それから数日後、ある攘夷党の潜伏先へ討ち入った。二箇所の潜伏先を同時に叩くため、近藤さんと俺、それぞれが指揮を執る二班に隊をわけ、近藤さん側に一番隊などの主戦力を、こちらにはその他と凛子をつけた。というのは、敵側が党の戦闘員を主としたグループと、頭脳である非戦闘員を主としたグループに別れて集まっており、それに対応した形をとったわけだ。
俺たちの方は、攘夷党側が非戦闘員中心であったこともあって、急襲が成功しすぐに制圧の様相を呈した。
だが、密輸入したらしい新種の武器が現れ、戦況は瞬く間にひっくり返った。今度はこちらが不意を突かれ、みるみる圧倒的に不利な状況に陥ったのだ。武器の殺傷力そのものは低かったが、陽動としては充分すぎるほどの性能で、まんまと惑わされた俺たちは数少ない戦闘員に攻め込まれ、立て直す間もなく非戦闘員は散り散りに消えていった。
せめて組織の頭脳である幹部のひとりくらいはとその場であれこれ画策したが、状況は悪くなる一方で、結局俺たちは撤退を余儀なくされた。そのとき、隊のひとつが追いつめられたところに凛子が助けに入り、隊を逃したあとそのまま殿を受け持った。
よくあることだった。そうして凛子に命を拾われた隊士はもう数知れない。
だが、いつもであれば適当に敵をあしらって戻ってくる凛子が、そのときはいくら待っても戻ってこなかったのだ。
凛子の剣の腕というのは、実際に斬り合う能力はもちろんのこと、引き際を弁えているところにもその価値がある。無茶はしない、指示に背いて危ない橋を渡らない。だからこそ俺たちもひとりで殿を任せて撤退できたわけだったのだが。それが戻ってこない、電話にも出ないとなると、捕まってしまったか、あるいは最悪の事態か。とにかく想定外の何かがあったことは間違いなく、隊はざわめき、引き返そうと逸る者も少なくなかった。俺もそうするべきだと考えながら、しかし、ほんの一瞬、本当に一瞬、魔が差したような感覚で背信の二文字が頭を過った。果たして、下手に戻っていいものなのか。
そのときだった。電話が鳴った。屯所で待機していた山崎からで、凛子が今手術を受けていると病院から連絡があり、とりあえず向かっていると言うではないか。
どうして、どうやって。
状況が思わぬ方に目まぐるしく展開していくので整理ができないまま、とりあえず隊は一旦屯所へ戻し俺は病院へ向かった。
暗闇の中、ぼんやりとオレンジ色の明かりの漏れる入口の前に山崎が立っていて、俺の車を確認するなり駆け寄ってきた。
「何があった?」
「なんでも血塗れでやってきて、看護師と対面した途端倒れたらしいです」
「ひとりでか?」
「ええ」
山崎の肩越しに病院の入口の方をよく見れば、血痕が明かりに照らされていた。それは建物の中ではなく外壁に沿って暗闇の方へと続いていた。切羽詰まった状態で、夜間入口まで回る凛子の痛々しい姿が思い浮かんだ。
「……あっちか?」
血痕の続く方に向かおうとして山崎に止められた。
「いや、その前にこれを」
山崎が一枚の紙を差し出してきた。
「凛子ちゃんが倒れる前、これをうちの誰かに渡してくれって」
一度ぐしゃぐしゃに丸められたのを改めて二つ折りにしたような汚い紙だった。中には血文字が書かれていた。
「第五倉庫、幹部捕獲、と書いてあります」
線が震えているうえ、ところどころに血が滲んでいるせいで一見しただけでは解読が難しかったが、確かにそう書いてある。第五倉庫は、さっき乗り込んだ場所のほど近くにある。
「……俺たちが撤退したあとひとりで幹部を捕えたってのか……」
「おそらく……」
山崎が小さく呟き頷いた。
第五倉庫、さらにはそこから討ち入りに入った建物に続く道は血の海になっていた。屍や、斬り落とされた身体の一部や武器がごろごろとその中に浸かっていて、死体を見慣れた俺たちでも眉を顰めてしまいそうな阿鼻叫喚の様相だった。
合流して引き連れてきた一番隊と共に倉庫に入ると、入口すぐのところに気を失った攘夷党幹部が縛られ転がっていた。隊士たちがそれをパトカーに運ぶのを見ながら、幹部の脚を縛っているどす黒い布が、血で染まった隊服のスカーフであることに気付き背筋がぞっとした。
そのあとは早かった。拷問により党幹部の口を割らせ、残った攘夷浪士や武器の闇商人などの大量検挙となった。久しぶりの功績に隊内は沸いた。
そうして討ち入りから十日ほど経った今日。近藤さんと表彰式に出席したあと、その足で凛子の入院する病院へ向かった。
凛子は身体のいたるところに刀傷を受けていて、特に背中を大きく斬られていたが、幸い傷は深くなく内臓も無事だったため、傷口が塞がれば今後の仕事にも影響はないだろうとのことだった。とはいえ当日は輸血も行われるほどの大騒ぎで、手術後は怪我の影響で高熱を出したりとはらはらさせられたのだが、ようやく落ち着いてきた。数日前にも見舞いに来たが、そのときは凛子が起きて話せる状態ではなかったので、討ち入り後まともに凛子と話すのは今日が初めてになる。
部屋の戸は開いていた。凛子はベッドの上で上体を起こし、何かを食べながら窓の外を眺めている。一応ノックをして中に入った。
「近藤さん、トシ」
「どうだ、具合は?」
近藤さんが凛子に勧められてベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けた。俺は床頭台に土産の果物を置いた。床頭台には既に林檎の乗った皿が置いてあった。
「背中は抜糸も終わって、あとはこっちかな」
凛子が固定された左脚を動かす。派手な出血のせいで創傷ばかりに気を取られていたが、打撲もあり、どちらかというとこちらのせいで入院が長引いている。あと二週間ほどはかかるらしい。
「わざわざお見舞いありがとう」
「そりゃあ来るさ、心配したんだから。本当は毎日でも来たいところなんだが」
なあトシ、と振られ「ああ」と短く答える。目が合うと凛子が笑った。
近藤さんが床頭台に置いた袋から表彰状を取り出して広げる。
「凛子ちゃんのおかげで今回は大手柄だったよ、ありがとう」
「私はおいしいとこ取っただけだから……潜入して準備してくれた監察とか、作戦練ったり指示出して現場統率してくれた近藤さんやトシとか、皆がいたから」
その指示を無視してひとりで突っ込んだのは誰だと思ったが、今それを口に出すほど俺も野暮ではない。
「ひとりじゃカ……討ち入りもできないし」
「お前今カチコミって言おうとしたろ。たまに出てくるそっち系の単語気をつけろ、仮にも警察だぞ」
野暮ではないが、これは致し方ないだろう。さすがの近藤さんも苦笑いだ。
「まあ、凛子ちゃんが功労賞もんの働きをしてくれたことには違いないさ。……でももうあんまり無茶はしないでくれよ。俺たちだって一緒に命懸けてやってんだから」
な、と近藤さんが掛布団の上から凛子の身体に優しく手を置くと、凛子は口元に笑みをたたえたまま申し訳なさそうに目線を下げた。
「うん、ごめんね」
「謝ることじゃないさ」
近藤さんが豪快に手で膝を叩き、表彰状をまた袋に戻す。
「何か食うかって言いたいところだが、もう林檎があるな」
「うん、さっき総悟くんが来てくれたんだ。風船ガム膨らませながら、林檎を上に投げてはキャッチして、異国情緒溢れる感じで登場してくれたよ」
「見舞いにむきだしの林檎ひとつだけかよ、あいつは……」
呆れて言うと、凛子が笑った。
「何だよ」
「お母さんみたい」
「誰がお母さんだ!」
近藤さんにまで笑われ、舌打ちをして背を向ける。
「おいどこ行くんだ?」
「厠」
「出て右の突き当たりにあるよ」
「喫煙所は一階か?」
「多分。この階にはないと思う」
仕方がない、煙草は帰りまで待とう。
人工的な清潔さで息が詰まりそうになりながら廊下を進み、厠に入った。屯所の外で厠に行くと大概とてつもなく綺麗だと感じるのだが、そのたびそれだけ屯所の厠が汚いことを思い知らされる。ずっとあの中で暮らしているので、感覚が麻痺してしまっているのだ。
そういえば、凛子はどう思っているのだろう。凛子は俺たちとは別の、来客用の厠と風呂を使っている。凛子の入隊にあたって隊士に掃除をさせ、確認したときは問題ないと思ったが、果たして外から来た、それも女にとって充分だったのだろうか。これまで何か言われたことはないし、今は凛子が清掃などの管理をしているので俺が見ることもないのだが。
――女と縁遠い俺たちにゃ思いもよらん不便があるかもしれねえ
近藤さんの言う通りだとは思うが、ある程度本人から言ってもらわないことにはわからない。気を配ってみたところで、そもそも細かい気遣いなど得意でない連中なのだ。俺を含めて。
そんなことを考えていると、突然背後の個室で水が流れた。びくりと身体が跳ね、息が止まる。今、厠の中には俺以外誰もいないはずだ。
(いやいや、どうせあれだろ、センサーの誤作動で勝手に流れただけだろ。たまにあるじゃねえか)
そう思うのに、振り返ることができない。
(ありえねえ、真昼間だぞ。いや、真夜中だってそんなことありえねえ。だって、そんなもん存在しねえんだから)
そう自分に言い聞かせるが、しかしここは病院、日々死人が出る場所だ。
少しでも動けば何か致命的なことが起こりそうな気がして、チャックすら上げられずに立ちつくす。
そのとき、ぺたぺたとスリッパの足音が聞こえてきた。視界の端にぬっと影が現れ、心臓が口から出るかと思ったが、その影の主である小さな爺さんは何食わぬ顔で――当然なのだが――視界の端を過っていく。そして個室のドアが閉まった。
爺さんの用を足す音を聞きながら、金縛りが解けたようにふっと力が抜けた。そして同時に阿呆らしくなった。やっぱりそんなもの、存在しないのだ。まったく、人騒がせな厠だ。
部屋に戻り少し雑談をして、俺と近藤さんは帰ることにした。
するとエレベーターの前に見知ったふたりが立っていた。
「おお、新八くん、チャイナさん、どうしたんだ?」
近藤さんが声をかける。
「近藤さん、土方さん。こんにちは。実は銀さんが入院してて。真選組もどなたかが?」
「ああ、こっちは……うちの北川とは顔見知りだったかな。彼女が入院しててな」
「え、北川さんが?」
眼鏡がチャイナ娘と顔を合わせる。
「何だ? 彼女がどうかしたか?」
「あ、いえ……あの、お大事にとお伝えください」
「ありがとう、伝えておくよ。ちなみに、万事屋の方は何があったんだ?」
「僕もよくわからないんですけど……バイクが爆発して地上三十メートルから川に落下したとかなんとか」
本当によくわからない話だ。近藤さんも笑って返事をしているがよくわかっていないだろう。
エレベーターがなかなか来ず、一瞬の沈黙が訪れたあと、チャイナ娘が眼鏡に話しかけた。
「新八、さっきの話の続きしてヨ」
「どこまで話したっけ?」
「ひとりで誰もいない厠に着いたところ」
「ああ、そうだったね……じゃあいくよ。男は小便器の方で用を足してたんだ」
「小便器って男用のやつ?」
「うん、まあ、そうだね。女性用の厠にはないと思うよ。でね、用を足している途中で、急に身体が動かなくなったんだ」
「金縛りアルか?」
「そう。時間はまだ昼過ぎ。なのに急に」
何という嫌な話だ。思わずふたりの背後で顔をしかめたとき、エレベーターがやってきた。四人で乗り込む。
「男は必死に力を込めるけど、身体は動かないし声も出ない」
エレベーターが閉まり、動き出す。
「そのとき突然、誰もいないはずの個室から、水が流れる音、便器が開閉する音、トイレットペーパーの巻き取られる音がしはじめた」
どくん、と心臓が鳴り、急激に心拍数が上がる。何だかさっきの俺と状況が少し似ているではないか。そうでなくともこの手の話は聞きたくないというのに、眼鏡の話し方がやたらと達者なせいで、俺は妙に緊張しはじめた。
「音はしばらく鳴ったあと、ぴたっと一斉に止まった。その瞬間、今度は電気が消えた」
心臓の音が次第に大きくなる。
(つーか、こいつら何で今こんな話してんだ。帰ってからにしろよ)
「いよいよ怖くなった男は逃げ出そうともがくも身体はまだ動かない」
自分の心臓が、耳の真横で鳴っているような大きな音をたてはじめた。
「すると、厠の外からコン……コン……と足音が聞こえてきた。足音は少しずつこちらに向かってくる」
冷や汗が頭から顎に向かって流れた。息を飲む。
「足音が厠の前で止まった。そして……」
「い、いい加減にしろ! エレベーターん中だぞ静かにしやがれ!」
耐えきれず強引に制止したと同時にエレベーターは一階に到着し、ドアが開いた。驚いた眼鏡と、不満そうなチャイナ娘の視線が注がれる。
「何だヨ、止まる直前に。もしかしてビビってんのか? あァん?」
「あああ、すみません土方さん、次から気を付けます! ほら神楽ちゃん、帰るよ」
眼鏡がぺこぺこ頭を下げながらチャイナ娘の口を塞ぎ、そそくさと離れていった。しかし、そのあとこそこそしながらチャイナ娘がちらちらとこちらを振り返ってくるではないか。それに憤慨し近藤さんに宥められながら、俺は帰路についた。
ろくでもない一日だった。
くだらない表彰式で午前が潰れ、病院では不愉快なことばかりが続いたうえ、喫煙所に寄るのを忘れた。屯所に戻れば朝から手つかずで溜まった書類が山になっていて、たった今すべて捌き終わったが、屯所内はもう皆寝入ってしまい、静まりかえっている。
眉間をつまんでほぐすと、急に疲れが押し寄せた。考えてみれば、屯所に戻ってから休憩なしで座っていたのだ。厠へも行っていない。
そう思い当たると急に尿意を感じはじめ、急いで障子を開けた。が、しんとした闇夜を目の当たりにして足が止まる。
――用を足している途中で、急に身体が動かなくなったんだ
眼鏡の声が頭の中に蘇る。
いや、関係ない。深夜に厠へ行くことなどよくあるし、何か起こったこともない。
―誰もいないはずなのに、水が流れる音、便器が開閉する音、トイレットペーパーの巻き取られる音がしはじめた
病院で実際に水の流れた場面が重なる。いや、これだって関係ない。屯所の厠は手動水洗なのだ、勝手に流れて驚くこともない。
しかし、だからこそ、もし水が流れでもしたら説明がつかない。
「……」
誰かが厠に起きて来るのを待ってみようとしばらく障子から外を覗いてみたが、当然誰も廊下を通らなかった。
そうして結局俺は、その日明け方まで厠へ行けなかったのだった。
本当に、ろくでもない一日だった。