きっかけ、というか起爆剤になったのは、相変わらず唐突さがテロリストレベルの先輩の一言だった。

「市原、山瀬、それから名字。来週日曜朝9時駅な」
「…は?」

何だその呪文。
並んで着替える更衣室の一角、並ぶはずのない名字の羅列と、何の前置きも文脈もない台詞に呆気に取られる。しかし見やった篠崎先輩はまるで何事もなかったかのように、丸めたタオルを豪快に足元の鞄に押し込んでいた。その豪快さのままチャックを閉めた先輩は、濡れた髪にタオルを引っかけ使い古しのエナメルを肩に担ぐ。
そして思い出したように私の隣を見やり、気怠い口調のまま付け加えた。

「あとついでに、何だっけ?尾長と同中の一年」
「へ?」
「そうあんた。あんたもね」

ぐるり、横を見やれば半分脱ぎかけた水着もそのままにフリーズしている一ノ瀬さん。全力で混乱状態の頭のままとりあえず彼女にタオルをかぶせた私の判断は間違っていなかったと思う。いや女子しかいないはいないけど、さすがにそのセクシーショットはいかん。嫁に行けん。

ていうかさっき市原と山瀬って。ぐりん、再び首を回せばロッカーの反対側、揃ってシャツを引っかけたままフリーズしている市原先輩と山瀬先輩が目に入り、私は真剣にブレザーか何かを掛けにゆくべきか迷った。多分めちゃくちゃ混乱していた。しかしどこもここも露出度が高すぎないか。

そんな私たちを一瞥した篠崎さんは、にやり、唇を吊り上げるようにして笑う。
二度目の夏を迎えんとする私にはわかった。あれはロクでもないことを企んでいるときの笑みだ。

「海行くぞ」

うみ。

がちゃ、ばたん。シーン。
ざわざわと賑やかな更衣室、しかし半径1.5メーターに投下される沈黙。タオルから顔を突き出したままてるてる坊主になって凍り付いている一ノ瀬さんと目が合った。だが彼女に構う間もなく脳味噌がフル回転した直後、私は猛然と荷物を詰め込み、放り投げるように挨拶しながら部室を飛び出していた。

「先輩待ってもう一回!!」

ギブミー詳細、テルミー日時。






「ちょ、まさか名字ちゃん、ホントに競泳用で来たの…?」
「へ?」
「っしゃ、あんたらジュース奢り決定な」
「うっそマジで負けた…!」
「は?え、ジュースってなん、」
「ああ〜っもう!名字ちゃんさあ、夏だよ?海だよ?女の子はビキニでしょ!?」
「は!?いや、そんなん持ってないですし、一ノ瀬さんだって競泳用じゃないすか!」
「ええ〜!?ちょっと由香ちゃんノリ悪いんじゃない?ビキニじゃないと遊泳禁止よ?」
「エッ泳いじゃ駄目なんですか…!?すみません今すぐ帰って、」
「ちょっと雪絵先輩何しょうもない嘘吹き込んでんですかうちの可愛い一年に!」
「かわッ…!?」
「やだ由香ちゃん照れてるカワイー!」
「…ちょっと、雀田までうちの一年からかわないでくれる?あんたらと違って純粋なんだから」
「はあ!?あたしらと違ってってどーいう意味よ市原!」
「ていうか雪絵、そもそも私たち海に遊びに行くなんて聞いてなかったんだけど…」
「えっ水城それホント?ちょっと篠崎あんた、あたしらが一緒ってこと言わなかったわけ?」
「そりゃ言ったらこいつらますます競泳用でしょ。むしろハンデ貸してやったくらいに思ってほしいんだけど」
「くうッ…いーやナシでしょ、賭けも無効だかんね!行くよかおり!」
「は?雪絵あんたどこ行くの」
「レンタルショップでチョー可愛いビキニ借りてくる〜!」
「ちょっ雪絵先輩この流れでそれ着るの私らですよね、絶対ヤですからね!ていうか光琉先輩は私で賭けないで下さいよ!」

この人は本当に…!
けたけた笑いながら惜しげなくシャツを脱ぎ捨てるこの茶髪の自由さたるや。おろろと慌てて右往左往するキャミ一枚の一ノ瀬さんを捕まえ、とりあえず上を着なさいとシャツを被せる。とんだデジャヴである。
肺ごと吐き出すようにため息をついて思った。私これとんでもないところに来てしまったんじゃなかろうか。



場所は都内からそこそこに離れた海水浴場、その更衣室。並ぶメンツは市原・山瀬・篠崎先輩の三年三名に、一年の一ノ瀬さん、そして私という謎の水泳部メンバー、そしてバレー部マネの雪絵先輩と雀田先輩。お察しの通り、男子更衣室では今頃男バレの皆さんが着替えている最中である。

あの部活終わりの一方的な伝達を事の始まりとして、言われた通り駅まで赴いた日曜朝9時10分前。ばったり鉢合わせた赤葦くんの姿に、私は盛大に凍り付いた。

これでも就任から苦節一年、共に副将という中間管理職を務めてきた間柄である。いちいち言葉で確認せずとも各々の先輩陣に半分ハメられたことだけは、互いの表情からすぐ理解できた。

『…名字は篠崎さん?』
『赤葦くんは、…あー、全員?』
『否定できなくて嫌になる』
『…お疲れ様…』

それ以外に何も言えまい。無言のまま目元を覆って赤葦くんの目は軽く死んでいたと思う。多分私も同じような顔をしていただろうが。

その後続々と集まってきた先輩方のニヤニヤ顔には二人そろってげんなりした。否、山瀬先輩と市原先輩だけは男バレの姿を見て目を剥いていたから、恐らくこちらの陣営なのだろう。
ちなみに一ノ瀬さんは尾長くんと仲良く並んでやってきた。リア充かとそわそわ聞いたら「同中なだけですッ!」と全力で否定された。尾長くん素敵じゃない?と聞けばなぜか尾長くん自身に全力で止められた。若干青くなってた理由はわからず仕舞いである。


ともあれこの騙し打ちの様な突発企画の発案者は恐らく雪絵先輩あたりで、乗っかったのは木葉さんや篠崎先輩たちだろう。だがしかし何故このメンツ。関わりが全く無いというわけではないが、市原・山瀬両先輩と篠崎先輩の不仲は有名だし、現三年と私の軋轢も機密事項と呼ぶほどの秘密でもない。むしろ篠崎先輩の誘いにその二人が応じたこと自体予想外と言えば予想外だった。

そんな複雑な心境とそこはかとない緊張を隠し損ねたのだろう。不意に私を覗きこんできた鷲尾さんは、悪かったなと断りを入れてから静かに笑んでこう言った。

『みんな高校最後の夏の思い出に、可愛い後輩と遊びに行きたかっただけなんだ』

言われた言葉が不意打ちすぎてうっかり泣きそうになった。そしたらそれを漏れ聞いてしまった尾長くんも一緒だった。涙目になって黙り込む私と尾長くんにみんなが仰天し、鷲尾さんにあらぬ濡れ衣が着せられそうになったのはご愛嬌である。

「で、名字。ゆっくりしてっけどいいわけ?」
「はい?」
「あたしだったら白福がロクでもない水着を調達してくる前に着替えちまうと思うけどね」

一年まで巻き添えにする気か?

「…!!」

ぐるん、振り向いた先にはシャツを被ったまま状況を呑み込めていないいたいけな一年女子。同じくして振り向いていた市原先輩とがっつり目があう。

「―――緊急脱出よ。全員今すぐマッハで着替えて」

これほど心が通じた瞬間はないと思った。市原先輩の顔はマジだった。

「大丈夫よ香織、生贄なら引き受けるわ。私別にビキニでも構わないし」
「ヒュー、流石は水泳部お色気担当」
「一言余計なのよ光琉は。曲がりなりにも海って聞いてたから、競泳用とプライベート用二つとも持ってきたのよ」
「さすが山瀬先輩…っ」
「水泳部の美人担当…っ」
「…ちょっとそこふたり真面目に言うのヤメテちょうだい」
「照れんなって」
「光琉あんたホント黙ってて」

言いながらも着替える速度は過去最速である。最終下校ギリまで泳いで、生徒指導の鬼教師が正門で雷を落とすのを聞いた時を超えたと思う。現役水泳部をナメないで頂きたい、早着替えは通常装備なのだ。
しかし一歩遅かった。バタン、開いたドアから駆け込んできたのは男バレが誇る二大美人マネ。

「ふっふっふ…逃がさないわよ水泳部?」

にたぁ、とそれはそれは悪い笑みを浮かべた御二方を前に、水泳部に走る戦慄。2対5であるにも関わらぬこのラスボス戦ムードはなにゆえだ。元からビキニ志望のはずの山瀬先輩はおろか、あの不敵な篠崎先輩まで顔を引きつらせたその恐慌は推して測るべし。

ぎり、と歯噛みした市原先輩が腹をくくったように一ノ瀬さんを背に回す。私はとっさにその横に並んだ。ぱちんと噛み合う視線、頷く一瞬。この一年は何だったんだと思うほどのシンクロ率。

「いい?名字。一ノ瀬は逃がすわよ」
「了解です、我が貞操に代えても」
「えっ部ちょ、先パ、え?」

こうして更衣室における仁義なき戦いの火蓋は切って落とされたわけである。




結果から言おう。惨敗だった。

「逃がさないわよ名字ちゃん、名字ちゃんにはこのゼブラを着てもらうんだから!」
「はあ!?誰がそんな面積の狭いッ…ひっぎゃああどこ触ってんスか!」
「ちょ、名字…!白福あんたそれ痴漢よ、訴えたら敗訴レべっきゃああ!?」
「大人しくしなさい香織、そのDカップ今使わずにいつ使うのよ!」
「先輩がッ…先輩が美人さんの餌食に…!!」
「あら光琉、ビキニでいいの?意外と早々降伏したのね」
「ああなりたいか?」
「…。賢明な判断ね」

そんなことを言っている暇があるなら助けてほしい。腹やら何やらを散々くすぐられ、その隙に水着を剥かれそうになり(ただでさえ競泳用は薄くて破れやすいというのに!)、苦渋の白旗宣言を出したころには息も絶え絶えになっていた。
しかし同じくぐったりしながらも最後まで毅然とし、「一ノ瀬と名字には水城に選ばせて、それが条件よ」と譲らず釘を刺した市原先輩にまたもうっかり泣きそうになった。

大人しく山瀬先輩の元へ連行されれば、「自首しに来た犯人みたいね」ところころ笑われた。例えが地味に辛辣で心がめげそうになった。
しかし一ノ瀬さんに水玉の可愛らしい水着をあてがった山瀬先輩は、私にはシンプルで露出の少ない黒を見繕ってくれた。上は首裏で結ぶタイプ、下には短い巻きスカートが付属になっている。ややひらひらしたスカートのデザインには閉口したが、パンツ一枚で歩き回る気分に似た羞恥には代えられない。

恐らくこれ以上無難なものはないだろうと腹をくくって着替えれば、サイズは問題なくぴったりだった。

「後ろ向いて、結んであげる」
「あ、…すみません」

紐の垂れた首裏に細い指を感じ、思わず肩に力が入るのをどこまで隠せたかわからない。なんとなく流れる沈黙からして、装ったつもりの平静が出来そこないだったのだろう。
何かを予期させるような空白を超え、不意に平淡な声が私を呼んだ。

「名字さん」

いつも柔らかく笑むこの人が、本当は薄く鋭い刃を持つ人であることを、私はすでに知っている。そして時折一切の感情を削ぎ落したように聞こえる声が、この人にとって簡単ではない本音を告げる時のものであることも。

「ごめんなさい」

きゅ、と紐が締まり、出来たリボンが背中に垂れるのを感じた。その一言にすべてが詰まっていることはわかっていた。

「いえ」

きっとこの人は私の謝罪も、多くの言葉も望まないだろう。振り向くと同時に背を向け更衣室を出てゆく山瀬先輩の背中へ、私は短く一礼した。

その山瀬先輩の背中を市原先輩がぱちんと叩く。肩を組むのは雀田先輩だ。にやにや笑いを隠しもしない二人に、山瀬先輩が何事かを怒りながら言うのが聞こえる。ふと視線を感じれば、水玉の水着に身を包んだ一ノ瀬さんが真剣な顔をして私を見上げていた。

何も言わない彼女の瞳に思いつめた何かを見た気がして、私は一瞬言葉に詰まる。この子が私をしばしば気にしてくれていたことに、つい最近まで気付かずにいた自分の鈍さには閉口したものだ。
結局思いつかない言葉を諦めて、私はその髪をただ黙ってかき混ぜた。見下ろしたそこで目を丸くして直後、一ノ瀬さんはぱっと顔を明るくする。同時に私を追い抜くようにすれ違った篠崎さんが、私の後頭部を掴んでいった。

思わぬ一つかみにつんのめりそうになるのはもはやお約束だ。「優しくない…」とぼやけば、茶髪の地獄耳は愉快気に笑って更衣室を出てゆく。一ノ瀬さんに笑われながら、ぐしゃりと潰された後ろ髪を撫でた。

私が光琉先輩にくしゃくしゃされる時も、一ノ瀬さんが見せたのと同じような顔をしているのだろうか。そんなことを思って、なんだか一層気恥ずかしくなった。





「おっせーぞ水泳部ー!!待ちくたびれただろ!!」
「私らのせいにしないでくれる?アンタんとこのマネが余計なことするからでしょうが!」
「余計な事?」
「ビキニ着せたこと〜」
「「「グッジョブマネちゃんズ」」」
「あんたたちねえ…!」
「つーか市原めっちゃスタイルよくね!?カッケ―!」
「よッ…けいなこと言わなくていいのよ木兎!!」
「エッなんで!?俺褒めたのに!!」

急ぎ向かった砂浜ではすでにバレー部さん方が待ち受けていた。流石は強豪のレギュラー陣、それでなくとも目立つ上背に加え、シャツ一枚の下から覗く鍛え上げられた身体は存分に注目を集めている。

ちらちらと注がれる女性客からの視線は恐らく気のせいではあるまい。美人マネ二人がいなければ逆ナンもあったろうと思うが、それは逆もしかりだろう。
しかしこれはちょっと目のやり場に困るなあ。内心苦笑いしていれば、先輩方に可愛い可愛いと褒めちぎられた一ノ瀬さんが這う這うの体で逃げ出していた。そのまま尾長くんの背中に逃げ込むものだから木兎さんや小見さんは不満げである。やっぱり付き合ってるんだろうか。青春って素敵だ。

その横では木葉さんと篠崎先輩が並んで日焼け止めを塗っていた。珍しい組み合わせだと思ったが、そういえば二人とも元々髪や目の色素が薄い。肌への直射日光は普通の人以上に良くないのだろう。
かと思っていれば同じく色の白い木兎さんも捕まえられて、今度は二人がかりで日焼け止めを塗られ始めた。大人しく丸めた背中を明け渡す木兎さんを見て鷲尾さんが笑っている。ちょっと毛づくろいみたいだと思った失礼な感想は胸の奥に秘めておこうと思う。

そういえば赤葦くん、彼もなかなか色白だが大丈夫なのだろうか。思ってぐるり見渡せば、いた。ビーチバレー用だろう、少し離れたところで黙々とネットを設営している。
眩しい白のシャツと、水着だろう、落ち着いたネイビーのハーフパンツ姿。無彩色に近いコントラストは涼やかな彼に良く似合っている。夏の似合わない人だ。そう思いながら、私は彼の元へと歩みを進めた。

「赤葦くん」
「、!」
「日焼け止めちゃんと塗った?」

砂浜に片膝をつい、慣れた手つきでリールを巻いていた彼は、驚いたようにこちらを見上げた。すう、と見開かれた薄墨色の瞳、返らない返事にややまごつく。そんなに驚かせてしまっただろうか。思いながら日焼け止めのチューブを見せる。

「色白いし、もしかして肌も弱い方かと思ったんだけど…」
「ああ、…うん、いや」
「じゃあ塗っとかないと、後で赤くなるよ」

彼の手からリールを抜き取り、その大きな掌と長い指の間にチューブを押し込んだ。落ちていた説明書に目を通し、彼を真似してロープを巻いて、ネットの張りを確かめる。コートの長さはどれくらいだったか。赤葦くんに聞こうと思って振り向けば、いつの間にだろう、彼は私のすぐ背後に立っていた。

「…代わる。長さわかんないだろ」
「えっ、あ、うん」

巻き尺を取られる。私が彼にそうしたように、赤葦くんは日焼け止めを私の手の中に押し入れた。触れる指に息が止まる。巻き尺に目を落としたまま、不意に独り言を言うように、赤葦くんが呟いた。

「…競泳用じゃないんだ、今日」
「え」

ざざん。ずっと聞こえていたはずの波音がやけに大きく響いた。あっさり脇をすり抜けて行った彼が巻き尺を伸ばす音がする。昇り続ける太陽がじりじりと熱量を増して肌を焼くのを感じた。
どうにも硬い首の筋肉を軋ませて振り仰いだ彼の表情は、黙々と巻き尺の目盛りを見詰める、いつも以上の無表情だった。

「いや、これは、先輩が…無理やり…」
「…白福さん?」

尋ねる彼に黙って頷く。赤葦くんはこちらを見ない。ただ砂浜に直角に引かれた線が、ポールの根元に立ち尽くす私の元まで戻ってきた。

思えば当たり前のようにしていたけれど、ビーチバレーのために巻き尺を使ってコートを測るとはなんて律儀なのだろう。
斜め向こうへ揺蕩いそうになったそんな思考は、徐に晒された目前の肌色、ぶわり、翻った眩しい白に、目も眩む勢いで引き戻された。

「着てて」

返答を拒んで突っぱねるような口調だった。そうされなくても返事なんてできなかった。

視界に飛び込んできた割れた腹筋、均整の取れた細身の体躯に息が止まった。惜しげもなく晒された日焼けしていない白い肌が、空の青と砂浜の白に眩しく映る。

涼しい色を失わない瞳、長い指がシャツのボタンを上から順に留めてゆく。腕も通さず掛けられただけの肩が余るほど大きなそれは、先ほどまで彼の背を覆っていたはずで、でも今は。

「う、わぎなら、持ってるけど」
「、…」
「…更衣室に戻れば、パーカー…」
「そう、じゃあ、取ってくるまで着てて」

引っ張られる布、一瞬止まった指がすぐそばで動くのを感じる。前は言うまでもなく、下を向いたところで見えるのは彼の手で、今度こそ本当に目のやり場がない。

「似合わないわけじゃないけど」
「…」
「俺は、名字は、競泳用の方がいいと思う」

思った以上にぐっさり刺さった。前置かれたフォローにすらざっくりやられた。ようやく動きを取り戻した眼球がみっともなく右往左往する。いや、そりゃもう、先輩方とは大層違って見るべくもなく貧相なのはわかっているけれども。しかしそんなに見苦しかったですか。

「……うん、私もそう思う」

へらり、上手く笑えた自信はない。だから嫌だったんだこういうの。今ばかりは本気で雪絵先輩を恨めしく思った。
落ち込む肩が素直に落ちるのを慌てて平均水準へ持ち上げる。マッハでパーカー着て来よう。あと部活で着てるハーフパンツも。せっかく海に来たんだし泳ぐ時はもう仕方ないとして、だけど砂浜じゃ絶対脱がない。

上着を更衣室に置き去りにしてきた自分の不注意さを呪い、そう心に誓っていたら、ボタンを留め終わった彼の手がシャツの裾を掴んだまま止まる。そして頭を抱えるようなため息。思わず再び身を固くしてしまうと、彼が酷く気まずそうに身じろいだのがわかった。

「…別に似合ってないわけじゃない」
「……」
「ていうかむしろ、…すげぇ目に毒だから」

嫌なら脱いでいい。どうせ気休めにしかならないってわかったし。


シャツから彼の手が離れる。何を言われたのか一瞬わからなかった。タイムラグなしでついてゆけた現実は、ついさっき一ノ瀬さんをてるてる坊主にしていた私が、今度は彼のシャツによっててるてる坊主にされているということだけ。

ただふいっと背を向けネットを潜り、長い脚であっと言う間に距離を開けて、反対側のコートを作りにゆく彼の引き結ばれた唇に、頑なに合わない視線に、繕われた無表情のかけらを見つけ出してしまって、

「悪いな赤葦、ほとんどお前任せにして…?」
「、いえ」
「…おい大丈夫か、顔赤いぞ?まさか熱中症に、」

ほとんど衝動的にシャツの裾を掴んだ。鷲尾さんの声を遮った彼が何を言ったのか、今度こそ本当にわからなかった。脳味噌が追いつくより脊髄反射が早かったことに感謝する。
ぎゅう、と目一杯引き下げるもワンピースと呼ぶには足りないそれに、恐ろしい気まずさと恥ずかしさが込み上げてきた。脳内で再生される温度の低い声を掻き消せない。

目に毒。何がだ。そんなわけ。…思うのにすべてを否定するには物的証拠が少なすぎる。

「あれ、名字先輩?そんなシャツどこで…」
「ごめん一ノ瀬さんすぐ戻るから」
「えっ?」

一体どっちが目の毒だ。発言どころか存在丸ごと心臓に毒なクセしてどっちが!

いっそこっちが熱中症になりそうだ。何でもいいからとりあえず叫び出したい衝動を抱えて、私は更衣室目指して熱い砂浜を全力疾走しにかかった。

160614
突然の海編。