うっかり助手席側にまわりかけて運転席の方に引き返すと、すかさず凛子の声が飛んできた。
「運転しようか?」
「いや、さすがにそりゃねえだろ……」
 ついさっき自分で運転してきたばかりだというのに。習慣とは恐ろしい。
 凛子が退院するので、迎えにきたのだ。平隊士に任せてもよかったが、ちょうど予定もない非番であったし、このところ運転をしていなかったので自ら申し出た。
 助手席の凛子がシートベルトをするのを確認し、エンジンをかける。ギアをドライブに入れてアクセルを踏む。駐車場から道路に出る前に一時停止し、左右を確認して発進。小さくなる病棟を背に、道路の流れに乗って走る。たったそれだけの、ごくごく普通の運転だが、前屈みに座る凛子がそれを横からじっくりと品定めするように見つめてくる。
 その理由は、俺が無意識に助手席に向かったのと同じだろう。
「何か変な感じ。トシが運転してるとこ見るの初めて? だよね?」
 真選組では隊内の誰かと乗車する場合、序列が下の者が運転するというのが暗黙のルールになっているのだ。隊長格である総悟と平隊士であれば平隊士が、副長である俺と総悟であれば総悟が運転する、という具合に。
 つまり、俺が運転するのは、基本的に局長である近藤さんと乗車するときだけになる。だから、凛子が俺の運転する姿を物珍しく思うのはわからないではないが、あまりじっと見られるとやりにくい。
 しっしっ、と凛子の顔の前を左手で払う。
「退院祝いだ。二度とねえぞ」
「じゃあ写真撮っとこ」
「やめろ」
「あ、携帯壊れたんだった」
 その無意味なやりとりは、思わず俺の口元を綻ませた。妙にほっとしたのだ。表彰式の日以降も何度か見舞いに来て、そのたび同じように軽口を叩いていたはずなのに。
 そうして、そうだった、と改めて思い出す。隊内でこんな風に接してくるのは凛子くらいなのだったと。真選組は結成前からの昔馴染み同士も多く、大半が家族同様に衣食住を共にしているが、職場を兼ねた共同体でもあるため、フラットな友人同士のような関係というのは存外少ない。役職がつけば特にそうであるし、その中でも俺はよりその傾向が強い。だから、あまりに気さくで近藤さんや総悟ともまた違った凛子の態度を、初めは秩序を気にして渋っていたはずだったのだが。
 凛子が新しい携帯について訊いてきたので、屯所に届いていることを告げる。話しながらまた俺の大したこともないハンドル捌きを眺めるので、もう一度左手で払うとようやく正面に視線を移した。
 今日は雲ひとつない晴天で、まっすぐに差し込んでくる低い太陽の光に凛子が目を細めた。
「ねえ、明日から何したらいい? 書類手伝う?」
 日常生活に困らない程度回復したとはいえ、病院からはまだしばらく安静にするよう言われている。怪我人の絶えない真選組ではこういうことも少なくない。市中見廻りなどの身体を使う業務に就けない隊士は、通常であれば事務作業など内勤の業務をすることになるのだが。
「ああ……お前は一週間謹慎だから安心して大人しく休んでろ」
「えっ、うそ」
「当然だろうが。何で入院する羽目になったか忘れたか? 指示無視してひとりで突っ込みやがって」
「幹部捕まえたのでチャラになんないの?」
「ならねえな。でもその代わり功労賞も出る」
「それとこれとは別ってこと?」
「そういうこった」
「……なーんかちぐはぐー」
「切腹になんねえだけ有難いと思え」
 自分の脚の上で肘をつき、はあい、と珍しく投げやりに答える姿は、まるで子どものようで少し可笑しかった。
 謹慎処分はもちろん違反に対する処分であるが、半分は休暇のようなつもりで、近藤さんと話し合って決めた。凛子は入隊後まとまった休みを取ったことがなかったし、下手に動きまわられるよりも回復に専念してほしいと思ってのことだ。あとは、今回の手柄への礼も込めて。だが反省はしっかりしてもらいたいので、伝えてやるのは謹慎処分だということだけだ。
 赤信号で車を停め、煙草に火をつける。その横で、乗車したときからずっと前屈みになっていた凛子が慎重に背もたれに背をつけた。傷口は塞がっていてもまだ痛みはあるのだろう。当然だ、入院が長引いたのは脚の打撲のせいであるが、こちらだって全快でないに決まっている。さっき病院を出る前に化膿止めだか何だかの薬を数日分受け取っていた。
 あの日の夥しい屍と血の海が、生々しく頭を過る。それと共に蘇るのは、凛子に対する罪悪感。
「……なあ、何であのときひとりで突っ込んだ?」
 ずっと気になっていたことが、訊くか訊くまいか見舞いに行くたび考えては結局訊かずにいたことが、思わずするりと口をついて出てた。
 凛子は黙ったまま視線だけをこちらに寄越した。
「……別に責めてるわけじゃねえ」
 信号が変わり、前の車が動きだした。極力スムーズに車を発進させる。
「ただ、お前はああいうことはしないタイプだと……もっと地に足ついたやり方する奴だと思ってたから、不思議に思っただけだ」
 うん、と凛子が独り言のように発した。
「ちょっとね、調子に乗った」
「……あのタイミングで?」
「ひとりになったあと、囲まれた中で逃げようとする幹部の姿が見えたんだ。あっちは非戦闘員が中心だったし、あの武器を躱すのにも慣れてきてたし、いけるって思った」
 一応勝算はあったというわけだ。しかしそれが、元より自分の身と引き換えの覚悟だったのか、見積もりが甘かっただけなのか。調子に乗ったということは、素直に受け取れば後者なのだろうが。
 カーブを曲がるとき、凛子が左腕をドアについて身体を支えた。あくまでさりげないつもりなのだろうが、俺の目をごまかそうなど百年早い。
「今回の件は本当に有難えと思ってる。けど、死んだら元も子もねえんだからな」
「……でも、皆死ぬ覚悟でやってるでしょ」
「死んで勝つのと死んでも勝つのは違えんだよ。覚えとけ」
 これも、言おうか言うまいか何度も考えたことだった。
 凛子はまた、うん、と独り言のように発した。

 車を降り、凛子が手に取るより先に後部座席から荷物を取り上げた。入院生活約一ヶ月分の荷物だ。それを、ありがとう、と当たり前のように両手を伸ばして受け取ろうとするので、思わず小さく嘆息してしまう。
「部屋まで持ってく」
「自分で持てるってば」
 不服そうというよりは、どうすればいいかわからず困惑しているようだった。
 実は同じやり取りを、病室から駐車場までの間にもしていた。そのときは俺も奪ってまで持つことはないだろうと凛子に持たせたのだが、やはり時折何かの拍子に痛むのか小さく顔をしかめていた。
「こういうのは素直に甘えとけ」
 荷物を遠ざけるように高く掲げると、凛子が「ごめん」と目を伏せる。
「……」
 瞳を覆う睫毛を見ていると、いたたまれなくなってくる。そんな風にされると、まるで俺が悪いことをしているような気になるではないか。
 だからそのきまりの悪さをごまかすためにうっかり、可愛げがない、と言いかけ口を噤む。それは余計なお世話だ。そんなもの凛子にとって必要ない。少なくとも、今俺に対しては。
 けれども。そうわかってはいるが、でも、やはり女なのだからと思ってしまう気持ちはある。いくら気安いとはいえ、たとえ剣を握らせれば敵わないとはいえ。俺にはどうしたって男を相手にするのとは勝手が違ってくるのだ。まあ、巨大ゴキブリが発生したときは背後に隠れさせてもらったが。
 俺のそういうところが、隊士たちには古臭いと思われているのだろうし、山崎が純情だのとのたまう所以であるのだろう。それもわかってはいるが、違うものは違う。
 何も、甘えてほしいだとか、笑顔で男の言うことを聞くべきなどとは思っていない。ただ、そんな顔をされるよりは、できれば笑って受け取ってくれればいいのにと思ってしまうのだ。
 玄関に着くと、奥の方がにわかに騒がしくなった。凛子と顔を見合わせ向かうと、居間に人が集まり始めていた。テレビが置いてあり休憩によく使われる、普段は安穏としたその部屋は、刀で斬られたらしい障子が三枚になって散らばり、中では総悟が仰向けに押し倒した男の首元に刀を突きつけていた。その足元には抜き身の刀が、背後にはまた別の男が気絶して転がっている。男はどちらも見ない顔だった。
「何事だ!?」
「侵入者でさァ。俺の首狙ってきたみてえですけど」
 下になっている男も既に気を失っているらしく、総悟が立ち上がった。総悟が顎をしゃくると、呆然と様子を眺めていた隊士たちが一斉に慌てて後処理に動き出す。
「で、何でこんな白昼堂々侵入を許してんでィ」
 その様子を見下ろし、総悟が一応ぐるり見回す。一応、というのは、目線の動きから、総悟が既に当たりをつけているらしかったからだ。
 最後に目を留められた隊士がびくりと肩を震わせた。最近入ってきた――と言っても凛子よりは先だが――比較的新しい隊士だ。顔がみるみる青ざめていく。
「あの……すみません、沖田隊長のご親族だと言うので案内を……」
 思わず舌打ちが漏れた。確認をしないこいつのうかつさや、そういう手口の出現に対してもだが、それよりも、そんなことで侵入を許してしまう今の真選組の状況に対してだった。
 これまでは人数も少なく、ほとんどが結成当初からの面子でありお互いをよく知っていたため、こんなことは考えられなかった。しかし、今はもう、そうでなくなりつつあるということだ。組織が大きくなってきているのに対し、統制が追いついていない。つまり、俺の責任だ。
 総悟が小さくため息をついた。
「俺だったからよかったものの、これが土方さんなら死んでたぜ」
「おい待て総悟、状況確認するから話を聞かせろ」
 飄々と立ち去ろうとする総悟の背中に投げかけた。すると、何事もなかったかのような顔で振り返る。
「ええ……たった今殺されかけたんですぜ。その辺の奴らが見てたと思うんで、そっちに聞いといてくだせえ。緊張が解けたら眠くなってきちまった」
 そうして悪びれもせず、さっさと廊下を進んでいってしまった。
 嘘をつけ、お前がそんなタマか。
 後処理をする隊士たちの指示を出しながら、ため息が漏れた。どうしてこう次から次へと問題が起きるのだ。
 そうしているうち気付いたときには、凛子はもう荷物と共にいなくなっていた。