■ ■ ■


戦況は上々だった。

「っしゃあ!!」
「ナイス岩泉!!」

ダァン、体育館に木霊する着地音と、僅かに遅れて響くボールが床に跳ねる音。同時多発的に上がる歓声に負けない気合の入った掛け声が皆の注意を引く。

時は球技大会当日、場所は体育館、クラス対抗・トーナメント方式で行なわれる三年の競技はバスケットボール。
体育館の半分で繰り広げられる数点を争うデッドヒートの中心には、この時期、つまり球技大会ないし体育祭になると、その幼馴染み以上に賞賛の眼差しと注目を掻っ攫う男子生徒の姿が在った。

生まれ持っての恵まれた運動能力とセンスの持ち主であり、本職のバレー以外でもスポーツとなれば種目問わず人並み以上にこなしてみせる、五組きってのこの日のヒーロー・岩泉一その人である。

「うわ、バスケ部相手でアレかよ…恐ろしいな」
「アイツ一年の時バスケからガチな勧誘受けてたぞ」
「マジで?揺るぎねぇ…」
「この時期は及川ファンも岩泉に持ってかれんもんなー」

見学中のクラスメートの言う通り、普段及川を観にやってくる女子達が並ぶギャラリーには、今や男女問わず多くの観客が彼の出ている試合を観戦していた。普段は「及川くーん!」と黄色い歓声を飛ばす女子たちの視線は彼らの言う通り、今はコートの中心でバスケ部も唸る活躍を見せる岩泉の元に集まっている。

普段は彼女らのアイドルである及川を容赦なく蹴り飛ばし、遠慮ない罵声を浴びせる上、甘いマスクの及川に並ぶと殊更際立つ強面である分、名前を呼んで応援する声こそ聞かれない。
だがそのささやかなざわめきは間違いなく岩泉に向けられたものであり、彼女たちは岩泉がギャラリーに僅かでも視線を送ろうものなら、すぐにでも歓声を送る準備が出来ているに違いなかった。

今は見学中である及川がふくれっ面で周りの男子にいじられているのはそのせいだ。女子とは往々にしてミーハーなものである。

「岩泉バックバック!!」

ひゅ、と空を切るボールが彼の手に吸い込まれてゆく。バスケットボールは当然ながら、彼が馴染んだバレーボールより硬く大きく、そして重い。
しかしその差を感じさせない自然さでボールを捕らえた彼は、走らせた視線の一瞬で相手チームの動向、メンバーの位置、ゴールまでの最善のルートを弾き出す。

ディフェンスに回った男子を身を翻して躱し、低い姿勢から切り裂くようなドリブルに出る。前に突き刺したままの視線を囮に、岩泉は唐突に矢のようなパスを右へ繰り出し、それを受けたチームメイトは相手を躱しゴールへ接近した。
ボールを持たない身軽な体勢から稲妻のようにコートを駆ける。そうして彼はゴール付近で再びパスを受けると一気に加速、指先まで完全に意志に満たした腕でボールを空に放った。

精度の高いレイアップシュート。刹那的に走る緊迫感。

ゴールリングを乗り越えるように円を描いたボールがネットを潜る柔らかい音をたて、逞しい右腕は落ちてくるボールを着地と同時に容易く浚う。

自分で潜らせたボールを自ら捉え、背後でそれを待ち受けていたはずであろうディフェンスに振り返りもせず肩越しに投げよこした岩泉は、そのまま迷いなくコート中心へ駆け戻った。

鳴り響く得点を知らせるホイッスル。彼の横顔に自分が成したことへの驕りは見当たらず、在るのはただひたすら次の一手に出るために備えた真剣かつ怜悧な表情のみ。しかし歓声をもって自分を迎えた仲間のハイタッチに応じた彼の顔には、輝くような笑顔が過った。

「岩泉ナイッシュー!」
「おっまえマジすげーな!!」
「おー、サンキュ!」

その男前たるや及川も霞んで然るべきもの。男子はほう、とため息を吐き、女子はいよいよその囁きを大きくした。

そんな彼女たちの下で、しかし岩泉はギャラリーを気にした様子もなく視線を巡らせる。その瞳がはたと止まったのはコートの外、出番を待つ間男子チームの応援に回っていた女子達の一点。
彼の眼差しを受けた少女、名字名前は、一瞬ぱちくりと目を瞬かせた。ぱぱ、と周りを見渡して彼の視線の行く先を確かめる辺りが彼女らしい。

その無垢な応答に、明確に何をということはないが、なんとなしの期待をしていたぶん少し気まずげな顔をした岩泉は、視線を外しコートの中心へ戻ろうとする。
しかしそれより早く、緩く波打つ黒髪を揺らした名前はこてんと首を傾げ、やや芝居がかった調子で両手を振って見せた。

「、!」

岩泉の動きがはたと止まる。ギャラリーからの黄色い囁きにも熱い視線にもどこ吹く風で涼しい顔をしていた凛々しい面もちが、今日初めて平静を失った。

悪戯っぽい仕草とは裏腹に、花咲くような笑みを浮かべた名前は少しばかり恥ずかしげで、岩泉の顔が一気に朱を帯びる。
くるり、言葉なきやり取りを切って背を向けた岩泉の耳は真っ赤で、それを見送った名前も頬を紅くしたまま沈黙のうちに俯いてしまった。

あれってもしかして。ギャラリーが先ほどとは違った意味で色めき立ち、二人の関係どころかその経緯までばっちり目撃済みのクラスメート達が一様にニヨニヨする中、岩泉はチームメイトにからかわれながらもプレイに戻ってゆく。
一方の名前も女子連中に何事か言われて少々どぎまぎしていたものの、その視線はコートを駆ける恋人の元から離れる様子はなかった。

「あれで調子でも崩せばいい気味なのにさー…」

まさに絶賛青春中。甘酸っぱいにもほどがある初々しい様子を見せつけられた及川が、壁に背を預けて座り込んだまま不満げに唇を尖らせた。
その横で同じく出番待ちをしていた花巻は何気ない青春の一コマに対するニヤニヤをそのままに、意外そうに及川に尋ねる。

「へえ、崩さないんだ?結構照れてたけど」
「岩ちゃんがプレッシャー知らずなのはマッキーも知ってるでしょ」
「まあそうだけど、これは別ジャンルじゃね?」
「んー…いや、あの調子じゃ多分、」

言いかけた及川を遮る、体育館を揺らすようなどよめき。
現役バスケ部二人を含む三人のディフェンスを抜いた彼の幼馴染みが、勢いよく床を踏み切る。そうして宙に舞ったその最高地点から振り下ろした両腕でもって、ボールをゴールリングへ力強く叩き込んだのだ。

いわゆるダンクシュート。相手チームですら恐れ入ったように笑って拍手するのも頷ける。
バスケ部ですら悠々こなす人間は限られる大技に、及川はそれ見たことかと花巻を見上げて顔をしかめた。

「―――むしろ絶好調でしょ」

ホンット岩ちゃんらしい、とぼやくのは流石は幼馴染みというべきか。
それでもやはり注目を掻っ攫われて不機嫌そうな主将の不機嫌顔を盛大に笑い飛ばし、花巻はコート上でもみくちゃにされるチームメイトを眺め、そんな彼を真っ直ぐ見つめて嬉しそうにはにかむ彼の恋人にも視線を向けて、愉快げに言った。

「ま、名字も負けてないと思うけどネ」
「?」




ビーーーッ、とタイムアップのホイッスルが鳴る。スコアには僅差で五組の勝利を告げる数字が並んでおり、今度こそ体育館全体に歓声が響き渡った。
男子はこれで決勝進出が決まった。相手となるチームはこの後の準決勝第二戦で決まるため、しばしの休憩に入ることとなる。

集まってくるなんとなく浮ついた自分への視線を全く構うことなく、岩泉は仲間たちと言葉を交わしつつコートの外へ出る。その瞳はギャラリーではなく隣の女子の部のコートへ向けられた。
第何クオーターかはわからないが、戦況は思わしくないらしい。スコアに表示された数字はなかなかの差で引き離された五組の苦戦ぶりを表している。

彼が走らせた視線はスコアから離れ、一人の人影を捕らえた。そしてその視線に呼応するように、人影も彼を振り返る。腕を上げて体操服の袖で汗を拭い、タオル片手に立ち止った彼の元へ、その影の主は自然な歩みで近づいた。

「おつかれさま。すごかったね」
「…おう」

ふわり、先程よりは落ち着いた笑みで彼を見上げた名前は、穏やかな声音で岩泉を労った。彼女の出番はまだのようだ。緩くうねった黒髪は短いながらも束ねることは出来るらしく、今日は首筋で小さな束となって収まっている。
いつもよりはっきり浮かび上がる名前の華奢な輪郭や首筋に心臓が跳ねるのには気づかないふりをして、岩泉はコートへ視線を向けた。

「女子は…あんま好調って感じじゃなさそうだな」
「うん、相手チームはバスケ部さんが多くて」
「すげぇ不利じゃねぇか、それ」
「そうなんだ。うちも経験者の子は何人かいるけど、基本的には素人だから結構厳しいと思う」

ホイッスルが鳴る。ゴールを決めたのはやはり敵側だった。素人にはついてゆけないであろう速攻と本職ならではの動きに、五組女子から溜め息が漏れるのがわかった。

おいおい、ちったあ手加減しろよ。
岩泉は眉を潜める。自分の専門競技とあれば活躍したい気持ちもわかるが、素人相手に本気を出すのはいささか大人げないというのが彼の思うところである。

一方名前は仲間全体に蔓延しつつある諦めムードが気掛かりだった。中盤までは互角の戦いをしていたのだが、現役女バスのメンバーが参戦してからは明らかに敗色濃厚だ。初めは高かった士気も右肩下がりであり、世辞でも空気が良いとは言えない。

たとえ結果的に負けることになったとしても、目一杯戦った末にすがすがしく負ける方がいい。
名前は先ほど大差をひっくり返してシーソーゲームを展開させ、最後にはチームを勝利に導いた自分の恋人を見上げた。その瞳に同じだけの真っ直ぐさをもって応じた岩泉に、名前は真面目な顔をして言う。

「そうだ、初めに言い損ねたんだけど」
「おう、なんだ?」
「岩泉くんが格好よすぎてびっくりした」

ぴしり、一瞬固まった岩泉は辛うじて目元を覆って沈黙した。もはやお馴染み、お約束のポーズである。
せめて前置きをしろ。そんでちょっとは躊躇え。未だにこの不意打ちには慣れない彼の切実な訴えはしかし、今日も今日とてマイペースすぎる名前のもとには届かない。

「岩泉くんが恰好いいのはよく知ってるんだけど、今日はホントに、こう…他の人を見てる余裕なんてないくらい格好良かった」
「…そうかよ」
「だから、あのね、ちょっと嫌だったんだけど、でもギャラリーの女の子たちが格好いいって言うのも仕方なくて…」
「わーった、わーったからそれ以上言うな」

ようやく収まったはずの熱が再び呆気なく戻ってくるのに頭を抱えつつ、岩泉はどこまでも通常運転の名前を手を挙げて制止した。耳まで真っ赤になって黙り込んでしまった恋人の様子にようやく気が付いた名前が、はっとしてうろたえ、酷く申し訳なさげな顔をする。

「あ、…えっと、ごめん、私また」
「いい。…別にヤなわけじゃねぇよ」
「…ほんとに?」
「…あのな、」

カノジョにカッコいいっつわれて、嬉しくねー男がいるかよ。

きょとり、動きを止めた名前が一拍置いて言われた意味を理解し、その頬をみるみる赤くする。言った側もやはり開き直るにはまだ余裕がないらしく、なんとも居たたまれない気恥ずかしさを投げた視線で誤魔化そうとするばかりだ。

「…そっか」
「おう」
「あ、女の子達のことはね、私気にしてないから大丈夫だよ」
「…俺はお前が男に見られてたら気にすっけど」
「えっ。え、あ…こ、光栄です」
「っ…ふは、なんだそれ」

予想外の逆襲にしどろもどろになる名前に、岩泉は軽く吹き出した。紛れもない本音だが、予想外に可愛い反応も見れたことだ、仕返しはこれくらいにしてやろう。
とは言えいい加減学習してもらわねばこっちのライフがもたない。そういうわけで岩泉は仕切り直そうとして、

「ただし、」
「、うん?」

もうちょっと自重しろ。言いかけた言葉は見上げてくる無垢な瞳を前に霧散した。刹那の躊躇、それから彼は苦笑する。今度こそ一抹の開き直りを含んで心穏やかに言うことが出来た。

「あー…いい、そのままでいろ」
「?なに?なんの…」
「名前、そろそろ…」
「ホラ、呼ばれてんぞ。行って来い」
「…、うん」

いつもの友人の控えめな呼びかけに応じるよう促され、名前は釈然としない様子ながらも頷く。しかし見上げた先の彼の面持ちに苦々しさや怒りといった感情は少しも見受けられず、少しばかり呆れられながらも穏やかな眼差しで見送られようとしていることがわかって、名前は少し黙し、それから敬礼のポーズを取ってみせた。

「いってきます」

岩泉は少し虚を突かれた顔をするも、生真面目な顔をした名前の姿に再び吹き出し、茶化すようにニッと笑うと敬礼のポーズを返してやった。

「おう。ひっくり返してきてやれ」

名前は笑って頷く。そのやり取りにクラスメートたちがニヨニヨ笑いを深めるのを、岩泉は生来の三白眼で牽制するも、赤く染まった耳が威圧も何も台無しにしていることは言うまでもない。

そんな彼の様子とクラスメートたちの(やや難ありだが)暖かい視線に眦を緩めた名前はしかし、すぐに凛々しい表情へとスイッチを切り替えると、身を翻してコートに入って行った。

女子の準決勝、点差は三十点足らず。しかし彼女の横顔に諦めは無い。


150225
亀更新ながらもフェードアウトはしていないアイデア募集キャンペーン第三弾・「岩泉シリーズで体育の授業中の二人」になります。
体育の授業ではなく球技大会という形になりましたが、ご了承を…。
ALICE+