江戸に来る前にいたのは摂州、っていうのは知ってるよね、履歴書にも書いたし。でも元々の生まれは京なんだ。そこそこ裕福な呉服屋のひとり娘でね。両親が生きてた頃は寺子屋に通って、お稽古事して、友達と遊んで、普通に暮らしてた。お稽古はお琴と剣術道場に通ってて、どっちもそれなりにできたけど特別できるわけでもなかった。寺子屋の勉強にしたってそうだし、特別秀でたものは何もない、本当にどこにでもいる普通の子どもだったよ。
 九歳のとき京の大火があったんだ。そう、夜中に京の街の大半を燃やして大勢の死者を出したあの大火災。もちろん我が家も例外じゃなくて、逃げ遅れた父と私を助けようとした母が、一か八かで私を二階の窓から突き落としたんだ。私は誰かが道端に落としていった荷の上に落ちて奇跡的に助かったけど、両親は家と一緒に燃えた。
 大火で身寄りがなくなった子どもは大勢いて、最初は皆で寄り添ってたの。でもそう日が経たないうちに、私たちの面倒を見てくれるっていう男たちが現れた。三食白いご飯が食べられて、寝る場所にも困らない、綺麗な服も着られるって言って。あの辺りの子どもたちは皆裕福な家で素直に育てられてきたもんだから、疑いもせずついていったんだけど、まあ、そいつらが何なのかわかるよね。そう、女衒。幸い途中でおかしいことに気付けて、皆一斉に逃げ出した。何人かは連れ戻されてたけど、女衒は見た目のとびきりいい子を優先させてたから、私みたいに平凡な子はうまく逃げきれた。
 とは言っても身寄りのない子どもが生きてくのは難しくて、何人かはせっかく逃げたけど、生きるために自らまた女衒の元に行った。女衒はいくらでもその辺をうろうろしてたから見つけるのは簡単だった。
 私はずっと物を盗んだりその日暮らしをしながら西へ西へと場所を移って、十二歳のときには摂州の西の方にいた。
 当然だんだん生活が追いつかなくなって、お金を求めてるうちあっという間に裏の世界に片脚突っ込んでた。でもそのときはまだ人を斬ったりなんて大層なことはしてなくて、男の子のふりして薬の売り子してただけだったの。
 それがどうして人斬りになったかっていうと、私がタブーを犯したのがきっかけだったんだ。ああいうのの売買ってちゃんと組織ごとにシマが決まってて、勝手に他の組織のシマで活動したらいけないでしょ? それをわかってたのに、お金欲しさに別のシマで売っちゃってさ。一、二回見逃してもらってたことに気付かず調子に乗って、何度もやってたらある日ついに捕まった。こっぴどく締め上げられて、女だってこともばれて遊郭に放り込まれそうになったの。でもそれだけは嫌で必死に抵抗して……そのとき初めて人を斬った。私を抑える組員から刀奪って。かっとなって無我夢中になってるうちにってわけじゃなく、はっきりと殺してやるつもりで斬ったんだ。躊躇もなかった。
 そのあと他の組員に殺されかけたんだけど、それでも抵抗をやめない私を組長が気に入ってね。娑婆で生きたい、金も欲しい、そのエゴのためなら人も斬れるクソガキだって褒められたよ。それで護衛の仕事をしてみないかって勧誘されたの。躊躇いなく人を斬れる人間は素養があるし、忠誠心だ何だより金で動く人間の方がわかりやすくて信用できるからって。剣術稽古もつけてやる、断るなら遊郭にぶち込むって言われたら言うこと聞くしかないでしょ。
 正直私が遊郭で上りつめられたとはとても思えないし、実際あっちを取って正解だった。最終的に普通の仕事じゃまずもらえないような額の報酬を払ってくれるようになったしね。
 男社会に飛び込んできた女に対してこまごまとした嫌がらせみたいなのはあったけど、私の剣術の腕が上がるにつれてなくなっていったし、慣れれば居心地は悪くなかったんだ。まあ、組員になったわけじゃなくてフリーで雇われてたのに近い感じだったから、ここよりはビジネスライクな感じだったしね。
 そんな感じで十五年続けて、辞めた理由は単純だよ。日の下歩ける仕事をしてみたくなっただけ。組長が病気になって権力を持ち始めた若頭に相談したの。で、その若頭がコネ使って、経歴不問で入れてくれそうなところを探して見つかったのが真選組だったってわけ。

 それが、数日かけて伝えらえた凛子の物語だった。
 同じ身寄りがなかったと言っても、曲がりなりにも置いてくれていた家を自ら飛び出した俺とは、命のやり取りもないただの喧嘩に明け暮れていた俺とは、過酷さが全然違った。職もなく生きた三年も、護衛をした十五年も、あっさりと話していたが絶望に暮れたことは一度や二度ではなかっただろう。
 こういう類の話を聞けばその人間の奥行のようなものが見えてくるもので、凛子という人間の輪郭がより濃く縁取られた。真選組の完全な男社会に上手く馴染んだ適応力や気丈な性格、確かな剣の腕に、引き際を弁えた戦い方。それらのルーツが話の中に詰まっていた。
 しかしそれと同じくらい、腑に落ちない部分もいくつかあった。
 ぺしゃんこになったチューブを文机に置き、薬を塗っていた指を拭う。薬の塗布は、退院のときにもらった分だけでいいとのことだった。つまり、俺がこうやって凛子の部屋に来るのは今日で最後になる。
「……何でそんなに金が欲しかったんだ?」
 立ち上がりながら問いかける。衝立の向こう側に入ると、凛子が着衣する衣擦れの音がした。
 堅気の仕事に就けなかったことも、だから裏稼業に流れてしまったことも、理解できる。ただ、使い走りだとしても、薬の売り子であれば幼い子どもにとっては充分な実入りがあったはずだ。
「別のシマに手出すような真似しなくたって、生きてけたんじゃねえのか? タブーだってわかってて何でわざわざ」
「うん、生きてはいけたよ、普通にね」
 服着たよ、と言うのでもう一度衝立を越えて中に入った。文机を挟んで斜めに向かい合って座る。
「私、強欲だから。ほら、裕福な家のひとり娘だったって言ったでしょ。どんどんもらってる額じゃ物足りなくなってったの」
「強欲……は、違いねえ。犯罪組織から公務員に転職するくらいだからな」
「でしょ」
「けど、よく抜けること許してくれたな。ああいうとこ抜けるのって、けじめっつって指詰めたりすんじゃねえのか」
「普通はね。まあ私の場合は正式な組員ではなかったし、相談した若頭っていうのが、組長の息子で当然私が入ったときからいて、歳も近くて……まあお互いよく知ってる仲だったから融通利かせてくれたんだ」
「へえ、友達みてえな感じだったのか」
「まあね。それに、私がその気になればひとりで組を潰すこともできるようになっちゃったから、仕方なかった部分もあったのかも」
 恐ろしいことをさらりと言う。しかし、実際そうなのだろうと思う。もしかしたら、十五年分の復讐を恐れてわざわざ次の職までお膳立てしてやったのかもしれない。それも、世間体の良いものを。いや、真選組が世間体が良いと言いきれるかは疑問であるが。

 部屋を出るとき、凛子はまた例のごとく毎晩手間をかけたことへの謝罪をした。俺は小さく息を吐き、「おやすみ」とだけ言って背を向けた。
 廊下を進みながら、さっきの凛子との会話を反芻する。
――私、強欲だから
 さっきは肯定的な返事をしておいたが、本当は強欲など、これまで見てきた凛子の人間像とは到底結び付かない言葉だった。
 例えば彼女の部屋。強欲な人間の部屋が、あんな飾り気のない、本当に最低限の物しかないような質素なものになるものか。放っておけば有給だって取ろうとしないし、自分の欲求を全面に出すようなところを見たことがない。それこそ犯罪組織から公務員になろうとする図太さはあっても、堅気に戻りたいというのはこの上なく平凡で人並な欲だ。
 それに、引っかかっていることはもうひとつある。
 しつこいようだが、討入りであんな無茶をしたことが、凛子の話を聞くと改めてやはり解せなかった。
 凛子の話からは、彼女の生への執着を強く感じた。十二にして明確な殺意を持って人を斬るほどの、手を汚してでも遊郭ではなく外の世界で生きたいという強い意志を感じた。だから、彼女の戦い方が引き際をよく弁えていることがすとんと腹に落ちる。生き延びるため、死なない戦い方を身につけてきたのだと。親に救われた命をやすやす手放すわけにはいかない、凛子ならそんな風に考えそうだと、俺はそう思った。
 だからこそ解せないのだ。本人は調子に乗ったからだと言っていたが、そんな風に生きてきた人間がいまさらそんな失態を犯すものだろうか。
 おぞましい跡を残した現場と、凄惨な背中の傷が再び頭に思い浮かぶ。それと同時に罪悪感も込み上げてくる。それは彼女が怪我をして以降、ふいに現れては俺を心苦しくさせる。
 いや、違う。解せないのではない。信じたくないのだ。それほど凛子が身体を張って仕事をこなしてくれたのだと。そんな隊士を、自分はろくに本人と接しようともせずに疑っていたのだと。
 凛子の不審な行動にまったく意味がなかったとは今も思ってはいない。何かをしていたのは確かだ。しかし、少なくとも、凛子が真選組に仇なす何を企んでいるという考えはもうなくなった。そんな証拠は微塵も出てこなかった。むしろ今回の討入りが、凛子がシロであることの証拠だった。
 はあ、と息を吐き、突き当たりを曲がると部屋の前に山崎が立っているのが見えた。
「副長」
「どうした」
 山崎は俺が何をしていたのかを探るように、俺の肩越しに廊下の奥を見たが、すぐこちらに視線を戻した。
「折護党の、例の武器の件です」
 折護党とは、凛子が怪我を負った討入りの際検挙した攘夷党のことだ。あの日、武器を折護党に流していた商人もまとめて検挙したはずだったのだが、さらにその商人たちに武器を卸していた大本が別にいることが後から判明し、それを山崎に調べさせていた。
 山崎を部屋の中に招き入れ、煙草に火を点けた。
「最近湾岸の方で深夜不定期に出入りする不審船があるとの情報が」
「確度は」
「高いかと。不審船の出入り日との照らし合わせはまだできていませんが、最近妙な動きを見せている禍燐党や、勢力を拡大しつつある郭座党などの出入りも目撃情報があります」
「……わかった。今から張り込め」
「はい」
 一礼し、山崎は部屋を出ていった。その後を追うように流れた煙は、閉まる障子に断ち切られた。