翌日、凛子とふたりで松風の捜索に出た。人探し、それも足抜けした遊女を探すなど本来真選組の仕事ではないが、凛子のなくした切手で逃げた可能性があるとなると話は別だ。なにせ、幕府御用達の見世のこと。この件でお咎めを受けることはなくとも、捜索に協力する方が心証が良いには違いない。
 昨晩、凛子は珍しく狼狽えていた。とっつぁんが命じたことで俺が捜索に加わることを渋々了承したが、初めは切手をなくしたときと同じように、ひとりで行くと言い張っていた。隊内で一番松風を知っている俺が捜索するのは当然の流れであるのに。
 松風に警戒されないよう私服で出てきた。浮かない顔の女と仏頂面の男が並んで歩くさまは、今まさに別れようとしている恋人同士にでも見えているかもしれない。
「……ごめん、トシ非番の予定だったのに」
「それを言うならお前もだろ」
 そうなのだ。凛子は昨日、俺の雑務を肩代わりするため非番を潰している。その代休が今日の予定だった。
 そもそも、非番だろうがいつだろうが、緊急出動要請がかかるなどざらにある仕事だ。そんなことは凛子も承知のはずなのだが、凛子は自分のミスに他人を付き合わせることに気を遣いすぎる。先日切手をなくしたときもそうだった。
 気持ちはわからないではない。だがしかし、そもそも今回の件が凛子のミスなのか、俺は甚だ疑問だった。というのも、昨夜とっつぁんが帰ったあとに、ある疑念が浮かんだからだ。
 凛子が浮かない顔のまま口を開いた。
「そういえば、切手なくしたことで焦ってすっかり忘れてたんだけど……一昨日見世から出たあと、強い視線を感じて振り返ったら松風さんと目が合ったんだ」
「……それは確かにお前を見てたのか?」
「うん……私が見た途端、驚いてすぐに障子を閉めてたから」
 そういえば、見世を出たあと凛子は見世の二階を眺めていた。あのときか。
「そのときは女の登楼が不愉快だったのかなと思ったんだけど、もしかすると、私の切手拾ったからだったのかも……」
 それは、俺の頭に浮かんでいた疑念と矛盾しない内容だった。だからといってそれを裏付けるほどのものでもなければ、松風の行方の手掛かりになりもしない。つまり、現状は何も変わらないのだが、話せば多少は凛子の気が晴れるのではないかと思った。
「……切手、意図的に盗まれた可能性もあるんじゃねえかと昨日考えてた」
「意図的に?」
「ああ。切手なくしたあと見世に戻って落ちてなかったか訊いたとき、あの見世番の男、ほんの五分ほど中に確認に行っただけで戻ってきただろ」
「うん……」
「本来、もっと血眼になって探すもんなんじゃねえかと思ったんだ。遊女の着物引っぺがして、部屋ん中全部ひっくり返して。あの紙切れたった一枚で遊女は格段に足抜けしやすくなんだから」
 そのときは、凛子が出られなくなることに焦って気付かなかったが。
「……見世番と松風さんがぐるになって、私の切手を盗んだ、ってこと?」
 凛子が口元に手を当て、考え込む。
「……でも、肝心の“盗む”だけど、そんなタイミングあったかな……それに、昨日私があの見世に登楼したのは偶然だし」
「まあ、あくまでそういう可能性もあるって話だ。真相は本人に訊くまでわからねえんだから、今ごちゃごちゃ思いつめるだけ無駄だってこった」
「……トシ」
 凛子の口元が少し緩んだそのときだった。女の叫び声が耳をつんざいた。
「ひったくりです! 誰か!」
 十メートルほど後方、俺たちの歩く道と垂直に交差する道の真ん中で、女が地面に手をつき叫んでいる。
 駆け出したのはふたり同時だった。道を曲がって女の視線の先に犯人らしき男を確認し、追いかける。みるみるその背に近付き、地面に押し倒すまであっという間だった。少し遅れて到達した凛子が宙に浮いた荷を見事に受け止める。
「真選組だ。窃盗の現行犯で逮捕する」
 捕われてなおもがいていた男は、まさか私服警官だったとは思っていなかったのだろう、顔を歪めながらも抵抗を諦めた。男を地面に伏せたまま後ろ手に手錠をかける。
 振り返ると、被害者の女は地面にへたりこんだまま、凛子がしゃがんでその様子を窺っていた。俺が隊に連絡を取っている間に凛子の肩を借り、足を引きずりながら近くの店の床机に座っていた。
「窃盗じゃなくて強盗致傷罪かもな」
 隊を待つ間、うつ伏せに転がった男の尻に腰掛けて、煙草に火をつけた。男が何やら文句を言い出したが、煙草の火を顔の近くにかざすと静かになった。
 十分ほどで近くを見廻っていた隊士がパトカーに乗って到着した。あとはこいつらに任せ、俺と凛子は本来の業務に戻るのが筋なのだが。
「トシ、この子、びっくりしちゃったみたい」
 被害者の女が凛子にしがみついたまま離れそうになかった。よく見れば、年の頃はまだ総悟くらいの娘のようだ。よほど怖かったのだろう、唇を真っ青にし、凛子の着物を握る手を震わせている。
「もう大丈夫だよおふみちゃん。怖かったよねえ。でもよく声出せたね、頑張ったねえ、ありがとう」
 凛子がその肩を優しく抱いてやりながら、あやすように言う。さすがと言うべきか、さっきまでの沈んだ気配はどこへやら、いつの間にか名前まで聞きだしている。普段から面倒見がよく姉御肌であるが、その様子は姉というよりも母親然としていた。
「おふみちゃんが叫んでくれたから犯人逮捕できたんだよ。ね?」
「ああ」
「おじさん、ああ見えて喜んでるから安心してね」
「誰がおじさんだ」
 箸にも棒にもかからない軽口は、若い娘には多少の気楽さを与えられたらしい。弱々しく口元が綻んだ。
「ねえ、おふみちゃんの事情聴取終わるまで一緒にいてあげていいよね?」
 しかし事情聴取という言葉に、また顔を強張らせた。本音を言うならば早く松風の捜索に向かいたいところであるが、この調子ではきっと凛子がいなければろくに聴取もできない。凛子に懐いたというよりは、男ばかりの中に取り残されるのが怖いのだろう。真選組は顔だけ見れば、ほとんど全員がさっきのひったくり犯よりはるかに悪人顔なのだ、ショックを受けた若い娘にとっては無理もない。
「ああ。俺は先に行ってる」
「うん」
 松風の捜索は必ずふたりである必要もない。小さく謝る娘を凛子が宥めるのに背を向けた。

 *

 事情聴取が終わる頃になれば、おふみちゃんの手の震えもおさまっていた。けれどまだ顔色はすぐれない。
「もしかしたらまた改めて話を伺うこともあるかも」
「わかりました」
 そのときは私が行くから安心してね、と言いたいところだけれど、約束はできない。
「足はどう? 病院行く?」
「いえ……少し捻っただけだと思うので大丈夫です」
「そう。じゃあパトカーで家まで送るね」
 私が立ち上がった途端、おふみちゃんは不安を顔に滲ませた。切れ長の目を見開き、髪と同じく淡く黒い瞳を潤ませながら、けれども形の良いくちびるを引き結んで言葉をぐっとこらえている。
 ぎゅう、と胸よりももっと奥、鳩尾のあたりを握られるようだった。そんな顔をしなくても、もとよりついていくつもりだ。
「私も一緒に行くよ。親御さんに怪我の説明もしておきたいし」
 手を引いて立たせると、おふみちゃんは何度もお礼を言った。

 おふみちゃんの家は、伊勢屋という仕出屋だった。伊勢屋というのは「江戸名物は、伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるくらい江戸ではありふれた屋号であるけれど、仕出屋の伊勢屋と言えばここを思い浮かべる人が多い大店だ。真選組でも来客時に注文をすることがある――と隊士が運転しながら言っていた。
 パトカーに乗っても、彼女は私の袂を掴んでいた。その横顔を、そっと盗み見る。誰もが憧れそうな形と角度をした輪郭を。透き通るような細く長いまつ毛を。事情聴取で十六歳だと言っていた。大店の若くて美しい娘さんだ、きっと大切にされているに違いない。それなのに見知らぬ男にこんな目に遭わされたら、いくら警察とはいえ強面の男たちに囲まれては安心できないはずだ。
 ほんの五分ほど車を走らせると、伊勢屋が見えてきた。入口の前で停まり、私たちを降ろした車は見廻りに戻っていった。
 敷地に入り正面からまっすぐに伸びた入口は来客用で、家の人間はそこをぐるりとまわって裏から入らなければいけないらしい。荷を持って肩を貸しながら一緒に歩く。怪我はさっきよりだいぶましになったみたいだった。
 建物の陰に入ったとき、先の方から男女の言い争う声がした。途端、おふみちゃんが息を飲んだのがわかった。
「……ここでちょっと待とっか」
 申し訳なさそうにおふみちゃんが頷いたので、建物の壁にもたれかかってやり過ごすことにした。
「お忙しいのに、ごめんなさい」
「いいんだよ。ちょっと休憩できてむしろ嬉しい」
 昼近くの暖かい陽射しが差し込んでいる。敷地内には立派な針葉樹がいくつも植えてあり、風に揺られるたび私たちにぱらぱらと細かい光と影を交互に落としていく。光が当たると、ふみちゃんの肩下まで伸びた髪は鈍色に透けた。真っ黒でもないけれど、赤みも混ざっていない、少し異国情緒のある珍しい色をしている。
「髪の毛、綺麗な色だね」
「あ……ありがとうございます」
「地毛?」
「はい、母親譲りで」
 髪に触れながら少しはにかんで答える姿が、年頃の少女らしくていじらしい。けれどそれも、一段と白熱する男女の声によって暗く陰を落とす。
「あんたのために娘も遊郭に出した! 養ってくれるっていうから!」
「調子に乗るなお前みたいな年増!」
「……なんですって……じゃあ、今まで渡したお金返して!」
「もう使っちまってねえよ!」
 予想以上に下卑た内容だった。もう少し離れたところに移動すればよかったと後悔していると、
「あの……お聞き苦しい会話を聞かせてしまってごめんなさい……」
 おふみちゃんがまた申し訳なさそうに言った。
「ううん、平気。おふみちゃんが謝ること何もないよ」
「いえ……ふたりのうち男性の方は……私の許嫁なんです」
「……い、許嫁?」
 あの男が。まだ、声しか聞いていないけれど。
 さあっと木の葉を揺らすやさしい風が、耳を塞ぎたくなるような罵倒の応酬を乗せてくる。
 私が何と答えるべきか考えあぐねていると、さらに頭を混乱させる出来事が起きた。
 私たちが来た道から、松風さんが現れた。