「吉原で一番のお店はどこなの?」
凛子ちゃんがふたりに尋ねた。
「一番をひとつに決めるのは難しいけど……。あ、あそこなんかは吉原三本の指に入るんじゃないか?」
二木の指さす方に視線を向け、あ、と三人の声が揃う。俺も危うく声が出かかった。
「副長!?」
呼ばれた男は、吉原三本の指に入るその店に入りかけていた足を止め、途端にげんなりした顔をした。
「お前ら、何してんだ……」
「何って、ここでやることなんてひとつでしょう」
「まあ、そりゃそうだが……」
副長が凛子ちゃんをちらりと見遣った。それを辿った原田が、ああ、と説明する。
「吉原観光がしたかったんだと。それより副長、誘っても興味ねえって顔していつも断るくせに、こんな大見世に通ってたとはなあ!」
「バカ、接待だよ。隊服着てんだろうが」
「え、そういうプレイじゃなくて?」
「アホか! そんなもんに隊服使うか!」
そのとき、副長のこめかみに向かってぬっと拳銃が伸びてきた。俺は声を上げそうになって、すんでのところで喉元にせき止めた。銃の持ち主が見知った顔――松平のとっつぁんだったからだ。
「トシィ、早くしろ……って、あれ、何でお前らまでいるんだ、呼んでねえぞ」
「今たまたま会ったんだよ。だから銃はしまってくれ」
呂律の若干怪しいとっつぁんは、銃をしまわないまま視線を順に移し、凛子ちゃんで止めた。
「どうもご無沙汰してます」
「おお! さっきお前の話もしてたんだよ。ちょうどいい、一緒に上がって来い」
「えっ」
「おい待てとっつぁん、さすがにそれは……こいつ私服だし」
「構わねえよ、もう三軒目だ、無礼講無礼講」
明らかに嫌がっている凛子ちゃんが原田と二木に視線で助けを求めるも、ふたりは「ごゆっくり」と快く送り出した。そのままとっつぁんに背中を掌で押され、「裏切者ォォオ!」と叫びながら店内に消えていく。そしてそのあとに副長が続いた。
どうしたものか。その気になれば屋根裏に侵入することもできるけれど。
今日はもう副長が一緒にいるので、俺はここでお役御免。
*
せっかくの仕事あがりに接待に駆り出されるなんて御免被る。それに何より、女の身で入店するのはかなり気が引ける。だから無言の助けを求めたのに、原田と二木はこれ幸いにと私を差し出しさっさと逃げていったし、トシも早々に松平さんの説得を諦め、むしろ私に諦めろという視線を寄越してくる始末だった。まあ、あの松平さんを上手く丸め込めるわけがなかったのだ。
渋々入店するとまず目の前に、吹き抜けを貫く大樹が一本そびえていた。室内に立派な木が生えているなんていう生まれて初めての光景に圧倒されながら、松平さんの後ろについて階段を上る。木からなかなか目を逸らせず、それを横目に声をひそめた。
「ねえ……こんなさあ、飲み会で急に呼び出された友達みたいなノリで参加して大丈夫なの?」
「知るかよ」
「知るかよって……じゃあ止めてよ!」
「あのおっさんの止め方なんてこっちが教えてほしいわ!」
二階に上がり、隅々まで磨き抜かれた廊下を渡る。
部屋をいくつも通り過ぎながら、私は少し拍子抜けしてしまった。部屋の中から聞こえてくるのが、芸者遊びらしい賑やかな声ばかりで、遊郭というよりも料亭のような雰囲気だったからだ。もっと、淀んだ生々しい空気の漂う場所を想像していた。だから、同時に安心もしたし、気も楽になった。想像していたような雰囲気でなくてよかった。もしそうだったら、かなりいたたまれない気持ちになったはずだ。
通されたのは広めの座敷だった。談笑していた先方と近藤さんが私を見て驚いているのを気に留めもせず、松平さんは強引に私を先方二名に紹介した。けれど、主に松平さんの呂律の悪さゆえに、先方のことが全くもって聞き取れないまま、私は着座することになってしまった。かろうじて、先方ふたりが地球駐在の天人で上司と部下の関係であること、上司がイマさん、部下がウダさんということだけがわかった。
天人とはいっても、一見しただけでは地球人と区別がつかない。地球人と同じ感覚ならふたりとも男性で―遊郭にいることを考えてもきっとそうだろう―、年齢はイマさんは松平さんくらい、ウダさんは私より少し年上に見える。
すぐに、私の分のお膳が追加で運ばれてきた。上座にイマさんを据え、その隣に松平さん、コの字を描くようにして近藤さんとトシ、向かいにウダさんと私という配置で座り、それぞれにかなり年若い遊女がついて酒を注いでくれた。
遠慮気味に会釈をすると、ウダさんは人好きのする笑顔で話しかけてきた。
「さっきあなたの話を伺いましたよ。あの沖田君に剣術で引けを取らないと」
「それはちょっと……話が大きくなってます。実際のところ彼には勝ったことがないんです」
「彼には、ということは、近藤君や土方君が相手なら違うのかな?」
耳聡く聞いていたイマさんが揶揄うように言うので、よそ行きの笑顔で「ええ」と答えた。今ここで、私に謙遜や恥じらいなんて求められていない。
「いいねえ、はっきりした女性は好きだよ」
イマさんが高らかに笑い、近藤さんは「いやあ参りましたなあ」なんて頭をかきながら眉を下げた。
私はこういう茶番に付き合うのがあまり得意ではない。さすが近藤さんは上手く付き合うものだなと感心しながら、ふと正面のもうひとりに目を遣った。
いつもは私がそんなことを言おうもんなら舌打ちのひとつくらい鳴らすトシは、気に留める様子なんておくびにも出さず酒を啜っている。近藤さんほどまではいかないけれど、こちらもさすが、役職が長いだけある。こんな機会は滅多にないので、今のうちに色々つついてみたいけれど、接待中なのが悔やまれる。
いや、そうなのだ。これは接待。そもそも顔見せ程度に呼ばれただけの私は、挨拶が終われば気配を消して空気となるべきで、間違っても話の中心になっている場合ではない。それなのに、可愛い遊女に酒を注がれ、ウダさんには「どちらで剣術を?」なんて気遣われてしまっている。やくざの下で覚えました、とは口が滑っても言えないので「我流なんです」と濁すと「すごいですね!」と持ち上げられる。ふたりの紹介を聞き取れなかったぼろも出そうだし、できれば放っておいてほしいのに、ウダさんはそのあともずっとその調子で話しかけてきた。これでは誰の接待かわからない。地球人をないがしろにする天人の多い中、邪険にされるよりはありがたいけれど、これはこれでかなり面倒臭い。
話を適当に流しているうち、すっと襖が開いた。会話の余韻を残しながら全員が視線をそちらに向け、その瞬間、ふっと音が途切れ、部屋の空気が一変した。
「瀬川と申しんす」
佇まいがまるで他とは違う、圧倒的な存在感を放つ遊女が入ってきたのだ。
私も口に酒を運ぶ手が思わず止まった。
瀬川さんが一歩、部屋に入る。ただそれだけのことに、いちいち目が釘付けになってしまう。そのまま息をするのも忘れて彼女の歩みに見惚れていると、ちらと目が合った。微笑まれると女の私でもどきどきしてしまう。
吉原初心者の私でもわかる、彼女はいわゆる太夫と呼ばれる花魁だ。二木いわく、このお店は吉原三本の指に入るとのことだったけれど、そんな店の太夫ともなると、同じ空間で酒を飲むだけでもかなりの額になるはず。ということは、もしこれが全額こちら持ちであれば、この接待はかなり重要なものであるはず。私はここにいて、ウダさんに気を遣わせていて本当に、本当にいいのだろうか。というか、いくらになるのか知らないけれど、接待とはそんなに無尽蔵に経費が出るものなのだろうか。
「お久しゅうおざんす」
瀬川さんはイマさんの馴染みらしく、慣れた様子でみやびやかに彼の隣に腰かけた。酒を注ぎながら、最近来てくれないから寂しかった、と可愛くいじける水商売のテンプレートのようなチープなやり取りも、ことばや人が変われば映画のワンシーンのようだった。
ウダさんも呆けたように彼女の方を見つめている。おかげでやっと私は空気になれると、お膳の料理に手を伸ばした。
すると、さらにもうひとり、これまたはっとするような美しい遊女が入ってきた。
瀬川さんとはタイプの違う、瀬川さんが陽の正統派だとすれば、陰の妖艶系という感じの遊女だった。太夫なのかまではわからないけれど、少なくとも低い階級でないことはわかる。
太夫に加えて、上級遊女まで。遊女が増えるにつれ自ずと上がる接待の重要度に私が震えていると、その遊女は、他に目もくれずトシの横に座った。
「土方さん、いらっしゃったなら呼んでおくんなんし」
てっきり松平さんが呼んだものだと思っていた私は驚いた。呼んでいないのにわざわざ来たのだ。しかも、トシに会いに。こんな上級遊女が。
彼女に釘付けになっていると、瀬川さんが「松風」とたしなめるように言った。松風と呼ばれたその遊女は、瀬川さんの方を一瞥してすぐ部屋全体に向かって自己紹介をし、またすぐにトシに向き直った。
「泊まっていっておくんなんし」
ねだるようにトシに寄り添い、そっと二の腕に触れた。それを拒むでも受け入れるでもなく、トシは酒を飲みながら平然と答える。
「今日は帰らねえと。悪ぃな」
ただそれだけだった。けれど、私は思わず目を逸らせてしまった。なんとなく、見てはいけないものを見ているような気がしたのだ。
今日は。ということは、つまり、以前買った遊女なのだ。もちろん、そのやりとりがなくてもそうと察せられるけれど、こうして決定的な言葉を聞いてしまうと、明らかに何かが変わる。同じようにしているイマさんと瀬川さんには何も感じないのに、どうしてか、それがトシと彼女になると、途端に気まずく感じる。
ああ、原田の言っていた「知り合いの女に見られながら遊女選びするのは気まずい」というのは、こういう類の感情だ、と唐突に理解した。一気に生々しさを帯びるから、気まずいのだ。
気を紛らわせるように、水を一気に飲んだ。
もうひとつ、私を落ち着かなくさせていることがある。
グラスを置きながら、盗み見るようにふたりの方にこっそり目を遣った。
いつかの飲み会で隊士たちがトシのことを色男と称していたことが、ここへきてやっと腑に落ちたのだ。美しく艶めかしい遊女と並んでも、トシはまったく見劣りしていない。それどころか、寡黙にお酌されている姿はどこからどう見てもお似合いで、接待中だからなのかマヨネーズが鳴りを潜めている今、色男と言って確かに差し支えがない。聞いたときはにわかに信じられなかったキャバ嬢たちがトシに黄色い声をあげるという話も、松風さんが脇目も振らずにトシに駆け寄ってきたことを思えば現実味を帯びてくる。
不本意ながら、少しどきりとしてしまった。だって、仕方がない。私がこの数か月見てきたトシといえば、近寄り難いほどしかめ面をしていたり、かと思えば、土方スペシャルを拒まれてしょんぼりしたり、怖がりを隠そうとして面白いくらい慌てふためいたり、色男とは対極のイメージだったのだから。
私がトシの顔をちゃんと見ていなかったというよりも、きっとそういう表情や仕草のせいで、顔の印象ごと違っていたのかもしれない。だから、急に百八十度違う姿を見てしまって、今少し動揺している。
これを何というのか知っている。「ジャイアン映画版なんかいい人に見える原理」だ。普段マイナスな行動の多い人間がプラスな行動をするとものすごく良く見えるし逆も然り、という現象をそう呼ぶのだと、前職で一緒に仕事をした忍が言っていた気がする。要は、普段とのギャップが大きいほど印象が強くなるのだ、何事も。
まあ、私はテレビ版のジャイアンも、普段のトシも、割と好きだしマイナスには思っていないのだけれど。