「すみません、一ノ瀬由香を呼んでもらえますか」
「えっ、あ、はい!」
「エッ、先輩!?」

まだ中学生らしい幼さの抜けきらない小柄な少女は、自分の教室のドア横に立つ見覚えのある姿に飛び上がった。背丈自体はそう大きくはないが、いつもしゃんと伸ばされた姿勢の良さで目を引く黒髪の上級生は、椅子を跳ね飛ばした彼女に気付くと目を細めて笑った。

「名字先輩、どうかしたんですか」
「いきなりごめん。昨日伝達し忘れた話があって。今時間平気?」
「も、もちろんです」

上級生の到来と呼び出された同級生という図が自ずと興味を沸かせるのだろう、背中に突き刺さるクラスメートらの視線でそわそわと落ち着かない少女、一ノ瀬由香を見下ろし、名前は少し微笑んで、特に突っ込むことなく伝達事項を伝えてゆく。

自己ベストタイムのアンケートとエントリー希望、丁寧に文字を追う名前の指は長く、爪の先はわずかに欠けている。そっと顔を見上げれば、伏せられた睫毛に一瞬どきりとした。一つしか変わらないはずの副主将は、一ノ瀬の目には言葉も雰囲気もしんと凪いだ静けさを纏っているように見える。そのせいあってか入部してそれなりに立つ今も、彼女に対してはそこはかとない緊張を拭えない。

梟谷には二年副主将が二人いる。
それは全国区レベルの運動部を多数擁するこの私立高校において、とりわけ入ったばかりの一年の間では騒がれずとも十分周知の噂になる話だった。そのうちの一人がまさか自分の入部した水泳部だとは思いもよらず、事実を知った時には皆してたまげたものだ。そしてその事実は時折、一ノ瀬をはじめ一年部員たちに、名前を単なる一つ年上の先輩というカテゴリーに収めかねさせる。

「―――…くらいかな。悪いけど他の一年にも伝えてもらえると助かる」
「あっ…はい!わかりました」
「うん、ありが―――あ、」
「?」

話を締めくくろうとしていた名前が不意に言葉を止める。その視線が自分を通り過ぎた背後、かつ遙か上方へ向けられるのを見た一ノ瀬は、つられて後ろを振り仰いだ。
そこにはにゅっと影を作る二メートル近い長身。間違いなく学年トップであろう191センチと面長の彼は、梟谷男子バレー部一年唯一のレギュラー、

「尾長くん、こんにちは」
「ちわっす!」
「そうか…君も一年だったね、そういえば」
「?っす、」
「え、先輩、尾長…え?」

しっかり腰からの会釈はさすがは体育会系の教育の賜物か。長身を折り曲げる尾長に、名前はなぜか眩しいものを見るような目をして笑う。
そんな自分の先輩と同級生の思わぬやり取りに、一ノ瀬は眼をぱちくりさせた。男子バレー部一年の尾長と女子水泳部の二年副主将に一体なんの接点があるというのか。しかし二人の会話は和やかに進むのだからますますわからない。

「この前はお邪魔しました。せっかくの部水入らず?だったのに」
「やっ、俺は全然!名字、さん…えーと、先輩は、うちの先輩方とすげえ仲良いんすね」
「うん、ずいぶん良くして頂いてる。あと、呼びやすいように呼んでくれればいいよ」
「、ウス」

これはどういうことだ。一ノ瀬は混乱の沼地から片足を引き抜きつつ思った。部水入らず、うちの先輩、それは男子バレー部か?じゃあ一体どこにお邪魔したんだ。呼びやすいように呼んでって、そんな穏やかな会話自分たちだってまだしたことないし、

「先輩、尾長…え?ちょっと尾長どういうこと?名字先輩の何なの尾長?」
「は?いや、何って…いや俺じゃなくて、うちの先輩らと仲良い人だから」
「え、尾長、…男バレだよね?」
「おう」
「……接点は!?」
「男バレのマネさんの一人が、私の中学時代の先輩なんだよ」

応じたのは名前本人。マネが先輩、中学時代の。頭の中で繰り返して、一ノ瀬はようやくああと頷けた。そうか、旧知の先輩がいるのか。なぜかほっとした心地になる一ノ瀬の安堵は、しかし次の瞬間再びひっくり返される。

「え、そうなんですか?俺、てっきり赤葦さんと――…その、付き合ってるんだって思ってたんですけど…」
「!?」
「エッ」

一ノ瀬は驚愕した。それはもう驚いた。だががばりと振り向いて凝視した副主将もまた、目を丸くして尾長を見上げている。
一瞬の沈黙。視線と一緒にゆっくりと左右に振れる頭。名前はその数拍で平静を取り戻し、必要な言葉も用意して、それから困ったように苦笑した。

「…それ、赤葦くんには言ってないよね?」
「へ、…え、まあ、」
「うん、言わないでね。彼に迷惑がかかるといけない」

あ、あと付き合ってないよ。私と赤葦くんはそういうんじゃない。

思い出したように付け加えられた事実に、尾長は「はあ…」と気の抜けた返事をする。いの一番に出てきたのが否定ではなく赤葦への確認だったことが、彼にも腑に落ちないようだった。

だが穏やかに語る名前の口調に焦りはなく、耳をそばだてていた無関係のクラスメートたちもなんだ勘違いかと興味を失った顔をする。
それをちらりと見た名前の顔に不意に過った色に、一ノ瀬は一瞬目を奪われた。薄い色。疲れ、諦め、呆れ―――限りなく透明に近い辟易。

あ、これ。

この数か月、時折一ノ瀬の胸に湧き上がり、酷い時には彼女を窒息させんとしてきた正体不明の感情に、突然名前がついた。寂寞。それは仲間になれないような疎外感だ。優しい先輩だと思うのに、越えられない一線で弾かれるような寂しさ。

どこか周りから一歩引いた、否、一歩なんて可愛らしい距離感じゃない。ねじれの関係、例えばそんな風に、それよりもっと複雑に、どこか空間から隔たれているような場所、名前はいつもそんなところで佇んでいる。踏み込んでこないが踏み込ませてもくれない。伸ばした手が届くのは残像だけ。

一ノ瀬はたまらない気持ちになった。しゃんと背筋を伸ばした副主将が、時折途方もなく遠くに感じる理由の端っこがようやくつかめた気がしたのに、言葉は何一つ出てこなかった。

「そうか…尾長くんは一年生なんだよね」

名前はさっきにもこぼした台詞を繰り返す。見上げるような背丈の彼を見やる名前は、やっぱり眩しそうな眼差しをしていた。そこに込められた色は、後輩を案じる心配にも、若き新鋭への憧憬にも見えた。名前が言う。

「バレーは好き?」
「え、…そりゃまあ、」
「どれくらい好き?」
「どれくらい、ですか?」
「…きっとこれから、いろんな人がいろんなことを言うだろうけど」

そこさえ外さなければ大丈夫だから、頑張って。

名前は言い残し、あっさりと踵を返すと元来た廊下を辿ってゆく。一瞬ぽかんとした二人だったが、一ノ瀬に見上げられ無言で問われた尾長は、自分が最近レギュラーになったことを言っていたのではないかと答えた。

一ノ瀬は名前の言葉を反芻する。「いろんな人がいろんなことを言うだろうけど」。尾長は恐らく一年で唯一のスタメン入り、先輩から良い顔をされないことも同輩から妬まれることもあるだろう。彼への激励、否、それに似た忠言―――そこに透けて見えるのは、名前自身の経験なのだろうか。

「名字さんって、うちの副主将と一緒で二年で副なんだよな」
「あ、そっか!男バレも副主将二年なん…って、え?じゃあさっきのアカアシさんって、」
「おう、うちの副主将。一年の頃から名字さんと仲良いんだってさ」
「…ずるい、」
「は?」
「ずるい!なんで尾長たちのが名字先輩と仲良いのさ!」
「は?いや、お前の方が普通に親しくなかったか?」
「違うって、なんか…なんかわかんないけど違うの!」
「いや俺に怒られても……」

要領を得ない言葉で駄々を捏ねる一ノ瀬に、尾長は戸惑いつつ首をかしげる。実は同じ中学の出身である二人に余計な遠慮はなく、互いのこともそれなりに知っている。そのため彼も一ノ瀬が何かを上手く言葉にできずにいるのはわかったが、肝心の彼女がわからないのであれば解決してやる術もない。

「ねえ由香、さっきのって部長さん?」
「違うんじゃない?だって上履きの色二年だったもん」
「えっじゃああの先輩がそうだったんだ、二年副部長!」
「へー、確かになんかすっごい大人っぽかったね。見た目っていうか空気がさ、めっちゃ落ち着いてる感じ」

うん、そうだ。確かに名字先輩はすごく落ち着いてて、優しくて真面目で、多分仕事も出来る。でもあんまりしゃべらないし、笑わないし、今思えばみんなと一緒に帰ったりも滅多にしなくて、でもそれは部誌書いてたり閉め作業があるからで、だけど着替えるときも一人で。

「…先輩は、すごく、…すごく…」

そのあとの形容詞がうまく見つけられなくて、興奮気味に騒ぐクラスメートたちに答えられないまま、一ノ瀬は廊下の向こうを見つめて顔を曇らせた。








「尾長、こっちは俺がやっとくから、お前は他の一年の片づけに回ってくれ」
「え、けど…いいんすか?」
「ああ。人数足りてるし、どうせ自主練するから全部は片づけないから」
「っす、」

落ち着いた声で頷いた副主将を前に、尾長渉は軽く会釈し、同輩たちの輪に加わるため駆け足で体育館を横切った。重たげにポールを引き抜いていた小柄な同輩を助けると、「尾長か、助かるわー。身長足んねぇ、10センチ寄越せ!」と苦笑される。170に満たない彼は中学からリベロだと言っていたか。でもリベロはちっせぇ方が小回り利かねえ?と問えば、「それとこれとは別なんだよ!」とむくれられた。

結局ポールは自分ひとりで抱えて倉庫に向かえば、同輩たちはちょっと驚いたように尾長を見た。いたのかお前、とは失礼である。

「お前、先輩たちの方に混ざってなくていいのか?」
「いや、赤葦さんが一年の方に入れって。つか俺も一年だし」
「え、けどお前レギュラーじゃん?」
「バッカ、レギュラーだから片付けナシとかねーだろ。先輩だっていんのに」
「あーそりゃそうか。まあそうだったら俺らでもあんまいい気しねーしなあ」
「…なんかすまん」
「いや別に尾長のことどうこう言ってるわけじゃねーよ!」

さっきのリベロにばしんと背中を叩かれ、談笑する同輩たちの言葉に棘がないことを感じ、尾長は少しほっとして相好を崩した。

多数いる新入部員の中でも尾長が(身長的にも技術的にも)頭一つ抜けていることは皆よく知っている。レギュラー確定も近いだろうと目されていたし、実際そうなったときも実力から見て異論は起きなかった。しかし理屈だけで心が納得するほど人間は簡単な生き物でない。文字通り吐きそうなキツさの練習をこなしてきただけあってそう根性が腐ったヤツは滅多にいないが、尾長を快く思わない二、三年がいるのも事実だった。

それでも取り立ててどうこうという面倒は起きていないし、同輩にも時折やっかみの言葉やライバル心を向けられることはあってもそこに悪意はない。なんというか、実に順調と言うか、安定していると思う。

「アレ、尾長帰っちゃうのー?」
「え?いや、自主練していきますけど…」
「そうなの?片づけしてるから帰んのかと思ってた」
「ああ、赤葦さんが一年の方に加われって、それで」
「、へえ、赤葦が」

尾長に声をかけたのは洗ったばかりのボトルを抱えた白福だった。一番幅広の重いモップを片手に床を磨く尾長の口から出てきた副主将の名前に、彼女は興味深そうに眼をくるりとさせ、それから意味深長に笑みを作る。きょとりと首を傾げた一年レギュラーに、白福はけらけらと笑った。

「ほんとデキたフクシュショーだよねぇ、赤葦って」
「?っす」
「そのカオ気づいてないでしょ。赤葦ね、尾長のことすっごい気にかけてるよ」
「へ、」

ボトルの籠を胸に抱えてニヤリと笑んだマネは、足取り軽く歩み去ってゆく。残された尾長は一瞬ぽかんとして立ち尽くし、それから惰性で床磨きを再開する。

副主将が俺を?
彼は考える。赤葦はあまり表情を変えない人だ。親しみやすいわけではないがわからないことがあれば丁寧に教えてくれるし、先輩風を吹かせることもない。普通に良くしてもらっていると思う。だが彼は誰に対しても基本的に態度は同じだ。特に可愛がられているという印象は―――。

そこまで考え、不意に尾長は気がついた。同輩との仲、先輩との距離感、片づけの指示。

「…俺が浮かないように?」

言葉にした推測が胃の真ん中にすとんと落ちる。その瞬間一気にすべてが拓けて見えた。

尾長に一年の基礎練に参加するよう言うのも、一年と同じ片づけに入るよう指示を出すのも、同輩同士で組ませるのも、思えばいつも赤葦だ。レギュラー練でも自主練でもブレない態度のおかげだろう、邪険にされているとも嫌われているとも感じたことはないから気にしてもいなかった。けれどそれこそ、実にさり気ない尾長への配慮だったのだ。

尾長は一年で唯一のレギュラーだ。レギュラーと平部員はどうしても別メニューをこなすことになる。合宿や遠征だってきっと別々になるだろう。まだ入部から日の浅い同輩たちとの絆が深まる前に関わりが薄れ、自然と溝が出来てしまう可能性だって十分ある。

だから出来る限り、赤葦は尾長に同輩と関わる機会を与えていた。片付けも基礎練も一年として参加させる。それは周囲に「レギュラーの尾長渉」の前に、「一年部員の尾長渉」を印象付けるためだ。

レギュラーになれば関わりも増えるし、素直で人の好い尾長が三年も可愛いのだろう、やはり他の一年に比べて尾長が木兎や木葉たちと仲がいいのは否めない。赤葦は自らもそれに加わりつつ、しかし尾長が一年から孤立しないよう手回しは欠かさない。

その恐ろしく自然体でなされる赤葦の配慮のさりげなさと思慮深さにようやく思い至り、尾長は思わず絶句した。白福が言った言葉の意味を理解する。可愛がるとか気にかけるとか、それは頻繁に話しかけたり、部活終わりのファミレスに誘うとか、そういうわかりやすい形だけに現れるものじゃないのだ。その視野の広さと行動の的確さに恐れ入る。なるほど恐ろしくよく出来た人だ――― 一年で副主将に任命されるのも頷けるほどに。

思ってしまえばいてもたってもいられず、尾長はモップ片手にネットを片づけていた赤葦のもとへ駆け寄っていた。

「あ、あの、赤葦さん!」
「ん?どうした、尾長」
「そのっ…俺、全然気づいてなかったんですけど、すげぇ気ィ遣ってもらってたみたいで、だから」
「…?悪い、なんの話かイマイチ…」
「俺が、あー、…勘違いじゃなければ、浮かないようにって。だから基礎練とか片づけとか、」

そこまで言ったところで、尾長の言わんとするところを察するのが流石は赤葦と言うべきか。ああ、と思い出したような顔をした赤葦は、ちょっとバツの悪そうな顔をし、「白福さん?」とマネを見やって言う。尾長が頷けば、日焼けしていない首筋を掻いた赤葦は「黙っといてくれればいいのに…」と呟くようにこぼした。それから彼は、なんでもないようにさらりと告げる。

「…まあ、ウチは強豪だし、しょうもない嫌がらせは滅多に起きないけど。ないわけじゃないから、そういうの」

すいっと流された視線の遠さに、尾長は一瞬思考を止めた。
去年の三年は春高には残らなかったと聞いた。であれば赤葦が副主将になったのは一年の夏以降。
その言葉と遠い眼差しは、彼自身の経験からくるものなのだろうか―――思って不意に思い出したのはしかし、先日教室で鉢合わせた同級生の先輩。

「二年副主将」の片割れだという一つ上の彼女の眼差しは、赤葦のそれによく似ていなかっただろうか。

「…名字さんもそうだったんですか?」

ほとんど無意識にこぼした問いかけだった。何の脈絡もないそれに赤葦が目を大きくするのを見て、尾長ははっと我に返る。しかし二の句は継がれなかった。滅多になく驚いたような顔をした赤葦に尾長自身も驚いたためだ。

「…尾長って、前から名字と知り合い?」
「え、いや、同中のクラスメートに、水泳部のヤツがいて…」
「…そうか」

赤葦は一瞬黙る。斜め下に落ちる視線。その顔は先輩に向けるものでも自分のような後輩を見るときのものでもない、初めて見る顔だった。

「…アイツは俺なんかより、もっと大変だったと思うよ」

俺はなんだかんだで一年から木兎さんに可愛がってもらってたし、レギュラーの先輩たちが俺に副主将を『させてくれた』から、こんな風にしてられるけど。

「俺は名字には敵わないと思う」

尊敬、憧憬、悔しさ、もどかしさ。それでいて穏やかな眼差しは見守るような温度を持っている。浮かべられた小さな笑みを一瞬で駆け抜けたそれは、一色には決められない繊細な感情の無数の欠片。

ああ、これ。鷲尾に呼ばれて場を離れてゆく背中を見送りながら、尾長は思う。
名字さんが赤葦さんの話をするときも、あんな顔をしていたはずだ。

「アレで付き合ってないって一種のテロだよなあ」

なにやら入口の方へ向かった赤葦を見送った尾長は、後ろからかかった声に肩を跳ねさせた。同じく片手にしたモップに体重を預け、愉快げに目を細める木葉に、通りかかった小見が加わる。

「あーアレだろ?友達以上恋人未満ってヤツ」
「うわー甘酸っぺぇ。青春かよ、胸焼けすんわー」
「なになに、何の話だ!?」
「赤葦と名字ちゃんと青春してんなって話」

何やら楽しそうだと話に加わりに来た木兎は、小見の説明にきょとんとした顔をする。ふと見やった体育館の入口には、噂をすればのタイミングで、何かの用紙を持った名前が赤葦と話をしていた。おおよそ部会か何かの連絡事項だろう。

「あかーしと名字が?」
「そ、結構似たモン同士っぽいし」
「冷静沈着な副官って感じとかな」
「まあ名字ちゃんの方が俄然愛想良いけど」
「間違いねーわ」

木兎は同輩たちの声を耳に、入口横の二人を見やる。冬を超えた名前の黒髪は、毛先を肩に乗せ柔らかくたわんでいる。プリントに視線を落として淀みなく言葉を紡ぐ横顔に、しばしばマネの背中に隠れていた、硬く強張った不安げな面持ちは見当たらない。

一年副主将として各々顔を知られた二人は今、二年副主将コンビとしてセットで名を知られるようになっている。部会に出るメンツは特に、三年所帯にあって引けを取らず、真面目で冷静な佇まいと的確な処理能力を見せる二人に、少なからず似通ったものを見出していた。決して目立つわけではないが、二人の間に一種特殊な絆があることに気づいている者も少なくなく、よもや付き合っているのではという噂もないわけではない。

だが木兎によるこの話題の受け取り方は、木葉や小見の想像の範疇の遙か斜め上を駆け抜けてゆくものだった。

「…そうかあ?俺はそんな似てねーと思うぞ?」
「は?いや、まあそっくりとは言わねーけど、落ち着きあるし頭も良いし礼儀正しいし…」
「どっちも選ばれるべくして選ばれたって感じじゃね?」
「ええ?ちげーって全然、あかーしのフクシュショーになった理由と名字のは全然ちげえし、タイプだって似てねぇよ」
「悪い木兎、全然わからん。なんでそう思うんだよ」
「なんでって…んー…あかーしが冷静なのもしっかりしてんのも最初っからだろ。でも名字はそんな向いてねーけど『そうなるしかなかった』っつーか」

アイツ部活以外じゃ結構笑うしジョーダンも言うし、結構抜けてるとこあるし。


口を尖らせ付け加えた木兎の言葉に瞠目したのは傍で聞いていた白福だった。疑問視する仲間に言い募る彼には呆れ交じりに感服する。相変わらず鈍いのか鋭いのかわからない男だ。

名字は周りが言っているような、「赤葦と同じ出来た副主将」ではない。木兎が言いたいのはそういうことなのだろう。
正しい評価だ、と白福は思う。名前は確かに真面目で補佐向きだが、本来はもっと笑うし人懐こいし無茶もするし、割と抜けててドジも踏む。けれど名前を取り巻く環境が、名前にその自然体を許さなかった。

名前が赤葦に似るのは当然の結果だ。名前が憧れ、目標とし、目指したのが赤葦だったからだ。あの針の筵で自分を守るには赤葦の強さが必要だと思ったのだろう。赤葦はきっと名前にとって、最も身近な同志かつ唯一の手本だった。

でもそれが名前にとっての正解例だったかと問われれば答えはわからない。赤葦は赤葦で、男バレは男バレ、名前は名前で、水泳部は水泳部だからだ。決して同じ副主将像が当てはまるとは限らない。


水泳部の市原香織と山瀬水城が仲違いした。そんな噂を小耳にはさんだのはつい最近のことだ。篠崎にそれとなく聞けば、「名字はもう関わってないよ。アレは三年の問題だ」と相変わらず他人事のように言っていた。
篠崎がその「三年」の中に自分自身をカウントしていないことは薄々気づいている。「もう」ということは少なくとも初めは名前が関わっていたことも。

「なあ白福、お前もそう思わねぇ?お前のが名字のことよく知ってるだろ?」

賛成票を得られないらしい木兎が不満顔で白福に話を振る。彼女は肩をすくめると、再び戸口で話し合う二年副主将を見やった。

「…そーだねぇ…まあなんていうかさ、いい加減腰据えて落ち着けばいいとは思うよ、水泳部」

とうに事務連絡は終えているだろう後に何を話していたのか、不意に名前が声を上げて笑った。赤葦が少し不満げな顔をして名前の頭をぐしゃぐしゃにして抑え込む。セッターの手から逃れようと身をよじりながらも、名前は楽しそうに肩を揺らしたままだ。
ますます不機嫌顔になる赤葦が今度は名前の鼻をぎゅっとつまむ。思わぬ攻撃に驚いた名前がぱたりと動きを止め、徐々に赤くなる顔で何事かを言えば形勢逆転。すっかり機嫌を直したらしい赤葦が満足げに何かを言って追い打ちをかけている。

「でもまあ、」

お似合いっていうのにはサンセーかな。

ニヤニヤ笑いで付け加えたマネージャーに、一つ下のクールな副主将が可愛くて仕方のない三年連中は、実に仲睦まじいやり取りを見せてくれた副将コンビを盛大に揶揄うべく出撃準備に入った。

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