バイクが爆発して地上三十メートルから川に落下したせいで、銀さんが大怪我を負った。いや、僕だってその説明ですんなり理解したわけではないけれど、謎のおっさんによる入院が立て続けに起こったこともあるのだから、人生とはそういうものなのかもしれない。まあとにかくそういうわけで、銀さんは今入院している。
 大部屋の仕切りカーテンの内側には、神楽ちゃんもいた。ベッドに腰掛け病院食の林檎を食べている。
「銀さん、具合はどうですか?」
「そんな一日で劇的に変わんねえよ。つーか、お前も神楽も、別に毎日見舞いに来なくていいんだぞ」
「来る暇もないくらい仕事があればそうしますけどね」
 け、と銀さんが悪態をつく。
「仕事と言や、電話繋がったか?」
「いえ、まだ……」
「ふうん」
 北川さんからの依頼を受けた数日後、手紙を投函した。その報告のため何度も電話をかけているのだけれど、一向に繋がらないのだ。
「……本当にこれでよかったのかな」
 そうこぼすと、銀さんが心底うんざりしたようにため息をついた。
「しつけーなあ」
 きっとそんな反応をされるだろうとは思っていた。実際、もう散々同じ話をして、そのたび同じ顔を見てきた。それでも、どうしてももどかしさが拭えないのだ。神楽ちゃんの眉も少しばかり下がった。
 北川さんからこの依頼に至った経緯を聞いたとき、銀さんは納得し、僕と神楽ちゃんは反対した。反対というよりも、考えなおすように説得しようとした。依頼を受けたあとも万事屋の中で押し問答になり、そのせいで投函まで数日かかってしまった。
「何度も言ったろ。こんな話に正しいも間違ってるもねえって。百歩譲ってあったとして、どの選択肢選んでも間違いってことだってある」
「でも……」
「それにな、女ってのは一度見切りつけると早えんだ。男がいつまでもうだうだ過去を引きずってる間にさっさと未来を見据えちまってんだよ。今頃俺たちのことまで丸ごと忘れてすっきりしてっかもしんねえぞ。だから電話にも出ねえんじゃねえの?」
「そんな……。でも、もし北川さんがそうだったとしても」
「俺らは金もらって依頼されたことはやった。手紙ももう伊勢屋に届いてるだろうし、このあとどうなるかは当人たち次第だ。完全に俺たちの手から離れたもんをこれ以上ごちゃごちゃ言ったって仕方ねえだろ。もうこの話は終いだ」
 納得はいかなかったけれど、反論もできなかった。銀さんが小さく息を吐き、神楽ちゃんの視線がゆっくりふたりの間を渡った。
 気を取りなおし、少し世間話をして病室を後にした。エレベーターに乗る前に厠に寄ると、厠から出てきた神楽ちゃんが閉まっていくドアを振り返りながら尋ねてきた。
「新八、掃除のおばちゃんが出るだの出ないだの騒いでたから、便秘かと思って訊いたら幽霊の話だって言われたアル。病院あるあるって言ってたけど、何でアルか?」
「え? 病院っていったら人が亡くなることも多いから、霊が出やすいような感じしない? 夜兎族にはそういう感覚ないのかな?」
「ふうん……あんまり他の夜兎族と話したことないからわかんないけど、病院にはいろんな怖い話があるってこと?」
「うん、病院やお墓なんかも怪談の舞台としては定番だね」
「新八も何か話知ってるアルか?」
「うーん、寺子屋でいくつか聞いたことあるかな」
「どれか話してヨ」
 エレベーターを待ちながら、記憶を掘り起こす。
「いいよ。じゃあちょうどいいから病院の厠の話にしようか」
「うん、楽しみアル」
「じゃあいくよ。ある大きな病院に入院中の男がいたんだ。ある日、男は昼食後厠に行きたくなって部屋を出た。のどかな平日の昼間、廊下では巡回の看護師や別室の見舞客とすれ違い、何事もなく厠のドアを開けた。するとそのとき突然男に悪寒が走ったんだ。不思議に思って中を覗いてみたけど、いたって普通の厠。誰もいない。後ろを振り向いても、通ってきたときと同じ光景が広がっているだけ。男は妙だと思いながらも中に入って……」
 そこまで話したところで、神楽ちゃんの肩越しに、病院には似つかわしくない真っ黒のふたり組が目に入った。神楽ちゃんも僕の視線を追って振り返る。
「おお、新八くん、チャイナさん、どうしたんだ?」
「近藤さん、土方さん。こんにちは。実は銀さんが入院してて。真選組もどなたかが?」
「ああ、こっちは……うちの北川とは顔見知りだったかな。彼女が入院しててな」
「え、北川さんが?」
 思わず神楽ちゃんと顔を見合わせる。
「何だ? 彼女がどうかしたか?」
 部屋番号を尋ねかけ、口を噤んだ。北川さんからは、今回の依頼は絶対に口外しないでほしいと念を押されている。真選組も含め、誰にも。彼女の事情を知っているのは僕たちだけだからだと。
「あ、いえ……あの、お大事にとお伝えください」
 土方さんが少し訝しんでいるように見えたけれど、追及はされなかった。
 そのあと怪談話の続きをして土方さんに怒鳴られ――そういえば怪談が苦手なことをすっかり忘れていた――、エレベータを下りたあとふたりの姿が完全に見えなくなってから、神楽ちゃんとまた引き返した。
 フロアの端から病室をひとつずつ覗きながらうろうろしていると、ドアが開いていたのですぐに見つかった。僕たち貧乏人と違って立派な個室に入っている。
 一応ノックをして声をかけると北川さんが振り返り、目を見開いた。
「新八くん、神楽ちゃん。何で?」
 さっき近藤さんたちにしたのと同じ説明をして、ふたりに会ったことを伝えた。
「話してたら急に怒鳴られたアル」
「え、急に? どうしちゃったんだろ」
「あ、いや、実は話してたのが怪談話でして……」
「ああ、そういうこと。ごめんねえ、あんな顔してびびりだから。怖かったんだと思うよ」
「いえ、こちらこそ……まあ、そんなわけで来ちゃったんですが、急なうえに何も持たずすみません」
「いいんだよそんな気遣わないで。わざわざありがとね」
「北川さんはどうして入院を?」
「ちょっとね、仕事で怪我しちゃって」
 北川さんの視線の先で、布団から固定された左脚が覗いている。
「身体を使うお仕事ですもんね」
 血生臭い仕事だよ、と北川さんは笑い、ひと呼吸置いてから改めて僕の目を見た。
「ね、依頼の話しにきたんでしょ?」
「あ……ええ、電話が全然繋がらなかったので」
「だよね。ごめんね。この怪我したときに携帯も壊れちゃって。退院したら万事屋行こうと思ってたの」
「……手紙、ご依頼通りに投函しました。もう伊勢屋に届いてると思います」
「そっか、ありがとう」
 北川さんがからりと笑った。そこには悲哀や後悔のような悪い感情は少しも見当たらなくて、本当に銀さんの言う通りなのだろうかと、無関係な僕が少し寂しくなってしまった。
 見舞いに行ったのに土産に果物を持たされ、僕らは今度こそ病院を後にした。
 ふたりともなんとなく黙り込んでしまって、果物の入ったビニール袋のかさかさと鳴る音だけが僕たちの間で揺蕩っていた。
「……何か、すっきりしないアル」
「……そうだね……」
「何で皆、相手の幸せのためって言って、願ってもないことを一方的に押し付けるんだろ? 何で話し合ってくれないんだろ?」
「神楽ちゃん……」
「自分でも身勝手だってわかってるから、相手の話聞かないんだヨ。前にパピーが私を連れ戻そうとしたときもそうだったネ。パピーも銀ちゃんも。大人は皆勝手ヨ。勝手で馬鹿ヨ。愛とか幸せとか、そんなに複雑で難しいことアルか?」
 見上げてくる瞳には、まっすぐな切実さが詰まっていた。
 僕だって、神楽ちゃんと同じ気持ちだ。それでも今回の依頼を受けることになったのは、万事屋の決定権が銀さんにあるからというだけではない。
 神楽ちゃんが傘の柄をぐっと握った。
「……でも、勝手で馬鹿だけど、冷たいわけじゃないネ」
 そうなのだ。ふらふらへらへらだらだらしていても、いつも心に一本通った武士道がある。お金だろうと何だろうと揺るがすことのできない、銀さんの武士道が。
「うん、そうだね」
 それを信じたから僕は万事屋で働いているのだ。納得がいかなくてももやもやしても、なりゆきを見届けよう。