものをお腹いっぱい食べてちょーだい」

「ああ、それが一番うれしい」

 冷蔵庫にはたぶんケーキ。
 彼女が好きなフルーツがてんこもりになったやつに違いない。
 そっちはおそらく彼女がお腹いっぱい食べることになるのだろうけど。
 想像できて、くっと笑いを噛み殺した。
 家に居るときだけ、彼女の前でだけ、悩みから解放される気がしていた。
 彼女はオレの置かれている状況を知ってか知らずか、火影のほの字も口に出さなかったし、もし知っていたとしても踏み込んでは来ないだろう。
 忍の世界にやたらと口を出さないというのが彼女の信条である。
 そうタカをくくっていたものだから、この後着替えて食卓についてからの彼女の第一声には耳を疑った。




「ねぇカカシ。あのね。私ね。火影夫人になりたいなーなんて。思うんだけど」




 乾杯したグラスに一口だけ口をつけて、ごく控えめに彼女はそう言った。
 火影夫人になりたいな…?

「…ふぅん」

 一度止まってしまった箸を再び上げて、秋刀魚の身から皮を剥いだ。
 じわりと溢れている脂が実に食欲をそそる。
 そそられるがままに何食わぬ顔で秋刀魚を口に運ぶと、彼女はあからさまに肩透かしを喰らった様子で慌てた。

「ふぅん、って、何。それだけ?」

 サキホらしくもないその発言に耳を疑ったのは確かだが、オレは至って冷静だった。
 何故ならば、そのセリフは驚くほどに棒読みだったからだ。信じられないくらい演技が下手で笑ってしまいそうにさえなった。
 要するにそれが彼女の心からの気持ちではないことは、明白だ。

「火影夫人だって?何を急に言い出すかと思えば。
 サキホ、大丈夫か?綱手様は女性だぞ?結婚できないでしょうが」

「そうじゃなくて、てかすでに私カカシと結婚してるし、だからね、つまり」

「…つまり?」

「つまり。カカシが六代目になったら、って」

「なんで火影夫人になりたいの?」

「えっ…そりゃ、名誉なことでしょ?あとは権力とか…お金もいっぱい入るだろうし、なんだかそこはかとなくセレブで素敵な感じが」

 名誉、権力、お金、なんかセレブ。
 どれもこれも、決して間違いとは言わないけれど、どうしてこんなに薄っぺらい響きなのか。
 それは、言っている本人がまったくそこに興味を抱いていないからだ。
 だいたい、言ってしまえば、里一番と謳われる高級オーダーメイド忍具を売っている彼女は、すでにそれらをすべて手にしているというのに。

「ねーサキホ、」

 思わずため息が溢れた。
 彼女と二人で居るときには滅多に出ないため息。
 まったく、こんなに嫌なことは久しぶりだ。決して彼女に対する嫌気ではないけれど─。

「誰に言わされてんの?綱手様?シズネあたりか?」

 きっとそんなところだろう。

「い、言わされてなんか…」

「でもオレはサキホが安易にそんなこと口にする人じゃないって、知ってるよ」

 ねえそうでしょう、我が妻よ。
 そんなことより秋刀魚が旨そうなので食事に集中させてほしい。
 サキホは誤魔化しがきかないと判断してか、バツが悪そうに頬を膨らませた。

「言いたくて言ったんじゃないのよ、こんなこと」

「知ってるって」

「私が火影夫人になりたいって言ってカカシを持ち上げれば、ぜったいうまくいくから、って。五代目怖いんだもん…せっかく建て直した工房、つぶされるかと思った!」

 やっぱりあの御方か。
 なるほど、五代目火影様が直々にやってきて脅しかけてきたら、そりゃあさぞかし怖かっただろう。
 かの大戦の影響を被って全壊してしまった彼女の仕事場である鍛冶屋クロガネ。
 テンゾウに頼んで木遁忍術で建て直してはもらったけれど、綱手にかかれば拳ひとつでまたぺっちゃんこになる。
 さすがにそんなことはしないと思うが、綱手のあの迫力で凄まれたら無理もない。

「ならないよ、火影になんか」

 ここまで手を回されていると知ると、意地でも承諾したくなくなるものだ。

「…でも、カカシしか居ないって皆言ってる」

「オレくらいの力の奴はまだ居るさ─むしろ、写輪眼の無いオレなんかもう、火影を名乗るに相応しい力があるとはいえないよ」

 事実だ。
 写輪眼の能力を使って、コピー忍者と持て囃された頃ならまだ良かったのかもしれない。
 実際に一度は火影の座に就く決意もしていたのだ。あの時は急を要する事態で仕方なしに火影になるところだったが、その時点で「自分しか居ない」と思って決意したことは確かだ。
 でも、今はそうじゃない。
 そんな気持ちは微塵も持ち合わせていない。

「カカシ…」

「もっとぶっちゃけるとね、」

 オレは箸を置いた。
 次の言葉を口にするのは勇気のいることで、食事をしながらとか勢いでとかそういう軽い気持ちで言えることでは決してなかった。
 そんな空気を感じてか、サキホも背筋をすうっと伸ばす。

「この際、忍を辞めることも考えてるよ」



式日